毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

本質的政界再編とは何か

2015-06-30 16:10:34 | 政治

政界再編という言葉が、中身もなく乱用されている。そこで本質的に日本に必要な政界再編について考えて見た。 

 民主党が平成22年に政権交代を実現した。これは、かつての細川政権などのような単なる非自民党政権によるものと異なり、本格的な二大政党の時代が来たと多くの国民に幻想を抱かせた。だが民主党は、社会党の凋落に組織の危機を感じた労働組合が、投票の受け皿を求めて組織票の中核を結成し、そこに自民党から逃れたもの、非イデオロギーの無党派敵政治家を取り込んで出来上がった鵺のような政党であったことは初手から分かっていた筈である。表にでるのは、ほとんどが、鳩山由紀夫のような、自民党から逃れた者や非イデオロギーの無党派的政治家である。そのことによっで、民主党の集票組織の中核である左派のイデオロギー色を、国民の眼から隠すのに成功したのである。

 何となく事情は分かっていながら、「無党派層」と呼ばれる国民がつい、政権交代、という二大政党時代への幻想を吹き込まれ、かつて無党派であっても自民党に投票していた者の多くが民主党に一時的に投票した結果、民主党政権が誕生した。また小泉政権時代の郵政民営化に反発した多くの自民党政治家が自民党を離れ、みんなの党などのいくつかの小規模政党を作った。この結果も自民党の票を激減させた原因である。

 だが、かつての自民党でも加藤紘一のように、利益誘導的なことだけが自民党的で、思想的にはマルキストとしか思われない政治家が自民党にも多くいたのであって、その意味では、保守合同時点では健全な資本主義政党であった自民党も、民主党誕生以前に鵺になっていたと言えなくもない。

だから政界引退後に「世界」などという共産主義に未だに幻想を抱く雑誌に、自民党批判の記事を書く元自民党の、それも中枢にいた政治家がいても驚くことはない。自主憲法制定が党是である自民党に、本気で憲法改正を考える政治家が、マイナーな存在であるのも不思議ではない。多くの国民と同様に、すっかり平和憲法という言葉の虜になっている。

 かえって自民党から離れたマイナー政党政治家に、健全な保守主義者がいるのも皮肉である。だがGHQの洗脳の毒は効き過ぎる位効いている。自称保守で比較的健全だと思われていた小林よしのりですら、女系天皇容認論を声高に主張し、実質的にGHQ皇族から追放された旧皇族の皇族への復帰をヒステリックに否定している。

 また自称保守の中にも、戦争忌避主義者も多くいるし、憲法改正についても、現実に提案され公表されているのは、日本国憲法をベースにしているものばかりである。日本国憲法の本質は憲法ではなく、米国が作った日本政府に対する占領統治条約である、という本質を直視するなら、帝国憲法に戻すべきである。軍事占領時に被占領国の法体系を変えてはならない、というのは単なる国際法違反ではなく、自然法を淵源とする国際法の本質に反していることは、銘記すべきである。統帥権の独立を帝国憲法の欠陥であるかの如くいう保守論者が多いが、そんなものは運用の問題である。

 一般論としては、ベースとなるべき帝国憲法ですら、西洋人の知恵を借りた分だけ、歴史的日本の実情に合わない部分もある、と考えられる。憲法改正とは、日本国憲法に戻したうえで、考えるべきである。理想的な政界再編とは何か。このような憲法改正を考えている政治家を糾合した政党を作ることである。

 帝国憲法を改正して、歴史的日本の実情に合わせたものにする、という共通認識さえあれば、大東亜戦争に対する評価や靖国問題に対する対応というのは、チェックするまでもない。伊藤公らは、憲法とはその国の歴史から生まれるものである、という自覚を十分していたことはもちろんである。それでも考える余地はある、と思うのである。全ては、帝国憲法に戻してから始まる。


集団的自衛権一考

2015-06-28 13:36:19 | 軍事

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 集団的自衛権について反対する理由は、戦争に巻き込まれるというものである。一方で賛成の意見とは、例えば米艦船と自衛隊が共同行動をとっていて、米艦船が攻撃を受けても日本には集団的自衛権がないから、自衛艦は敵を攻撃できず、見殺しにせざるを得ないから日米同盟が機能しない、というものである。これでは議論がかみ合うはずがない。

 安保条約を想定して、自動的に米国の戦争に巻き込まれる、というのは明白な間違いである。安保は米国が攻撃を受けた時、日本に米国を守る義務はないからである。次に、イラク戦争のような場合である。確かに、米国に協力して参戦した国はあるが、同じ国連加盟国でも中露は反対して参戦しなかった。

集団的自衛権は、国連憲章で規定されている、とされるが正確ではない。国連憲章51条では「・・・安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と書かれているだけである。前段の「必要な措置」とは第1条に書かれた「・・・有効な集団的措置をとること・・・」である。

これは国連軍による集団的安全保障のことであって、集団的自衛権とは異なるものであるが、混同されているきらいはある。国連軍による集団的安全保障が実行されたのは、唯一朝鮮戦争である。当時、中共も北朝鮮も国連に入っておらず、当初は北朝鮮の侵略に対して国連軍として米軍が派遣され、途中から中共もその対象となったのである。

 国連憲章は国連軍が来てくれるまでの間の、集団的自衛権を否定していないだけのことであるから、集団的自衛権が国連憲章に規定されているという理由で、国連加盟国は他国の戦争に参戦の義務がある、という見解は論外である。国連加盟国であろうとなかろうと、個別の戦争に参戦するか否かは、政策判断の問題である。ベトナム戦争に韓国が参戦したのも同様の問題である。ベトナム戦争は東南アジアに共産主義が蔓延するのを防止するために米国が行ったものである。その米国は戦前の日本の反共政策を妨害したから、自分のつけを自分で払わされただけであって、日本が参戦するいわれはない。

 唯一の問題はPKOの戦闘行動に参加するか否かであろう。日本はPKOに参加しているとはいっても、後方支援任務に限定している。これを紛争の鎮圧、すなわち戦闘行動への参加に拡大するか否かの問題はあるが、これも政策の問題である。ただし、後方任務であっても、近隣の部隊が襲われて助けを求められて戦闘に参加することは、今回の集団的自衛権の保持の憲法解釈で可能になるし、必要である。

 ちなみに戦後日本は、参戦したことはない、というのは国際法の厳密な解釈から言えば、明白な間違いである。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、日本は戦闘に参加する米軍に基地を貸した。特に朝鮮戦争では日本から直接出撃した航空機も多かったし、軍需物資を米軍に売ったし、掃海作業も行って犠牲者も出した。

これらの行為は全て国際法の中立違反、すなわち参戦したことになる。北朝鮮や中国、ベトナムといった国は国際法上、日本を攻撃する権利があった。しなかったのは、できなかっただけのことである。この通り、憲法九条があるから戦後日本は戦争しなかった、というのは真っ赤な嘘である。していたのである。また、朝鮮戦争とベトナム戦争で基地を提供するなどして参戦したことは、自衛権の行使としか考えられず、自衛権の行使ならば、議論された集団的自衛権と言うしかない。

賛成派も反対派もまともな常識があれば、そのことは知っているが、知っている者は黙っているのである。賛成派が黙っているのは、今後も似たようなケースが朝鮮半島や台湾で起こり得、集団的自衛権があると言おうがないと言おうが、日本が日米安保による米軍駐留により、否応なく集団的自衛権を行使しなければならない立場にあると追及されるからである。

反対派が黙っているのは、憲法九条のお蔭で日本は戦争に巻き込まれていない、というのがフィクションであることがバレるのと、既に集団的自衛権が行使されたという既成事実を隠したいからである。こうやって日本はダチョウの如く頭隠して尻隠さず状態で生きてきたのである。

また、民主党は、防衛法制整備に関して、盛んに徴兵制にするのではないか、という議論をするが典型的な議論のすり替えである。それに対して、近代兵器を使うには短期間では技術を習得できないから、現代では徴兵制は適さない、という反論もあって、それはそれで正しいのだが、本質的には議論のすり替えである。

どうしても人が集まらないとか、後方要員が必要だとか、徴兵しなければならないケースが絶対に出ないとは言えない。また技術の進歩により最新兵器が簡単に使えるようになる、ということは将来現出しないとも限らないのである。現に刀より火縄銃、火縄銃よりボルトアクション小銃と、技術の進化により取り扱いは容易になっている。いずれにしても、安全保障法整備と徴兵制は直接リンクする事柄ではない

兵役が憲法で言う苦役である、というに至っては論外である。確かに兵役の訓練はつらい。だがスポーツ、特に一流スポーツ選手の練習は辛い。だが人はそれを苦役だと言い切れるだろうか。スポーツ選手は好き好んでやっているのだから苦役ではない。それは結果が出れば賞金も名誉も獲得できるから、辛い練習にも耐えるのだというであろう。

正にそれが本質なのである。兵役では、祖国を守るという使命感から辛い訓練に耐える。だから苦役ではないのである。つまり兵役が苦役だといいつのる者は、国を守るという使命の必要性と重要性を無視しているのである。いや、日本など守るに値しない、と考える人たちなのである。そのような人達が、安保法案の議論に参加するのがおかしいのである。彼等は日本が侵略さえしなければ、どこの国も侵略しない。あるいは日本以外に侵略するのは米国だけであって、その片棒をかつぐのは嫌だ、という訳である。

西洋の古い法律の諺に「第一の原則を否定する人と論争することは出来ない」という(満洲国出現の合理性)。正に彼らは、国防の必要性という、第一の原則を否定しているから議論にならないのである。例えばチベット人やウイグルが兵役につかされるとする。彼等は中華人民共和国を祖国と思っていないから、国土防衛の任につくいわれはない、と考えるであろう。こういう兵役をこそ、苦役というのである。いや、戦争となれば督戦隊に銃で脅されて、真っ先に死地に行かされるから苦役どころではなく、いわれなく死刑を宣告されたようなものである。戦争法不安反対と叫ぶ人たちは、こういうウイグル、チベットの人たちの苦衷を察したことはあるまい。

まして日本人が、兵役を苦役と言うようになったのは、中国やソ連にとっては喜ばしいことである。彼等は対日戦で日本の勇敢な兵士に苦しめられ、敗北を喫した。その末裔が兵役を苦役と言い出したのだから、対日戦は楽勝だと考えても不思議ではない。それ故、兵役を苦役と言い募ることは対日開戦のハードルを低くする。もちろん自衛隊の諸士がそのような人物ではないと信じている。しかし、兵役を苦役だという日本人が増えたことは、彼等に自衛隊の戦意は低い、と誤解されかねないのである。


米国が開戦を遅らせた訳

2015-06-27 14:42:46 | 大東亜戦争

 日米交渉で米国が交渉を妥結させる気はないのに、交渉を引き延ばしたことについて、戦争の準備ができるまで待った、と言われるがそれ以上に具体的な理由を聞かない。もし、対日戦がヨーロッパへの参戦のきっかけ作りだとすれば、1941年末では遅いくらいである。結局のところ、対日戦の準備のためと考えられる。対日戦ならば海軍戦力が重要となる。

米国は日本の海軍力を恐れていたのは事実である。結局は新戦艦の完成待ちだったのではなかろうか。第一次大戦以後、最後に建造されたメリーランド級は1923年頃の竣工である。日本も同様だが、それ以後第二次大戦までに完成した戦艦はない。新戦艦が竣工したのは1941年のノースカロライナ級2隻であるが、実戦配備となったのは翌年の3月である(*)。それから、サウス・ダコタ級4隻と最後の米戦艦のアイオワ級4隻が次々と竣工している。

第二次大戦以前に保有していた日米の戦艦は、各々10隻と16隻で、対米比率は6割を僅かに超えるだけであるが、対独戦参戦を考えると、いくらかは大西洋方面にも戦力を割かなければならない。いかに米国が太平洋での戦いに海軍戦力を重視したかは、大西洋方面で専ら戦ったのが、前記16隻中の最も旧式戦艦に属する、アーカンソー級とテキサス級3隻だけだったのでも分かる。もちろん新戦艦の一部も大西洋に回されてはいるのだが。

いずれにしても、新戦艦群が1942年に実戦配備となるのを米国はぎりきり期待して、最後通牒とも言うべきハル・ノートを1941年11月に渡し、年末の開戦を待ったのである。米国は第二次大戦中に新戦艦10隻を就役させたのに対して、日本は僅かに大和級の二隻だけである。

空母となった信濃や改大和級があるではないか、と言われそうだが、米国もアイオワ級2隻も船台の上で、工事途中で建造中止され、巨大戦艦のモンタナ級も設計だけだが、5隻が計画だけで中止となっているから、計画分でも、やはり量は米国の方がよほど多い。結局日本も米国も太平洋での戦闘には戦艦を重視し、米国は新戦艦の完成を待って日本を挑発したのである。

 

*世界の艦船1984年6月増刊「第2次大戦のアメリカ軍艦」


ベトナム戦争と日米同盟

2015-06-22 15:42:08 | 軍事

 日本に憲法九条がなかったらベトナム戦争への戦闘に参加しなければならなかったという論者がいる。だが、それ以前に日本はベトナム戦争の戦闘に参加すべきであったか、ということを考えるのが先決である。たとえ、軍事同盟を結んでいようと、いまいと、同盟国が自分の国益の選択として始めた戦争に対して、戦闘に参加するか否かは日本が判断すべきであって、憲法を理由にしなければ参戦を断れない、という発想自体がおかしいのである。現に日独伊三国同盟においても、日本は第二次大戦勃発3の際に参戦していない。

 ベトナム戦争とは何か。それは戦後再植民地化のために戦ったフランスを、アメリカが引き継いだのではない。ドミノ理論によりベトナムの共産化が東南アジアの共産化につながることを防止するためである。日本が支那事変を戦ったのも、ある部分で反共の戦いである。ドイツと手を組んだのも当初は反共のためである。日本は一直線とは言えないまでも、アジアの防共のために戦ったのである。それを理解できなかった米国は、結果として共産中国を成立させてしまった。

 アメリカが日本の邪魔をしなければ、アジアの防共はありえたのである。アメリカは日本を倒したために共産主義の威力と本質を知り、ベトナムに飛び火した共産主義を阻止しなければならない羽目に陥った。つまり米国は日本の役割を肩代わりしなければならなくなったのである。米国がアジアにおける日本の役割の貫徹を阻止したために、ベトナムで戦う羽目になった。日本が支那におけるゲリラ戦に苦しんだと同様に、米国もベトナムで苦しんで敗北し、厭戦になったという相似性はよく指摘される通りである。

  それ以上に両国の戦いにおける政治的意味は類似していた。ある意味で日本の代わりに米国はベトナムで戦ったと言えるのだが、日本の邪魔をしなければベトナム戦争はなかったのだから、既に支那で犠牲を払った日本が直接参戦する義理はないのである。つまり、アメリカは過去の間違いのつけを、ベトナムで払わされたのである。

  だが日米戦争なかりせば、アジアの独立はなかったのだから、日本としてはアメリカのベトナム共産主義との戦いに、消極的協力をするのもおかしな話しではない。その意味で沖縄基地を利用させるなど後方支援をしたのは正当である。すなわち日本のベトナム戦争に対する態度は、結果論ではあるが正しかったのである。

  ちなみに、基地の提供などの後方支援は、集団的自衛権の発動であり、日本は戦闘に参加していなかっただけで、国際法上は戦争当事国である。すなわち中立国ではなかったのである。だから、北ベトナムが日本を攻撃する権利はあった。ただ、物理的にできなかったし、する必要もなかった。日本との戦いはべ平連などの日本人反戦活動家を利用することで、事足りていたのである。

  共産主義を標榜しているとは言っても、中国もベトナムも単なる独裁国家、正確にはファシズム国家であって、共産主義国家ではない。中国の覇権主義的行動は、統一された支那政権の伝統的行動であって、共産主義とは関係がない。その意味で日本に代わってアジアでのプレゼンスを得た米国が、日本に変わって中国と対峙するのは当然である。

  米国がアジアにおけるプレゼンスを維持する実力と意志を日本が阻止して、自らアジアの安定を維持する覚悟がない以上、日本は米国を支援して中国と対峙して、中国の侵略からアジアの安定を保つ役割を補完しなければならない立場にある。現在では日本が独力でアジアの保全をすることができないというのは、精神衛生上有難い話ではないが、大東亜戦争で証明されてしまった、日本の国力や地理的な縦深性のなさから、米国の協力者となってアジアの保全を図るというのは、日本の縦深性の不足を米国に補完してもらえるという意味では有利であるともいえる。

  結果論ではあるが、戦前の日本のように、アジアで孤独に悩むということはなくなった。アジアでは、中国やタイ以外にいくつもの独立国ができ、中国の伝統的覇権主義的行動に悩まされているのである。その意味で支那事変と大東亜戦争を戦ったということは、現在の日本にとって有意義であった。その結果を現在の日本が有効に活用できず、共産中国に翻弄されているというのも、大東亜戦争の負の遺産である。だが両者を総合すれば、日本は戦前に比べ有利になったと言える。それを利用するのが今後の日本の役割である。

  いつの日にかロシアは覇権国家として再生する。そのときにロシアと支那とは、現在とは異なり両立しえないことは、歴史の教えるところである。そのときに支那は分裂しているかもしれない。分裂した支那をその状態のまま保全することが、支那各民族の幸福であり、周辺諸国の幸福でもある。その幸福のためにやはり米国と日本は、協力して支那と対峙すべきである。

  日本は米国と異なり地理的にアジアに存在し、アジア唯一の正常な国民国家であるという戦前からの立場が不変である以上、米国は日本の協力が不可欠である。大東亜戦争を戦った米国はその事実を教訓として知っていなければならない。知らなければ日本は教えなければならない。ロシアが復活する日まで日本と米国は協力して支那と対峙して、アジアを保全しなければならないのも両国の義務である。

  支那と日米の対峙の目標はアジアの保全ばかりではない。支那大陸における健全な国民国家の成立である。支那大陸において未だかつて健全な国民国家が成立した経験はない。たが中国系住民が居る台湾において、かなりその目標が達成しつつあることは、適切な国家規模ならば、大陸にも健全な国民国家が成立しえることを証明している。また皮肉なことに、植民地化の間に英国が教えた「民主化」という言葉を覚えた香港人が、支那政府と対峙する形成を見せているのも、支那における光明のひとつである。

  健全な国民国家の成立を阻んでいるのは、規模の問題と民族の錯綜と大陸における覇権志向の原因ともいえる統一願望である。統一願望は統一が成ったとしても、チベット侵略のように、更なる統一を求めて拡大する。これが覇権志向である。支那においては日本と異なり、古来支配者と被支配者は厳然と区別されている。

  支配者は自らの幸福のために統一と拡大を望む。そして大部分の被支配者は抑圧と収奪の犠牲となる。この不幸の連鎖を断ち切るには、各民族が分立して独立する、支那の分裂しかない。分裂は適正規模の国民国家の成立と、類似民族の国内共存による安定である。

  支那は漢民族と呼ばれる多数民族が支配しているとされる。しかし漢民族というのはフィクションである。それが証拠に漢民族といえども北京語、広東語、福建語など全く異なる言語を話していることはよく知られている。

  互いに通じない異言語を話すものが同一民族であろうはずがない。異言語とはいえ英語のルーツは古ドイツ語である。そのような意味における近親性さえ、中国における各言語間には少ないと考えられる。支那は古来外来民族による支配を繰り返してきた。その外来民族が自らの王朝が滅んだ後にも、大陸の各地にまとまって定住した。

  そのグループが上記の北京、広東、福建などの異なる言語を話すのである。すなわち古来の外来民族の象徴が、相違する各言語である。すなわち北京語と広東語を話すものは民族のルーツは異なる。別項で説明するが、北京語を母語として話すのは実は満州族であるというように(満洲化した、いわゆる漢民族も含む)。

  支那人が血族しか信用しないというのはこの異民族性による。血族すなわち、確実に同一民族と保証された人しか信用しないのである。それは大陸が常に外来民族の侵略支配と定住を繰り返した、モザイクのような地域であったためである。血族すなわち同一民族、つまり同一言語のグループだけで国家を構成するようになれば、この不幸は解消する。

  この分裂が始まったとき、日米は協力して分裂を支援しなければならない。そのためには米国人に支那大陸の本質はヨーロッパのように、異民族が各地に固まって定住しているモザイクのような地域であり、統一は住民に不幸しかもたらさない、ということを理解させることである。そして統一志向が覇権志向の原因であり、アジアの不安定化の原因であるということを理解させなければならない。外部から干渉あるいは支援などをせずに、内乱を放置することかも知れない。日米ともに、混乱の平定を目的として支援した結果が、毛沢東の統一という最悪の結果をもたらしたからである。

 この際に潜在的な危険がある。それは米国がハワイ併合以来、中国に野心を持ってきたことである。現在の中国に対しては軍事力のみならず、地理と人口の縦深性により戦い難いために、経済的権益の追求だけに止めているが、分裂した国民国家となった中国に対しては、米国は本来の野心をもたげることなしとしない、と考えなければならないであろう。

  そのときかつてのロシア帝国がそうであったように、復活したロシアも中国を狙うであろう。このときアジアの安定のために、何らかの形で戦うのが日本の役割である。アジアの安定なくしては日本の平和はない。

 もう一つは米国の抜きがたい有色人種への蔑視である。そのことに日本はペリー来航以来悩まされてきた。排日移民法、戦時中の日系人隔離、東京大空襲や原爆投下など市民への無差別大量殺害などである。すなわち日本人に対する欧米人、従って米国人には表面上現在はなりを潜めているが、絶対的な人種偏見がある。そのことを日本人は絶対に忘れてはならない。米国は日本が対等な同盟関係を求めた場合、その偏見が妨害するであろう。

  小林よしのりや西部邁の反米論は感情論である。米国が日本になした仕打ちは前述のようであって、両氏の言うことは事実として正しい。米軍が人道的な軍隊などではなく、南方や沖縄、本土において民間人の殺戮と暴行を行ったのは事実である。しかしその故に同盟が出来ないという結論を下すから感情論だというのである。確かに同盟できないとは直接は言っていないように思う。しかし二人の主張を総合すると、同盟できないと考えていると結論するしかない。

  欧米人も究極において日本人と異なり暴力的である。だがロシア人や支那人と異なり表面上はルールを確立して秩序を保っている。文明を装っているのである。彼らがギリシアローマ文明の後継ではなく、ゲルマン、ノルマンの蛮族の出身で、倦むことなく争いを繰り返したのは遠い昔の話ではない。二千年の歴史の経過で暫時文明化した日本列島と異なる。

 楠正成の糞尿をかけて敵軍を撃退したなどという、おおらかな話しが讃えられる世界と、十字軍とイスラムの攻防のように、巨大兵器を開発して戦闘を繰り返す文明とは世界が異なる。近代においても同一民族でありながら、米英の独立戦争を戦った。国内でも南北戦争という殺戮を繰り返し、北軍は南軍に無条件降伏を要求し、講和による和平を選択させなかった、過酷な人たちである。

  しかし、ともかくも彼らは和解し、米英は断ち難い同盟国となり、米国民は南北ともに対外戦争に協力できている。日本にした米国の仕打ちを忘れてはならない。だがそれ故に同盟が出来ないとしたら米英の同盟もなく、南北対立によって米国の統一もなかったはずである。

  これらの同盟と異なるのは前述のように、日米には人種偏見という抜きがたい溝があることである。しかし、多民族国家である米国にとって人種偏見は、自らにも向けられた刃であることを自覚しているはずである。それゆえ日本は人種偏見がなきがごとく、米国に対応することができるのである。

  日米戦争を戦ったのは必ずしも米国にも反感を残したのではない。米海軍には日本海海戦に勝った東郷平八郎に対する伝統的憧憬がある。日本海海戦は最初の近代的海戦であった。米海軍の将帥はアドミラル・トーゴーの海軍と戦うと奮い立った者が多いという。大東亜戦争で敗れはしたものの、彼らはカミカゼ攻撃の恐ろしさを知っている。いざとなったときの日本に対する畏怖はある。

 英米人には伝統的に良く戦った相手に対する尊敬というものがある。その点は日本人と共通している。それは個人から組織にまで及ぶことがある。そして相手が人種偏見の対象となる人種であっても、よく戦った相手には例外的に敬意を払う。例えば黒人であっても人種偏見にめげず勉学して弁護士や政治家となり、白人と対等以上の仕事をしている者に対しては名誉白人として、白人と同一の居住区に住めるし、対等に喧嘩をしながら仕事が出来る。

 日本人が米国人の人種偏見を打破して対等の同盟ができるとしたら、その原資は明治以来の日本が苛烈な戦争を戦い抜いたことである。その極限がカミカゼである。西洋人は日本人と異なり、数百年の戦いを続けてきた戦争巧者であり、勝利に向けてはハード、ソフト共に天才的な努力と才能を発揮することは、日本人の及ぶところではない。その努力の結果は年々進歩している。

  だが日本人が古里のために生命を惜しまない精神を潜在させていることを知る限り、対等の関係が成り立ちうる。だが日本にも朝日新聞のような、一部のマスコミのように、生命どころかカネの欲しさと脅しに屈して、故国を支那に売っても恥じない者たちが増えている。彼らは支那人からも心底では、侮蔑される存在なのだが、現実には大きな日本の脅威である。

  米国はある意味、「長い歴史を持つ」中国には憧れのようなものを持っていると推察される。それが戦前、中国を支援したのはひとつの原因である。それは中国が文明発祥の地とされるのに対してわずか二百年しかないというコンプレックスであろう。ところが現実の中国はみじめな後進国であるということが、ますます支援を動機付ける。日本に対する蔑視と中国に対する憧れが近年に至っても、クリントン政権のように時々日米関係を阻害している。

  日本には古来支那大陸との葛藤があった。これに幕末以来、ロシアと米国が参加して日本を悩ませた。隣国朝鮮は常にその間にあって日和見をする自主性のない存在であった。このパターンは現在でも生きている。それが日中二千年の歴史が教えるものである。

  日本人は中国四千年の歴史という、フィクションを忘れなければならない。中国の歴史は支那大陸という地域の歴史であって、連続した民族の歴史ではない。漢民族というものはいない。支那は飢餓と戦乱により民族の血統が何回も断絶した地域である。長江文明の支那人は黄河文明の支那人ではない。黄河文明の支那人は秦漢の支那人ではない。

  秦漢の支那人も隋唐の支那人は宋の支那人ではない。宋の支那人は元の支那人ではない。元の支那人は明の支那人ではない。明の支那人は清の支那人ではない。清の支那人は中共の支那人ではない。これらの漢には風俗、文明、言語、血統のほとんどが必ず断絶して不連続である。異民族が漢化されたのではない。支那の住民が異民族に滅亡あるいは同化されたのである。支那のひとつの文明はひとつの王朝限りで終わっている。現代支那の歴史は1949年の中華人民共和国から始まった、百年にも満たないものである。

  だから漢民族の四千年の歴史はない。日本人は戦前の日本人が持っていたような、文明の先達としての中国に対する憧憬を捨てるべきである。支那の現実をみつめて考えを改めた内田良平を見習うべきであって、支那に憧れて助けようとして殺された松井石根を見習うべきではない。冷徹に支那大陸の覇権争いとして捉えて対処するべきである。それが大陸の住民個人個人の幸福を達成するゆえんである。


朝日新聞の敗戦の初心とは

2015-06-21 13:42:32 | ジャーナリズム

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 国会図書館の縮刷版は貴重である。朝日、毎日、読売の各新聞の縮刷版が、戦前どころか新聞によっては、創刊当時からそろっている。何故か産経だけは縮刷版がない。パソコンで検索するか、マイクロフィルムを見るしかないから、手軽にパラパラ見ることができないのは残念である。縮刷版がないのは、新聞社が作っていないからである。

閑話休題。終戦近辺の新聞の縮刷版を書架に調べてみた。驚いたのは、敗戦直後の朝日新聞の論調のまともなことだった。8月15日のコラムには「何故ここに至ったか、責は何人が負うべきか、などといふ勿れ。顧みて他をいふをやめよ。各人、静かに思ひをひそめて、自ら反省すべきである。」とある。

現在の朝日新聞が、「日本の戦争責任」などと言って、軍部の責任、誰々の責任と言っているのとは、反対である。後年のこのような言動について、当時は戒めていたのである。ところが今は、自から戒めを破って恥じないのである。

 翌日の社説には「死せず亜細亜の魂」と題して「この戦争の結果は恐らく、外面的にはアジアの奴隷化に拍車をかける点、にもかかわらず内面的にはアジアの覚醒に偉大な貢献をなした点に存するであろう」といい、「かつて日露戦争後、同じく解放の熱望に燃える支那の国民的要請を我々が正確に把握しなかったところに、その後における東亜の悲劇の発端があった」という。

 すなわち、日本が負けることによって、欧米の植民地支配は強化されるであろうが、植民地の民族には、日本が戦ったことによって、独立への気概が強くなるだろう、というのであって、暗に将来の植民地解放の実現を示唆している。ただし、支那に関する認識は依然として甘い。清朝崩壊以後の支那は、過渡的な混乱期であって、真面目な日本が巻き込まれたのに過ぎないのであって、「支那の国民的要請」などというものは存在しないのである。ただこれらの弁は、当時の国民の多くの気持ちを代弁していたのも事実であろう。

 そして、縮刷版を丹念に見ていくと、一ヵ月もすると、この新聞のコラムは「神風賦」から「天声人語」とタイトルを変えて、論調も急速に変わってしまった。元々朝日新聞のコラムは天声人語であった。それが紙面が戦時色が強くなると、神風賦と改題した。時節に迎合したのである。

 そして、9月に、GHQによってまる二日間の発行停止にされた。米国等への批判的論調が逆鱗に触れたのである。すると、論調は180度変わった。同時にコラムも天声人語に戻ったのである。常に時節に迎合する。論調が変わろうが、これは朝日新聞にとっては不変のポリシーである。

 だが朝日新聞は、戦前は政府や軍部の検閲で自由がなかったとは言うが、戦後は平和国憲法に検閲の禁止が書かれていたのに、GHQの検閲で筆を曲げたとは書かない。それは、未だにGHQの検閲が終えても、検閲方針に従っているからだ、GHQの検閲がなくなったから自由に書ける、と言ってしまったら、どう論調を変えたらいいか、分からないからなのだ。


嘘だらけの日中近現代史・倉山満・扶桑社新書

2015-06-17 12:34:42 | 支那大陸論

  「まじめに中国の政治史を書こうとしたら、モンゴル語や満州語ができなければ話になりません。」(P14)というのだが、漢文では土地制度史だけしか書けないから、漢文しか読めない、今の日本の「世界史」は中国の政治史ではなく、土地制度史しか書かれていないから歴史になっていない、というのである。

 モンゴル語と満州語の必要性の理由はこれしか書かれていない。これを小生なりに解釈するに、漢文は文字表記としては不完全なものだから、モンゴル語と満州語のような普通の言語の文字表記が必要だ、ということがひとつ。清朝では、漢文の歴史書等の文献が解釈を含めて満州語にほとんど翻訳された、という事がふたつ目であろう。世界の言語に関する書物で、西洋の中国研究家は、漢文の古典を読むために、満州語を学ぶと書いてあったのが、このことであろう。漢文は言語の文字表記としては、相当に不完全である。だから解釈が必要なのである。清朝は、文法があるノーマルな文字表記である、満洲語に漢文の古典を翻訳する際に、解釈も含めて翻訳し、漢文の古典が普通に読めるようにしたのである。

 岡田英弘氏だったと思うが、世界史はモンゴル帝国から始まると書いた。これはモンゴル帝国が、世界帝国になることによって、ヨーロッパ文明と中国文明が接触することによって世界史が始まった、というのである。これが三つ目であろうか。

 戦前の人物評価で「どうも『日中友好』を唱えながら、孫文を助けた頭山たちを罵る日本人を見ると、阿Qを思い出して仕方がありません。」(P111)というのであるが、阿Q正伝は列強に何をされてもへらへらしている中国人を風刺しているというのである。孫文を助けたのは他でもない、今中国侵略者呼ばわりされている、戦前の右翼である、ということを親中派の人士は故意に忘れているのである。

 ただし、今でもそうであるが、中国にシンパシーを抱く人たちは、現代中国人を古代中国文明の後継者とみなして、現実の中国を見ずに幻想を抱いている。当然であるが、日本の要人を接待するときは、中国政府はその誤解を利用しているのである。

 興味があったのは、倉山氏がいわゆる「南京大虐殺」なるものにいかなる判断を下しているかである。結論から言えば「こんなものはまじめな研究者ならば相手にする必要のない与太話です。」(P199)と明快なのであるが、その理由づけたるや不分明で参考になるものもならないものもあり、とにかく整理されていない。要するに定義をきちんとしている議論が少ないとして、九つの論点を提出しているだけである。だけである、といったら失礼だが、もう少し論理的帰結が明瞭になる書き方をしていただきたいと思う次第である。

 例のリットン報告書であるが、「日本には実を取らせ、中国には花を持たせよう」として形式上は中華民国の主権を認め、日本の満洲における権益を認めようとしたもので「中国政府は党の一機関に過ぎず、として「・・・蒋介石政権をファシスト国家だと指弾している反中レポート(P171)」だというのである。

 事実はその通りである。しかし、リットン報告書を日本が受け入れて、英国の思惑通りに解決したとする。しかし、米中の考え方からすれば、その解決は暫定的なものに過ぎない。結局は日本が大陸に権益がある限り、日中は争い、その結果として対米戦は惹起したであろう。しかも大陸における日本の権益と言うものは正当なものであり、安全保障上も経済上も、日本の生存に必要なものであったから、守らなければならなかった。日本は絶対矛盾状態にいたのである。それに想いをいたして、父祖の労苦を理解しなければならないのではないか。

 その意味で「ルーズベルトが中国問題で、日本の死活的利益にかかわるような介入をしたので、アメリカは日本と戦争になったということです。(P211)」と言っているのは、倉山氏が言う通り「明らかな事実」である。

 他の著書でも気になるのだが「帝国陸海軍は恐るべき強さですが、そこらじゅうに喧嘩を売るような戦争をするなど、政治と統帥は無能の極みです。(P211)」と言うのは氏の持論である。ひとつの疑問は何故、日清日露の時代の政治と統帥は健全で、昭和になって無能と言われるようになったのか、ということである。この倉山氏の考えは司馬遼太郎と同じである。果たして維新の元勲が昭和の政治と統帥を司っていたのなら、果たしてうまく立ち回れたのか、という疑問に小生は、はっきり「そうだ」と答える自信がないのである。

 また、帝国陸海軍は無敵であった、と述べるが大東亜戦争開戦の時点で、あり得ないことだが支那事変での疲弊がなかったとして、やはり無敵であったのか、と言うことについては大きな疑問がある。日露戦争以後、戦争のハードとソフトは急速な発展を遂げた。中でも、第一次大戦後の米国のそれは著しいものであった。

 日本の軍艦の装備は、日露戦争のそれを直線的に高めてきたのに過ぎない。陸軍の装備についても同様なことが言える。だが欧米、特に米国の進歩は直線的発展ではなく、飛躍的発展を遂げているように思われる。真珠湾攻撃は、半戦時体制下の完全な奇襲であるという、圧倒的に優位な条件であったにも拘わらず、特殊潜航艇は日本の空襲より一時間も前に全て撃沈されている。

 延べ約350機の攻撃隊は1割弱の、29機が撃墜されている。巷間言われるのと違い、この被害は軽微なものではない。ドーリットルの日本初空襲では、戦時体制下であるにも拘わらず、1機のB25すら撃墜できなかった。B29の空襲では体当たり攻撃しても、3%の撃墜率も達成していないのにである。具体的には言わないが、戦記を読む限りにおいて、戦争の初期においてすら日本軍は楽勝してはいない。戦勝の多くが、犠牲を厭わない兵士の勇敢な攻撃に支えられていた。

マレー沖海戦などの英海軍の間抜けな戦いに比べて、米軍は違ったのである。米軍の戦闘能力の飛躍は第一次大戦以後のことであると、小生は仮説を立てている。現在ではノモンハンでの損害は、実はソ連の方が大きかった、という事実が判明しているが、それも「肉弾」という恐ろしい兵器を使わなければならなかったのである。

なるほど、日露戦争の二百三高地攻撃は凄惨なものであったろう。だが当時としては標準的なものであり、10年後の第一次大戦の塹壕戦は、それを量的にも遥かに上回る凄惨なものであった。だからその後米軍は変わったのではなかろうか。覇権が英国から米国に移ったのは当然であった。少々脱線したが、日本も強かったが米国はそれ以上に遥かに強くなっていたのである。

この点の認識が小生は倉山氏とは異なる。日露戦争で、ロシアの生産力は日本より遥かに高かった。しかし、戦争に関する総合力では、日本が僅かに上回っていた。開戦時点で日米の生産力の差は隔絶したものがあった。小生はそれを言うのではない。米軍の戦争に関する総合力が、日本を遥かに上回っていた、ということを言っているだけなのである。


小林よしのり氏の勘違い

2015-06-14 16:13:26 | 軍事

 この頃、小林よしのり氏の言動には違和感がある。保守を自負しているのだろうが、女系天皇論を始めとして、不可解なものが増えている。ここでは、 対米テロ以来の新ゴーマニズム宣言について述べる。それはアフガニスタンのタリバンに対する爆撃を原爆や東京大空襲などの日本への無差別爆撃と同一視して非難していることである。

いうまでもなく日本への無差別爆撃は計画的に民間人を殺戮する意図を持ったもので、非戦闘員への攻撃を禁じた国際法に対する明白な違反である。ところがタリバンに対する爆撃は戦闘員に対する攻撃である。武器を持つタリバンは戦闘員とみなされれば、攻撃の対象とするのは合法的である。ただし、武器を隠し持てば、攻撃の対象となるどころか、捕虜ともなり得ず、射殺することも合法である。戦闘員や戦闘施設に対するピンポイント爆撃でも、民間人に対する誤爆は免れないことを問題にするのだ、国際法でも戦闘員に対する攻撃が民間人を巻き込まれてしまうことを条件付きで認めている。

小林氏は真珠湾攻撃を非難しはしないだろう。ところが真珠湾攻撃でも百名を超える米民間人が巻き添えで死亡している。民間人を攻撃する意図を持たず、攻撃の結果が作戦の効果に比べた民間への被害が過大だと見られない攻撃は合法と考えられるのである。

そうでなければ剣を使った戦争はともかく、火器を使用した近代戦争は、民間人の巻き添えを完璧に防止できない以上、全て違法といわざるを得なくなる。

西部氏との対談で「パレスチナ側からすれば、国家でなければ軍隊もないわけだから、戦争はできない」といっているのは明白な国際法の知識の欠如である。現代の国際法では国家に所属しない軍事組織、すなわちゲリラであっても公然たる武器の所持等一定の条件を満たせば、陸戦法規の適用を認めている。このことは西部氏はよく知っているのにあえて指摘しないのである。

確かに「テロを起こす原因がアメリカにある」のは事実である。だからといって民間機をハイジャックして民間ビルに体当たりするというのは卑劣の極致である。乗客は米軍がハイジャック機を攻撃するのをためらわせるために乗せられているのだから。

神風特別攻撃隊は軍艦を攻撃したのであって、民間人を殺傷するつもりは全くなかったのだから、同じ体当たりでも同列ではないのに、小林氏は9.11テロと特攻隊を同一視している。正直言って事実誤認も、ここまで行けば話にならない。議論の対等な相手となりうる基礎知識が欠けているのである。国際法を超える、もっと高等な論理があるならばよいが、小林氏はそれも提示できない。国際法に依拠する以上は、小林氏は勉強不足である。

こう仮定してみよう。極悪人が多数の人質を取って立てこもって、人質を次々と殺している。そこに警察が極悪人の家族や親戚を連れてくる。警察は投降しないとこいつらを殺すぞと脅すが、言うことをきかないので、本当に家族などを一人ずつ殺し始める。9.11の対米テロは、ひいき目に見てもこの警察のやっていることと同じではある。

残念に思うのは小林氏が「つくる会」を離れたことである。人一人ずつの考え方が異なるのは当然である。ともかくも一度共同で教科書をつくることができた以上、自虐的ではない教科書をつくるという範囲では、西尾氏などとの考え方の相違は誤差の範囲であったはずである。

多くの大人はイソップを子供の寓話で言われるまでもない、と思っているが、結局人は自分の立場になると「キリギリス」になったり「裸の王様」になる。人は知識として知りつつも、現実問題に直面すると、イソップの寓話を超えられないのである。

小林氏は薩長同盟での坂本龍馬の功績を認めるのであろう。だがそれは単にそういう知識を小林氏が持っていて、龍馬の功績を認めていたのに過ぎず、同じような立場にあっても、類似の行為を小林氏にはできないだろうと疑う。

龍馬の功績は、血で血を洗う争いをしていた薩長を、倒幕して近代日本をつくるという大義のために、小異を我慢させて団結させたということにある。日本の将来のために、小異を我慢して西尾氏らと再度団結できないのである。「教科書そのものも西尾幹二から頼まれたから仕方なく執筆した」というのでは実に情けない。信念で執筆したのではないことを自ら白状したのである。

最近まで、私は西尾氏と小林氏には根本的な考え方の相違はないと思っていた。だが最近の小林氏の言論を聞くと、間違っていたのかも知れない。西部氏が保守を自負していても、かつて染まっていた左翼思想に、思想の基層が抜け切れていなかったように、小林氏も思想の基層に左翼思想があるのではないか、という気がする。ただし、西部氏には小林氏と異なり、論理の一貫性がある。中年の域に達した小林氏が、漫画に描く自画像は、常にハンサムな若者であるように、小林氏は単に「イイカッコ」したいだけなのではないか。


海軍のいい加減な対米戦略

2015-06-13 14:48:00 | 軍事

 ロシアを仮想敵国とする陸軍に対して、海軍は対米戦を想定して予算獲得をした。艦艇の動力は日露戦争時代、石炭専焼であった。しかも後日の蒸気タービンではなく、レシプロ式の蒸気機関であった。それから重油との混焼時代を経て、最終的にボイラは重油専焼罐となった。混焼の時代にあっても、石炭燃料の比率は段々減少していった。

例えば大正2~4年に竣工した金剛型戦艦は、最初は混焼罐であったが、大正12年頃の第一次改装により、一部のボイラに重油専焼を取り入れた、石炭重油混焼で重油の比率が高まった。昭和8年頃から開始された、第二次改装では全部、重油専焼となった。この改良はひとえに性能向上のためであった。

もちろん、他の日本戦艦も似たような時期に、重油使用の比率を高めていって重油専焼罐となった。石炭なら国内産も大陸産も入手がある程度可能であるから問題が少なかったが、石油が艦艇の主燃料になったときに、主として石油は米国から輸入していることを考えるべきであった。日本海軍の仮想的国は米国だからである。

山本五十六ら海軍の幹部が、水からガソリンを作れると言う男の売り込みを聞いて、実験をやらせるという事件があった。何日もかけて、男は水の入った瓶からガソリンを取り出して見せたがもちろん、トリックに過ぎなかった、という事件である。この事件を海軍教育における初歩的科学的知識の欠如や、程度の低い詐欺に引っかかるほど海軍首脳はガソリンが自給できないと心配していた、と解説する向きが多い。

炭素の含まれない水がガソリンに変わる、などという事を信じた山本らの科学、という以前の理科の程度はひどい、というのは事実である。ところが、ガソリンを自給できない、と心配していたことが、こんな詐欺に引っかかるという事自体が、軍人としては変であるし、本気で心配していたのかを疑わせる。

というのは、現実に米国からの石油が途絶したとき、彼らが躊躇なく考えたのが、蘭印からの石油確保、という事だったからである。当時オランダ本国はドイツに降伏し亡命政府を作っているような状態だったからこそ考えられる選択肢、であるというばかりではない。もし、そんな事態ではなくても、あの時点では、最も近隣の産油地帯である蘭印から石油を調達する、ということ以外に考えられないのである。対米戦なら当然オランダも敵になるからである。

日本海軍は対米戦を想定していた。戦争の兆候が出れば、米国が石油禁輸をするのは当然である。艦艇燃料の石油依存度が高くなるにつれて、対米開戦を考えたなら当然海軍は、アメリカ以外のどこかからの石油調達対策を考えなければならない。

これは絶対必要な条件のはずである。しかし、海軍がこのことを研究していたという事を、寡聞にして知らない。対米戦の兆候が出ると、突如として蘭印からの石油確保を考えたのである。もちろん蘭印から石油が取れるくらいのことは知っていたのである。にもかかわらず、なぜ海軍が石油調達対策を真面目に研究してこなかったのか。

対米戦が起こるなどとは、本気で考えていなかったからとしか考えられない。海軍は予算獲得のために、対米戦を想定していたのに過ぎない。酸素魚雷にしても、艦艇の過大な兵装にしても、対米戦を考えよ、といわれて海軍技術陣も努力し、日月火水木金金、と言われるほど兵士は必至の努力を重ねていた。訓練により多くの兵士の犠牲も出していた。しかし、海軍の幹部は根柢のところで不真面目であったのである。


陸上要塞は艦隊より強いのか

2015-06-09 14:51:00 | 軍事

 陸上要塞は艦隊より強い、というのは定説のようである。だが、その実例はどこにあったのだろうか。大口径の要塞砲は戦艦の主砲の転用が多いから、口径において同等の艦砲の軍艦で戦うことは可能である。数においても、要塞の砲数は予測できるから、それを上回る艦隊を準備することは可能である。

 照準について、要塞砲は固定されているから、海上のどの位置にいてもそこに打つことができる、というような話を聞いたことがあるが、もしブイなどの固定目標を海上に置いても艦隊が破壊することは可能である。目標のなくなった海面の平面座標をどう設定できるのであろうか。要塞砲で陸上を打つなら、ひとつの固定目標の座標に命中させて、そこからの東西南北の距離が分かれば、座標が特定できるが、固定目標がない海上ではそうはいかない。

 反対に軍艦は移動するから、要塞砲による初弾の修正は困難である。自艦の速力と進路は分かるから、固定された要塞砲の位置があらかじめ分かれば、軍艦による初弾の修正は容易である。素人考えであるが、このように考えると、机上の検討では陸上要塞は艦隊より強いとは思われないのだが。

 余談だが、出典は忘れたが、開戦時点では日米海軍とも戦艦の主砲には、徹甲弾しか搭載していなかったそうである。零式普通弾のような榴散弾あるいは榴弾のようなものは搭載していなかったというのである。従って艦艇に対する攻撃はできても、真珠湾要塞に対する攻撃は困難である。

徹甲弾だけでは砲台を直撃しなければ、破壊は困難である。榴弾効果のあるものも混ぜなければ、有効な攻撃は困難であろう。それより随伴した空母の艦上機を使えばよい。艦戦で制空権を確保して、艦爆で砲台を攻撃する。島嶼攻撃で米海軍が常用した手法である。その間に、戦艦群は湾内の太平洋艦隊を砲撃するのである。この方が、従来、戦艦や空母が訓練や実戦で実施してきたことと乖離もない。ただし、真珠湾の太平洋艦隊を、開戦時点で攻撃すべきであったか否かは別問題である。


三笠の敵前大回頭は静止目標ではない

2015-06-07 15:22:32 | 日露戦争

 NHKの、再放送の坂の上の雲を見ていたら、日本海海戦開始の三笠の敵前大回頭について、敵にとっては静止目標を打つほどにたやすい、という解説があり、ロシア側も、神の御加護だ、回頭点は静止目標だ、黄金の10分間だ、三笠を撃沈せよ、と快哉を叫んでいた。だが、三笠は先頭にいる。三笠に続く艦なら三笠の航路を見て回頭地点が分かるから、そこに照準を合わせていれば当たる確率は高くなる。

 しかし、三笠は先頭だから回頭地点がわかるのは三笠が回頭してからである。海戦の原則がまず旗艦に砲火を集中する、と言うことであれば、この戦法では不可能である。ロシア艦隊は三笠に続く各艦に一定の座標に射弾を送っているのに過ぎないとすれば、後続の各艦も砲火に晒されている時間は回頭地点を通過する一瞬であって長くない

いずれにしても、こんな射撃をしていたら、漫然と回頭地点を通過する全艦に順番に射撃をしているのであって砲火を集中している、とは言えない。三笠の敵前大回頭は静止目標ではないのである。確かにロシア艦隊が三笠を狙っていたのは、実際に三笠の損害が大きかったので分かるのだが。