毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

危険な「遺伝子理論による男系天皇論」2

2019-08-16 22:00:17 | 皇室

 繰り返しになるが、男性の染色体はXYで、女性はXXである。従って、男子が生まれれば、必ず父親のY染色体がなければならないことになる。これを繰り返して言えば、男子は必ず父親のY染色体ひいては遺伝子を引き継いでいくことになる。だから男系で世襲していけば、同じ遺伝子を永遠に引き継いでいくことになる。

 女性の遺伝子は必ず同じ遺伝子を引き継いでいるとは限らない、ということになる。これが、男系天皇論の遺伝子理論である。これによれば、男系男子の天皇は必ず祖先の男子の遺伝子を引き継いでいることになる。ところが女性天皇の場合、父親が祖先のY染色体の遺伝子を持っていたとしても、女性天皇自身にはY染色体はそもそもないのだから、直系だとは言えても、祖先の男子天皇の遺伝子を持っているとは限らないのである。

 つまり女系ではなく、男系の女性天皇であっても、遺伝子の断絶はあり得るのだ。これが、男系女性天皇論の致命的危険である。女性天皇は女系天皇に道を開くばかりではなく、皇統の断絶そのものである。古来女性天皇は一代限りとして男系に復帰していた。それとて皇統の一時的断絶といえないこともないのである。遺伝子による理論は、このような事実を浮き彫りにしてしまう。まこと、遺伝子による天皇世襲論は、危険なものなのである。


旧皇族の皇籍復帰は皇室存続対策となるのか

2017-07-30 16:09:12 | 皇室

 皇室のことを語るのは、畏れ多いとは思うが、ある本に気になることが書かれているので、紹介したい。このままでは、将来皇族がいなくなってしまう可能性が高い。それで女性宮家の創設や、旧皇族の皇籍復帰が対策として主張されている。女系天皇につながる可能性のある、女性宮家の創設よりも、旧皇族の皇籍復帰の方が小生には常道だと考えていた。

 臣籍降下した家は皇族には戻れない、という慣例があるが、戦後の臣籍降下は占領されている時代に占領軍から強要されたもので、そもそもあってはならないことだからである。ところが、倉山満氏の「日本一やさしい天皇の講座」に「・・・強制的に臣籍降下させられた十一宮家、いわゆる旧皇族の方々はすべて伏見宮にさかのぼります。維新後に創設された宮家はすべて伏見宮家の系統ということになります。・・・この伏見宮家が江戸時代に絶えそうになります。・・・御兄弟が次々とお亡くなりになられたときに、鍛冶屋の丁稚に行っている男の子を連れ戻しました。・・・その『長九郎くん』を第十三代伏見宮家当主貞致親王として戻し、今に至っています。真贋は、当時の京都所司代が『これはご落胤に違いない』と判定したとのこと。」(P106)と書かれている。

 これは「伏見宮家実録」に載っている話だそうである。さらに明治期にこの疑義を払拭するために伏見宮家出身の皇族との婚姻を進めたので、臣籍降下させられた伏見宮家の系統の人々は、明治天皇と女系ではつながってはいるそうなのである。つまり、占領軍に臣籍降下させられた旧宮家は、男系である確証が確実とは言えない、ということである。

 これは重大なことである。旧皇族の皇籍復帰を実現して、その子孫が将来天皇となった場合、天皇に反対する反日日本人が、これは女系天皇だから、万世一系の天皇はいなくなった、と快哉を叫ぶ可能性がある、ということなのである。

 もちろん倉山氏は単に旧皇族の皇籍復帰をするだけではなく、皇籍復帰した家と今の皇室の内親王との婚姻を考えるべきだ、などのいくつかの対案を提案している。現在の皇室存続対策は、女性宮家の創設が主流で、旧皇族の皇籍復帰論は比較的少ないようにみられる。しかし、旧皇族の皇籍復帰論すら危険をはらんでいる。天皇のおられない日本は、日本ではない、という観点からすれば、日本は滅亡の危機に瀕している。


大東亜戦争肯定論・異見

2015-08-27 15:54:33 | 皇室

 長谷川美知子氏の「からごころ」という評論集に収められた「大東亜戦争『否定』論」に刺激され、久しぶりに、続・大東亜戦争肯定論の一部を読み返して、特に中国及びそのナショナリズム観に両氏に共通した違和感を感じたので、これを書いた。大東亜戦争肯定論は、当初雑誌の連載ものだったものを番町書房が、大東亜戦争肯定論と続大東亜戦争肯定論の二分冊で出版したもので、最近ではまとめて、大東亜戦争肯定論として文庫になっているので入手しやすい。

からごころの書評にも書いたが、大東亜戦争肯定論で敗戦後のアジアで林氏は中共に大きな期待をよせていた。相当昔に読んだのに、小生にその記憶が微かに残っていたのは、他の点については、学ぶことばかりだったのに、その点にだけ違和感があったからだろう。

手元にある「続・大東亜戦争肯定論」(昭和43年版) にはこんなことが書かれているから、間違いではなかろう。

「アメリカは決して決定的にアジアに侵入し得なかった。ソ連もまた中共に反撃されてアジアからの後退を余議なくされつつある。今は北鮮も北ベトナムもインドネシアも必ずしもソ連の衛星国とは言えない。(P436)」「新しい『アジアの英雄』となった中共が、彼らの轍をふまないことを望む。宇都宮君がこんど毛沢東、周恩来、陳毅、廖承志の諸氏に会ったら、ぜひその点を忠言してもらいたいものだ。(P458)」

彼らの轍とは、ナショナリズムは必ず膨張主義に転じ、アメリカもソ連もそれゆえ、アジアを攻撃している、というのだ。それにしても中共がアジアの英雄だと言うのは、今の東アジア情勢をみれば、ただごとではなかろう。そして毛沢東ら政府首脳にこれだけの期待をしているのだ。しかも、ソ連の衛星国とは言えまいとして、アメリカやソ連に対する反撃の旗手として示されている三国のうちに、北ベトナムや北朝鮮も入っているのだ。

面白いのは、中国や朝鮮民主主義人民共和国、と呼ばずに中共や北鮮あるいは北朝鮮と呼んでいたのは、これらの国に批判的な人士であって、共産主義には反対してはいても、これらの国に期待していた林が、このような略語を使っていたのには、少々奇妙な感がある。

小生の思想遍歴の事始めとして、歴史について考えるようになったのは、小学校の終わり頃からで、なぜ今の世界では日本とドイツだけが悪い戦争をした、と言われるのだ、と不可解に思った。

答えはすぐ出た。両国とも戦争に負けたからである。しかし、それを裏付けるものは何もなかった。巷間の刊行物で読んだものは、英米は人道的で、日独は残虐な侵略戦争をした、というものしかなかった。テレビや映画の戦争ものも同様だった。

そんな時、昭和史の天皇という連載記事が読売新聞に掲載された。大いに期待したのだが、従来よりはまし、と言う程度で納得できるものではなかった。そこで、昭和43年頃、偶然本屋の棚で見つけた、大東亜戦争肯定論は衝撃的であった。今読み返してみると当時の小生に、それを読みこなすだけの素養はなかったのだが、それでも基本的には小生の期待を全て受け入れてくれていたのである。

そこで長谷川氏の評論で思い立って読み返すと、別の違和感があった。ナショナリズム観である。日本についてだけいえば、国民国家の形成、という維新の成果は、ナショナリズムの勃興と言えよう。林は日本のナショナリズムについて「圧迫されたアジアの諸民族に対する愛情はたしかに深かったが、同じく英米露の武力制圧のもとに苦しんでいる日本への愛情はより強く、日本の生存のため、満蒙占領の必要をまず認めざるを得なかった。(P449)」というのである。

その結果ナショナリズムが勃興した国々の指導者が反発した、というので、例として孫文とガンジーの日本への反発を挙げている。長谷川氏も中国のナショナリズムを挙げているのだが、両氏の見解とも小生には異論がある。ナショナリズムを国民国家の形成の原動力と考えれば、今も辛亥革命当時も中国という国家全体を覆うナショナリズム、というのはあり得ないからである。

脱線するが、孫文は当時の日本人には、支那の救世主として期待されたが、単に革命の旗印に過ぎず、実態を伴っていない。また、ガンジーの非武装抵抗も、結果的にインドの独立を達成した者ではなかった。欧米人がガンジーの非暴力抵抗を称賛するのは、実は植民地支配からの独立に力がなかったからである。つまり、平和的にインドが独立したかのようにみせるには、ガンジーは欧米人には都合がよかったのである。

マクロに見ても、現代中国の国民と言うのは、漢民族と少数民族と呼ばれる人たち、チベット、ウイグル、モンゴルなどを代表とする「少数民族」から構成されている。国民国家を言語、文化、歴史等の共通の要素で構成され、国民としての紐帯意識がある国家、だとすれば、中国が国民国家ではないと同時に、漢民族ですら、ひとつの国民国家を形成し得ないのである。

漢民族が居住する地域ですら、現在のEU位の民族の幅がある。EUがひとつの国民国家に成り得る、と考えるのと同じ位、漢民族によるひとつの統一された国民国家とは荒唐無稽である。

林は「・・・ネールの指摘したとおり、ナショナリズムは自己解放と国内改革に一応成功すると、膨張主義に転化するおそれがある。(P427)」として、前述のように中国を自己解放と国内改革に一応成功した段階と看做したから、毛沢東などに膨張主義に走らないよう、忠告してほしい、と言うのだが、中国の戦後史を今の目で見れば見当違い、という他ない。

第一、ネールの説自体実証的ではない。南北統一したベトナムが、フィリピンやインドが独立して安定した時、膨張主義に走ったと言う事実はない。膨張主義に走ったと言う事例は、アジアでは戦後唯一中国だけである。その他の国は、自国の領土を保持するのに汲々としているだけである。

しかも、中国の膨張は、歴代王朝の歴史的法則をなぞっただけなのである。林が毛沢東に忠告してほしい、と言った時、遥か以前に、チベットその他で国土の膨張を終了していた。忠告を聞く耳を持つはずはないのである。だが小生も当時は中国の統一幻想にとらわれていた。

正直に告白すると文化大革命の騒ぎの時も、毛沢東の行動を変だとは思いつつも、毛沢東は混乱の中から中国の統一を成したから偉大である、と規定していた。文章を読む限り、林も同レベルではなかったろうか。なぜなら、毛沢東の統一とは、先に上げたようにチベット、モンゴル、ウイグル等の非漢民族地帯を含む清朝の版図である。

昭和40年の段階では、既にこれらの侵略を完了していたのである。その時点で今後の膨張をしないように忠告する、というのは、清朝の版図まで拡大するのは、ナショナリズムの行き過ぎによる膨張ではなく、本来の領土を取り返す、当然の権利と看做していた、ということである。だが現在の知識で見れば、明らかに、これらの非漢民族地域では、民族浄化というべき、異民族の抹殺が行われている。当時は明らかに林も小生も、そしてほとんどの日本人もそれを考えずに、毛沢東を偉大な指導者に擬していたのである。

ナショナリズム論に戻ると、漢民族に、本当にナショナリズムが勃興したとしたら、広東語、上海語、北京語などを話すいくつもの国民国家に分裂しなければならない。それらの地域は地域ごとに、確かに言語、文化、歴史等で共通する要素を持つからである。「漢民族」地域の分裂が、百年どころか五百年のスパンで起るとは思わないが、中国に住む民衆に真の安寧と幸せを齎すには、それしかない。大東亜戦争肯定論の欠点は、アジアの近現代史を俯瞰するのに、ナショナリズムというキーワードに重きを置きすぎていることである。

余談だが、同書で息子と同世代の評論家から新鮮な衝撃を受けた、として西尾幹二氏と江藤淳氏の論文を紹介しているのは、林の慧眼である。

この時林は62歳だと書いている。それだけ若かった時期の二氏を絶賛しているのだから、よほどのことだったのだろう。二人を息子になぞらえて、新世代への期待として「息子たちは決して日本民族の歴史と父祖の理想と苦闘をうらぎらないであろう(P474)」とさえ書いている。

小生は最初に本書を読んだとき、この指摘に注目した形跡はない。その時両氏の論文をチェックしたり、その後をフォローしていなかったからである。両氏に注目したのは、既にその方面での地位が確立されて、知名度が高くなってからである。この点は不明を恥じるというより、小生の思想遍歴にとって相当な損であり、遠回りをした、と考えている。


書評・皇室の本義(日本文明の核心とは何か)・中西輝政・福田和也・PHP

2014-07-19 14:55:16 | 皇室

 著者の二人とも、多くの保守の論客と同じく、日本文明の中心を皇室だとしている。それを敷衍した書である。いつものように論述を素直になぞっていくのではなく、興味のある指摘を散漫ではあるが取り上げることにする。

 皇室の祭事は、現代日本では宗教に絡むと考えられるものは、皇室の私的行事とされている。一方で、現在は歴史的に見て皇室の祭事をきちんと行っている方であろう。江戸時代には長くにわたって、多くの祭事が廃絶されていた。それを孝明天皇の二代前の光格天皇が積極的に復興され、古い形式に復活された(P72)。時期から言うと幕末に近づきつつある時代であったから、何かしら危機感のようなものがあったのであろう。

 同様に今上天皇陛下は橿原神宮その他に御親拝するなど、祭祀に極めて熱心に取り組まれており、これは陛下が日本の現状に強い危機感を持たれているのではないか(P73)、というのである。これは中国などの東アジア情勢に対する危機感と言うものもあろうが、最大のものは、皇室の安泰に対する危機感ではなかろうか。皇室が安泰であれば、対外的危機は日本は乗り越えてきたのである。

 日本国憲法は国民主権をうたっている。しかし、ヨーロッパでイギリスやデンマークなど、王室をいただく国の憲法は、「国民主権」ではないというのである(P109)。イギリスは議会と王室が国家主権を分かち合っており、両者の合意により主権行使がなされる。デンマークでは、「行政権は国王に属する」とされている。国民主権と言うのは、そもそも皇室の存在とは矛盾するのである。国民主権の概念を強引に持ち込んだのは、GHQではなく、ソ連がGHQを通して入れさせたものである(P110)。

我々の世代と異なり、このことの重要性に気づいていた当時の国会議員は「国民の至高の意志」などと言葉を変えるよう抵抗したが、結局GHQに押し切られてしまった、というのである。このことはノー天気に国民主権と喜んでいる多くの日本人がいかに不見識かの象徴である。日本人はお仕着せの思想を自らのものと信じてやまないほど洗脳されたのである。

日本人は洗脳されたばかりではない。当時の指導層自身は愚かと知りつつ、占領軍に迎合した。その典型が憲法学者で最高裁の長官になった横田喜三郎である(P118)。彼は昭和二十四年に「天皇制」という本を書き「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止されるべきである」という意味の事を書いた。ところが、その後勲一等を受けている。昭和天皇に頭を下げたのである。なんと横田は東京の古本屋を回って「天皇制」の本を全部買い集め、世間の目に触れないようにする、という恥ずべきことを行ったと言うのだ。戦前の教育を受けた人間にしてこの体たらくである。まして現代のエリート層にはこの手の人間が増えている。