毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

九七式戦闘機・完成

2020-10-31 20:01:09 | プラモコーナー

 というわけで、赤い機首の六四戦隊の機体になる予定が、赤を機体色で塗りつぶして。第一戦隊の後期型に化けたのでした。

 

せっかく買った中古のハセガワのパーツは極力流用しました。RSのはプロペラ軸が短過ぎなのでハセガワのを使いましたが、このように、もっともらしくできました。

 

 ピトー管も流用です。翼端灯は流線形の浮き上がったのですが、無理なので、楕円形の刻みをいれて、赤と青を塗ってごまかしです。

 マーキングのデカールは全て、ハセガワの中古でしたが、マイクロのリキッドデカールフィルムでOKです。RS製のステンシルは丸メカニックを参考にしたらしく機首、スパッツ、胴体などこの時代のものにしては豊富です。翼後縁の「ノルナ」はルがノ+レなのにレが縦棒だけなのは、流石外国キットです。縦棒にチョンと髭をつけてごまかします。

 

アンテナ支柱もハセガワのが差し込み棒があるので、ご採用です。

 

サワルナのステンシルは接着位置の指定がないので、水平尾翼のトリムタブに貼っておきました。汚しは最後にアルコールペンで適当に塗っただけで、下塗りはしておりません。完璧な手抜きです。

 

 

 

 


九七式戦闘機・その2

2020-10-26 12:29:28 | プラモコーナー

 ともかくも機体は組み立てましたが、問題はキャノピーです。機体はいいのに、キャノピーの形が自分的には全くだめなのです。あわてて秋葉原の中古屋に行ったら、ハセガワの中古が500円で出ていました。前回いちゃもんをつけたものです(;^_^A。思い切って買ってみると、RSの機体にぴったり合うのです。高いキャノピーですが仕方ありません。それで取り付けてマスキングをしたのが下の姿です。

 

 キャノピーのマスキングですが、我流で、キャノピーの胴体と接続する箇所と、可動部と後部固定風防の境の部分を残して、全部カバーしてしまいます。

 

 機体の仕上げ塗装とカウリング、日の丸をマスキングして塗装したのが下の姿。キャノピーの窓枠は一本づつマスキングして筆塗することにします。下図はその直前の姿。ここまでは順調です。

 

 デカールは胴体後部の帯を試してみました。風防直後の胴体の赤と黄のデカールですが、全然胴体にフィットしません。胴体のテーパーとデカールが全然合わなくて、いかにやっても駄目。とすると前回の記事で示した六四戦隊のマーキングが使えないではありませんか。途方に暮れた挙句に思いついたのが、キャノピーのパーツ取りで買った、ハセガワのデカールを使うこと。キャノピーを全面クリヤーの後期型にしたので、塗装とデカールの選択肢は下図の第一戦隊のものだけです。

 

 カウリングの赤マークは機体の標準色で塗りつぶせばいいが、自信がないのは、胴体後部デカールとスパッツの白マークです。デカールは古いのでマイクロスケール製の「リキッド デカール フィルム」というのを二回ばかり塗り重ねたらOKでした。スパッツの白マークは、筆塗ですが、自信全くなし。それで、図面を見ながら白の輪郭を鉛筆で描き、その上をカッターで刻みを入れます。カッターで切ったら鉛筆の線は消しゴムで消します。後はカッターの線を頼りに塗り重ねます。それで出来上がったのが、下図の飛行第六四戦隊と第一戦隊をミックスした奇妙な姿です。ここまで済めば、後の作業は問題なし、で出来上がりは次回までお待ちを。


九七式戦闘機・その1

2020-10-21 19:53:17 | プラモコーナー

 九七戦は、ICMから決定版がでている。にもかかわらず、このキットを2000円も出して買ったのは、どうせRSだからキットはさておいて、カラー図の鷲(鷹?)のマークが気に入り、いつか手製のデカールを作り、48あたりで作ってやろう、という無謀な考えがあったからである。

 

 そんな無茶ができるはずもなく、10年も放っておいて、加藤隼戦闘隊の「胸に描きし赤鷲」のデカールにすることに切り替えて、下図の64戦隊のものを作ってみることにした。塗装は手軽そうだし、どうもキットの素性に問題はない、ということが分かったからである。

 

 従来、72のハセガワのものが定番とされていたのだが、小生は少々気に入らない。このキットは、九七戦の主翼平面形が、日本航空機総集をはじめとする、各種資料の間違いを正したという意味で画期的なもので、意義のあるものである。しかしカウリング形状に難があるのである。下図の左がハセガワ、右がRSである。RSのが赤線のように機首から操縦席までが直線になっている。ハセガワのは、ラインが折れ曲がり、前に行くにしたがってラッパ状に広がっているのである。NACAカウリングではこんな形状処理はしない。もちろん直線状のRSが正解である。ただキットは完全でないのは当然なので、、それをうまく胡麻化すのが腕だと言われれば、それまでである。

 

 これは下図のように平面形でも分かる。ハセガワのは、平面形で胴体が急に絞られているので、カウリングがそれとスムースにつながるようにしたのである。そのうえカウリング断面を真円形に保ったため、側面形もラッパ状に広がってしまったのである。

 

 それに比べるとRSのは、下図のように赤線部が機軸に平行になっている。「丸メカニック第四九号」の決定版とも思われるものでも平面形だけがわずかに絞られて機軸に平行にはなってはいない。これはエンジンを最小径で包むためにも、製作上からも不合理であり、間違いではなかろうか。流布している日本機の図面なるものは、キ-74などのように担当技術者の記述と矛盾するものがいくつかある。これも敗戦の混乱がなせるわざであろう。

 いつか別記事で検証したいが、不思議なことに、P-40の原型となった、カーチスP-36も下図のあたりの形状がそっくりなのである。さてキットはさほどの問題もなく、組み上がった。ICMの決定版キットが、72にもかかわらず、内部の再現に凝っていて生真面目に組み立てると面倒なのとは違う。・・・続く。

 

 

 

 

 

 

 

 


芸術の価値

2020-10-17 16:46:35 | 女性イラスト


 このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。大抵は馬鹿馬鹿しいとお思いでしょうが( ^^;)

 皆様は不思議に思わないのだろうか。例えばレンブラントの時代にはそうそうたる才能がある画家がいて、それこそ命を削って絵を描いていた人たちが大勢いて、素晴らしい作品を残していた。日本でも狩野派や浮世絵があった。ところが現代はそうではない。人知れず絵画に打ち込んでいる人は稀にはいるだろう。だがそういう人物は少数かつ世に永遠に出ないのである。芸術は普遍の価値を持つというのなら、そのように時代の変遷に流されようはずはないのである。



 だが現実はそうではない。時代に流されているのである。確かに日本でも日展など各種の展覧会でしのぎを削っている人はいる。しかしこれらの公募展は選定委員を頂点としたサロンと化している。日展入選何回、というのがステータスになる仲間内のサロンである。レンブラントがコンテストのためにだけ絵を描く、そんな時代は絵画の全盛期には無かったのである。なぜそんな事になったのか。それは絵の価値が無くなったのである。こう言うと腹を立てる人が多かろう。だがそれは事実である。あるものの価値が普遍的に続く、と言う事はない、と言うのは自明の真理である。それを絵画にだけは適用できないと思う事こそが不自然である。

 例えば日本刀である。武士の世には侍の魂、と言われるだけの価値があった。事実在ったのである。最高の武器としての刀である。戦う事を仕事とする侍にとって、刀は最高の価値があるのは当然であった。火縄銃が導入された時代にあっても、取り扱いが不便なばかりに刀は携帯して容易に使用できるというメリットから銃が刀に完全に置き換わる事は無かった。それが雷管や薬莢を使用して、雨天でも容易に使用できる小銃や携帯できる拳銃が発明されると刀はとってかわられた。それでも銃剣が使用されたように、第二次大戦でも刀は使用された。

 しかし最新の武器の地位を追われた刀は、日本刀のような高度な技術を要するものは、作られ使用される事は無くなったのである。つまりものごとに普遍的に価値が続く、と言う事は無いという事の見本である。しかしかつて作られた日本刀には優れたものが残っている。現代に存在価値がなくなっても、存在が輝いていた時代に作られた作品は、実用される事はなくても、現代にも存在感はある。ダビンチの絵画が現代に存在価値はないとしても、存在価値がある時代に作られたからこそ、現代にも輝いて見えるのである。しかし存在価値のない現代に作られた絵画は輝く事は無い。いや、正確にはわずなかな分野で絵画は存在価値があり、わずかに存在を誇示しているのも事実である事を付言する。しかしそれはわずかな量や特殊な分野しかないのも悲しい事実である。展覧会というものは現代に存在意義のない絵画と言うものに存在する場所を無理やり与えるものである。

 それでは何故絵画が駆逐されたのか。馬鹿馬鹿しいと言うなかれ。絵画を駆逐したのは何を隠そう写真である。単純に考えてみるがよい、写真がない時代には肖像画のニーズが多かった。しかし現代に肖像画を描いてもらうというのはよほどのもの好きどあり、そもそも写真で間に合うのである。写真の初期は単にあるがままに物を写すだけ、と言うより、ようやく物の形らしく写るだけ、というしろものだった。それを克服しても色の問題が残った。カラーは珍しいだけでリアルではなかった。それすら現代では克服された。ニューヨークのメトロポリタン美術館のレンブラントの自画像を見た。まるで皮膚の下に血が流れているかのようであった。現代のような写真技術がない時代にあっては、この技術は唯一無二の価値があった。他にとって代わるものはあり得ないのであった。そこに1つの絵画の価値はあった。

 しかしどうだろう。あけすけに言えば、そのような写真は現代のプロの写真家には容易に撮れるのだ。一部の人は写真は誰でも同じように撮れると思っているのかも知れない。しかしプロの写真と素人写真を比べればすぐ分かるように、写真は明らかに撮影者の技量を反映する。つまり単に同じに写るのではなく、撮影者の意図を反映することができる。種類は違うが絵画が筆者の技量を反映するのと相似性がある。写真技術の進歩は筆で自在に描くように、カメラで自在に撮影する事を可能としたのである。こうして写真は絵画を駆逐した。絵画が価値のあった時代に作られたもののうち、優れたものは永遠に人々を引きつけるのだろう。しかし絵画の制作という行為は自体は永遠の価値を持つものではない。


共産主義崩壊の不思議

2020-10-10 16:37:08 | 共産主義

 共産主義の崩壊は実に奇妙な事件だった。なぜなら共産主義という、世にも稀な体制が崩壊したのにもかかわらず、多くの独立国ができる以外に何も混乱が起きなかったのからである。ソ連と言う共産主義体制では私有財産は禁止されていた。従って土地や建物などの資産は全て国有であった。個人資産というのはないはずなのであった。

 それが廃止されて全て個人が持つことになれば、国有財産の分配をめぐって、奪い合いが起きて、大混乱が起きるとは誰も想像するはずである。ところが私有への移行にあたって何の混乱も起きなかった。国営工場でさえ、すんなりと民営化した。これは単細胞のな私の頭には不思議なのだが、誰一人としてそのことに疑問を呈する人は専門家ですらいなかった。

 その理由は案外簡単なのである。つまり建前の国有などというものはとうに崩壊していて、実際には全ての土地などの資産は私有化されていたのである。これは当たり前の事なのかも知れない。例えばある農家が土地を耕している。隣の農家も土地を耕している。

 すると必然的にお互いの農地に境界ができる。するとこの農家が耕している土地は、国有と言う建前とは逆にその農家の占有するものとなる。つまり他人が勝手に耕すことが出来ない事実上の私有地になる。つまり全資産の国有などと言うものはありえないフィクションだったのである。

 それでもスターリンや毛沢東の時代には、農民を強制的に集めて集団で共同農業をさせた。これがコルフォーズや人民公社である。しかしこれも無理があって短期間のうちに自然崩壊した。しかしこれらの集団農場の時代を日本の共産主義者は愚かにも礼賛したのである。社会科の教科書ではソ連のコルフォーズで大規模農業を行う写真が掲載されたものである。

 しかもソ連や中共の集団農場華やかなりし頃ですら、全体の農地に占める集団農場の比率はわずかであったと推定される。つまり共産化などというものは当初からインチキだったのに違いない。

 だがインチキ共産主義にも支配者にはメリットがある。つまり農地も全部国有なのだから、そこからとれた農産物は全て国有だと主張できる。スターリンは軍事力を高めるために、重工業に大規模投資した。その資金を得るために農産物を農民から取り上げて輸出した。

 農民は自分の農産物があるのに奪われて大量に餓死した。いわゆる「飢餓輸出」である。そして工場を建てる家やダム、道路を建設する土地が必要なら国民からただで無条件に強制的に取り上げることができる。何せ土地は全て国家のものだからである。これは中共では今でも行われている。

 共産主義とは単なる計画経済ではない。国家が国民の権利を蹂躙するのに都合が良い体制に過ぎない。つまりソ連における共産主義の崩壊とは、国家が理不尽に国民を蹂躙する体制の崩壊であった。国民に歓迎される体制に移行するのに混乱が起こるはずはない。

 世界の先進国で共産党が存在するのは、日本とフランスだけである。(中共などは、あれだけの経済力を有しながら、都合のいい時は発展途上国だと言い張る)日本の共産党員は理論に忠実だから私有財産の害悪を信じているのであろう。そうでなければ、マルクスの言う共産主義者ではないからである。現在の共産主義者は共産ソビエトが何の国有地争奪争いが起きなかったのをどう考えているのであろうか。


白い彼岸花

2020-10-03 15:15:57 | 東京の風景

 柄にもなく風景写真である。近所の公園である。大手工場の跡地なので広い。桜、特に八重桜と江東区の花である、サザンカがメインであるが、何年も通って今年初めて気付いたものがある。それが白い彼岸花である。彼岸花は赤いものと相場が決まっているが、白い彼岸花である。

 

 

 白いものばかりではない、ピンクのものすらある。今更ながら驚いた。

 

 この写真では、いくらか黄色っぽく映っている実際は純白に近い。

 

 このようにピンクのものもある。もう彼岸花は枯れ始める季節だが、つぼみすら残っている。

 

 この純白の色合いが実物の色合いに近い。