毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・日本経済を殲滅せよ・エドワード・ミラー・金子宣子・新潮社

2020-02-24 18:57:42 | 歴史

日本経済を殲滅せよ 

 一言で言えばアメリカの組織的分析と実行力の巨大さを思い知らされる。本書に記述されているようにアメリカの対日経済的圧力に対応して日本の政界財界が国益のために、私益を棚上げして連携した努力のすばらしさもあるが、結局アメリカの手の内で踊っていたのだと分かる。現在と同様に欧米はゲームのルールを作り、日本はそれに対応する尋常ならざる努力を続けているという構図は昔から変わらないのである。ただ現代日本は、尖閣を脅かされても中国と仲良くしたいという、経団連会長がいるように、国家存亡の危機よりも商売で儲けることの方が大切だという愚かな経済人が多数派であることが健全な戦前の日本と異なる。

日本は円をドルに交換できないとアメリカからの輸入が出来ないため、一旦円を元に変えてドルに換金してさえいたのだ。現代に通ずる日本の愚かさも指摘されている。昭和十六年夏、金融凍結対策で物々交換を考えたのだが、米国人の日本の代理人として立てたのが、デスヴァーニンという米国大統領と露骨に敵対する人物であったという「じつに奇怪で、自殺行為とは言わないまでも、日本の政治音痴を示すものだった(P308)、というのである。

 正直言ってこの本は、精読と乱読の繰り返しで何とか読み通した。要するに専門研究書で小生のごとき門外漢が全て精読することの可能な本ではないし、その意味もない。ただ著者の日本に対する歴史観は熟考されたものではなく、単に日本のアジア侵略、という米国人らしい偏見しかない。スムート・ホーリー法という日本の商品を自由に禁輸できるに等しいとんでもない法律を作っておきながら、「結果的に日本の膨張主義を刺激するという予期せぬ事態をもたらした(P60)」などとうそぶいている。米国がこの経済制裁的法律を作った原因を日本の対中侵略のせいにすることは著者さえできない。スムート・ホーリー法は「日本の満洲侵略以前のことなのだ」(P74)。

著者すら「こうした悪意に満ちた対日差別が行われた理由はなかなか推測が難しい」(同頁)と認めている。著者は生糸が売れなくなって仕方なく他の輸出を考えたらそれも妨害されても、日本は対外進出を控えて座して死を待つべきだ、というのだ。著者にとって米国の対外進出は当然の権利で、日本のそれは侵略なのだ。P69のグラフでは日本がアメリカにおいて、一見欧米諸国より低い関税がかけられているように見えながら実質的には対日関税が最も高くなるようなトリックがあることを証明している。

日本への肥料封鎖により、日本は壊滅的食糧不足をもたらす(P215)とさえ分析している。著者が意図しまいと、この本にはアメリカの理不尽な経済的圧力に対して、日本は官民挙げて必死に努力するが常にその努力は次の圧力により水泡に帰して行く、という理不尽な日米関係を描いている。鉄道王ハリマンと満洲を共同開発すれば日米の衝突はなかったなどというのが、幻想であることの証明である。アジアで米国と「仲良く」することなどできなかったのだ。

だが訳者あとがきはこの本の対する見方が異なっていて「著者はこのアチソンこそ、日本を戦争へと駆り立てた元凶とみているようだ」と書く。面倒なら、訳者あとがきだけ読んで、日本が最終的に資産凍結により対米戦争に追い込まれたことと、それが石油の禁輸より重大であったと言う事を要約していることを理解することができる。本文の方はそれを裏付ける基礎資料扱いとしておけば良いのである。

それにしても戦前の西欧世界というものは、世界をいかようにも牛耳ることができたのであって、日本はそのルールの中で必死に踊っていたのに過ぎない。日本は自前のわずかな資産と尋常ならざる努力ができるだけで、欧米に自分の正当なルールを押し付けるなどという事はありえない。これに対し、欧米諸国は連携して、植民地資源まで動員して日本をいかようにも操ることが出来たのである。

植民地の独立によって欧米の強さははるかに減じられたとは言うものの、依然として欧米がルールを作る世界であるのに変わりはない。中共ですらその手駒に過ぎないのである。いや支那大陸を支配した中共はロシアの作った共産主義イデオロギーで西欧に取り込まれ、改革開放で西欧のマネーゲームの一員に決定的に取り込まれた。共産主義を取り入れた時から独自の年号を廃止し、西暦を採用したのはその象徴である。


Fw190A-3(プラモのタブー2)

2020-02-19 17:49:19 | プラモコーナー

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48だが、エデュアルドのキットは初の製作で仕上がりの精密感が良い。キャノピーのマスキングシートもついているので、特段に注意事項はない。機首にエンブレムがあるものを選択したら、ドイツ機特有の面倒なモットリングがないのは気楽でよかった。モットリングなしの190なんて間抜けかと思いきや、軽く汚しをいれたら案外さまになっています(自画自賛)。素材のキットが良いのでしょう。JG1部隊のエンブレムはなんと蛇らしい。

 ただし、主脚柱の取り付け方が変わっているので、心配したのだが、脚の傾斜を図面に合わせると、自然にうまく収まるのが不思議だった。ただし流し込みの瞬間接着剤のお世話になった。

 下の写真はハセガワの72の190A-8の戦闘爆撃機型で、モットリングがある作例である。垂直尾翼のモットリングは、塗装図を72スケールに拡大して、モットリング部をナイフで切り抜いてエアブラシで吹くと簡単である。胴体のモットリングは画用紙を数センチ角に切って、それらしい穴を開けたものを数枚用意して、一カ所づつエアブラシで根気よく吹いていく。一枚の画用紙片に2~3個穴を開ける手もあるが、それほど自在には使えない。こつは、いずれもエアブラシを軽く吹いていくことである。こうすればモットリングの形が気に入らなければ、綿棒につけたコンパウンドで修正できる。

 キャノピーを半開状態にしたのは、空冷の190には、セミバブルキャノピーが似合わないと思うので、かっこいい位になるようにしてみただけである。

 さて肝心のハーケンクロイツのタブーである。下の画はキットの箱絵の一部である。なんとハーケンクロイツは、はじめからなかったかのように描かれていない。そんなにハーケンクロイツが嫌なら、ドイツ大戦機のキットなど売らなければよいのである。箱絵を描いた絵かきさんの気持ちを考えると可哀そうになってしまう。何せ、あったものをなかったように嘘を描くことを発注者(メーカー)に強制されるのだから。表現の自由とやらは、どこにいったのでしょうか(;^_^A


書評・売国奴・黄文雄・呉善花・石平 ビジネス社

2020-02-16 20:31:56 | Weblog

 売国奴とは皮肉なタイトルを付けたものである。呉善花と石平の両氏は、祖国の痛烈な批判をし日本を擁護しているからである。だから当時は祖国からみれば売国奴と言うべき人たちであった。このタイトルの真意は別なところにあるのだろう。三氏とも嫌いな日本人の筆頭に大江健三郎をあげている。大江は民主主義以外の一切の価値を認めないと国内で公言しながら、北京にいくと非民主的なことや人権侵害を批判せず、民主主義を一言も言わない。それどころか、民主主義を弾圧するボスの前でおそろしく媚を売っている。石氏は父親が共産党や毛沢東の乱脈政治で苦しんでいたのに、朝日新聞は毛沢東礼讃、文化大革命礼讃をしていたと憤る(P187)。彼らが真の売国奴であるというのだ。

 中国では汪兆銘などのように、人民のために平和を求めた人が歴史上売国奴と呼ばれるから平気である、と石氏が言うのに対して呉氏は、意識の上ではやましさを感じていなくても、売国奴だと言われると、自分が虫けらであるかのような気持ちになってしまうような気持ちになってしまうのが韓国人である、と言っているのは切ない。

 その後石氏も呉氏も日本に帰化した。当然であろう。祖国の民族性自体を信じられなくなって日本人の人間性にしか信頼をおけないのであれば、それが最も人として誠実な行為である。日本を侮蔑しながら、日本国籍を捨てない大江健三郎の不誠実さとは真逆である。両氏が祖国に決別したのには深い思いがあろう。今の中華人民共和国という国家自体に正当性がないと思い、個人としても中国人としても今の中国を決して自分の国とは思っていない(P43)。また、石氏は日本人か中国人か、と聞かれると関西は落ち着ける場所で、「私は関西人です」と答える(P167)。だから当時の石氏は、まだ祖国を捨てたのではなく、中共という体制を否定していた段階で、まだ中国と日本の中間の関西という場所にいたのであろう。

 この書の多くはメンバーからして日中韓の比較論である。中韓に共通点が多いのに対して、大抵の場合日本は異質である。中韓は父系血縁共同体で農耕村落を形成していたのに対して、日本は父母双系の非血縁で血統ではなく、家の存続を目的とする疑似血縁社会であるという(P29)。私事であるが私の実家は、つい最近までの数百年間、田植えや冠婚葬祭は特定の血縁グループだけで行っていた。労力だけではなく金銭も互いに出し合う濃密な血縁コミュニティーであった。甚だしい場合は近隣の二軒の家で婚姻を続けている場合さえあった。今考えてみればこのコミュニティーは私の生家を本家とする同姓だけの親族であったから、日本では例外の血縁共同体であったのに違いない。

兄も私もこのコミュニティーから逃げる事ばかり考えて、その心理から未だに近隣のコミュニティーに参加することを嫌っている。深読みすれば日本人として最も不自然なコミュニティーを本能的に嫌っていたのではなかろうかとも思えるのである。実際このコミュニティーは、付き合いは極度な濃密な関係にありながら、精神的には各家ごとに仲たがいしていた。やはり日本人の精神風土には合わなかったのだろう。ある資料を調べたら、我が家の祖先は主君が戦争に負けたために元の領地に逃げ帰って定住した、とあるから一種の落人であったのに違いない。防衛本能から周囲から遮断して一族だけで生活すると言う不自然なコミュニティーを形成したのである。

 閑話休題。中国と韓国の共通点は、建前は儒教的な血縁の倫理道徳でありながら、モラル崩壊によりお金のためには血縁すら騙すのようになったという(P141)。石氏はそれどころか中国では血縁から騙す(P143)と言っている。特に中国は毛沢東が倫理道徳を破壊した後に鄧小平が資本主義を導入した。だから西洋がプロテスタンティズムの精神が、日本では武士道精神が資本主義の倫理を支えているのに、中国では騙し合いの資本主義になってしまった(P143)というのは理解できる話である。

中韓の反日には、道徳的には両国が上だから反日になる、という共通点があるものの、根本的に違う部分が多いという。中国では元々共産党に正統性がない上に、天安門事件で学生たちを多数殺して弾圧して、共産党に対する信頼が完全に失墜したから、その後政権についた江沢民は愛国主義を高める必要があり、そのために反日を利用した(P197)というのが石氏の見解である。だから共産党政権が崩壊して言論の自由を回復して、嘘から作られた反日がばれれば、時間はかかるが反日は消えるという(P219)。

韓国の場合は、民族主義そのものが反日の原因だから、民族主義がいらない国家システムができるまで続くと呉氏は言う。経済力が日本を超えれば蔑視は残るが反日は少なくなるという。本当に反日を捨てるのは、日本の敗戦に相当する大敗北をする時であろう、ともいう(P219)。いずれにしても両国に共通するのは、反日が国益に反するようになれば反日はおのずと減る、ということは日本人は理解しておいた方が良い。また、毛沢東・周恩来・鄧小平らの世代は日本と戦った経験があるから日本の凄さが分かっており、当時の江沢民は知らない世代である(P204)。そんなことにも反日の根底にあるのだろう。だが現在の習近平は反日を都合により適当に使い分けている。それが支那人の本質であろう。

朝鮮には伝統的にハヌニム(天様)という唯一絶対神に似たものがあるから一神教のキリスト教を韓国が受け入れやすい(P147)、という指摘は中国とも日本とも異なる事情である。

韓国は外国を侵略したことがない、という韓国人についての呉氏の見解は面白い。李氏朝鮮時代には、対馬侵略の計画があり、元寇のときにも朝鮮は大々的に派兵した。また、済州島にたてこもって、日本の協力でモンゴル軍と対決しようとした高麗の武人を高麗朝はモンゴルと一緒に攻め滅ぼした(P119)などというのは侵略以上の恥ずべき歴史である。その時日本が頼られていた、というのは面白い事実である。現実にはその後の韓国は日本の竹島を敗戦のどさくさにまぎれて侵略した。これが朝鮮人というものである。

ハングルというのは作られた当時からの正式名称は「訓民正音」と言い、漢字を知らない民衆でも使える文字として出あったが、知識人は侮蔑して四百年間使われていなかった、とここまでは良く知られている。しかしハングルという言葉自体は日本統治時代に作られたものである(P137)というから呆れる

中国にもインチキな話はある。現在の中国では中国人は黄帝の子孫だと言っているがこれは日本が明治維新を成功させたのは、万世一系の神話が重要な役割を果たしたので、清朝崩壊以後に民族のアイデンティティーを作るため日本の真似をしたと言うのだ(P60)。確かに石氏の言う通り、中国は易姓革命の世界で、新王朝は歴史を書き改めて自分たちの祖先を始祖としていて、旧王朝とは断絶している。王朝間の歴史は断絶しているから、遥か昔の皇帝が自分たちの祖先であるなどということは清朝以前は考えてきていなかったのである。中華民国にしても滅満興漢のスローガンのもとに異民族王朝を否定するところから始まったのだ。つまり中国は変質したのだ。檀君神話というのも同様なのであろう、というのも理解できる。


亡国の国会

2020-02-15 14:53:19 | 政治経済

15日テレビでとんでもない番組が放映されているので追伸して更新する

 13日の国会審議を見て呆れた。立憲民主党の辻元議員は、桜を見る会の問題の追及の挙句に、タイは頭から腐るなどと暴言をはいた。ところが、国会内でもマスコミでも問題にされたのは、これに対して安倍首相が「意味のない質問だ」、とやじを飛ばしたことだけである。

いま世界では新型肺炎の被害の防止にやっきとなっているのに、国会はこの問題については何の審議もしない。これが異常でなくて何が異常であろうか。安倍首相は予算審議ばかりではなく、「新型コロナウイルス感染症対策本部」にも責任者として出席している。花見問題だけを執拗に追及し暴言をはく野党議員にむかっ腹が立つのも当然である。腐っているのはタイの頭ではなく、辻元議員の頭である。

しかも野党議員の一人は、政府は提出した予算案を「野党に審議していただく」立場なのに、態度が悪いとほざいた。野党議員と雖も国会議員である以上は、予算審議は最も重要な職務なのであって、「予算案を審議してやる」という立場ではない。傲慢の極みである。新型肺炎の死者が中国では千人を超え、日本でも感染経路不明の死者が出た。

新型肺炎対策は国会をはじめとして、国を挙げて取り組まなければならない喫緊の課題なのに、日本の国会はこの体たらくである。ところが国会が花見の揚げ足取りに終始しているばかりではない。そのことを問題にもしないマスコミの罪も大きい。マスコミの報道は、新型肺炎の報道は熱心にしていても、それについていかに国会が審議しているかは、露ほども出ない。国会も国会なら、マスコミもマスコミである。これを亡国の国会と言わずして何と言おう。

 

追伸である

 15日の2時から一時間、某テレビ局で、緊急生会議と称して、100人の芸能人、有識者、一般人を集めて、新型コロナウイルス対応についてのテーマで、侃侃諤諤の議論をする番組を放映した。まさにこれこそ国会がやるべきことなのではないのか。某テレビ局の発想に感心するとともに、いつまでも花見の政府追及以外、何も議論しない国会のサボタージュがより明らかになったと考える次第である。テレビのワイドショーの方が国会より、よほどまともなのであるから。


忘れられた碑(表忠碑)

2020-02-12 16:26:45 | 東京の風景

 隅田川の両国橋を渡れば、この巨大な碑がいやでも目につく。久しぶりにママチャリで両国橋を渡ったのである。しかし、この辺りには、隅田川や両国橋についての観光案内看板はあるが、表忠碑に関する説明はない。それどころか、近くに建てられたエリアマップにさえ、表忠碑の記載はない。忘れられた碑、と嫌味を言う次第である。

 

 だから、表忠碑の意義を知るには、碑自体に刻されたものを読み解くしかないのである。漢字は全て現代表記とした。碑の表の文字を墨書したのは、日露戦争の英雄の大山巌元帥である。

 

 碑の裏の頂点には「明治三七八年役戦病死者」と大書されている。当時は日露戦争を明治三七八年戦役などとも言いならしたことが分かる。

 

 その下には、「本所区陣没者弔魂祭兼凱旋軍人歓迎会 会長 海軍中将 榎本武揚」とある。いわば、この碑は当時の東京市本所区からの出征者の栄誉を記念するとともに、戦没者を弔うために建てられたものである。榎本武揚は当時は隣の向島区(今は本所区と合併して同じ墨田区となった)に住んでいたから、その縁であったのだろうか。

 

 このような碑を見るたびに、戦争に関する記念碑は、現代日本では故意に無視されている、ということが悲しい。厄災を故意に忘れてしまおうとする者は、再び同じ厄災に会うであろう、というのは小生が勝手に発明した箴言であるが、箴言が正しからざることを祈る。

 


書評・満鉄調査部事件の真相・新発見史料が語る「知の集団」の見果てぬ夢

2020-02-05 21:36:39 | 歴史

小林英夫・福井紳一・小学館

 あれほど共産主義が忌避されていたはずの戦前の日本で、かくも多くのマルクス主義に囚われていた愚か者たちが跋扈していたと言う事実を知らされる一冊である。彼らの信念は確かなものであるにしても、実際には単に他国のために働き、自国を破壊して同胞を不幸に追いやろうとした愚か者であるに過ぎない。そもそもコミンテルンは彼らをソ連のために利用するために接近したのであって、彼らの理想は口実に過ぎない。関東軍の顧問であった小泉吉雄は、ゾルゲ事件の尾崎秀実にコミンテルン極東支部員のロシア人を紹介された。その後尾崎の指令により、日ソ戦争勃発の際には、輸送妨害、通信施設の破壊などの反戦活動の他、関東軍司令部を爆破することを約束していたのである。(P208)

筆者は「・・・尾崎がソ連、中国、日本の反戦勢力の結集を図る動きをすることは十分可能性があり得るからである。」(P256)と書くが、満鉄のマルクス主義者も同じ心情だとしたらとんでもない間違いである。コミンテルンは日本人の反戦思想を利用するために、ソ連や中国にも反戦勢力があるかのように装い、各国で呼応して反戦活動をして政府に戦争を止めさせようと言い、結果的に日本軍だけを妨害させてソ連の勝利に貢献させようとしたのである。

また「企画院事件」では勝間田清一も逮捕されている(P252)。勝間田は戦後、社会党委員長となる骨がらみのマルクス主義者であるし、戦後もソ連のスパイに利用されていて、日本を不幸にするための活動ばかりした人間である。もし、勝間田の理想が実現したとしたら日本には親ソ政権が出来であろう。ちなみに勝間田清一は小生の同郷で、小学校の遠足で国会議事堂に行った時、国会議員の勝間田が同郷の小学生の前で演説したのは、忘れ得ない。子供の頃だから偉い人だとしか思わず、同胞を売ろうとしていたことには思い至るはずもなかった。

 親日で有名なライシャワー大使ですら日本には親ソ政権が出来たら、米国は日本を再占領したと後日明言している。日本の社会主義勢力は怖ろしいものがあったのである。驚くべきは花房森の手記(自供)には共産主義社会の建設過程には天皇制は「武器」として利用価値があるが、全世界に共産主義社会成立後は、利用する価値がなくなるから、「天皇制」は廃止すべきである、と書いてあることである。多くの本にはコミンテルンの指令に「天皇制」廃止が書かれていたために、受け入れることが出来ずに転向者が出たり、指令を隠したと書かれているが、この手記を見る限りそう単純ではなさそうで、本気で天皇をなくそうと考えていた人間は相当いたのではあるまいか。

満鉄調査部事件の取り調べは拷問が禁止されており、手記は転向を約束した部分と仲間の告発で構成され、ストーリーは共通している(P197)という。だから自発的に書いたのではなく、憲兵の誘導によるものであろうと筆者は書くが、問題はそれにとどまらない。満鉄のマルクス主義者は日本で左翼活動をし、転向して満洲に渡ってきた。それがまた左翼活動をし、「手記」による転向によって重罪には問われていない。しかも戦後左翼活動をするという懲りない人々である。

確かにホワイトハウスにも多数のコミンテルンのスパイはいた。しかし戦後検挙され大規模なレッドパージが行われた。スパイ活動により死刑になった科学者夫妻すらいる。アメリカでは共産主義者は撲滅されたのである。せいぜいベトナム反戦活動家が間接的にソ連に利用された程度である。西ドイツでは共産党を非合法化するという思想統制すら行っていた。

さらに問題なのは検挙者のほとんどが東京帝大と京都帝大の出身者(P15)であることである。帝大は日本の中枢を担うエリートを育成するために作られた。ところがその帝大が他の教育機関より、圧倒的に多くの売国奴を輩出していたのである。民主主義でも自由主義でもマルクス主義でも、西欧から来た思想を無批判に受け入れてきた維新以後の病巣がここにある。これに対抗すべき日本思想と言うべきものは、過激だが貧弱なものしかなかったのである。

ところで筆者であるが「アジア太平洋戦争」などと言う言葉からお里が知れる。「彼らの『見果てぬ夢』は、『戦時中の夢』といってしまうには、あまりに大きな犠牲であった。なぜならナショナリズムの調整を通じた東亜の共同体の形成という東アジア各国が目ざさなければならない大きな目標が、この事件を契機にその芽を摘まれ、それがふたたび日の目を見るには半世紀以上の時間が必要だったのである。・・・グローバリゼーションの嵐が吹き荒れる二一世紀初頭の今日・・・『東亜共同体』という、すでに半世紀前に、少数者であれ満鉄調査部員を含む心ある人々の手で企画され、その実現に向けた動きが出ていたことの先進性と鋭角的な問題提起が、いまふたたび日の目を見る状況になってきているのである。」(P263)と書くのだ。

彼等はコミンテルンのスパイとなって、日本と中国を共産化しソ連の衛星国化しようとすることに利用されていたのに過ぎない。彼らの理想としていたのは共産主義である。共産主義の間違いが明白となった現在、どうして「いまふたたび日の目を見る状況になってきている」のであろうか。東アジアの軍事大国中共は飽くなき領土欲をむき出しにして日本ばかりではなく、ベトナムやフィリピン、インドとも争っている。ウイグルやチベットを侵略史民族浄化をしつつある。何が「東亜共同体」であろうか。筆者が否定するグローバリゼーションとは米国主導の世界であろう。だがそれに取って代わるものは、著者の想定しているであろう現代の帝国主義の中共との連携ではあり得ないのである。著者の詳細な調査と考察は見るべきものがあるが、根本の認識が完全におかしい。従ってデータとしてだけ価値がある。

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