毎日のできごとの反省

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戦後日本が失ったもの-風景・人間・国家

2022-01-06 23:18:47 | 歴史

書評・戦後日本が失ったもの-風景・人間・国家 東郷和彦 角川書店

 著者は言わずと知れた開戦と終戦時の外務大臣東郷茂徳の孫である。失われたアイデンティティーという項目に期待して読んだが、勘違いであった。景観の話が以外に長かったのには少々うんざりしたが、傾聴に値する。しかしなぜ日本の街並みが醜くなったかについては別に論ずることとしたい。 

ここでは脱ダムについてだけ論ずる。下流の生態系の破壊や土砂流出の遮断による弊害はその通りである。本書では明確には書かれてはいないものの、あたかもダムが不用であるかのような論調である。そしてダムの役割を治水だけに限定している。これは脱ダムの論者がよく使う論法である。植林などによる緑のダムによってダムの治水機能の代替は可能であるからコンクリート製のダムは不用である、というわけである。時折群馬の草木ダムや高知の早明浦ダムの水位が渇水で低下して、給水制限が行われる、などというニュースが流される。脱ダムを主張する人たちはこれをどう考えているのだろうか。現に民主党がいったん中止した八ツ場ダムですら、水を利用したい周辺の都府県の反対で建設を再開したではないか。普段当たり前のように恩恵を受けながら黙して、困った時だけニュースを流すのはあまりに御都合主義である。脱原発問題で言われる再生可能エネルギーには水力発電は入っていないようだが、技術的に言えば再生可能エネルギーである。これらを閲するに元官僚の東郷氏の景観に関する主張は少々エキセントリックに過ぎるようであるのは意外であった。それどころか氏の考え方は官僚らしい保守思想はなく、左翼のリベラリズムに近いものさえ多い。 

ナショナリズムの章で、大平洋戦争が侵略戦争あり、その首謀者は「平和に対する罪」として断罪されねばならないという、極東裁判検察と多数判決の論理を、我が家では、一秒たりとも肯定したことはなかった(P137)と書く。しかし、同じページで、日本は、徐々に、戦争によってどのような被害を相手国に与えたのかという点について、学び始める、とも書く。ここで書かれている相手国は米英というよりはいわゆるアジア諸国であるように前後から読み取れる。しかしアジアで独立国であり日本と戦ったのは中国だけに過ぎない。それなのに当時米国領であったフィリピンを持ちだすのだ。どう読んでも氏は日本がアジア諸国に対する侵略国であったと考えているとしか読めない。ラトビアなどの現在のバルト三国の地域は、ドイツに蹂躙されたが、これはソ連に侵攻したのであってバルト三国に侵攻したのではない。しかもこの地域の人々には、独立のためにドイツに協力した人々さえいたのだ。 

同様にマレーなどで日本軍が快進撃をしたのは欧米からの独立を期待した現地の人たちの協力があったからだ。まず欧米のアジア侵略があった事に端を発している。日本が守勢に転ずるとこれらの地域の人々が連合国への協力に転じたのは、現実的対応としてやむを得ないのであって根本に反日感情があったのではない。東郷氏にはこれらのアジアの植民地の地域の人々の心の機微が全く分からないのだ。アジア諸国への侵略や日本軍の残虐行為など、結局東郷氏の書きぶりは東京裁判の結論に忠実である。氏の前掲の主張は平和に対する罪で断罪されるべき人々の中には、祖父茂徳だけは入っていない、と主張しているとだけしか読めないのだ。 

田母神空将との対話で、当時アジアへの勢力拡大の指導者であったひとたちから、アジアにおける日本の戦いに関する痛切な自己批判が繰り返し述べられている、として戦前の日本人の二例を挙げている(P146)。 

明治維新後、日本人は民族国家を完成するため、他民族を軽視する傾向が強かったことは否定できません。台湾、朝鮮、満洲、支那において、遺憾ながら他民族の心を掴みえない最大原因がここにあることを深く反省することが・・・(石原莞爾)

もとより南京政府はすでに樹立され、汪精衛氏以下の諸君は、興亜の戦いにおいて我らと異心同心になっておりますが、支那国民の多数派その心の底においてなお蒋政権を指導者と仰ぎ・・・(大川周明) 

だが日本とこれらの地域の関係を、欧米諸国とその植民地に置き換えたとき、この文章のような批判を免れる国はない。それどころか李登輝氏が日本の統治に感謝しているように、日本の統治は欧米のように過酷なものではなかったし、台湾や朝鮮は収奪を目的とした植民地ではなかった。まして二人は兵士の残虐行為を批判しているのではない。石原や大川は李登輝氏が感謝するようなことすら許せないほど理想主義で潔癖だったのである。今日ですらロシアや共産主義諸国、独裁国家などにおいて、国内でこのような批判をすることができる国は皆無である。当時よくもここまでの言論の自由があったと賞賛すべきである。氏がこのようなナイーブな国際感覚で外交官をしていた外務省の危うさを空恐ろしく感じる。

国民の総意に基づく国体(P159)と題して、日本国憲法が作られた過程をあっさり述べるのだが、国際法に違反して憲法や制度を次々と変えて日本を蹂躙した米国のやり方に対する怒りは微塵もない。それどころか、皇室の安泰は新憲法によって維持され、象徴天皇は日本の伝統に合致すると安易に是認する。

「皇室の安泰」とは何だったのか(P162)、と題して、皇位継承問題と敗戦間際指導者が国家の存亡をかけて「皇室の安泰」を護ろうとした意味を問いかけている。そして我が国の皇室の安泰とは何だったか、と言い、

・・・私にも、よく分からないのである。けれども、この原点にたちもどるとき、なぜか、涙がこみあげてくる。それ以上に答えがないのである。

と言う。東郷氏は「皇室の安泰」という章を設けながら、天皇の存在が日本の統治の根源であり、皇室なくして日本という国は存在しえない、という認識はない。皇室に対する畏敬も感じられない。だからポツダム宣言受諾に当たって、日本が全滅する危機にあっても国体の護持に固執する指導者に不可解なこだわりを持っていたために無用に終戦が遅れた、という視点しか示さない。

当時の指導者は東郷外相も含めて、皇室の安泰すなわち国体の護持がなければ、物理的存在として日本が残っても、本当の日本は消滅する、という危機感を共有していたのである。彼らは狂信的なのではなくて、ごく常識的な日本人だったのである。そのことは東郷氏には全くの理解の埒外である。正に東郷氏は皇室とは日本にとってどのような存在なのか「よくわからないのである」。東郷氏は祖父茂徳氏とは皇室観を全く異にしている。祖父を尊敬してるようだが、祖父の考え方のどこを尊敬していたのだろうか。ただ涙がこみ上げてくる、というのは無意識の皇室への尊敬の念と解したら誤解だろうか。

・・・敗戦ショックからすこしづつ立ち直る過程で、日本国民の中に、まず中国における日本軍の行動が、その一部において相当ひどいことがあったのではないかという情報が伝えられるようになった。東京裁判における残虐行為の追及がその端緒であったが、その後の動きは、占領軍の指示によるものとはいえない、日本人自身による発信を基礎としている。中国において戦後戦争犯罪人として収監され、共産党指導下で「学習」してきた人たちが、一九五六年から日本に帰り、一九五七年から中国帰還者連絡会を設立し、認罪運動を始めた。・・・どこまで真実を物語っているかについての、学問的判断は非常に難しい。しかし、普通の日本人にとっては、このようなことがあったのではないかという認識につがる基礎になっていったように思われる、と書く。

氏の筆致は淡々として客観的であるかのように思われるがそうではない。P136で江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」を挙げているのだから、占領軍による「戦前の日本は何でも悪い」という作為的情報の中にしか戦後の日本人が生きていけなかったことは知っているはずだ。だから日本軍の残虐行為は占領軍の検閲や指示の結果であり、日本人自身の発信とはこれらに洗脳された結果なのだ。こうした閉ざされた情報の中では、嘘をついてまで日本軍の残虐行為を述べる元日本兵は例外ではない

私自身も帰還者連絡会による本を二冊読んだ。これによれば大陸にいた日本兵は例外なく人間性を喪失したおぞましいほどの残虐な人物で、反対に中国人は心優しく勇気ある抵抗者として描かれている。また、恥ずかしくなるような美辞麗句を連ねて毛沢東と共産党指導部を褒めたたえている。まともに読めば中共政府の洗脳による全くの作文としか読めない代物としか考えられない。信ぴょう性のかけらさえ読み取れない。学問的真実など検討する必要さえない。今の中国では政府がテロ集団に等しいデモ隊を止めるどころか、バスで運ぶなどの支援あるいは命令している形跡さえある。これは義和団事件の暴徒と共同して日欧の外国人を襲った清朝の行動と酷似している。政府と国民のこのような自己中心の狂態と比較すれば、認罪運動に描かれた清廉潔白な中国人が全くの虚構であることは冷静に考えれば分かる

彼らは10年間拘束されて徹底した洗脳を受けて帰ってきて対日政策に利用されたのだ。氏の言う普通の日本人の認識、というのは直接帰還者連絡会の本を読んだためではあるまい。刻苦してこれらの本を読んだ一部の作家やマスコミ人などが間接的にコラムやドラマという形で広げたものであろう。これらの戦争犯罪の告白本、というのは荒唐無稽で気持ちが悪く、読みとおすのは困難な代物だからである。しかし外交官をした人間が国際間にはこのような熾烈な情報戦争が行われている事を知らないし考えもしない、という東郷氏と同様の官僚が外務省では当り前であるとしたら、他国と比較して日本の外務省は外交を担当するに値しない。教育の章では、近現代史を教えない日本の学校教育、という章を設けているが、氏が教えるべきと考えている近現代の日本史とは何か、と心配になる。

旧陸軍の親睦団体の偕行小社の「南京事件」を調査して3千人から1万3千人の不法殺人があったとして「中国国民に深く詫びる」(P139)とした結果を発表したことを書く(P139)。偕行社も罪な事をしたものである。確かに3千人でも不法なら大問題である。だが偕行社が不法殺人として数えたのは、安全区に逃げ込んだりした便衣兵の処刑である。偕行社は戦闘中の射殺などではないから、不法殺人としたのである。だが国際法上は戦闘中に戦闘員が民間人の衣服に着替えて民間人になりすました者、いわゆる便衣兵は、そもそも捕縛されても捕虜となる資格がないのである。

 戦闘中に兵士は公然と武器を保持していなければ、裁判もなく処刑されるのは国際法上当然である。軍服を着て階級を表わすものを身に着けて公然と武器を保持していなければならない。それがハーグの陸戦条約である。停戦していないのに民間人になり済ませば、隠し持った武器でテロを起こす可能性があるからこのような条約が作られたである。現に支那兵はそういう戦術もとった。恐ろしいことに米軍はサイパンの民間日本人を洗脳して沖縄に多数送り、日本兵に手りゅう弾を投げさせたそうである。ベトナム戦争でベトコンは女子供まで使ったゲリラ戦術を行ったから、興奮した米兵がソンミの虐殺などの不法行為を起こした。もちろんソンミの虐殺は断罪されて当然である。しかし一方で米軍に融和的な村長などを、ベトコンが見せしめに虐殺した事実も知られるべきである。これが共産主義の本質でもある。

だから便衣兵を処刑しても合法である。裁判を行っていなかったから不法であると言う論者がいるがこれも間違いである。完全に停戦したら便衣兵はきちんと便衣兵か否か認定する簡易裁判もできようが、停戦していない最中に裁判ができようはずがないから裁判は不用である。皮肉な事に偕行社の人たちは国際法を知らないから、捕虜になる資格のない便衣兵を処刑したのを、捕虜を処刑したと考えたのである。

ちなみに、映画プライベートライアン、で捕虜にしたドイツ兵を射殺しようとした主人公をフランス語通訳の米兵が止めて、戦闘を止めて国に帰れと諭して解放する。ところが最後に、かのドイツ兵が戦闘に参加していた。ドイツ軍不利となるとそのドイツ兵はフランス語通訳の前に現れて、武器を捨てて助けてくれと投降するが、怒りに駆られた通訳兵は即座に射殺する。皆様これは国際法違反でしょうか。正解は、違反ではありません。ライフルは捨てたから武器はないようだが、もしかすると拳銃を隠し持っているかも知れない。だから完全に武装解除を確認して身柄を確保するまでは捕虜ではないのである。だから通訳のしたのはあくまでも戦闘行為の一環である。厳密には全く白とは解せないかもしれないとしても、戦時国際法は自国に有利に解釈する慣行があるから、米軍が軍事法廷を開けば間違いなく通訳兵は無罪である。

P139には森村誠一の「悪魔の飽食」が紹介されているが、これは歴史関係書としてはきわ物というべきで、まともなものではないのが東郷氏には分からない。「中国の旅」と同様に中国側のそろえた証言者の言う通り書いたもので、著者が検証した形跡がないし、書かれた人体実験は残虐行為であることを強調するだけの行為であり、人体実験の意味があるか疑問なものばかりだからである。731部隊の主任務は防疫である。大陸ではコレラなどが大発生したから防疫部隊が必要だったのである。防疫部隊は中国の民間家屋の消毒や治療も行っている。健康優良児だった小生の叔父も満洲に出征してわずか1か月もたたずにコレラで亡くなった。大陸とはそういう風土だったのであるから防疫が必要だったのである。

世界各国のほとんどの軍隊では、毒ガスや生物化学兵器対策として、極秘に人体実験を行っている事実がある。731部隊が人体実験を行っていたとしたらそれと同レベルである。別項にも書いたが現に米国ですら、戦後プルトニウムによる人体実験を行い、かなりの犠牲者を出している。永遠に明るみに出ないであろうが、英仏独ソでも行われたはずであろうことは間違いはない。何せ中世の昔から英独は人体実験の本場なのである。中国などは現在でも言葉にできないような残酷な拷問をチベットやウイグルで行っているから、BC兵器対策として人体実験を現在でも行っていても不思議ではない。他国もやっているからといって許されるものではない、という論者もいるであろう。国家にも生存のために最低限の悪が必要であり、それは秘匿される。日本軍が人体実験をしたことを批判する者は、それを極限にまで残虐に歪めて表現し、故意に最低限の悪を超えている印象を与えると言う詐欺的手法を取っている。

読後感であるが、氏は海外の経験豊富で良識の人であろう。何回も書いたが氏のようなナイーブな人が外交の最前線で国益をかけて戦っていたという点については、不可解に思える部分があると言わざるを得ない。氏の国益とは外国の長所を学び日本にとりいれ、何がなんでも外国と「仲良く」する、という事ではなかろうか。その点を頭に置けば、我々が経験できない幅広い海外経験については一読の価値があると思う本である。


書評・陰謀と幻想の大アジア・海野弘・平凡社

2021-04-18 15:30:44 | 歴史

陰謀と幻想の大アジア・海野弘・平凡社 

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 本の大筋は、戦前戦中の日本がユダヤやイスラム、モンゴル、ウラル・アルタイと言った、アジアのみならず中東、中欧の諸民族との提携の模索や研究が深く行われていて、現在の日本の状況は、それらに遥に劣る、という壮大なものである。ウラル・アルタイ=ツラン民族圏と日本の関係や満洲にユダヤ国家を建てる構想など興味深いテーマが並ぶ。しかし所詮、筆者は東京裁判史観や親ソ親中思想に深く毒されていて矛盾が露呈して本論が矮小化されているように思われる。それがなければもっと深い洞察が出来て面白いものになるはずである。

 例えば内モンゴルのオロン・スムでスエーデンの探検隊が発掘した遺跡からの出土品が、戦後中国に返還された(P225)と書くが、たとえ内モンゴルは現在中共の領土であるにしても返されるべき相手はモンゴルのはずである。スターリンは強力にモンゴルをバックアップした(P210)といいながら、蒙古連合自治政府というのは、日本の傀儡政権だ(P204)と平然とダブルスタンダードを犯す。ソ連が傀儡政権を作ればバックアップなどというのだ。中共や北朝鮮、東欧のソ連の衛星国などは全て傀儡政権から出発している。

 また平然と、日本軍はハルハ河付近で軍事行動を起こした(P209)、とノモンハン事件を起こしたのが日本であると断定しているが、支那事変を戦っていた当時の日本はソ連と紛争を起こす理由はない。そればかりか、もし日本がノモンハン事件で勝っていたら、真珠湾攻撃による対米戦争はあったろうか、とし、ノモンハン事件は日本の南進政策への転機となっている(P210)という馬鹿げたことを言う。要するに戦争の原因は全て日本の都合による、というもので、世界の流れにおける日本の位置というものは考えもしない。まさに東京裁判とGHQがたくらんだ、日本罪悪史観に見事に洗脳されている。この本のテーマが、せっかく日本と多くの異文化の接触の体験という壮大なものであるのに、実にちぐはぐである。

 大東亜戦争がアジア諸国の解放をもたらしたという点は否定できない、と言いながら、もし勝っていたらアジアの解放はなかったかもしれない、と書くのは(P258)余計である。日本に勝機があるとしたら、インド独立などのアジア解放が必要だからである。筆者はGHQに洗脳された人間の特色として、西欧に対しては国家エゴは必要で当然であるとしながら、日本の対外行動に対しては完全無欠な自己犠牲の行動でなければ正当化できないと考えるのである。

意外なのは、「以上の例でもわかるように、大東亜戦争における南方謀略工作は単なる日本の謀略、戦略だけではなく、東南アジア諸民族の独立のための地下運動との関係で読み直すべきではないだろうか。」と書いている事だ。当然ではないか。日本が東南アジア解放を目指したのは、日本のためだったのは当然ではあるが、それが独立運動と連携することなしに成功するはずがないし、成功したのである。たとえ国家エゴを内包していたとしても日本はアジア解放という歴史的できごとを為したのである。日本では産業革命を讃えるが、それは西洋人が純粋に金儲けをしたいと言う動機と知的好奇心が一致したものである。産業革命と呼ばれるようになったのは結果であって目的ではない。しかし一方で、生産物を輸出し原材料を奪うためにアジア・アフリカ地域を植民地化し、その混乱は特にアフリカでは収まっていないと言う甚大な悪を為したことも忘れてはならない。日本人は産業革命の陰の部分に無邪気過ぎる。

また、ジョイス・C・レブラの「チャンドラ・ボースと日本」の序で「日本の歴史家たちは、東南アジアにおいて日本が大東亜共栄圏に托した理念、実現の方法などを吟味することに今まで消極的であった」と書いている事を紹介している。この文言を著者は、モンゴル研究や満洲イスラエル構想など、日本が過去に広くアジアで行った事績を忘れ去った、という平板な意味で捉えようとしている節があるのだが、もっと素直に読むべきであろうと思う。いずれにしても、著者の戦前に対する捉え方の振れが大き過ぎてせっかくの着想が「日本帝国主義」という悪罵で矮小化しているように見えるのは残念である。

 モンゴルに作られた西北研究所について、かの梅棹忠夫が著書で、敗戦直前にモンゴルで純粋でアカデミックなのんびりした研究ができたことを懐かしく回想している事に対して、日本がモンゴルに「純粋にアカデミックな研究所」を作ったと梅棹は本気で信じていたのか(P200)と批判している。さらに1981年にかの地を再訪した梅棹が、なつかしさをのどかに記しているのに対して、この感傷旅行には、戦争はまったく影を落としていない(P204)とも書く。梅棹は戦争責任について反省すべきだと言うのだ。同じ時期に同じ研究所で働いた磯野氏の妻が戦後の感想で「西北研究所の楽しき日々は、日本帝国主義に守られていたものであった」という主旨のことを想い、夫はそれに強い痛みを感じていた(P205)のに梅棹にはなぜかみられないという。筆者は戦前と戦後の梅棹の姿勢が一貫している事をタフだと批判するのだが、私には世間の風潮に迎合しない一貫した梅棹の姿勢が素晴らしく思われる。

この研究所が日本帝国主義の先鋒であったなどという者に限って、日本が勝っていれば平然と別な事を言うのだ。磯野氏は現実にモンゴルで研究をしていた当時その痛みを感じていたのかどうか疑問に思う。戦後世間が変わったから痛みを感じているのではないか。現に筆者は、戦前転向し、戦後再度転向した人物を、何の説明もなく転向し、しかも世間もそれを黙って受け入れたと批判しているではないか。要するに世間は迎合するものは批判しないのである。家永三郎は戦後のある時期まで典型的な「皇国史観」の論者であった。ところが何の説明もなく転向し皇国史観批判を行ったのに、多くのマスコミは絶賛する。何と典型的な転向者の家永を一貫した信念の持ち主と持ち上げるマスコミすらあるのだ。

最後に興味深い記述をひとつ。日露戦争で日本が勝利するとソ連からイスラム系トルコ人が日本に亡命し、「かれらは主としてイディル・ウラル・トルコ人に属し、タタルと俗称されてゐるものである」「いわゆる白系露人といわれたのは大部分、この〈タタール人〉であったらしい」(P178)という。満洲にも白系露人が亡命して住んでいた話があるが、タタール系と言われる人たちなら納得できる。


東條英機の歴史的評価

2021-01-23 12:27:36 | 歴史

東條英機小論

 誤解を恐れずに、などと言う弁解をせずに言う。小生は、昭和史の人物で東條英機を昭和天皇陛下の次のNo.2にあげる者の一人である。東京裁判でのキーナン判事に対する弁論を高く評価する人物ですら、大抵は有能な秀才官僚に過ぎないという評価を与える人が多い。事実を閲して見ればそうではないことが分かる。

 その前に大東亜戦争開戦が日露戦争に比べて無謀だったという説に反論しておこう。伊藤総理にしても児玉源太郎にしても、開戦するにあたって講和の見通しを立てていたのに、大東亜戦争の指導者はそのような手筈を全くしていなかったという批判が司馬遼太郎を筆頭とする多くの識者によりなされている。しかし単純に考えて欲しい。日露戦争当時は世界で戦争をしているのは日本とロシアだけであった。だから講和を斡旋する第三国の存在の可能性はあった。ところが第二次大戦に参戦していない欧米の大国と言えばアメリカだけである。そのアメリカは日本の戦争相手なのである。大東亜戦争の指導者を批判する人は、どこの国を講和の斡旋国と想定しているのだろう。どういう終戦を想定することが可能だったというのだろう。これでは批判のための批判である。
 
 昭和18年の大東亜会議は、多くのアジア諸国の独立を果たした画期的な会議である。発想したのは東條自身ではないのにしても東條の指導力により実現したのには間違いはない。日本人が大東亜会議を大西洋憲章と比較して低く評価しているのは、東京裁判と言論統制によるアメリカの洗脳によるものである。そもそも民族自決をうたったとされる大西洋憲章もチャーチルは、ヨーロッパにしか適用されないと明言しているし、ルーズベルトも有色人種には適用されない、としている。こんな民族自決に何の意味があるというのであろうか。何の事はない。ドイツに占領されたヨーロッパを開放せよ、と言っているだけで、アジアの植民地の解放とは関係ない。アフリカなどは脳裏の隅にもなかった。これに比べ実際に民族自決を実現した大東亜会議の方が余程重要である。

 別稿でも述べたがユダヤ人問題に関する東條の功績を再掲する。ナチスのユダヤ人迫害に対する日本人の救出は、外務省の杉原千畝が有名であるが、陸軍の樋口季一郎は、安江大佐とともに亡命ユダヤ人救出に奔走した。当時の東條関東軍参謀長は外務省の方針に従って、ユダヤ人脱出ルートを閉鎖しようとした。しかし、樋口が説得すると方針を一変し、全責任を取るとして脱出支援を承認したのである。当時日独防共協定を結んでいた、ドイツ外務省の抗議に対して東條は「当然による人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。満洲ルートによる亡命ユダヤ人は3,500余人に及んでいる。これは東條の決断なしには実現しなかったものである。このような判断は単なる優秀な官僚のなせるわざではなく、本人の見識によることは明白である。

 意外と思われるのはインパール作戦であった。インパール作戦はインド国民軍INAの指導者のチャンドラボースのインド独立戦争の情熱にほだされて東條が実行を決定したものであった。作戦で倒れた多くの兵士には哀悼の意を捧げるしかないが、その作戦目的はインド独立と言う壮大なものであった。インパール作戦に日本の勝機があったことは英軍の幹部が証言している。最大の問題は作戦発動の時期が遅かったことであった。しかしインド独立の始まりはそのINA幹部を処刑しようとした英国に対して全国で暴動が起きた事である。インパー作戦は実際にインド独立の契機となったのである。

 大東亜会議にしてもインパール作戦にしても、秀才官僚の発想ではないことは明白である。開戦の御前会議の夜、昭和天皇の意に反して開戦の決定をしたことを悔いて、一晩泣き明かしたことも知られている。自らの行為について、これほどの責任感を持つ政治家が戦後の日本にいるであろうか。ぐず元と呼ばれた杉山元陸相ですら、夫妻で自決した。優柔不断と揶揄される近衛文麿も自決した。当時の日本人の責任感に優る現代日本人はいないのである。

評価を落としたのは自決に失敗した事である。死なないようにわざと小型拳銃を使用したと批判する御仁がいる(元都知事の石原某である)。これはとんでもない間違いで、東條が使用したのは女婿が自決したときに使用した大型拳銃であった。心臓の位置を記していたのは律儀さの故である。米軍は東條を裁判で晒しものにするために大量の輸血で助けた。そのような治療が無ければ確実に死んだのであって、助かったこと自体が奇蹟に等しい。おかげで東條はインチキ裁判でキーナン検事を圧倒したのであり、我々は東條の宣誓供述書を今読むことができる。今は解説書まで出ているので一読して欲しい。東條の歴史観は確固としたものであり、マクロな思想もある。昨今の平和主義者のような薄っぺらなものではないことが分かるだろう。

 付言するが、東條の自決と戦陣訓と結び付けるのはいくつもの意味で間違っている。東條は自ら言うとおり、正規の手続きを踏まずに米軍がやってきて捕縛しようとしたら自決するつもりであったのであって、令状なりがきたら出頭するつもりだったのである。まさに米軍は東條家に突如押し入ったのである。戦陣訓の生きて虜囚となるなかれ、と言うのは、支那の軍隊の捕虜に対する極めて残酷な処刑をされるなら自決の方が楽だという意味で、当時の軍隊では明言しなくても常識であった。米軍ですら、日本兵が投降しなくなったのは米軍の残虐な扱いの結果だと、大西洋横断飛行で有名な、かのリンドバーグらのアメリカ人自身が書いている。そもそも東條は大東亜戦争当時から戦闘員であった事はなく政治家であった。捕虜と言うのは敵に捕縛され武装解除された戦闘員である。捕虜でもないのに戦陣訓は適用されない。そのことは先にあげた東條の自決の理由とも合致する。

東條の処刑の時の態度も尊敬に足るものである。何よりも精神の修養ができていた証拠であり、付け焼刃で出来るものではない。東條の大和民族に対する最大の貢献は、皇室を守ったことである。国体を護持したことである。東京裁判で東條は、天皇は平和を愛する旨と日本臣民たるものは天皇の命令に従わないことは考えられない、と証言した。このことは天皇の開戦における責任に言及したと受け取られかねない。それに気付いた者たちのアドバイスもあって、次回の証言では、それは感情問題であって、開戦には陛下は反対であったが、輔弼の進言にしぶしぶ同意されたのである、と答えて見事に開戦責任問題を解決した。

この点では米国は既に天皇については追及しないことにしていたとは言うものの、中ソは執拗に天皇の訴追や処刑を画策していたから対応を間違えれば大変なことになりかねないのであった。それに天皇の意思に反して開戦したというダブルスタンダードは東條自身の苦悩の元でもあった。そして天皇を免責することによって自身が後世にまで犯罪者の汚名を着る覚悟がなければできないことであった。当時の恥を知る日本人には死よりも大きな苦痛であった。事実東條はその覚悟を「一切語るなかれ」として弁解を禁じている。現在でも東條に感謝すべき日本人自身が「A級戦犯の靖国神社合祀反対」などと言っているではないか。さすがに当時の日本人は東條が皇室を守ったことを知っていて、先の証言によって東條の評価は回復したのであった。東條は身を捨てて国体を護持したのである。皇室のない日本は日本ではない。その日本を後世に残したのである。保身に陥りやすい官僚の発想ではないことは言うまでもない。

余談だが、東條の次男の輝雄氏は父に軍人より技術者になるように勧められ、航空技術者になっている。東條の父、英教は会津閥なので出世できなかったため、東條は軍人になって仕返しをした、などと言うのはこのことからも下衆の勘繰りであることが分かろう。また、東條輝夫氏は三菱自動車の社長会長まで勤めている。出世レースにおいて「A旧戦犯」の息子であるというのは大きなハンディキャップであったろう。輝雄氏はそれを乗越えるような人格者であったのであろう。これも父英機の薫陶も大きかったのだと信じる。

残念ながら小生は山本五十六を評価できない。真珠湾攻撃でもミッドウェー作戦でも作戦目的が不徹底であって失敗している。真珠湾の海軍工廠と燃料タンクを破壊しなかったのはその後の米軍の反攻を容易にした。軍艦の航続距離からも真珠湾が軍港として使えなければ、太平洋の波濤を超えての反攻作戦はできないのである。破壊を実施するよう上申する部下に山本が、南雲はやらんよ、と言ったという説があるが、事実なら無責任であり確実に実施するよう指示すべきである。おそらくは山本は破壊の重要性を知っていたと弁護する作り話であろうと推定する。なぜなら工廠などの破壊をすべきと考えていたのなら、当初から作戦計画に織り込んでいたはずであるから。

連合艦隊が作戦実施中に愛人と同室していたことがある、と言う説がある。小生は当時の風潮として愛人がいたことを批判するものではない。しかし作戦中は陣頭指揮ではなくても刻々入ってくる情報を基に指揮を執るのが連合艦隊司令長官である。最悪なのはガダルカナル方面でだらだらと陸攻と零戦による攻撃作戦を行って、膨大な搭乗員を消耗してしまうのを放置し無策だった事である。石原莞爾と気が合ったであろうと考える向きもあるが、石原は海軍の攻勢終末点を超えた作戦行動を批判していたのであり、それを強引に実行したのは真珠湾攻撃の大戦果で批判することができるものがいなくなった山本自身であった。

以上閲するに、小生には東條を超える人物は昭和天皇以外に見当たらないのである。石原莞爾は戦略の天才であった。石原の戦略に従って日本陸軍が行動していれば、日本にも勝機はあったと小生は考えるものである。海軍は、補給路遮断や上陸支援などによって陸軍の作戦を支援するものであって勝利は陸戦、最後の勝利は歩兵によって得るものである。日本海海戦が生起したのは、大陸と日本との補給路遮断しようとウラジオストックに向かうバルチック艦隊を、そうはさせじと日本艦隊が入港を阻止しようとするために発生したものである。その後日本海軍が艦隊決戦を戦略目標においたのは本末転倒である。残念ながら石原には組織を動かす行動力に欠け、戦史に貢献することが無かった、と言わざるを得ない。
 


統帥権独立の嘘

2020-12-27 14:31:27 | 歴史

 今日の日本では、明治憲法が統帥権の独立と言う制度を持っていたために、日本は無謀な戦争に突入して大日本帝国は滅びた、と言う事が保守革新ともに定説となっている観がある。私にはこれに対する直接的異論を聞いたことが無い。だが敢えて言う。統帥権独立亡国論はまやかしである。統帥権独立への批判は、敗戦健忘症と軍への責任転嫁である。 統帥権独立が軍部による無謀な戦争を招いたと言うのは、制度の論理からも事実関係からも明白な間違いである。

この典型的な論者の司馬遼太郎の「明治」という国家、を見よう。明治憲法では、天皇は元首であるが、司法、立法、行政の三権の長が各々の責任を持っているので、天皇自身は責任を持たない。天皇はこれら三権の長の輔弼を受けるだけである。問題は統帥権であると言う。統帥権はこれらの三権から独立していて、天皇を直接輔弼する、という制度に問題があるのだというのだ。これも定説であろうが、明治国家がまがりなりにもうまく機能したのは、維新の元勲が政治家として生きていて、統帥権をコントロールしていたからだというのだ。

 だが制度的な問題から言えば、これは三権独立ではなく、四権独立であった、と言う事に過ぎない。戦後、朝日新聞の高名な緒方竹虎は五十人の新聞人」という本に「軍というものは、日本が崩壊した後に考えて見て、大して偉いものでもないなんでもない。一種の月給取りにしかすぎない。サーベルを提げて団結しているということが、一つの力のように見えておったが、軍の方からいうと、新聞が一緒になって抵抗しないかということが、終始大きな脅威であった。」と言っている。この言葉はジャーナリストとして恥知らず、と言うべきであろう。

 これは、新聞社が反対すれば戦争は防げたと言っているのであるが、一面で参謀本部や軍令部と言った、いわゆる軍部も官僚機構の一種に過ぎないと言う本質を言っているのである。司馬は、軍を行政府の下におかずに、独立させていた事にある、と言っているのだ。これは軍隊というものを特異なもの、特に悪い事をするものであるという前提が無ければ成立しない意見である。軍隊は戦争という悪い事をするから、常に他の権力の下に置かなければいけない、という訳である。しかしそれならば、他の三権は少々悪い事をしても良いのだろうか。

尖閣の中国とのトラブルにみられるように、行政府の間違いは国益を損なう。間違えれば戦争をも惹起しかねない外交的誤りもあるのである。軍部は天皇の直接の輔弼機関であったために、暴走したというのなら、他の三権も制度上は同様なのである。例えば統帥権の独立、というのなら、同様に行政権の独立もあったのである。従って統帥権の独立と言う制度自体が間違っている、と言う事は成立しえない。

 司馬氏は忘れていたのだろうか。三権独立の制度上の利点は、三権が各々の権力の行使を掣肘する機能を付与されているという事である。例えば行政が不適切な事を行おうとすれば、国会は予算を成立させない、と言う抑止力を持つし、国会が変な法律を作れば最高裁は違憲立法審査権によって阻止できる。いわばじゃんけんと同じで、三権は制度上、どれかが上位に立っている、というものではない。こんな事は中学の社会科でも教えている。

 しからば明治憲法の軍部はどうであったか。統帥部が勝手に作戦を行おうとしようとも、軍備を拡張しようとも国会は予算審議、という手法で掣肘する事は可能であったし、事実そうしていたのである。事実関係を見よう。統帥権独立の悪名高い、統帥権干犯という言葉である。これは政府が海軍軍縮条約のロンドン条約を結ぼうとした時、野党民政党の犬養毅らは国会で統帥権の独立を侵す、統帥権干犯を唱えて非難したのである。憲政の神様と言われたかの犬養木堂が、である。

 つまり統帥権干犯と言う言葉は、軍部が言いだしたのではなく、それを掣肘すべき立法府が言いだしたのである。軍拡に走ろうとした急先鋒は軍部より立法府であったのである。当然これは選挙で選んだ民意である。統帥権独立と言う制度自体が悪い、という批判が当を得ていない、というのはこれでも分かる。しかも海軍内部にもロンドン条約批准賛成派はいたのであるから、軍部イコール軍拡賛成というのは形式論理に過ぎない。現にアメリカでも軍需産業がらみでの軍備拡大派の国会議員はいるのである。それではもし、軍部が内閣の指揮下にあったらどうであったろうか。もしこの時民政党の犬養毅が総理大臣ならロンドン条約は結ばれなかった、というのが論理的帰結である。つまり行政府は軍拡に寄与したのはずなのである。

 それでは実際に起こった事態を見て見よう。「明治」という国家、で司馬氏は統帥権独立の弊害が表れた典型として、張作霖爆殺と満洲事変の勃発を揚げている。司馬は「・・・張作霖の爆殺も統帥者の輔弼(輔翼)によっておこなわれましたが、天皇は相談を受けませんでした。一九三一年、陸軍は満洲事変をおこしましたが、これまた天皇の知らざるところでした。」と書く。統帥者とは誰だろう。陸軍の場合参謀総長である。この両事件は参謀総長の預かり知らぬ事だったのである。陸軍の参謀本部が計画実行したのではなかったのである。繰り返すが統帥者は知らなかったのである。両方とも東京の軍部ではなく、出先の関東軍が計画実行したのは知られている。

出先が独断でやった行為が、どう考えたら統帥権が独立していなかったら起こらなかったと言えるのだろうか。或いは言う、統帥権の独立という意識があったから、関東軍が独走したのだと。それならこれは制度上の問題ではあるまい。どちらの事件も出先が独走したのは、参謀本部に相談したところで、反対されて問題が先送りされると考えたからである。現に満洲での関東軍暴発の噂を聞いた参謀本部は止めに建川美次を派遣した。もっとも建川は見て見ぬふりをしたようであるが、これは個人的問題である。

以前の「また満洲事変を繰り返すのか」で書いたが関東軍は満洲で跳梁する支那政府の暴虐に、無為無策の日本政府に対して実力行使をせざるを得ないところに追い込まれていたのである。張作霖爆殺はロシアの謀略だと言う説がある。だとしても関東軍がやったとしてもおかしくはないのである。張作霖爆殺は、行政府が統帥部を掣肘する事が可能であった見本でもある。事件が起きた時に、関東軍がやったという噂が出て、「満洲某重大事件」と言われて昭和天皇の耳に入り、時の田中義一首相は天皇に関係者を厳罰に処する事を約束した。しかし田中は陸軍の圧力に屈して事をうやむやにして天皇に罵倒された。その結果田中は悩み体調を崩して悶死したのである。これは田中個人が人間としては弱かったのであって、制度上は統帥部の人間でも処罰する事が可能であった事を示しているのだ。そうでなければ田中首相は天皇に厳罰に処する事を約束する事はないのである。

 クリムゾン・タイドというアメリカ映画があった。ロシアで反乱軍が日米に対する核攻撃を示唆する。これを受けて原子力潜水艦アラバマは出動するが、途中ロシア潜水艦と交戦し司令部との通信が途絶する。艦長は核攻撃が行われるからロシアに核ミサイル発射命令を出すが、デンゼル・ワシントン演じる副長は反対し、軍法の手続きに従って艦長を拘束する。艦長の反撃もあるが、ワシントンの命令で回復した通信により核攻撃の必要が無いことが分かった、ざっとこんなものである。

 孤立した原潜の中での判断の困難さと葛藤を描いたものであるが、シビリアン・コントロールが確立している米軍でも、孤立した状態では指揮官の暴走の危険がある、という教訓もあるのだ。司馬氏や多くの日本人にとって、満洲事変などを統帥権の独立に帰してしまう事は、歴史から何も教訓を得ていないのである。司馬氏は明治期の指導者は、明治の元勲は維新の戦火を潜っていたために、統帥権が独立していても適切な軍事的指導をし得た、と言うが以上述べたように統帥権が独立していようがいまいが、現代でも政治家には適切な軍事外交での指導力が必要である。

現在の日本の政治家より、その点では戦前の政治家にすら遥かに劣ると言わざるを得ない。日本の政治家は軍事に何の見識も持たない。いや軍事的知識を忌避する事が平和主義を標榜する資格であると考えている。が、軍事的知識の全くない総理大臣が、軍事組織たる自衛隊をどうして指揮する事ができようか。彼らは平和主義者のつもりでも、外交で追い込まれると適切な判断をし得ず、領土を失う事になる危険性をはらむのは、尖閣諸島で中国船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件の処理でも分かる。あるいは戦争を無条件に忌避する事が最後には相手の攻撃を誘発して戦争を惹起するのである。


書評・日本経済を殲滅せよ・エドワード・ミラー・金子宣子・新潮社

2020-02-24 18:57:42 | 歴史

日本経済を殲滅せよ 

 一言で言えばアメリカの組織的分析と実行力の巨大さを思い知らされる。本書に記述されているようにアメリカの対日経済的圧力に対応して日本の政界財界が国益のために、私益を棚上げして連携した努力のすばらしさもあるが、結局アメリカの手の内で踊っていたのだと分かる。現在と同様に欧米はゲームのルールを作り、日本はそれに対応する尋常ならざる努力を続けているという構図は昔から変わらないのである。ただ現代日本は、尖閣を脅かされても中国と仲良くしたいという、経団連会長がいるように、国家存亡の危機よりも商売で儲けることの方が大切だという愚かな経済人が多数派であることが健全な戦前の日本と異なる。

日本は円をドルに交換できないとアメリカからの輸入が出来ないため、一旦円を元に変えてドルに換金してさえいたのだ。現代に通ずる日本の愚かさも指摘されている。昭和十六年夏、金融凍結対策で物々交換を考えたのだが、米国人の日本の代理人として立てたのが、デスヴァーニンという米国大統領と露骨に敵対する人物であったという「じつに奇怪で、自殺行為とは言わないまでも、日本の政治音痴を示すものだった(P308)、というのである。

 正直言ってこの本は、精読と乱読の繰り返しで何とか読み通した。要するに専門研究書で小生のごとき門外漢が全て精読することの可能な本ではないし、その意味もない。ただ著者の日本に対する歴史観は熟考されたものではなく、単に日本のアジア侵略、という米国人らしい偏見しかない。スムート・ホーリー法という日本の商品を自由に禁輸できるに等しいとんでもない法律を作っておきながら、「結果的に日本の膨張主義を刺激するという予期せぬ事態をもたらした(P60)」などとうそぶいている。米国がこの経済制裁的法律を作った原因を日本の対中侵略のせいにすることは著者さえできない。スムート・ホーリー法は「日本の満洲侵略以前のことなのだ」(P74)。

著者すら「こうした悪意に満ちた対日差別が行われた理由はなかなか推測が難しい」(同頁)と認めている。著者は生糸が売れなくなって仕方なく他の輸出を考えたらそれも妨害されても、日本は対外進出を控えて座して死を待つべきだ、というのだ。著者にとって米国の対外進出は当然の権利で、日本のそれは侵略なのだ。P69のグラフでは日本がアメリカにおいて、一見欧米諸国より低い関税がかけられているように見えながら実質的には対日関税が最も高くなるようなトリックがあることを証明している。

日本への肥料封鎖により、日本は壊滅的食糧不足をもたらす(P215)とさえ分析している。著者が意図しまいと、この本にはアメリカの理不尽な経済的圧力に対して、日本は官民挙げて必死に努力するが常にその努力は次の圧力により水泡に帰して行く、という理不尽な日米関係を描いている。鉄道王ハリマンと満洲を共同開発すれば日米の衝突はなかったなどというのが、幻想であることの証明である。アジアで米国と「仲良く」することなどできなかったのだ。

だが訳者あとがきはこの本の対する見方が異なっていて「著者はこのアチソンこそ、日本を戦争へと駆り立てた元凶とみているようだ」と書く。面倒なら、訳者あとがきだけ読んで、日本が最終的に資産凍結により対米戦争に追い込まれたことと、それが石油の禁輸より重大であったと言う事を要約していることを理解することができる。本文の方はそれを裏付ける基礎資料扱いとしておけば良いのである。

それにしても戦前の西欧世界というものは、世界をいかようにも牛耳ることができたのであって、日本はそのルールの中で必死に踊っていたのに過ぎない。日本は自前のわずかな資産と尋常ならざる努力ができるだけで、欧米に自分の正当なルールを押し付けるなどという事はありえない。これに対し、欧米諸国は連携して、植民地資源まで動員して日本をいかようにも操ることが出来たのである。

植民地の独立によって欧米の強さははるかに減じられたとは言うものの、依然として欧米がルールを作る世界であるのに変わりはない。中共ですらその手駒に過ぎないのである。いや支那大陸を支配した中共はロシアの作った共産主義イデオロギーで西欧に取り込まれ、改革開放で西欧のマネーゲームの一員に決定的に取り込まれた。共産主義を取り入れた時から独自の年号を廃止し、西暦を採用したのはその象徴である。


書評・満鉄調査部事件の真相・新発見史料が語る「知の集団」の見果てぬ夢

2020-02-05 21:36:39 | 歴史

小林英夫・福井紳一・小学館

 あれほど共産主義が忌避されていたはずの戦前の日本で、かくも多くのマルクス主義に囚われていた愚か者たちが跋扈していたと言う事実を知らされる一冊である。彼らの信念は確かなものであるにしても、実際には単に他国のために働き、自国を破壊して同胞を不幸に追いやろうとした愚か者であるに過ぎない。そもそもコミンテルンは彼らをソ連のために利用するために接近したのであって、彼らの理想は口実に過ぎない。関東軍の顧問であった小泉吉雄は、ゾルゲ事件の尾崎秀実にコミンテルン極東支部員のロシア人を紹介された。その後尾崎の指令により、日ソ戦争勃発の際には、輸送妨害、通信施設の破壊などの反戦活動の他、関東軍司令部を爆破することを約束していたのである。(P208)

筆者は「・・・尾崎がソ連、中国、日本の反戦勢力の結集を図る動きをすることは十分可能性があり得るからである。」(P256)と書くが、満鉄のマルクス主義者も同じ心情だとしたらとんでもない間違いである。コミンテルンは日本人の反戦思想を利用するために、ソ連や中国にも反戦勢力があるかのように装い、各国で呼応して反戦活動をして政府に戦争を止めさせようと言い、結果的に日本軍だけを妨害させてソ連の勝利に貢献させようとしたのである。

また「企画院事件」では勝間田清一も逮捕されている(P252)。勝間田は戦後、社会党委員長となる骨がらみのマルクス主義者であるし、戦後もソ連のスパイに利用されていて、日本を不幸にするための活動ばかりした人間である。もし、勝間田の理想が実現したとしたら日本には親ソ政権が出来であろう。ちなみに勝間田清一は小生の同郷で、小学校の遠足で国会議事堂に行った時、国会議員の勝間田が同郷の小学生の前で演説したのは、忘れ得ない。子供の頃だから偉い人だとしか思わず、同胞を売ろうとしていたことには思い至るはずもなかった。

 親日で有名なライシャワー大使ですら日本には親ソ政権が出来たら、米国は日本を再占領したと後日明言している。日本の社会主義勢力は怖ろしいものがあったのである。驚くべきは花房森の手記(自供)には共産主義社会の建設過程には天皇制は「武器」として利用価値があるが、全世界に共産主義社会成立後は、利用する価値がなくなるから、「天皇制」は廃止すべきである、と書いてあることである。多くの本にはコミンテルンの指令に「天皇制」廃止が書かれていたために、受け入れることが出来ずに転向者が出たり、指令を隠したと書かれているが、この手記を見る限りそう単純ではなさそうで、本気で天皇をなくそうと考えていた人間は相当いたのではあるまいか。

満鉄調査部事件の取り調べは拷問が禁止されており、手記は転向を約束した部分と仲間の告発で構成され、ストーリーは共通している(P197)という。だから自発的に書いたのではなく、憲兵の誘導によるものであろうと筆者は書くが、問題はそれにとどまらない。満鉄のマルクス主義者は日本で左翼活動をし、転向して満洲に渡ってきた。それがまた左翼活動をし、「手記」による転向によって重罪には問われていない。しかも戦後左翼活動をするという懲りない人々である。

確かにホワイトハウスにも多数のコミンテルンのスパイはいた。しかし戦後検挙され大規模なレッドパージが行われた。スパイ活動により死刑になった科学者夫妻すらいる。アメリカでは共産主義者は撲滅されたのである。せいぜいベトナム反戦活動家が間接的にソ連に利用された程度である。西ドイツでは共産党を非合法化するという思想統制すら行っていた。

さらに問題なのは検挙者のほとんどが東京帝大と京都帝大の出身者(P15)であることである。帝大は日本の中枢を担うエリートを育成するために作られた。ところがその帝大が他の教育機関より、圧倒的に多くの売国奴を輩出していたのである。民主主義でも自由主義でもマルクス主義でも、西欧から来た思想を無批判に受け入れてきた維新以後の病巣がここにある。これに対抗すべき日本思想と言うべきものは、過激だが貧弱なものしかなかったのである。

ところで筆者であるが「アジア太平洋戦争」などと言う言葉からお里が知れる。「彼らの『見果てぬ夢』は、『戦時中の夢』といってしまうには、あまりに大きな犠牲であった。なぜならナショナリズムの調整を通じた東亜の共同体の形成という東アジア各国が目ざさなければならない大きな目標が、この事件を契機にその芽を摘まれ、それがふたたび日の目を見るには半世紀以上の時間が必要だったのである。・・・グローバリゼーションの嵐が吹き荒れる二一世紀初頭の今日・・・『東亜共同体』という、すでに半世紀前に、少数者であれ満鉄調査部員を含む心ある人々の手で企画され、その実現に向けた動きが出ていたことの先進性と鋭角的な問題提起が、いまふたたび日の目を見る状況になってきているのである。」(P263)と書くのだ。

彼等はコミンテルンのスパイとなって、日本と中国を共産化しソ連の衛星国化しようとすることに利用されていたのに過ぎない。彼らの理想としていたのは共産主義である。共産主義の間違いが明白となった現在、どうして「いまふたたび日の目を見る状況になってきている」のであろうか。東アジアの軍事大国中共は飽くなき領土欲をむき出しにして日本ばかりではなく、ベトナムやフィリピン、インドとも争っている。ウイグルやチベットを侵略史民族浄化をしつつある。何が「東亜共同体」であろうか。筆者が否定するグローバリゼーションとは米国主導の世界であろう。だがそれに取って代わるものは、著者の想定しているであろう現代の帝国主義の中共との連携ではあり得ないのである。著者の詳細な調査と考察は見るべきものがあるが、根本の認識が完全におかしい。従ってデータとしてだけ価値がある。

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西山記者は正しかったのか?

2019-10-29 17:30:21 | 歴史

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 平成24年の3月まで、連続ドラマで山崎豊子原作の「運命の人」がTBS系で放映されていた。このドラマは有名な外務省機密漏洩事件をかなり忠実に模しているとされている。主人公の弓成記者とは実在の毎日新聞の西山記者がモデルである。外務省の機密とは、沖縄返還の際に、当時の地権者に米国が支払うはずになっていた原状回復費を日本政府が肩代わりする、という密約をかわしていたものである。確かに戦争で奪った土地を返すのに、費用は奪われた側が払うということは世間一般の常識では理不尽なことである。

 だが現実には世界にはこのような理不尽なことで溢れている。インドネシアは第二次大戦後、婦女子も含めた40万人の命を奪われる独立戦争を戦ってオランダから独立した。なんとオランダは独立の条件として、多額の賠償金を取ったのである。オランダの植民地支配は、他の欧米食国と同様に現地人を獣扱いした過酷なもので、その結果部族の争いや土地・産業の荒廃、多数の虐殺をもたらした。取り返しのつかない荒廃をインドネシア全土にもたらしたのである。それにもかかわらず、オランダは当然の如く賠償金を取ったのである。未だにアジアのかつての植民地国は白人の宗主国の過酷な支配の過去を公然と国民に教育する事さえ恐れてしていない。一方でありもしなかった日本による占領下の被害を声高に言うのに、である。

 このことに思いを致すことができない現代日本人は何と愚かな人たちであろうか。歴史を見て欲しい。かつて戦争で奪われた土地が外交交渉で還ったことを寡聞にして私は知らない。沖縄は稀有な例外である。戦前はさておき、戦後米国は自由と民主主義の国で侵略戦争は悪である、と言う建前を主張する国になったから、戦争で沖縄が米国領になったとは口が裂けても言えなかったのである。しかし実態は当時沖縄に行くにはパスポートが必要であった、紛れもない米国領だった。 

 余談になるが、沖縄が交渉で還ってきたことから、多くの日本人は北方領土が交渉でかえってくるとの幻想を抱いている。断言する。ロシアが余程ひどいことにならない限り、北方領土が交渉で還ってくることはない。いや、ロシアが内乱でめちゃくちゃになろうと、外交より戦争で奪い返すしかない公算の方が高い。外交交渉では二島返還でさえありえない。かく考えれば西山記者の機密漏洩とは何だったのだろうか。日本政府が密約を結ぶのを拒否して沖縄返還が反故になれば良かったのだろうか。たとえ基地付きとは言え返還自体が歴史的なできごとである。西山記者はそれを妨害しかねないことをしていたのである。 

 言論の自由・報道の自由を守るとドラマは言っていた。確かにそれは恐ろしく勇気のいることであり犠牲を伴うことである。だがこのケースでは何のためにそれらの自由を守ると言うのだろうか。報道の自由が守られた結果、沖縄が返還されなくても良いと言うのだろうか。沖縄の人たちが米軍基地の犠牲になっている事は極めて遺憾なことである。しかし一方で沖縄の地政学的な位置の問題がある。さらに日本が米国に代わって自らを守る、あるいは東アジアの安定に寄与しようとはしない、という怠慢のせいでもある。沖縄から米軍基地を撤去して代替の軍事力を置かなければ、東アジアには大規模な動乱が起きる。 

 他のドラマや映画にもあることだが、まだおかしなことはある。沖縄の人が、記者に米軍もひどかったが日本軍はもっとひどかった、と語るシーンである。実際にこう語る沖縄の人は多くいるのだろう。しかし「天王山」と言う米国人が書いた本に、沖縄における米軍の残虐行為が多数書かれている。戦時中の沖縄における強姦事件は一万件を超えていると言うのだ。投降した日本兵を殺害するのはほとんど当然のことだった。連れていた4人の沖縄女性を強姦した上に川に投げ込んで殺したと言うのもある。その他の恐ろしい残虐行為が多数書かれている。つまり米軍は人道的な軍隊などではなかったのである。何故現代の米軍兵士は小学生すら強姦する恐ろしい人たちなのに、沖縄戦当時の米軍が残虐非道な存在ではなかった、と言えるのであろうか。残虐な日本軍、と言う教育のために、日本兵は米軍よりひどかったと言い、反基地闘争のために、現代米兵はひどい、というのではないか。多くの目に監視されていた現代に比べ、やりたい放題だった沖縄戦当時の米軍の方がひどかったのは当然であろう。 

 「天王山」には疑問のある記述もある。ふらふらしている日本兵の胸に煙草の火で合衆国海兵隊という文字を焼き付けた上に、担架で運んでいる最中にわざと落として骨折させたと言う。だがこの日本兵は女性を強姦した後に二人の子供と一緒に咽喉を切って殺したと言うのだ。これは実に奇妙なことである。担架で運ばなければならないほど怪我などで衰弱していた人が、どうして強姦などできたのであろうか。米軍の強姦事件の大半は熾烈な戦闘が行われている地域ではなく、戦闘が収まって落ち着いた場所で起きたと言うのだから。多分このエピソードを語った米兵は、遊び半分に行った残虐行為の言い訳をしたのである。この本には、この手の遊び半分としか思われないような残虐行為が多数書かれている。後に日本通で有名になったドナルドキーンですら、当時の手紙で「アメリカ人が日本人をまだ人間として評価できないからだ」と書いた位だと紹介している。日本人は米国人にとって獣であったのである。獣が人道的な扱いを受けるはずがない 

 この著者が自虐的日本人と違ってまともなのは、数々の米兵の残虐行為を書きながら一方的に断罪するのではなく、「武装していない住民に対する故意の残虐行為は、日本兵によるものよりはるかに少ない。」と一言だけ同胞のために弁明していることである。ただしこのことを著者はこの本では立証してはいないから勝手な自己正当化に過ぎない。主観的な弁解だけで、事実を立証していないのは、ノンフィクションとしては、重大な瑕疵である。米軍とソ連軍との相違はソ連軍が強姦略奪を上官までが推奨しているのに対して、米軍は公式には禁止していたのに過ぎない。やっていることに大差はないのである。しかも、この本に書かれている多数の強姦殺人、虐待などの戦時国際法に明白に違反する行為については、ただの1件でさえ処罰されたケースがあったとは書かれていない日本軍では日本兵自身による、戦時国際法違反相当の行為について自ら処罰した例はある。日本軍の軍紀が厳正であったと言うゆえんである。 

 もうひとつは記者が報道の自由を権力から守ろうとした大義についてである。彼は当時の佐藤政権に対して戦ったのである。だがそれ以前にGHQによって日本は徹底的に言論統制が敷かれていた。西山氏はその時代に育ったはずである。言論の自由が奪われたから戦争になるのを止められなかった、と言う反省から、権力の弾圧から言論の自由を守ろうとした、と語る。しかし戦後行われていた米軍による厳しい言論統制については言及さえしない。米軍は自らへの批判を許さなかったばかりではない、公職追放によって、米軍に都合の悪い人物を政界、言論界、教育界から追放して米軍が去っても事実上言論統制の効果が継続するよう仕組んだ。

 その結果戦前戦中の言論統制を声高に批判する人はいくらでもいるが、戦後の米軍の言論統制を批判するのは例外的である、という米国が望んだ事態が生まれた。西山記者の行為が個人として勇気のあるものだと言う事はそのとおりだろう。しかし米軍による徹底した言論弾圧に触れさえしないことに、その勇気に大きな疑問を持つのである。彼にとって戦前戦中の日本政府の弾圧は存在しても、戦後のGHQによる過酷な言論弾圧は存在しなかった如くである。ちなみに事件を起こしたのは毎日新聞の記者であったが、放送したTBSは毎日新聞の系列である。 

 


日本は幸運の国である

2019-08-15 01:12:01 | 歴史

 現代の世界では、おおむね自由貿易がを行われている。その恩恵を現在の日本は存分に享受している。多くの日本人はそれを当然なことだと思っている。しかし、戦前の世界はそうではなかった。アジア・アフリカの各地のほとんどは、欧米諸国の植民地であった。アジアでも、独立国はタイと日本だけ。支那ですら、半植民地であった。だから日本が自由貿易によって繁栄する、などという事はありえなかった。 

 第二次大戦後多くの国が独立して、世界で200以上の独立国が出来て、自由貿易が行われるようになったのは、「無謀にも」日本が大東亜戦争を起こしたからである。結果論であろうと、日本が明治以降、日清、日露戦争や大東亜戦争を起こした事によって世界の植民地が解放されたのは、動かすことのできぬ事実である。

 政治は結果が全てである。である以上、日本は世界の植民地の独立を達成したのである。例えば、一度日本の手で、独立を宣言したインドネシアは、日本の敗戦後、再植民地化を目指してオランダが派兵してきたが、日本に負けた弱きオランダを見たインドネシア人は、四年間の死闘と数十万の犠牲を払った戦闘を続けて、独立を勝ち取った。そしてそれを支援したのは何千もの残留日本軍兵士であった。その半数が戦死している。

 そして、世界の植民地のほとんどは解放された。だが、大東亜戦争の開戦が五年遅れていたらどうなったかと仮定すると、日本の戦争が、最後の絶好のチャンスを逃さなかった事が分かる。もし五年遅れていれば、米国だけではなく、日本やソ連、その他の先進国は原爆とそれを運搬するミサイルを開発実用化していた。核兵器の時代に突入していたのである。

 これが何を意味するか、分かるだろうか。現在の核保有国間で、戦争は行われていない。つまり破壊力の過大な核兵器は、抑止力になってしまつて、戦争を行えない。つまり米の植民地支配の理不尽に挑戦はできない。逆に日本も米英に蹂躙される事はない。しかし、それは日本が、名誉白人国家として、欧米植民地帝国の後ろに従うだけのことである。

 現在、チベットが中華帝国から独立できない如く、核保有国は、遠慮なく植民地を蹂躙弾圧して、世界の植民地状態は固定化される。つまり、日本は、核兵器時代に突入する直前の最後に挑戦して成功した。もちろんそれは予想せざる事であった。だからこそ私は、日本が幸運な国だというのである

 付言するが、ウクライナなどがソ連帝国から独立したのは、ソ連と言う植民地帝国の崩壊による。従って、通常の独立闘争では、容赦なく中華帝国に蹂躙される、ウィグルやチベットも、独立のチャンスは帝国の崩壊しかありえない。だが時間の経過はチベットやウィグルには不利に働く。

 ソ連帝国から独立した各国は、ソ連時代のロシア化政策によって、ロシア移民が送られているため、未だに国内の分裂に悩まされているのが、それを実証している。例えばロシア-グルジア戦争やロシアによるクリミア半島併合、東ウクライナ紛争がそれを証明している。私は、ソ連は崩壊すべきだと願ったのであって、同時代人として崩壊するのを目撃するとは予測はしなかった。ソ連崩壊まではソ連にシンパシーを持ちながら、小田実のようにソ連が崩壊するのは分かっていた、などと放言する嘘つきにはなりたくはないのである。

小生は中共はヨーロッパ各国のような、中小規模国家に分裂する方が、国民の幸せだと思っているが、歴史は、新王朝の分裂崩壊は成立後150~250年かかるのが当たり前ことを教えている。中共が、今のようにシーラカンスのような、現代の世界に存在する古代国家が、近代国家に変貌するには、それしかないからである。その事は、同じ支那系の民族が運営している、台湾やシンガポールの実績が証明している。

 しかし、王朝の衰退は前述のように五十年百年で起こるはずがない事から、小生が生きている間には、中共の分裂は起きるとは考えられない。台湾、シンガポールの例があると言うなかれ。かの国は、規模の小ささと、日本と英国の強制による教育の効果による事の影響が絶大なのであるから。しかも外国の干渉なしには、中共の後の新王朝も単に古代巨大帝国の復活に過ぎない可能性が大である。

 考えられるのは、戦前の日本が行いかけたように、満洲国や華北政権のような分裂国家の定着を促進することである。戦前は愚かな欧米の利権争いのために日本は失敗した。中共分裂の大事業は、欧米各国の理解と支援が必要である。トランプ政権は、反中共を明確したが、分裂支那まで見通せないであろう。それには、日本人の見識が必要となる。出でよ内田良平、大川周明、石原莞爾


ウクライナよフィンランドを見習え

2019-08-01 20:22:39 | 歴史

 フィンランド化という言葉がある。議会制民主主義と資本主義を維持しながら、ソ連の強い影響下に置かされるようになった悲惨な結果を言う。一般的には、ソ連に屈従させられたことを揶揄する、褒められる言葉ではない。だが私にはそうは思えない

 ソ連はレニングラード防衛に必要だ、という屁理屈をこねて、フィンランド領の一部割譲を要求した。ところが、小国フィンランドは敢然として大国ソ連と戦ったのである。このとき英米は何の支援もせず、ソ連の侵略を黙過し、フィンランドは孤軍戦わざるを得なかった。その結果、結局は領土の10分の1を奪われた。第二次大戦が始まると、失地回復を目指してドイツ側につき、ソ連と戦った。兵器は、軍用機だけを見ても、ドイツ製、イタリア製、フランス製、英国製など、世界中のものをなりふり構わず買って使っている。

 あげくは、ソ連製軍用機も捕獲してフィンランド空軍の国籍標識を付けて使っている。ちなみに当時のフィンランド空軍の標識はかのハーケンクロイツである。 結局は、枢軸国の敗戦により、国土の一部は奪われたままで、国は協定でソ連の影響下に置かれたが、東欧諸国のように共産化することはなかった。フィンランドとバルト3国の違いをみれば、いかによく闘うことが最低限国の独立を維持するために必要だと言うことが分かる。

 バルト三国は、ソ連の圧迫やソ連軍の侵攻を受け、反ソ議員の立候補を禁止した、やらせ選挙により、人民議会が成立し、昭和15年7月21日議会は、ソ連邦への編入を願うことを議決した。何とこのように同日に三国で同じ経過で同じことが行われたのである。インターネットのウィキペディアでも各種の本でも、ソ連の侵略により脅しの下に議決されたことは現在では書かれている。

 ところがソ連華やかなりし頃の日本の有名な百科事典には、議会が各々の国で自主的な議決によりソ連邦編入を申請したと平然と書いてある。昔、ある図書館でこれを調べて、3国が同日にソ連への編入を申請したと書かれてあるのに衝撃を受けた。知性も教養もある百科事典の編集者は、この恐ろしい「偶然」に何の疑問も持たなかったのである。一方で日本の満洲侵略の傀儡政権のと書くのに、である。自虐史観の人たちは、バルト三国が一斉に侵略をされたことに憤りを感じることのないメンタリティーを、いまだに持ち続けている。

 こんな話を続けているのは、ウクライナ情勢を言いたかったのである。ウクライナの紛争で親ロシア系住民というのは誤解を招く言葉である。実態はほとんどがロシア系ウクライナ人であるから、ロシア政府に呼応してロシア編入を求めるのは当然である。クリミアはきまぐれによってウクライナに譲渡されるまでは、ソ連邦ロシア共和国に支配されていたから、元々ロシア系住民が多かったのであろう。だが、東部は、ソ連が併合してからロシア系住民を送り込んで増えたのであろう。このことはウィグルやチベットでも同じことが言える。ウクライナに対する野心は、ウクライナが農業でも工業でも旧ソ連の最高の地域だからである。

 ウクライナ東部には、ソ連の特殊部隊が送り込まれてロシア系住民を扇動して政府と戦っている。この見え見えの情勢に、米国は早くも軍事オプションの放棄を宣言して、経済制裁にとどめているが効果はあるまい。しかし、情勢はソ連侵略時のフィンランドよりましであろう。孤軍奮闘したフィンランドに比べ、まだウクライナは、西側の支持を受けている。

ウクライナがクリミアを失うだけですむか、東部を、あるいは独立そのものを維持することができるか否かは、ウクライナ自身の決意にある。決意とは外でもない。西側の直接的軍事支援なしで自国だけで戦うことである。ベトナム戦争が示すようにせめて軍事物資の援助さえあり、国民が戦う気持ちがあれば、ロシアを撃退できる。アフガニスタンさえソ連を駆逐した。日本の評論家は天然ガスや経済問題を重視する。だが経済問題を考えていたら、アフガニスタンやベトナムはソ連や米国に勝てなかった。貧しいベトナムは戦後ソ連への武器援助の多額の借金のために、多数の国民をソ連で奴隷労働に等しいことをさせて返済した。平和にどっぷり使った日本人は、侵略の撃退と経済問題とを天秤にかけている。世界の監視下にあるだけ、ウクライナはフィンランドより有利な地位にある。要は国民が武器を取る決意があるかである。

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書評・国民の文明史・中西輝政

2019-07-31 15:47:47 | 歴史

 中西氏は小生の尊敬する識者の一人である。その大著のひとつが国民の文明史である。その中でも注目すべきは、日本文明の基底としての「縄文」と「弥生」であり、もうひとつは、日本はアジアではない、ということであろう。

 氏は日本が繰り返す、縄文化と弥生化の発現について考察している。その考察は深い学識に支えられていると考える。ただひとつ気になるのは、氏ですら現代日本の表面的なできごとに過剰に反応し過ぎ、の感があることである。

 具体的にいえば、現代日本の政治状況は江藤淳が論考した「閉ざされた言語空間」に支配されている、特殊な状態にあるにも拘わらず、日本文明の基底より発しているが如き議論をしているように思われることである。もうひとつは、平成元年頃のバブルとその崩壊も日本文明の発現として考えていることである。

 過去の支那の例を見る。支那は①匪賊または周辺異民族による現王朝の崩壊②旧王朝の粛清③安定期④不満分子による混乱というサイクルを繰り返す。戦前の支那は④の時期だった。石原莞爾すらこの時の混乱を見て、支那人には統治能力なしとして、満洲国を作った。これは適正規模による国民国家成立という観点、あるいはモンゴル、ウイグル、満洲による防共国家を支那本土から切り離す、という観点から正しいのであって、支那人に統治能力なし、というのは間違いであることは明らかである。眼前の混乱に幻惑されて大局を誤ったのである。中西氏も現代日本史観察において大局観の間違いを犯している。

 例えば、「いまの日本はまさに『歴史の危機』に立っている(P65)」とか「治安大国から犯罪大国への転落(p67)」といった主張である。今の日本の危機とは、ほとんどが占領政策とそれへの埋没によるものである。憲法問題も変な平和主義もほとんどこれに起因するもので、日本文明の基底から発する要因は僅かである。もちろん江藤氏の業績を氏も大変評価しているのだから不思議である。

 他国による日本の全面的占領支配、といった状況は日本の歴史上かつてなかった特殊現象なのだから、その点も考慮されなければならないが、あまりなされていない。正確にいえば、「・・・チャーチルは、日本はこの約七年の連合国の占領によって、今後百年、大きな影響をうけるだろう(P384)」と言う言葉を引用しているのを始め、占領政策の恐ろしさを繰り返し述べている。にもかかわらず、具体的な現代の問題を論じる時、憲法以外、占領政策との関係はあまり述べられていないように思われる。日本の犯罪が悪質化し増えている、というのも他国と比較し相対化すれば、とてもそうは言えないであろう。マスコミ報道に過剰に反応し過ぎである、と思う。例えば、かつては尊属殺人という特殊な法律があった。これは、親殺しなどの悪質な犯罪が昔から、法律が必要なほど起きていたということである。

 言葉じりを捉えるようだが、戦後の平和主義も「換骨脱胎の超システム」の誤作動によるものである、という(P194)のも妙である。一方で日本の「フランス料理は」フランス人には、こんなものはフランス料理ではないと言わしめる程、換骨脱胎されたものであり、日本では外国の文化文明を取り入れる時、このような換骨脱胎が必ず行われる如く言う。

ところが「日本の戦後の『平和主義』の全貌を知るやいなや、『そんなものは平和主義ではない』と言う。自分の国を自分で守らない平和主義など、世界のどこにもないからである。」すると、平和主義とは世界各国で普遍的一義的であって、換骨脱胎が誤作動したのではなく、換骨脱胎はしてはならないものだと言っているに等しいのである。

これは矛盾である。しかも誤作動によって平和主義が日本で歪められたのは、単なる誤作動ではなく、占領政策によって人為的に作られたものである。つまり普遍的日本文明論を論じるには適切な例ではなく、より慎重に分析すべきと小生は考える。

トインビーの言葉を引用して「成功裏に成長が一定期間続いたあと『指導者たちが、追随者にかけた催眠術に、自分もかかってしまう』(P141)」として、「大東亜戦争やバブル期の日本のリーダーはまさにこの『文明の陥し穴』にはまっていったのである。」という。大東亜戦争とバブルごときを同列に並べる、というのはどうしても納得しかねる

大東亜戦争の原因は日本の国内的要因よりも、遥かに国際的要因があり、小生はマクロに見て大東亜戦争を戦ったのは決して間違いではなかった、と考えるからである。大東亜戦争の原因について左翼の史家と同様に、氏も軍部の国内政治支配などの国内的要因だけで見ているとは信じられないのである。

バブルなどというものは、景気変動のひとつに過ぎず、バブルといわれた好景気は、物の生産などの実体あるものではなく、金融や土地取引などと言う、架空のごときものから発した好景気だから、当時は泡のように中身のないという意味で「バブル」と称したのである。バブル崩壊以後はショックのせいか、マスコミなどでは「好景気」という言葉は使われなくなった。

バブル以後、失われた20年などといい、一度も好景気がなく、日本の経済は停滞していたごとく言うが、平成11年頃には「戦後最長の景気回復」と言われる「好景気」があったのである。最長と言う比較は「いざなぎ景気」のような戦後の「好景気」と比較してのことである。にもかかわらず、「好景気」とは言わず「景気回復」という消極的言葉しか使われなくなった。

この本で欠けているように思われるのは、大東亜戦争によって日本は人種平等という世界史的新天地を開いてしまったという観点である。それに対応する世界観が必要である。過去の経験もいい。しかしそれに匹敵する世界観を中西氏には提示していただきたいと考える次第である。ただ必ずしも文明論にはならないから、欲張り過ぎというものであろうか。

 疑問を桃うひとつ。いまの日本はまさに『歴史の危機』に立っている、と氏はいう。危機が来ると、日本は弥生の特性を発揮し、危機を劇的な手段で回避するというのだ。その典型が明治維新だと言うのだ。しかし、今の日本が本当に危機に立っているのなら、弥生的特性を発揮しているはずである。氏の説は間違っているのだろうか。

氏が正しいとすれば、恐ろしい話だが日本文明の弥生という基底が、占領政策によって破壊されてしまったのではなかろうか、とも考えられる。現実にGHQの政策で、多くの皇族が臣籍降下させられたために、天皇と皇室の継続すら怪しくなっているのに日本人は無策でいる。それどころか、保守を自称する小林よしのりですら、臣籍降下した皇族の皇籍の回復に猛烈に反対し、女系天皇に賛成している。しかも、それを指南している保守系識者がいる。

 だが氏の説により希望もある。日本を破壊したいと言う現代の一部の日本人の自己破壊的情念は、マルクス主義ないし、マルクス主義がソ連崩壊で公然と主張できなくなったことにある。そのマルクス主義は、必ずしもGHQによるものではなく、旧制の帝大において、外国の新奇な物なら何でも正しいと信じた知識人が、無批判に受け入れ大衆にまで拡散したことが淵源である。

そのようなことなら、氏の言うように日本の文明史で繰り返し起されていたことである。つまり、初めての事ではなく、何度も克服してきたことである。ならば、日本の現在は、その危機のレベルに達していない、とも考えられるのである。だが、日本がゆでガエルになる危険なしとは思えない節もあるから怖いのである。

この書評は大局的に氏の業績に納得しているのであって、例証したのはミクロのいちゃもんに過ぎない。だからここで、流石、と言いたい例を挙げる。元通産官僚が中西氏に語った言葉(P398)として「戦後の経済成長というものを、一人当たりGDPをいまの半分くらいにしておいて、もっと精神のしっかりした国をつくるようにすべきだった」と書く。

この対比として「明治の日本を訪れた多くの西洋人が書き残したのは、『たしかに貧しいが、精神の世界をしっかり持った国民だ』との言葉だった。それと比べ、日本の国柄・文明の本質が変わってしまった、ということなのであろうか。」と述べている。これを氏は戦後の日本がおそらく未曾有の経済成長をきっかけにして長い「縄文化」のプロセスに入ってしまったように思われる、と述べている。

確かに氏が指摘するように、「精神の世界をしっかり持った国民」ではなくなってしまっている、としたら、その主因を占領政策だけに帰するべきではないであろう。この指摘は我々が心に刻むべきものであると小生は考える。