毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

書評・日本農業への正しい絶望法・神門善久・新潮新書

2019-06-30 21:21:28 | Weblog

 図書館に申し込んで一年近く待ったのだが、根本のところで意見が相違するのでがっくりした。学べるものより批判が多くなってしまうのだ。農業を専門とする学者なので、情報量は恐ろしく多い。だが考え方にバランスを欠いているように思えてならない。同時にマルクス主義的思考の影響が強いと思われる。しかし農協や兼業農家の現状などはよく捉えていて、一読の価値はある。思考の整理のために、借りるのではなく買おうと思うくらいである。

 氏の家には「折に触れて全国各地の農業名人から農産物が届けられる。彼らは、私に代金を一切請求しない。厚意での「おすそ分け」だ(P30)」そうだ。しかも奥さんと二人だけなので必要量は少ないのに、送られてくる量は多いのだそうだ。「親愛の気持ちを表したいのだろう」という。厚意も親愛の気持ちも本当であろう。本で公言する位だから違法ではないのも間違いはない。

 質も高く量も多いから金に換算したら相当なものになるのであろう。農産物は農業名人の作品ではあるが、一方では生活必需品である。生活必需品は現金と等価である。一面では氏は現金を貰っているに等しいのである。氏は無邪気なのだろうか、無神経なのだろうか。法に触れようが触れまいが、道義的には賄賂と言われても仕方ないのである。現に氏はこれら農業名人の「技能集約的農業」だけが日本農業が生き残る唯一の道だと断言しているのだ(P103)。心情的には物をもらっても動かないにしても、これらの人の情報に偏ると言われても仕方ない。小生にはこの神経は理解不能である。

 担い手不足の嘘(P50)は詭弁に近い。担い手不足になる原因として挙げているのが①若者が耕作放棄地を借りて就農したところ、地力が回復するようになった途端追い出された、として農地所有者が担い手が定着するのを嫌っている。②美人の若者が収納するとマスコミなどに持ち上げられて技能習得を忘れているうちに、周囲の言うことを学ばなくなって居場所がなくなり、マスコミに相手にされなかった結果、夜逃げ同然にいなくなった、という例である。果たしてこれが、一般的なのだろうか。そうでなければ、こんな事例を「担い手不足の嘘」として一般化されるのでは困る。

 ①の例を敷衍して、高齢の農地所有者が耕作放棄しても儲かるような仕組みになっている、と言うがこれを最も問題にしているのだ。本末転倒である。後継者がいないから、高齢化して耕作放棄せざるを得ないし、先祖伝来の土地を人手に渡したくないから仕方なくズルをするのだ。原因は後継者がいないことなのであって、ズルをするから後継者がいないのではない。肝心の就農したくない人が多い原因については論じないのである。

 私の田舎は父の代まで旧式の専業農家だった。子供のころ手伝わされた範囲だけでも辛いものだった。いち早く耕運機を買ったのも楽をするためで、収益を上げるためではなかった。馬と違い耕運機なら中学生にも扱えた。耕運機は購入費も維持費も高いが、だからといって農業収入はさっぱり増えない。そればかりか耕運機が活躍するのは、年間一か月もなかった。

父は農閑期に土木作業員として働いた。農閑期はすることがなかったし、生活の近代化には現金が必要で、農業だけでは現金収入が年々不足するようになったためである。父祖の世代の辛苦を知る私たち兄弟は誰も就農しなかったし、父母もそれを望んだ。かなり広い土地を持っていても、昔ながらのが家族だけの農業で、現代的生活をすることは不可能な時代になっていたのである。戦前は生糸生産もしていてそれなりの現金収入もあったはずだが、それも失われた。養蚕のための小屋もあったが、倉庫として流用されていた。

母の実家は米以外に野菜やお茶で儲け専業農家でも裕福だった。その結果、従兄は進んで農業高校に行き、就農としてある花では栽培の講師をするほどになって、海外旅行も頻繁に行き生活もエンジョイできている。その息子も就農した。就農するか否かはこうして決まるのであろう。

 なお、「担い手不足の嘘」の項には農協が電話一本で全ての農作業をしてくれる受託サービスをしてくれるそうだ。当然氏はこれを否定的に書いている。しかし、これは企業の農業参加の可能性を示唆しているのではあるまいか。筆者は企業の農業参入に反対している。「企業が農業を救う」のという幻想(P55)と書く。理由は「宣伝や演出の戦略にあわせた農業生産をさせるためには・・・なまじ耕作技能はないほうがよい・・・そういう企業は農業ではなく広告をしたいのだ」というのだ。

そしてマスコミに取り上げられたり、派手なスローガンが飛び交うと批判する。氏が例示したようにそういうケースもあろう。しかし企業が参入するのに反対する理由がそれだけ、というのは実に奇妙である。氏の言説は実にバランスを欠く。広告宣伝のために企業が農業をする、というのはあまりに奇妙である。企業は農業参入そのもので利潤をあげたい、というのが第一義の理由である。広告をしたいと言うのは、広告宣伝を常とする企業の習性による副次的なものであろう。

 「経済学の罠」(P75)とは、政府の介入なしに企業の自由競争が生産効率は最高になるという経済学の教科書の言説の前提は、取引相手を探すのにまったく費用がかからず、取引にあたって違法行為がなく、決裁も滞りなく行われるのが前提である、と主張する。これらのことは実現がほとんど困難だから、企業の自由競争がベストだと言うのは間違いだと主張する。

 だいいち「取引相手を探すのにまったく費用がかからない」と言うのは絶対にあり得ない話である。そもそも今の日本には「政府の介入なしの企業の自由競争が生産効率は最高になる」と言う言葉をそのまま信じている者はいまい。規制は必要である。人により異なるのは規制の程度である。規制をなくすために「・・・官僚や業界団体さえやっつければ、日本農業は劇的に強化され、農業は成長産業化し、輸出産業にもなる」という間違った論理を展開する、という。確かにこれに近い極端な言説をするものはいるし、単純化し過ぎている。適度な規制は必要であると、大多数の人は考えている。例外を一般化する悪癖がここにもある。

 氏は表向きはどうか知らないが、共産主義的信条の持ち主のように思われる。オムロンの植物工場の失敗例の引用が「しんぶん赤旗」である。企業参入について別な動機があるとして反対するのも、さかんに労働の「商品化」批判をするのもその表れである。町工場を称賛するのも同じである。氏は共産主義観点から大企業批判している一面があるとしか思われない。そう考えると氏が、労働が商品化したマニュアル依存型ではなく、個人経営の技能集約型農業を絶対視することも理解できる。マルクスの理論では、厳密には農業労働は「労働」ではないにしろ、「取引相手を探すのにまったく費用がかからない」と突然言うのは、マルクス主義では、営業活動そのものは労働とはみなせない不要な行為だと考えられているからであろう。

 いずれにしても氏は日本の農業には機械に頼らない技能集約型しか未来はないと考えている。そうすればJAに対する容赦ない批判も、補助金のばらまきでうまくやっている兼業農家に対する批判も理解できる。両者は持ちつ持たれつだからである。従ってJAに対する批判は読むべきものがある。

「経済学の罠」の後半の「取引にあたって違法行為がなく、決裁も滞りなく行われる」という前提条件はあらゆる経済行為に必要なものである。この前提が守られないのであれば、どのような生産形態の社会でも、生産も経済も崩壊していることを意味するから、意味がない前提である。大規模経営批判で「まじめに農業に打ち込む環境になければ、規模という外形にこだわっても無意味」だというのだが、この前提も資本主義が成立する前提条件である。

小室直樹氏だったと思うが西欧にキリスト教をベースにしたモラルがあるために、資本主義経済が発生し、日本にも別なベースによるモラルがあるのだそうだ。単に金儲け主義だけでは資本主義は成立しない。「まじめに農業に打ち込む」精神は資本主義社会に必要な前提である。技能集約型農業も同様であるし、マニュアル依存型農業も同様であるはずだ。そういう条件であれば規模が小さいと言うのは絶対条件ではない。

私には技能集約型農業には氏が敢えて触れない欠点があるように思われる。氏が技能集約型として例示しているのはほとんどが野菜農家である。多分最初に紹介されている「二人の名人」だけが、米農家である(p15)。この二人は反当り収穫量と食味値の抜群の良さが紹介されている。たが果たして、死の数年前から野良に出ることができなかったこの二人が、一般に言う定年の60歳前のころ、米だけで家計を支えるのに十分な収入を得ていたかが記述されていない。つまり名人の農業法と体力で、生計を立てるのに必要な量と単価の米を作ることができたのか否か示されていない。狭い面積を多くの労働力をかければ反当たり生産量は増えるが、労働力辺りの生産量が多いとは限らないからである。

もし、技能集約型農業が野菜にだけしか適用されないものだとすれば、それに全ての農家が専従すれば、日本の農業生産は極めていびつなものになってしまう危険があるのではないか。もう一点は、人間の能力と生産量である。説明によれば技能集約型農業は相当のやる気と技能を必要とする。日本にそのような人間がどの程度いるのであろうか。極めて少ないのではあるまいか。工場生産でも同様であるが、高度な技能を持った人間だけが生産に携わっている産業はない。もし高度な技能を持った人だけしか従事できない産業が全てであったとすれば、多くの人が就業できない。だが現実には、マニュアル通りに真面目にやれば、平凡な能力の人間にもできる仕事も必要とされている。そして高度な技能を必要とする仕事と、マニュアル通りの仕事の中間は欠落しているのではなく、その間の技能の程度は連続しているのである。

氏は製造業をあまりに単純に理解しすぎているように思われる。そして町工場を農業名人になぞらえて美化し過ぎているように思われる。工場生産ではマニュアルを使用し機械を使用した大量生産は、一品作りの製品に比べ品質が劣るとは限らないのである。正確に言えば、機械的に大量生産可能な製品を、一品作りに戻せば確実に品質は落ちるし、コストも膨大にかかる。それは大量生産された車の表面仕上げや加工精度の良さを想像すれば理解できるであろう。また町工場で作られているものの多くは、大量生産のためのマニュアル作業によってはできない部分を受け持っている。

つまり多くの場合高度な技能の町工場で作られる製品は多くの場合部品であり、マニュアルで大量生産されるものに組み込まれる補完関係にある。また、ロケットのようなハイテク産業の単価がなぜ高いか。根本的には知的にも肉体的にも多くの人間の労働力を必要とするからである。だが社会で必要とされているのはほとんどがハイテク製品ではない。氏の推奨するのはハイテク製品だけ作る農業に特化することのように思われる。それでは一般的に農業を多くの普通の若者の就業可能な産業にはできない。

高度な技能の寿司職人は、スーパーで売られている大量販売の寿司の品質の維持向上には不可欠である、と言っていることから、氏はマニュアル型生産と高度な技能の商品との分業について理解しているはずであるが、農業や工業への理解にはそのことが反映されていないように思われる。40年位前のカラーテレビなどというものは、今のものに比べれば品質は桁違いに落ちるは、給料に対する価格も桁違いに高いものだった。マニュアル生産によって現在のテレビの低価格高品質がある。私は農業でもそのような道はないかと思うのである。

大規模、企業による農業反対論にも異論がある。どこに書かれていたか判然としないが、氏は失敗の例として、販売活動に力を入れ過ぎて肝心の農業技能がおろそかになった人をあげている。しかし販売活動は必要であろう。いいものを作っても知られていなければ売れないからである。しかし個人農業で販売活動に力を入れれば肝心の農業に専念できない。身は一つだからである。だが大勢例えば100人いれば1人が販売に専念しても残りは大勢いるからロスは極めて少ない。そして大勢いれば研究開発して新製品や良い製品の研究に配分できる人ができる。

これが企業による産業活動が成立する理由であろう。100人いれば、給与の支払いからそれなりの農業規模とならざるを得ない。単に大規模大量生産に規模が有利なだけのではないのである。従前は農協が販売はや研究開発を分担していたから個人農業も成立してきた。しかし農協の肥大化と個人農業の崩壊によって、農協は組織維持のために農業以外の分野にも手を出さざるを得なくなっている。今の農協は農協のためにあるのであって、農家のためにあるのではなりつつあり、かえって凋落をまねいている。本来の仕事がなくなったから、農協が農協のためにあるのは組織としては当然の成り行きである。

農協と農家は別組織であり、一心同体ではない。だが企業なら違う。生産担当であれ、販売、研究担当であれ会社が倒産しては困るのは同じである。つまり所属する会社のために働くモチベーションが存在する。小規模農家を支えると言う本来の業務が減少している今、農協が必ずしも農家のために働くモチベーションがないのは当然である。もちろん企業が農地を保有するのには問題がある。しかし小規模専業「農家」が農地を保有することにも実態として問題を抱えているのは氏の指摘するところである。つまりだれが農地を保有しようと農業をするモチベーションがなければ、農地の保有は悪用される。

氏は「マニュアル化された工場で正確かつ忠実に指示に従う優良作業員として何年働いても職人技は身につけられない」(P83)と言うのだが、この言葉が氏の製造業に対する誤解を象徴している。意図せずとも氏の言葉はベテラン工員に対する侮辱である。単品設計生産製品では、設計者が持ってきた図面を、こんなもの作れるか、と突き返すベテラン工員がいるのである。職人技がマニュアル化した工場にも存在するのである。単にマニュアルや設計図に従っているのではない。第一にいくら完全なマニュアルを作ったところで、作業に対する習熟は必要である。氏は無意識にチャップリンのモダンタイムスの工場のように、単に物を右から左に動かす作業をイメージしているのではなかろうか。溶接を例にとろう。一番簡単な溶接作業ですら、言われた通りやってもなかなかできるものではなく、危険なものである。

溶接には材料や条件によって様々な種類があり、各々技能認定試験がある。試験には技能や知識の程度によりランクがある。単にマニュアルに従うだけではない。しかも高度な資格を取ったところで美しい溶接のビード(溶接した部分)が作れるわけではなく、永年の習熟がいる。マニュアルがあって高い資格を取った後にも不断の勉強と知識と経験は必要なのである。これも職人技である。

しかしこのようにして知識と経験を積んでも溶接工が行うのは、「金属の接合」という氏が嫌う「分業」の一部なのである。氏の称揚する「金型作り」にしても自動車生産などの工程のほんの一部である。ほんの一部をになう分業が集まって自動車産業と言う巨大産業が成立するのだから分業は忌避すべきものではない

技能集約型農業は少人数で全工程を担う。個々人の技能のレベルについては、技能集約型農業従事者と町工場職人や溶接工は等しく高度なものを持ちうるのであろう。しかし、自動車産業は、その技能者が沢山集まる必要がある。ここまで敷衍すれば意図することが分かるであろう。農業を企業化することにより、研究開発、営業、各種技能を持つ生産技能者が集団化することができる。そこには、個人農業に近い小規模農家とは違った可能性が開けるのではなかろうか。単に規模の大きさによる高効率化での低コスト生産を言うのではない。それは技能集約型農業と良きライバルとなり、双方の発展の可能性があるのではなかろうか。もちろん氏の言う農地保有の問題はあるから、制度作りは必要である。

氏は農業の機械化についてあまり語らないが、嫌っているように思われる。しかし現代で田んぼでの機械を使用しない米作りなど絶望的に困難である。著者は大きな田んぼで機械なしの稲作をしたことがないのであろう。がその反面町工場の職人芸を称揚するのは矛盾している。職人芸であっても町工場では機械を使用しないことは絶対にあり得ないからだ。いくら化石エネルギーを忌避したところで、電力なりの動力を使用しないのはもはや町工場であれ工業とは言えない。農業についてもその辺りのスタンスが本書では極めて不分明である。

氏は日本の技能集約型農業によって、日本に海外の農業者をまねくか、海外に行って技術指導するのが良い、と述べる。「・・・町工場で腕を磨いた技術者が海外で工場指導をしているが、それの農業版だ」(P105)という。また「K名人は・・・韓国・中国にも出かける。中国での農業指導に対して、温家宝首相から直々に感謝を受けたこともあるという。」(P199)

だが日本から技術指導を受けた中国、韓国がどう対応したか。中国は新幹線は自主開発だと嘘をつき、外国に輸出しようとして日本のライバルになろうとしている。韓国は日本の技術者を使い捨てにしている。要するに両国は技術を得てしまえば恩義など感じないのだ。しかも中国はチベットやウイグルで大量殺戮をし、ヒトラー顔負けの民族浄化をしている。そんな国の指導者に「直々に」会えたことに感動しているとは空恐ろしい。今巷間伝えられるような、ナチスドイツのような国が出現したとして、そのような国の指導者に会えたことを自慢すべきなのであろうか。氏には中国幻想がある。

氏の学校教育批判(P86)は私にはいびつに思える。「製造業の発達のために社会全体の労働の価値観を変える装置はさまざまにあるが、その典型が学校だ。」として次のような教育社会学の専門家の意見を紹介する。「近代社会で必要な知識教授と集団的規律訓練の場として、学校は制度化された。学校は子供を社会生活からある程度引き離し、強制的に囲い込んだ空間だ。学校の肥大化は、やがて社会が学校で習得したことによって成り立つ(学校が社会を規定する)転倒した様相さえ呈することもある。」

これに加えて筆者は「近現代の学校は労働の『商品化』を教え込むための装置とみなすことができる。農家の子弟も近代学校に通うことで、労働の『商品化』の感覚を身につける。また、テレビなどの電気製品の普及も、人々に無機的な時間の感覚を覚えさせ、時給などの近代的な労働の概念を導入し、労働の『商品化』を推進する。」というのだ。これは現在の学校教育の在り方の全否定である。氏は学校は資本家が労働者を効率よく使うための訓練機関だというのだ。日教組の管理教育批判とも酷似している。どのような社会でも最低限の集団的規律は必要である。それを教えるのは必要なことである。中国人のようにバスの列に並ばずに平然と割り込めば混乱する。最低限の集団的規律がないからである。

氏はP143で「学部卒のほうが『つぶし』が利いてよかっただろう」とし、大学院卒の方がとっぴな発想を育むことができる、としているのだから、学校教育そのものを否定しているのではない。それならば、学校教育のあるべき姿を提示しなければ無責任である。また家電製品が労働の商品化を推進する、というに至っては荒唐無稽である。氏の家にはテレビも家電製品もないはずはなかろう。それならば、家電製品に騙される大多数の愚かな大衆と自分は違うと言うのだろうか。

学部卒は使い回しされるだけで大学院卒の方が賢いと言っていることと併せれば、農業名人を持ち上げる一方で、平凡な労働者を見下げるエリート意識が垣間見える。これは共産党の前衛政党、という意識と類似する。労働者の前衛とは、労働者は自ら考えることが出来ないから、我ら共産主義を理解するエリートが大衆を指揮し、労働者大衆はそれに従うだけでよい、というのだ。マルクスは労働者階級が支配階級になるべきであると主張したが前衛などとは言わなかった。後世の共産主義者はそこに「共産主義の前衛」という言葉を発明して、共産党幹部が政権を奪取する理論的根拠にしたのだ。共産主義国ではどこでも一党独裁となる根拠はここにある。

 小生はかつての伝統農家出身で古い農業と古い農協しか知らないから、本書には示唆されることは多い。多年農業関係者と接触してきた著者は、さすがに既存の農業関係者に幻想を抱かず現実を見ている。しかし、一方で共産主義的偏見に基づくと思われる意見も見られる。P47に「戦前は欽定憲法のもとで・・・」と書くところなぞは、GHQの指示による教育にも従順である。米国の作った憲法を「民定憲法」というのであろう。また放射線被害については、警鐘を鳴らすあまりに、結果的に風評被害に加担することになるように思われる。原発事故以来、人体についても農産物についても放射線被害について非科学的な言説が飛び交っている。著者には農産物の放射線汚染について科学的な検証をし、風評被害をなくし、福島の農家を救っていただきたい。

結論から言えば氏の理想とする農業だけでは日本の農業が成立することは不可能な事は明白である。なぜなら一貫して、日本農業はごく一部の特別な能力ある者にしかできないものであるべきだと主張しているが、そのような農業ではバランスある農業生産品を育てることはできないし、特殊技能者は極わずかしか育てられないからである。だから、この本のタイトルは「自分の言っていることは正しいが、それが実践されたら日本の農業は絶望的である」、という意味をこめたものであると理解できる。


共産主義国家という語義矛盾2

2019-06-29 17:44:47 | 共産主義

 前回の「共産主義国家という語義矛盾」では、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義は、アナーキズムであると言った。これを敷衍して見よう。共産主義体制を「ソ連」で実現したのはレーニンである。だから共産主義を今では、マルクス・レーニン主義ということが多い。ところが、マルクス・レーニン主義は、共産主義国家建設と言う必要性から、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義から決定的変貌を遂げた。

 マルクス・エンゲルスの発明した共産主義とは、あくまでも労働者が支配する世界で、全世界で実現したあかつきには、国家というもののない世界であったはずである。国家の指導者が即労働者であるはずがないからである。共産主義をアナーキズムという所以である。つまり国境のない世界を目指したのである。そこでレーニンらが発明したコミンテルン、という組織である。コミンテルンを世界各国に組織し、共産主義革命を起こし、順次ソ連邦に加盟させ世界を共産主義社会にしよう、というわけである。理想主義は狂気と紙一重である。レーニンは本気であったのかも知れない。理想主義は現実には実現しない。レーニンとスターリンの狂気は、粛清と国民の大量殺戮という点では変わりない。

 結局コミンテルン工作は理論倒れに終わった。反共の国も根強く、第一次大戦で敗北したドイツですら、共産主義革命は起らなかったのである。この現実を目前にしたレーニンたちは、一国社会主義、という理論を発明した。世界中が共産主義社会にならないのなら、ソ連だけでも社会主義を実現しよう、という「現実主義」を取ったのである。そして逐次ソ連邦に編入して、社会主義を拡大していこう、というわけである。

 ただし、共産主義への理想は全くのまがい物になったわけではない。ソ連ではマルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という教えに従って、宗教を弾圧した。ロシアでは強固なロシア正教があり、ソ連に組み入れられた共和国にはムスリムも多かったにもかかわらず、である。しかし、一国社会主義という概念はレーニンやスターリンに結局は悪用された。

抑々「ソビエト社会主義連邦共和国」という名称が世界史的には奇妙なものである。ソビエトとはロシア語で「評議会」という意味だからである。多くの国家の名称は、地域名や民族名、あるいは清朝のように理念を現す言葉を淵源としている。それを普通名詞である、ソビエトという名前を冠したのである。このことがソ連邦の発端が、アナーキズムであることの傍証である。

しかし、そのことは現実には、周辺諸国を侵略するという帝国主義としかいいようのない膨張政策を合理化していったのである。今は独立したバルト三国は、全く同時期にソ連邦への「編入」を申請して了承された、という形をとって侵略されてしまったのである。その昔の旧ソ連時代の頃に、バルト三国を百科事典で調べたところ、三国が幾日も間をあけずに、次々とソ連邦に参加を申し入れたと、何のコメントもなく書いているのに唖然とした。その百科事典には日本の「中国侵略」に対する悪罵で満ちているにもかかわらず、「ソ連によるバルト三国侵略」とは絶対に書かないから、ひどく矛盾に思ったのである。

このようにソ連邦と言う名称は、アナーキズムとしての共産主義を象徴しているにもかかわらず、現実にはソ連の帝国主義的覇権主義を合理化するものとなっていたのである。中共の場合はさらに狡猾である。はなから世界の共産主義世界の実現などは考えていない。単に清朝領土の継承と、さらなる領土領海の拡大を目指しているだけである。それが、前項で述べたように国家資本主義であろうと、国家社会主義であろうと、方便として有効なら何でもよいのである。毛沢東から鄧小平への経済政策の大転換は、今から思えば不思議ではない。経済政策などは方便に過ぎないからである。

ソ連が内にロシア正教やムスリムを抱えているのに対して、中共の特異性は、支配民族たる漢族は、これらに比べれば無宗教に近いのである。儒教、道教といったものは、ロシア正教やイスラム教に比べれば宗教的色彩は薄い。しかし、今後注目すべきはチベットやウイグルと言った、明確な宗教を持った民族を植民地化していることである。また漢族内部にも回民と呼ばれるイスラム教徒を抱えている。これらの異教徒はいつの日にか中共を支配する漢族を脅かす。中共が法輪功を弾圧するのは、その恐怖に慄いているのである。現在のロシア共和国ですら、共産主義を脱したことになってはいるが、イスラム勢力は看過できない。

付言するが、ロシア革命はマルクス・エンゲルスの思想からばかり生まれたのではなく、フランス革命の狂気を直接の契機としたという説(渡辺京二氏など)は根強い。いずれにしても、現実の闘争にマルクス・エンゲルスの思想は利用し尽くされたのである。


共産主義国家という語義矛盾

2019-06-29 17:05:33 | 共産主義

 マルクスとエンゲルスの発明が共産主義である。その共産主義とは、究極において国家の存在を否定する、アナーキズムである。マルクスらの「共産党宣言」では共産主義者は「共産主義者とは・・・国籍と無関係な・・・プロレタリア階級全体の利益を強調し」と書かれている。アナーキズムこそが、極左である。その反対が極右だとすれば、国家絶対主義である。ところがソ連であれ、中共であれ、実在の共産主義国家とは国家絶対主義である。

 マルクス・エンゲルスの言う共産主義とはアナーキズムだから、共産主義国家とは語義矛盾である。むろん極左翼国家というものもない、ということになる。ソ連や中共は国家絶対主義だから極右国家という事になる。そのことは実際彼らの国策たる共産主義政策の実体が証明している。

 共産主義とは自由に働き、働いて発生した価値、すなわち利潤は、労働者自身が得るものであって、国家や資本家が得てはならないのである。だから国家や資本家から労働者が搾取されることはない、という理論なのである。つまり国家も資本家も労働者の敵として否定される。ところがソ連でも改革開放以前の中共でも、計画経済と称して、国家官僚が生産物と生産量を決め、労働者はそれに従い働き、一旦は生産物を国家に召し上げられ、労働者は国家からの配給を与えられるだけであった。

 これはマルクス・エンゲルスの言う資本家による搾取に他ならない。国家社会主義どころか、国家資本主義に他ならない。国家が資本家になりかわって労働者を搾取するのに過ぎない。極端なのは国営農場などである。農民は土地を国家に召し上げられ、その土地で国家の命令通りの農業をするのに過ぎない。ソ連も中共も一度はこのような集団農場を実行、対外宣伝を大々的に行ったが、集団農場自体が失敗に終わった。

 ちなみにマルクス・エンゲルスは、労働者とはプロレタリア階級すなわち工場で働かされる労働者と定義している。手工業者や農民、商人は中産階級であり、プロレタリア階級ではない。それならば、共産主義者とプロレタリア階級だけが支配する共産主義社会とは、何といびつなものだろう。

 改革開放も、国家経由で外国資本を導入したのに過ぎないから、その本質は変わらない。労働者は相変わらず、外国資本の工場を通して国家から搾取されるようになった。外国資本を導入したのは、満洲に日本が残した資本をむさぼりつくして枯渇すると、中共自体が蓄積した資本がなく、技術も全く持たなかったから、国家は外国資本を利用しただけである。

 現在の中共では、一見中間層が増えているように見えるが実態はそうではない。外国資本の導入によって利益を得ているのは、外国との合弁会社における幹部職員である。この幹部職員とは実態は民間人ではなく、国家官僚である。国家官僚が労働者から搾取した利益を中間で奪い、残りを国家に上納する。受け取るのは中共のノーメンクラツーラ(赤い貴族)たちである。

 中共が西欧の資本主義と異なり、国家資本主義であるというのは、大量に作られる高層マンションによく表れている。高層マンションは売れなくても、国家の計画で次々と作られる。するとマンションというGDPが一見増加するばかりではなく、資材流通も起こり、労働者も賃金が受け取れる。

 昔ソ連では計画に基づき、使われもしない建設機械を量産して、使われないから河に放り込んだ。これは中共の売れないマンションとは五十歩百歩である。自転車操業どころではない。だからいずれ、中共は破綻する。経済は軍事力の基礎である。海外領土侵略を狙ってブルーウオーター・ネービーを建設しているが、経済がこんなことだから、中共海軍と言うのは張子の虎である。

 だが、いくら張子の虎でも、支那は伝統的にプロパガンダ能力が優れているから、張子の虎を本物に見せている。中共の沖縄の籠絡は着々と進んでいる。既にして朝日新聞やNHKは中共のプロパガンダ機関になっている。朝日新聞職員が、いくら日本のための正論を書こうとしても、籠絡された幹部が絶対に書かせない。

 朝日新聞には、人民日報の支局が、NHKには中国中央電視台(CCTV)の支局が入っているのは有名な話である。日本の大手メディアに、中共の国家情報機関に等しいものが入り込んでいる、というのはゆゆしきことである。


書評・主任設計者が明かすF-2戦闘機開発 神田國一

2019-06-28 22:16:49 | 軍事技術

 本書は最新の技術開発がいかに行われるかに興味があって読んだが、結果的に裏切られないどころか、近世以来の日本人による技術開発についての本質をついた記述があったのは貴重であった。

 F-2は日本独自開発を米側の要求に屈して、米空軍のF-16をベースに改造することで開発されることになったのだが、本書によれば、そんな単純なものではなかった。F-16の初期のデータはもらえたが、肝心の技術情報やその後の試験等の技術データは開示されなかった、というのだ。要するに姿・形は教えてもらったのだが、それを裏付ける技術データは非開示であった、ということである。その逆に日本で独自開発された複合素材などの新しい本機への適用技術は全て米国に提供された

 冒頭の近世以来の日本人の技術開発についての本質は、筆者の次の言葉が的確に言い表している。

 「不遜な言い方かもしれないが欧米で実現している技術は、技術資料はなくても、必要な資金と『できたという正しい情報』があればすくなくとも類似の技術はできる。(P196)」

 まさにその通りである。だから技術情報の開示はなくても、どんな技術が盛り込まれているかという答えだけ、を知ることが出来れば、同技術レベルのものは開発できるのだ。だからF-16のそっくりさんであっても、中身は独自開発と同じことなのである。

 それで思いつくことがある。戦後自衛隊が開発した最新技術の飛行機には、常にそっくりさんがいることである。付言するが、レシプロ機からジェット機に移行したことによって、戦闘機などの外観形式の自由度は大幅に拡大した。同じ要求仕様でも、外観形式にはかなり選択の幅が大きくなったのである。そのことを前提に以下を読んでいただきたい。

T-1練習機はF-86の、T-2はジャギュアの、T-4はアルファジェットのそっくりさんなのである。これは悪く言えば、開発側の自信のなさの現れとも言えるが、同時に技術水準の高さをも表している。

多くの日本の専門家は、これらの日本製の機体が、外国製の同時代機のそっくりさんであることを認めない。果ては、同じ要求使用に基づけば、同じような外観になるのは当然とすら言い切る。これが間違いであることは事実が証明している。例えば同じ要求仕様に基づいて作られた、YF-22とYF-23は全く外見の配置形状が全く違う。似ても似つかないのである。YF-22が採用されたのは、必ずしもその相違に拠るものばかりではなく、出来上がった試験機のテストの総合結果の優劣に拠るものであったろう。しかし、両機とも同じ要求使用に基づいていたのである。

 日本ですらT-1開発の際に各社が応募した設計の概観は各社全く異なるものだった。しかし、採用されたのは、F-86に似ているが、後退角を少なくしてリスクを減らしたものだったのである。これならば後退翼と言う新技術を無難に習得できるからである。脱線したが、多くの自由度があるなかで、過去にある外国機の概観を真似るのは、技術的にはコピーではないが、その方が日本国内での説明が容易なのである。

 その点で、最初からF-16改造、という条件が与えられた方が、設計者の心理的負担は少ない。どういう外観形式を選択するか悩む必要はなく、似ていて当然だからというわけである。だからといって、設計者の労力負担が少しでも減るわけではない。そっくりでも技術資料がなく、同等のものを作るには、結局自前の技術がなければならないからである。コピーと簡単に言うが、実物だけ与えられて同等のものを作れるのは、同等の技術が必要となる。

幕末に黒船が来ると、いくつかの藩で独自に工夫して蒸気船を作った。製鉄のために反射炉も作った。しかし、そこまで到達するには、欧米の技術にキャッチアップする自前の努力があったのである。その点当時の清国は違った。定遠などの巨艦に見られるように、いきなり外国製のものを買ってきて、自前の技術の涵養に努めなかった。日本は、日露戦争当時、最新式の軍艦は輸入に頼ったが、、二線級の軍艦は、自前の技術水準で追いつくことができる国産としたのである。

その後金剛級を、英国製と日本製のものに作り分けることによって、国内技術を涵養した。タービン技術はかなり後期まで、外国製の技術に依存することが多かったようであるが。これらの国内技術の育成が、大戦末期に設計ノウハウもない図面だけで、自前のターボジェットを製造するに至ったのである。清国の安易な輸入方式は現在までも、中共の製造業の特質を現している。中共は自前の技術の養成に努めないから、現在に至るまで、製造の基礎技術は低い

F-2はそれまで培った技術の蓄積があったからこそ、F-16のろくな技術資料の提供も受けずに「F-16改造」と言われるF-2を完成できたのである。

かの零戦も同様である。米国の事情聴取に対して、設計主務の堀越二郎氏は、外国製のものから多くのものを得たことを告白している(前間孝則氏による)。しかし、堀越氏の著書では一切触れない。しかし、たとえ外国製のコピーに等しいと言われようと恥ずべきことではない。それだけの技術の素地があったからこそ「コピー」できたのである。零戦の榮エンジンも同様である。英国のジュピターの国産化から始まって、米国エンジンの技術も取り入れながら熟成していったのが、榮エンジンであった。

ここに日本の技術開発の欠点と言うべきものが垣間見える。本書の著者が言うように、新しい技術の「できたという技術情報」は必要なのである。換言すれば、新開発する戦闘機に盛り込むべき技術は、米国の技術動向の情報が必要なのである。この点に関しては、次期戦闘機に盛り込むべき技術の研究が、防衛省の指導の下に研究されていると伝え聞く。技術の素地はあるのである。だがそれらは、現在の欧米の技術動向の応用の範囲であって、全くの先鞭をつけるものではない。

F-2の場合は、日本でも複合素材の使用などいくつかの、新技術があったことは明るい情報である。複合材料技術は日本の技術開発の成果が、米国に移転することによって世界に普及し、いまや民間旅客機の技術としては当たり前のように普及しているのである。

余談だが、スウェーデンのグリッペンは意外なしろものだったことを本書で知った。姿形こそ独自であるが、実はスウェーデンは細部設計と主翼の開発は、イギリスのエアロスペースへ外注し、米国のリア・シーグラー社に飛行制御コンピュータソフトを委託し、アビオニクス等は多くが米国製品の輸入だそうである。外見だけF-16のそっくりさんのF-2が、中身が日本の自前であるのに対して、独自のスタイルをしているグリッぺンが、そのほとんどの技術を米英に頼っていたのである。

レシプロ戦闘機の時代から、ジェット機まで数々の戦闘機を国産開発してきたスェーデンが、いつの前こんな仕儀になってしまったのであろうか。恐らくは費用の問題が最大のものであろう。ハイテクの塊の新鋭戦闘機の開発を現在まで自前で行ってるのは、ロシアだけであろう。それも実用化に達しているのは、一世代前のSu-27系列のものまでであり、他の国はほとんどが国際共同開発である。

スェーデンが独自の国内開発をしていると思ったら、何と自前なのは外観だけだったのである。フランスのラファールについては情報がない。スェーデンのやり方では、飛行制御に不具合が起きたり、今後の性能向上等を行う場合には、大いに支障が出るに違いない。日本の新戦闘機の開発に当たっては、様々な困難が予想されると著者が考えるのは当然である。困難には、著者が再三述べる技術の継承の問題も大きいことも付言する。本当に肝心なことは防衛機密だから書かれていないのだが、航空技術や軍事に興味のある人ばかりではなく、技術者一般にも一読の価値がある、と考える。

 本書を読まれるに当たっては、工学の素養があることが必要であることを一言したい。例えば説明なしに、何気に書かれている「安全率」という言葉は工学のテクニカルタームだからである。インターネットを調べれば分かるはずだが、そう簡単でもないのである。工学の素養とは必ずしも工業高専や工学部系の大学を出ていることではない。独学でもよいから、工学の基礎を系統的に習得したことを言う。

 このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。

 


映画評・集団左遷

2019-06-26 22:45:17 | 映画

映画評・集団左遷

 テレビドラマ評であるが、評論に便乗して政治風刺をするので、全くドラマ評にはなっていないことをお断りしておく。このドラマは比較的人気が高かったのに、何となく福山雅治のかっこ良過ぎで、見るのに抵抗があり、ようやく途中から見始めて面白いと思ったのである。

 三上博史演じる横山が、銀行の経営改善のために、外資系会社との提携を画策し、国会議員に賄賂を贈り実現直前にまでにこぎつけ、副頭取に就任しようとする。福山演ずる片岡は、横山の副頭取就任を阻止するため、銀行の裏金の受け取りリストを入手するのだが、役員会で公表するとリストから横山の名前が消えていて、片岡は失敗した。事前に頭取にリストを見せたものだから、頭取は外資系会社との提携の方が社のためになると判断して、もみ消したのだ。

 次に片岡は、同期の梅原から政治献金の証拠の手帖を入手し、マスコミに告発しようとする。しかし横山から、社内改革をするなら会社を立て直すことが必要で、政治献金は必要悪だと言われる。片岡は告発を共謀した真山の出向を取消すことと、片岡を新プロジェクトメンバーに入れて、今後出世し、横山と同じ土俵に立って社内改革をすべきではないか、と説得され、告発断念に傾く。これは少々の不正は目をつぶらなければならない、現実社会では、間違っているとは断言できない。この場面が現実味を帯びる所以である。

 しかし、不正を温存したままでの社内改革は意味がないから、俺たちの世代で断ち切ろう、と真山が片岡を説得した。社会正義あっての社内改革でなければ、お客様にも後輩行員にも申し訳ないではないか、という真山の熱誠に片岡は決断する。不正阻止一直線だった片岡が、最後に人参をぶら下げられて、心が揺れるとところが最後の見所だった。政治疑惑がマスコミに告発されて以降は、お決まりのハッピーエンドである。

 小生は社会人になって長いから、官庁でも民間でも、少々の裏があることは想像できる。このドラマにあったような不正行為や隠ぺいは、数限りなくあるのかも知れないのである。それに直面しなかった小生は幸運であったのに過ぎない。というよりは、そんな場面に出会うような地位にまで登らなかったのかもしれないのである。

 しかし、これから言いたいのは、どこにでもあって良いような些末なことではない。この番組の描いた不正は、会社の提携に関して、賄賂をもらった政治家の介入である。このようなことは一般的に、自民党の政治家がする、とイメージされるであろう。実際に諸外国よりは比較的清廉であるとされる日本の政治家は、自民党に限らずこの程度のことはしているだろうと、多くの国民は思っている。

 否、政治献金を受けて口利きをすることは違法ではないのである。現に石破議員らは獣医師界から献金を受けて、加計学園等の獣医学部の新設反対工作を続けたが、合法的活動である限り問題はないのである。

 小生が感じたのはこのようなことではなく、日本の崩壊を企てる勢力や裏社会との、政治家の危険な癒着である。このようなものは、片岡のような一直線の正義では解決のつかない問題である。しかも「大企業との癒着」ではないために、この手の政治家はむしろ清廉な人士として評価されているから恐ろしいのである。しかも、大手マスコミは、知っていながらむしろ問題にしないのであろう。二人例示する。

 一人は立憲民主党の枝野党首である。令和元年6月20日の産経新聞の「阿比留瑠比の極限御免」に大方次のように書かれている。平成23年自民党の平沢勝栄氏が当時の枝野官房長官に、極左暴力集団、革マル派に影響力を受ける浸透を受けていて、JR東労組からも献金やパーティー券購入を受けている、と指摘した。枝野氏は、そうした浸透をしている勢力の影響を受けないように留意していることと、献金などは合法的に処理していると答弁した。これは、はぐらかし答弁の典型である。スキャンダルとはならず、それでことはお終いとなった。

 JR東労組は「暴君 新左翼・松崎明に支配されたJR秘史」に書かれるような危ない面を秘めた組織なのである。枝野氏は、日本の暴力革命を企図する革マル派や、国鉄を悪くしようとしたと公言した組合の系譜の労組と癒着し、献金までもらっていたというのである。これほど危険な政治家がどこにいようか。極論を言えば、日本国を破壊しかねない組織との癒着に比べれば、賄賂をもらって会社の便宜を図る政治家など可愛いものである。そもそも議会制民主主義の否定に等しいのだから。

 多くの国民は労働組合と言えば、労働者の権利を守る良心的組織だと思っている。ところが一部の左翼組織化された労働組合はそうではなく、労働者を左翼運動に利用しているだけである。小生はその暗部を少しだけ垣間見たことがあるから体感している。

 次は辻元清美氏である。今裁判で係争中の小川榮太郎氏の「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪、に次のようなことが書かれている。

 「辻元疑惑(P100)」である。森友事件の例の籠池淳子氏は「辻元清美議員が幼稚園に侵入しかけ、私達を怒らせようとしました嘘の証言をした男は辻元と仲良しの関西生コンの人間でした・・・作業員が辻元清美が潜らせた関西なんとか連合に入っている人間らしいです。」と言ったというのだ。

 そして小川氏は「民進党は、辻元は幼稚園の敷地に近づきもしていないと説明したが、実際にはこの日、辻元は視察団の一人として幼稚園の敷地に入っており、本人も認めている。民進党の抗議は虚偽だったのである。」これらを総合すると、辻元清美議員は「関西生コン」とは関係が深いようである。それでは関西生コンとは何か。

 ジャーナリストの須田慎一郎氏のニッポン放送での解説が、インターネットに出ている。それによれば、関西生コン事件があった。平成30年8月、滋賀県内の倉庫建設工事を巡る恐喝未遂事件で関西生コンのドンが逮捕された。ドンとは武健一氏である。正式な名称は「全国建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部」だそうである。この逮捕は大阪府の公安が行い、強制捜査には四府県警察が動いていた、というのである。

 関連業者に組合に入ることを強要し、入ると上納金を納めさせ、うちから生コンを買えと脅す、組合を名乗っているが、実態上は暴力団組織と変わらない、というのである。辻元氏はボスの武健一と個人的に仲が良いばかりか、政治献金まで受け取っている、というのである。このような人物が清廉潔白を装ってきれいごとを言い、政府を追及している。

 日本の世も末ではないか。「集団左遷」で社内での立場も顧みず、勇気ある告発をした片岡とその仲間たちの勇気は是とする。見ごたえのあるドラマであった。しかし、テレビドラマのみならず日本のジャーナリズムは、例示した枝野氏や辻元氏のような日本の暗部には触れようとはしない。

日本の大手ジャーナリズムはことあるごとに、反権力を標榜し、自民党政権を追及する。しかし、日本は三権分立の国である。野党議員と雖も、三権のうちの立法権者である。権力者なのである。彼らは権力に対峙して、国民の側にいると見せかけて、実は絶大な権力をふるうのである。それも危険な暴力集団や、反社会的勢力と関係がある。日本の議会制民主主義の危険は、単なる政治家の賄賂汚職にとどまらないであろうことを、人気ドラマ「集団左遷」から思いを巡らせた次第である。


地球温暖化騒ぎの不思議

2019-06-26 20:26:10 | 社会

このブログに興味を持たれた方は、ここをクリックして、小生のホームページもご覧下さい。

 一時は疑問が出されていたと記憶するが、昨今では二酸化炭素排出による、地球温暖化対策の必要性への疑義は影をひそめているように思われる。地球温暖化が騒がれ始めたころ、科学者ともあろうものが、北極の氷が温暖化によって融けて、海面が上昇する、と言ったのである。

 北極大陸は海に浮かぶ氷の塊だから、この問題はコップの中の水に浮かべた氷が融けると、水面の高さはどう変化するか、ということに等しい。中学で習うアルキメデスの原理さえ知っていれば、水面高さは何万分の一ミリたりとも変化しないことは分かる。学者が間違えるはずはない。為にする嘘をついたのである。だから今はそんなことを言う者はいない。

 偶然手に入れた「水が語るもの」2010年3月(社団法人近畿建設協会発行)に芦田和男京都大学名誉教授が「気候変動の観点から」という記事を書いておられる。二酸化炭素濃度が倍になったときの地上気温の上昇量を気候感度というそうである。気候感度は2~3℃程度であるが、衛星を用いての観測値から求められた気候感度は1.6℃であることがわかった。

 何と、二酸化炭素の濃度が2倍になったところで、気温上昇は高く見積もって3℃、観測値では1.6℃上がるのに過ぎないと言うのである。逆に言えば、空気の二酸化炭素濃度を半分にしたところで、せいぜい気温は1.6~3℃下げることが出来るのに過ぎないのである。

これは対数の関係である。さらに半分、すなわち濃度を4分の一に下げても、温度は3.2~6℃下がるだけである。だから二酸化炭素濃度を減らしても、その割に地球温暖化防止はごく少ないのである。それどころではない。世界中で人為的な二酸化炭素の排出量を半分に減らしても、大気中の二酸化炭素濃度が半分になるわけではない。

既に大気中には一定の割合で大量の二酸化炭素があるからである。地球温暖化の議論で不可解なことがある。例えば日本が何年か後までに、排出量を25%削減します、と目標を掲げたとする。そうすると世界の大気の二酸化炭素濃度が何ppmに減り、前述の気候感度から温暖化防止効果が何度あるか、という計算ができるはずである。

ところが、削減目標を掲げたとき、温暖化防止効果の温度の数値が発表されたことを、小生は寡聞にして知らない。議論は、一方でそんなに削減するとコストがかかるだけだとか、反対に地球温暖化防止はコストがかかっても人類の生存に必要だとか、感覚的な議論を聞かされるばかりである。

兵頭二十八氏の「地政学は殺傷力のある武器である」に興味あることが書かれている。現在は地球公転の周期の関係で、太陽から地球が受ける熱量が減る時期にあり、あと一万年位は寒冷化が続く(P95)、というのである。そして地球が数万年サイクルで寒冷化が進んでも、その間に数百年サイクルの温暖化の時期が挟まっている、という。

実は小生も相当以前に、現在は氷河期に向かっていて、ミクロには温暖化と寒冷化を繰り返してもマクロには寒冷化していて、今は短期の温暖化の時期であるという説を聞いたことがあるから、容易に納得したのである。西暦紀元一年から現在までの歴史を考えても、何回も温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返していて、温暖期には食糧生産が容易で生活は安定し、寒冷期には食糧不足による争いが頻発した、のだそうである。

考えてみればそうであろう。温暖化すれば、寒いところでも農業が容易になる。食料生産と言う観点から言えば温暖化は良いことなのである。それどころか現在は氷河期に向かっているのだとしたら、人間は食料が得られなくなるばかりではなく、凍え死ぬことになる。なぜ温暖化の短所ばかりを問題にするのであろう。

ただ、温暖化の議論の救いは、二酸化炭素の排出を減らすために、化石燃料の浪費を防止し、無駄なエネルギー消費を減らそうとしていることにある。科学技術の活用の方向性としては間違っていないのである。もし、地球が寒冷化しても、暖房や食糧確保のために、無駄なエネルギー消費を減らし効果的にエネルギーを使う、という技術的努力は生きてくるからである。


山本五十六の引き倒し

2019-06-24 23:23:56 | 大東亜戦争

 山本五十六が対米戦反対であった事をもって立派な軍人であったとするのは、私には信じられない。山本五十六を反戦軍人であるかのように言う輩は、軍隊の「シビリアンコントロール」なるものを重視する輩であろう。シビリアンコントロールなるものでは、軍人が政治に口を出してはならない。つまり、軍人に対米戦の可否を言う資格はない、と言うべきである。

 軍人が対米戦をやるべきではない、と主張するのは、対米戦をやるべきである、と主張するのと同様に、政治的判断に口を出しているという意味においては、シビリアンコントロールなるものの枠を明白に超えている。せいぜい対米戦が起きた場合の戦い方と戦局の見通しを語るだけであるべきである。山本五十六は軍人である。軍人が考えるべきは、まず対米戦をいかに戦うか、勝利のためにはどんな準備をすべきか考えることである。

 東郷平八郎は明治天皇の御下問に対して、バルチック艦隊に勝てるとの戦闘の見通しを述べただけであって、日露開戦の可否を述べたことはない。現代の多くの日本人は対米戦に反対を表明したか否かのどちらの立場にいたかをもって、その人の正邪を判定する愚を犯している。

 また、山本は、三国同盟締結反対のゆえに、右翼に狙われていたとされる。そのために、米内海軍大臣が暗殺を恐れて、海上勤務にするために連合艦隊司令長官にしたと言われている。もちろん、この決定は山本本人の責任ではない。しかし、軍人としての適性から司令長官にしたのではない、というのは余りに不適切な人事である。まして、対米戦争の影が近付いている時期である。危機意識の欠如した悪しき官僚的発想の見本である。山本を讃える人はセットで米内を褒めているから、米内も武人ではなく悪しき官僚であったというべきであろう。このエピソードを山本シンパは、あの悪しき三国同盟に反対して、右翼にすら狙われた、と称賛したいのであろう。だが、このように贔屓の引き倒しなのである。

 日露戦争の際、山本海軍大臣が順当な人事なら連合艦隊司令長官に日高壮之丞がなるところを、敢て東郷平八郎を起用したのに比べてひどすぎる。日高は我が強過ぎるが、東郷ならいうことを聞く、と山本が判断したと言う定説はそれだけではなく日高の健康問題もあったようであるが、山本は、皆の反対する真珠湾空襲とミッドウェー攻略を強引に進め、日本の敗北の端緒を作ったのは事実である。

残念ながら、山本がミッドウェー攻略を強硬に主張したのは、ドゥーリットルの東京空襲を防止できなかったことの不評を、ミッドウェーの戦果で相殺しようとしたのである。日露戦争で、ウラジオ艦隊の跳梁跋扈によって、上村司令官の私邸が非難投石されたことを思いだして恐怖したのである。この山本の判断は軍人の為すことではなく、世論を気にする典型的政治家の判断である。ドゥーリットル東京空襲計画こそ、真珠湾以来連敗の米国民の不満を解消するための、ルーズベルト大統領による政治的人気取りであったのである。それと同じ次元のことを軍人たる山本が行ったのは、軍人の分を超える。

 ミッドウェー作戦の失敗への批判は、索敵の不備、作戦目的の不徹底、情報機密保持の不徹底、信賞必罰のなさである。これらのほとんどは山本自身の責に帰すべきものである。もちろん連合艦隊の最高責任者という組織上の責任ばかりではなく、ミッドウェー攻略は、山本自身の発案で、しかも強硬に主張した本人だからである。索敵の軽視は当時の日本海軍軍人の欠陥であったから、山本だけの責任とは言い難い。ただし組織として海軍は永年索敵を重視していたのである。索敵能力に問題がある潜水艦に水偵を搭載運用したのは日本海軍だけである。艦載用の水上偵察機を海軍は熱心に開発充実していた。それならば、索敵の重要性によって、教育訓練も十分なされていたはずである。索敵の不備があったとすれば、指揮官個人の判断である。せっかく準備してあった索敵用機材をうまく運用しなかったのは、軍人が官僚化して、実戦的判断を軽視したからである。その欠点を最も体現していたのも山本である。

山本が、阿川弘之等の信奉者の言うような名将であったなら、索敵の不備に気付いたであろう。そもそもミッドウェー作戦を実施する前に山本が珊瑚海海戦の戦訓を取り入れた節が全くない。珊瑚海開戦当時ですら米海軍の防空陣は強力で攻撃隊は大損害を出している。空母祥鳳は魚雷7本、と13発の爆弾という大量の被害を受けて簡単に撃沈された。米空母は既に攻撃力も大きく、防空能力も高く、戦意も高かったのである。そして珊瑚海での初の空母戦闘の戦訓を山本は聞こうともしなかったのも知られている。

 前述のようにミッドウェー作戦を強行したのは、山本個人であった。今度の作戦は簡単だと愛人に漏らしているのは機密保持の考えが全くなかったことばかりではなく、珊瑚海海戦への反省もないことを証明している。珊瑚海ではガソリンへの引火というラッキーパンチによりレキシントンを撃沈するという大戦果をあげたが、珊瑚海海戦の戦訓を冷静に考えれば双方に同程度の被害を与えているノーガードの殴り合いに等しいのが当時の空母戦だということが分かるはずである。

子細にみれば、後日のように鉄壁と言えずとも、米側の防空力の方が強力であることが分かる。山本がミッドウェー攻略を占領と米空母撃滅の二股をかけた、というのは後の海軍の作り話だという説があるが、その通りであろう。米空母への対応も考えるように、という指示をしていたのなら、そのような陣形をしたのだろうが、そんな形跡はない。当時の海軍の一致した判断は、米空母はミッドウェー付近にはおらず、日本の攻略部隊を迎撃できるはずではないというものである。愛人に語ったように、米側の抵抗は大したことがないから、上陸作戦は簡単に行く、と踏んだのである。

 山本の信奉者が別の場面では、日本軍には信賞必罰がないから、適切な人事配置ができていない、などと批判するのは大矛盾である。南雲や草鹿などの指揮官級に対して何の処罰もしなかったのは、山本自身の判断である。そして連合艦隊は大敗北の実情を知った下級の兵士を隔離したり前線に飛ばすなどの隠ぺい工作を行った。そのことを最高指揮官である山本が知らないはずがない。日本軍の欠陥として言われる上官に甘く、下級兵士に厳しい、という典型が山本自身であった。そもそも山本自身が、何ら責任を取っていない。部下を責めることのできないのは当然である。平成二十四年に公開された映画「山本五十六」で敗戦した南雲を慰めているのを人情ドラマ風に描いているのはいかがなものか。山本は、自分の指示に忠実に従って敗北した南雲たちを、責められるはずはなかったのである。指示に反していたら激怒していたのに違いない。

 真珠湾攻撃で米国世論が激高すると、山本は事前通告が遅れたと悔やんでいたと描かれている。しかし米墨戦争や米西戦争などの戦史を確かめれば、米国政府は相手に先手を打たせて世論を盛り上げるという手法をとっていることは分かるはずである。それを想定しなかったとすれば、山本は米国民性も知らなければ、戦史から教訓を得ることもしなかったのである。真珠湾以前に宣戦布告されたか否かが問題になった史実はない。

例え、一~二時間前に宣戦の通告をしたところで、米国民はルーズベルトの演説に興奮したのに違いない。テキサスをメキシコから奪った時も、メキシコ領内に砦を築いてアメリカ人が居座ったから、メキシコ軍に全滅させられた。メキシコは自国領を侵略したものを撃破して守る正統な権利を行使したのに過ぎない。アラモ砦が先制攻撃されたから、米国民は怒ったのではない。他国の領土に砦を築く不当なことをしていたことは、マスコミが発達していたアメリカ国民も承知していたのである。だが領土欲にかられた米国民は喜んだのである。

 山本の指揮についても考えさせられる。確かに無線通信手段が発達した昭和の戦争では、東郷元帥のように陣頭指揮をとる必要はなかったのかも知れない。だが、真珠湾の石油タンクや工廠を攻撃しなかったのは、山本がその必要性を感じていなかったとすれば、無知である。反対に分かっていて南雲に言明しなかったとすれば、指揮権を放棄したのである。どちらにしても褒められたことではない。

 ミッドウェー海戦にでも、攻撃中に戦闘を指揮した形跡がない。事前に半数の艦上機を空母出現に備えよ、と言ったというが、各空母ごとに半数の艦上機を、空母攻撃用に残すと言うことは、運用上不可能である。山本の指示に従うなら、半数の空母を米空母対策用に温存していなければならない。それならば、作戦計画で艦隊の編成を山本が確認した際に、どの空母は米空母対策であるかと言うことを確認していたはずであるが、そんな事実はない。それどころか、次々に南雲艦隊の空母が損害を受けた報告を次々と受けると、平静を装って、またやられたか、とうそぶいていたと言うのだから、危機管理能力も指揮判断能力も欠如していたと言わざるを得ない。

 いくら状況がよく分かっている現場に任せよ、といったところで、敵情を確認して指揮した形跡がない。なさすぎるのである。日本海海戦の際に東郷司令長官は、対馬迎撃を決断し、T字ターンの際には自ら回頭のタイミングを下令している。その後30分も経たずに大勢は決したので指揮は参謀に任せた。白旗を掲げながら航行をつづけた戦艦ニコライ一世に対して、東郷は国際法に従って砲撃を続け、停止するとようやく砲撃中止を指示した。東郷長官は、残敵掃討まで指揮したのである。真珠湾攻撃の不徹底と言い、ミッドウェー海戦を南雲長官に任せきりにした山本とは、大違いである。

指揮したことがあったのは、唯一空母が全滅した際に、戦艦で攻撃してでも上陸作戦を決行しようと打診した南雲艦隊に、作戦中止を命じたくらいであろう。時事刻々変化する戦況に対応して指揮しようとしたことはない。それは、上陸作戦が唯一の作戦目的である、というのが山本の意思として伝わっていたからこそ、現場では戦艦でもってしても、上陸作戦を強行しようと上申したのである。山本が米空母撃滅のためにミッドウェー攻略を企画したと言うのは、戦後の海軍関係者のでっちあげに過ぎないとしか考えられない。山本が参戦中止を命じたのは、損害のあまりの大きさに、茫然自失したのに過ぎない。

 山本信奉者の通弊は、海軍の失敗は山本の責任ではなく海軍の通弊や部下の責任に帰し、成功は山本の功績にしていることである。でっち上げも過ぎる。贔屓の引き倒しである。海軍の作戦の成功も失敗も最高指揮官たる連合艦隊司令長官の山本の責任であるのは、間違いない。


陸上要塞は艦隊より強いのか2

2019-06-23 01:02:56 | 軍事

 過日、陸上要塞は艦隊より強いのか、という記事を載せたところ、小生の典不明と断って、開戦時日米海軍とも戦艦の主砲には徹甲弾しか載せていなかったそうである、というコメントに対して「風来坊」さんから、「平時から徹甲弾と榴弾は同時に搭載していたはずです。確か8:2ぐらいの割合で。」という指摘をいただきました。

 調べてみると、小生の方の出典が判明しました。学研の歴史群像シリーズで「日本の戦艦 パーフェクトガイド」の中に、軍事史研究家の大塚好古氏の「日本戦艦が搭載した主砲と砲弾」という記事です。この記事は小生が今まで読んだものでは、日本の戦艦の主砲弾の種類の歴史について書かれたもっとも詳しいものです。関係あるところだけかいつまんで説明します。

 

 「日露戦争当時の日本海軍の戦艦が使用した砲弾は、徹甲弾と榴弾(弾頭部に信管をもつ瞬発型のもの。当時は高爆弾もしくは鍛鋼弾と呼ばれていた)の2種類であった。(P181)」のだが徹甲弾でも当たってすぐ爆発するので装甲を貫徹できたのは、日本海海戦で1弾だけが、6インチ装甲を貫徹しただけであったそうである。

 明治38年の香取型「完成と同時に、被帽徹甲弾と弾底遅動信管付きの被帽通常弾が日本海軍にもたらされることになった。(P183)」とようやく弾底信管が登場するが、徹甲弾ではなく通常弾すなわち榴弾に取り付けられていることが理解不能である。

 その後外国技術の研究から、大正2年に三式徹甲弾が採用され、大正後半期まで使用されたとある。そして徹甲弾は遠距離砲戦での効果が期待できなかったため、遠距離でも効果がある、通常弾か榴弾が必要と考えられたが「検討の結果3種類を随時切り替えて砲戦を行うのが理想と考えられたが、・・・徹甲弾と被帽通常弾の2種類を搭載することが最終決定されている。P183)」ということである。

 その後ジュットランド沖海戦の戦訓から、砲戦途中での弾種変更は方位射撃盤の設定変更が必要で、多大な時間を要するなどの問題があり、弾種統一が模索されて「・・・通常弾、徹甲弾、半徹甲弾のいずれを搭載するかが研究され、大正9年に8インチ砲以上の砲については、徹甲弾の搭載が原則となった。これを受けて昭和5年頃には戦艦の搭載する砲弾は徹甲弾に統一され、太平洋戦争途中まで続くことになった。(P184)」

 なお、前回は「日米海軍とも」と書いてしまったが、本書を見る限り米海軍に関して、そのような記述はないので、訂正させていただく。また零式普通弾と書いたが、零式通常弾の間違いのようであるので訂正させていただく。本書ではさらに「・・・零式通常弾と三式通常弾が戦艦用の主砲弾として制式採用されたのは昭和19年であるが、それ以前の昭和17年中期以降から、限定的ではあるが各艦への搭載が行われている。(P185)」と書かれている。弾種から言えば、零式は榴弾で三式は榴散弾の一種である。

 採用年と実戦使用の年が合わない例はあるので、上記文中での年号が混乱しているように見えるのはさして不自然ではないと、小生には思われる。ただ、本書を読んでいただければわかるように、これだけの多くの情報を記事にしながら、出典や根拠が記載されていないのは残念である。また、大塚氏の言うように、徹甲弾しか搭載されていなかったとしても、榴弾の備蓄があったのかも知れない。日本海海戦では、装甲貫徹効果はなくても、榴弾効果だけであれだけの戦果を得ていたことに、当時の海軍で拘っていた論者が根強くいた、と大塚氏が書いているからである。

 また風来坊さんが徹甲弾と榴弾を混載していた、という根拠を教えていただければ有難いのですが。ぜひ原典にあたって調べてみたいと考える次第である。また、旧海軍の砲術のプロとして名高い、黛治夫氏の「艦砲射撃の歴史」という本を入手したので、上記の点についてどのような記載があるか読んでみたい。ただし、小生の学力で読破できるか、はなはだ覚束ないのであるが。

 なお、その後調べたら、第二次大戦で、重巡ブリュッヒャーとリュッツオウを主力とする艦隊が、ウェザー演習作戦で、陸上要塞の旧式28センチ砲と戦って、ブリュッヒャー沈没、リュッツオウ大破という大損害を受けて敗退した、けっこう有名な戦闘がありました。艦隊より陸上要塞が強いという実例である。それでもこの定説の理由は小生には判然としませんが。

 

 


東條英機論考

2019-06-21 22:58:52 | 歴史

◎雑誌「丸」の連載「数学者の新戦争論」(渡部由輝氏筆)の平成30年10月号に「東条英機論」がある。東條英機に対する批判論の典型なので、まずこれについて論じる。揚げ足取りから始める。タイトルの東条からして変である。故意に東条と書かれている。それに筆者の偏見が現れているとしか考えにくい。小生の苗字も旧字が含まれているが、普段は略字で済ますが、役所への書類ばかりではなく、真面目に書くときには略字には絶対にしない。だから筆者は故意に侮蔑感を込めて略字にしているとしか思えないのである。そうでなくても不快である。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、敢えて正字の龍を使わないのは、ノンフィクションではなく、フィクションの小説だからである、と言う説があるがその通りであろう。人物の漢字表記とは、かくも重いものと考える次第である。

 

 タイトルの横に要約が書いてある。曰く。 

 点取り虫で戦闘経験も人望も大局観もなかったと酷評される東条英機首相だが、逆に私利・私欲なかった!

 

 戦闘経験がなかった、と言う点はいいがかりも過ぎる。本人が戦闘に参加することを拒絶したというのならともかく、単に戦場に行く機会がなかったのに過ぎない。東條は主として軍事官僚と政治家としての道を歩んできた。その見識について戦闘経験がなければならない、と言う道理はないのである。

山本五十六は日露戦争で、指を失うという戦闘を経験している。しかし、その結果山本が軍事に対する大局観があったとは言い難い。永年つちかってきた海軍のドクトリンを突如変更して真珠湾攻撃を強行した。装備、編成、訓練、作戦計画は、そのドクトリンに基づいたものだった。変更するなら、それらの装備、編成、訓練、作戦計画を有効活用するものでなければならない。現に米軍は、長い年月練ったオレンジ計画を対日戦の基本としたのである。真珠湾攻撃への批判は最近とみに強まっている。山本は緒戦の大戦果に浮かれた挙句、ドゥリットルの本土爆撃に狼狽して、ミッドウェー作戦を強行して失敗したにも拘わらず、責任をとらないどころか、敗北の秘密を知る兵卒を苛酷な戦場に送り込んで糊塗した。戦場経験がどこに生きているのであろうか。それならば、今の防衛省制服組の幹部は皆無能であるというのか。

本文の批判に入る。努力して勉強して成績が良くなったというのだが、「その努力とはひたすら教科書の内容を暗記することであったらしいから・・」点取り虫であったという。維新前の教養とは、ほとんど四書五経などを丸暗記することから始まる。しかし、吉田松陰らの見識はそれにとどまるものではなかったことはよく知られている。過去の知識は絶対ではない。しかし、先人の経験を吸収することは絶対的に必要である。問題はそこにとどまるか否かである。東條が単なる軍事官僚の域を超える人物であったことは、後で例証する。

渡部氏自身が「戦時における名宰相も教育や修業では作れない。自然に生まれるのを待つしかない。」と書いているではないか。がり勉であろうとなかろうと、名宰相は自然に生まれると言っているのと同然ではないか。かといって、教育や修業はいらない、と言うのではあるまい。渡部氏は桂太郎の軍歴とそれに陶冶された人徳を称賛している。それは是とする。しかし、戦場経験のない人格の陶冶も、戦時における名宰相を生まないとも言えないのである。「自然に生まれるのを待つしかない。」というのはそのことを言っているはずである。

渡部氏は保阪正康氏の「東条さんのためなら・・・」という部下や同僚は全くといっていいほどなかった、という酷評を取り上げている。大東亜戦争の意義を全く認めない、保阪正康氏なら言うであろう。それなら言う。東條の人物を知るためには赤松貞雄氏の「東條秘書官機密日誌」が最適である。赤松氏は、東條さんとの十五年間(P30)という項のはじめに、こう書く。読者に対する注意書きである。

 

「東條さんはすでに歴史上の人物としてクローズアップされ、多くの人によって論ぜられ、今後ともさまざまに発表されるであろう。その発表された内容が果たして真実であるかどうか、私の述べている内容と食い違いがあった場合、果たして私の述べていることに確実性があるや否や、果たしてどちらを信用してよいか、という問題が起るかも知れない。このような場合に、正しく対処したいからである。」

 

として、氏の東條との関係が、昭和三年の氏の青年将校時代から、首相秘書官を経て、東條刑死まで続き、家族以外では東條を最も知る人物であると述べる。ここまで熟考した文章なのである。渡部氏のように、軽薄な人物評価が出ることなどは、予想の上で、信用してくれ、と語りかけるのである。赤松によれば東條は、尊皇・忠誠の人であり、責任感が旺盛で、行政手腕抜群、人情に厚かったと言うのである。何よりも赤松が東條の人物を慕っているのである。保阪正康氏の「東条さんのためなら・・・」という部下や同僚は全くといっていいほどなかった、という酷評は嘘であることは、これで明白である。

この一文の中には、ゴミ箱を見て廻ったことをはじめとする、東條を批判する多くの逸話が語られており、これらが誤解であることを東條の真意を持って逐一説明している。これらのことは同書が、東條がいかなる人物であったかを知る最適なものであることを説明している。小生は同書を東條の事績を例証するためには引用しない。あくまでも人物評である。赤松氏は近くにいただけで、必ずしも東條の見識を示す事績の全てを知っている訳ではないのである。渡部氏はこの書を読んだのであろうか。もし読んだのなら如何なる根拠を持って赤松氏による人物評を覆すと言うのだろうか。読んでいないのなら勉強不足としかいいようがない。軽薄と言う所以である。

なお、同書の題名と本文の見出しには「東條」と正字が使われているのに、本文の文章にはことごとく「東条」とされている。これは、常用漢字を使用しました、と出版社による断りが入っている。発刊当時、既に物故していた赤松氏の本意ではないのである。なお同書の、「はじめに」と「解説に代えて」が半藤一利氏であるのは意外な気がする。しかし、半藤氏の赤松評価は極めて高い。その赤松氏の東條評がかくなるものなのである。残念ながら赤松氏の本は、国会図書館やインターネットを調べる限り、昭和60年の初版以降再版もされなければ、文庫化もされていないようである。小生の蔵書が見つからないので、急いで図書館で借りて再読したが、何と今ではあり得ない図書カード付の古本だった。

 戦場経験もなく、人望もないという説を2ページ近くも費やしておきながら、あげくに渡部氏は「・・・実戦経験など、戦時宰相たる者のそれほどの必要条件ではないかも知れない。人望も絶対の条件ではなかったりするのかも知れない。ときには国民一般や周囲のことごとくが反対しても『千万人といえども我行かん』の気概で押し切るような我の強さも必要だったのかもしれない。」というから呆れる。ただし、それには大局観の裏付けが必要である、というのだ。

東條には大局観がなかったといって例証するのは、「太平洋戦争」では①長期戦は避ける、②英米側につくか、枢軸側につくかの選択である、という。

 

①は石油を米国に八割も頼っている日本が、アメリカと戦争しようとすることが誤っている、というのだ。これほどの誤認はあるまい。しかし、これがすんなり受け入れられるほど、現代日本の常識は狂っている。東條の陸軍は対米戦ではなく、対ソ戦に備えていた。これは現実の問題として必要であり、現にソ連は中国赤化のために、中国自身ばかりではなく米国や日本の中枢にも謀略を仕掛けていた。対ソ戦略は必要なものであり、武備あっての対ソ戦略である。そのために満洲国は、現地住民の支持もあって成立したのである。

 反対に対米戦に備えていたのは海軍の方である。海軍は陸軍のように戦略によってではなく、壊滅したロシア海軍に代わる仮想敵として、建艦予算獲得のために対米艦隊決戦を想定していたのである。だから実は、海軍中枢は対米戦をしたくないと考えていた。実際問題として政府、陸海軍ともに対米戦は絶対に避けたいと考えていたのである。にもかかわらず、日本の国内事情だけが原因で対米戦が発生したごとく言うのは、東京裁判史観の偏狭な観念の典型である。最大限譲歩しても、米国は裏口から対独戦参戦のために、対日戦を欲していたのが定説である。既に米国がソ連の陰謀も含めて、対日戦を望んでいたことは常識となりつつある。日本と戦争をしたかったのはアメリカであって日本ではない

 

②は①で述べたように、英米につくという選択肢はなかった。英米ともに公然と中国に武器支援していて、実質的に日本と敵対し挑発し続けていたのは明白だった。どちらかを選択しろと言うなら独伊しかなかったのである。海軍が一時三国同盟に反対していたのは、英米への親近感や外交戦略によるものではない。三国同盟は、日独防共協定の延長で、ソ連と敵対するはずのものであった。すると対ソ戦に備える陸軍が、予算獲得上有利となる。それで反対したのである。

 だから、独ソ不可侵条約が突如結ばれると、三国同盟にソ連参加の可能性が出る。つまり、対ソ戦はなくなり対米戦向きになる。だから海軍も三国同盟に賛成に転じたのである。海軍の動きは全て「予算獲得」という典型的官僚発想のポジショントークである。それに石油を絶対的に必要としていたのは海軍であった。石油を米国に頼っているのに、東條が石油のために対米戦を行うのは大局観がない、と批判すること自体が見当違いなのである。

 東條が陸軍大臣として対米開戦を主張したのは、日本がアメリカに散々追い詰められ、このままでは日本が戦うことなく滅びる、と判断したからである。だから東條は、自分が首相に任命されたのは、天皇陛下の対米開戦回避の意向によるものであったことを知ると、開戦回避に全力を尽くした。しかし、対日開戦を望む米国の苛酷な挑発に政府は全力を尽くしたが甲斐なく、御前会議で対米開戦を決定すると、天皇陛下の意にそむくことに追い込まれたことを悔いて、東條は自宅で嗚咽した。このような官僚がどこにいようか。

 一方の山本五十六は真珠湾攻撃の成功に舞い上がり、ドゥリットルの本土空襲に慌てふためいて、ミッドウェー作戦を強行したことは前述した。ミッドウェーで空母の被弾が次々と報じられると、またやられたか、とうそぶいていたと言う。指揮義務放棄である。このような説は、敗北にも泰然自若としていたと言う神話作りとしか考えられない。この言説は山本批判の人士ばかりによるものではないからである。このような指揮官がいるものか。本当とするならば東條の誠意とは対極にある。

 渡部氏は東條の大局観のなさとして、「東条はガダルカナルの惨状を知らされておらず、そのためビルマ作戦を承認し、戦況をさらに悪化させたと戦後になって述懐しているがお粗末すぎる。参謀本部の『雰囲気』でそのことを洞察しなければならない」と述べるのだが、あまりに東條に万能を求めている。東京裁判史観の持ち主が、日本人や日本軍にだけ、世界史上あり得ない完全無欠を求めて止まないことに類する。

そもそも無理筋のガダルカナルに固執したのは海軍であり、山本五十六は航空戦史上初めての、無理な遠距離飛行による作戦で、大量の艦上機と搭乗員を無駄に損耗し、後の敗戦に繋がった。後の米軍ですら、日本本土空襲の援護戦闘機も、相当な無理をしていたのである。海軍が当初の大本営決定の作戦範囲を逸脱して無限に戦線を拡大したのが、最大の敗因である。海軍は米軍に対する補給阻止も、輸送船の船団護衛も適切に行わず、ガダルカナルを餓島とした張本人である。ガ島で陸軍兵士が餓えている最中に、それと知りながら、フルコースの食事を満喫していたのは山本五十六その人であった。もっともそれは、英海軍の真似をした海軍の伝統に従っただけなのである、と弁じておこう。

自殺の失敗問題である。東條は連合軍による拘束が迫ると、自殺を図ったが失敗した。「みっともないことこの上ない。」「わが国においては古来、武人たる者の最低限有すべき『覚悟』であった」とし終戦時自決した、政府・軍関係者は10名以上であり、東條だけが失敗した、と酷評する。

いちゃもんから始めよう。終戦時自決した、政府・軍関係者は10名以上どころではない。桁を間違えている。氏は、著名人だけを数えたのであろう。終戦時自決した人々は民間人もいるし、一兵卒もいる。世紀の自決(*)という本には、終戦時自決した、軍人軍属五百六十八柱の自決者のうち、百四十四柱の方々の遺書が記録されている。大将から、二等兵、軍の嘱託、従軍看護婦まで様々な人々の記録である。この中には純粋な民間人は含まれていないから、自決者総数は相当な数に上る。この数学者はどこを見ているのであろう。

靖国神社に東條英機の魂が祀られている。遊就館に行って遺影を見るが良い。東條英機の隣には一兵卒の遺影が飾られている。英霊の魂には大将も一兵卒にも区別はないのである。

そもそも東條は、連合軍がしかるべき手続きを踏んでくるならば、自決するつもりはなかった。戦陣訓は政治家であった東條には適用されない。東條は、正規の手続きを踏んで米国が要請するなら出頭する覚悟であった。反対に無法にも連合軍が押しかけてくるなら自決するつもりだったのである。筋はしっかり通っている。自決とそうでない両方の心境を保持するには強靭な意志がいる。どうせなら自決した方が楽だったのである。失敗したのは、東條を晒し者にするために米軍が瀕死の東條に大量の輸血をして助けたからである。拳銃は切腹より確実な自決の方法である。大西瀧次郎は切腹して介錯を拒否したから、十数時間生きて果てた。助ける者がいれば生き残ったのである。大西の最後は立派であった。

結果から言えば東條は、恥をさらして生き残ることによって、昭和天皇を守り日本民族を救った。我々は感謝すべきである。東京裁判なるもので弁舌を尽し、日本を擁護した後、処刑された。殺害された、というべきであろう。東條自身は、戦争犯罪人であることは拒否し、開戦時の政治責任者として国民に対する責任をとるべく死んだのは遺書に語られている。その従容とした死は、決して一時の修練でできるものではない。生涯に渡る陶冶のなせるわざである。みっともない、とはよく言えたものである。もっとも東條は後年国民からこのような悪罵をあびせられることは覚悟の上であった。

 渡部氏の「東條には私利私欲がなかった」という点に関しては些末なので省略する。小生は数学者の東條英機論だというから、意外な論点を期待したのだが、実際には巷間に溢れている東條批判論を敷衍したのに過ぎないのには、正直がっかりした。

 

◎それでは、小生の見る東條の大局観について例示する。これらは、単なるがり勉の官僚発想からは絶対に生まれ得ないものである。海軍の中枢で一人としてこのようなものがいたか。陸軍の石原莞爾は大戦略を持って、満洲事変を実行した。しかし、本人の意に反して軍律違反の責任は取り得なかった。それで後に後輩の華北政権の樹立を制止すると、満洲事変を起こした人が、と言われてぐうの音も出なかった。小生は石原の思想や戦略を評価する。しかし石原にはその思想と戦略を実行する力には、最終的には欠けていた、と言わざるを得ない。戦時中の会見で東條を石原が面罵したのは有名である。しかし、石原には面罵した所以を実行する力は既に持たなかったのである。理屈で勝っただけである。

 

まずは大東亜会議の開催である。詳細は深田祐介氏の「黎明の世紀」を読まれたい。東アジアの国と多くの欧米植民地の代表を集め、東亜の自立を宣言したのである。英米の大西洋憲章が、これらの地域の独立を認めないインチキなものであるのに比べ、大東亜会議は実のあるものであり、戦後のアジア諸国の独立に直結している。

 提案したのは、重光葵であるが、それに賛同し実現に奔走したのは、東條英機その人である。東條がいなかったら実現しなかったと言っても過言ではない。だから東京裁判史観の持ち主は故意に大東亜会議を過小評するし、渡部氏は触れさえしない。知らないとしたら東條を論ずる資格はない。

 

 次はユダヤ人問題である。ナチスのユダヤ人迫害に対する日本人の救出は、外務省の杉原千畝が有名であるが、陸軍の樋口季一郎は、安江大佐とともに亡命ユダヤ人救出に奔走した。当時の東條関東軍参謀長は外務省の方針に従って、ユダヤ人脱出ルートを閉鎖しようとした。しかし、樋口が説得すると方針を一変し、全責任を取るとして脱出支援を承認したのである。当時日独防共協定を結んでいた、ドイツ外務省の抗議に対して東條は「当然による人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。満洲ルートによる亡命ユダヤ人は3,500余人に及んでいる。これは東條の決断なしには実現しなかったものである。

 

東京裁判における東條自筆の宣誓供述書である。東條の大東亜戦争に至る歴史的見識がなみなみならぬものであることは、この宣誓供述書を読めば分かる。ほとんど資料もなく、筆記具もままならない中で、宣誓供述書を書いたのである。小生は、昔本文だけ出版されたものを買って、要約のメモを作ったことがある。最近では、解説付きも出版されているから便利である。よく読んでいただきたい。

 

インパール作戦は大東亜戦争でも無謀な作戦の典型とされている。しかし、英軍の指揮官によれば、日本にも勝機があったのである。しかし、空挺作戦と言う奇策がこれを打ち砕いた。チャンドラボースは、作戦中止しようとする日本軍に最後まで抵抗した。英霊に礼を言いたい。インパール作戦の犠牲は無駄ではなかったと。対英戦に参加したインド国民軍(INA)の将校たちを、戦後裁判にかけようとするとインド全土で暴動が発生し、手に負えなくなった英国は独立を承認した。インパール作戦は歴史を変えたのである。それを見ることなく航空事故死したチャンドラボースの遺志は貫徹されたのである。

そのことは現在に至るまで、日印友好関係として、日本の外交戦略を助けている。もっと早くインパール作戦を発動しようとしたのに、補給の困難を理由に反対したのは、他ならぬ牟田口廉也である。東條はチャンドラボースの熱意にほだされて、ついにインパール作戦を決断した。がり勉の官僚的発想ではない。現在の外交にまでつながる大局観があったのである。偶然ではない。そのことは次の例でも示す。

 

関岡英之氏の「帝国陸軍知られざる地政学戦略」には次のようなことが書かれている。すなわち「・・・一九四三年、西川は張家口領事館の調査員という肩書で、東條英機首相の『西北シナに潜入し、シナ辺境民族の友となり、永住せよ』という密命を受け」たというのである。西川はそれを実行したが、日本敗北の報を受けても日本には帰らずモンゴル人として、チベット、インドなどを放浪し、一九四九年にようやくインド官憲に逮捕、日本に送還の上、GHQに移された。命令した東條もすごいが、究極の任務遂行を続けた西川もすごい。

東條の命令は、当時陸軍が構想していた、地政学的ユーラシア戦略に基づくものである。それは、モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)の独立を支援して、東アジアの共産化を防ぐというものである。この構想を関岡氏が取り上げたのは、現在にもつながる雄大な構想だからであろう。現在の日本の政治家でこのような構想を発想する者はいない。今後の日本や東アジアにとっても参考になる構想である。その一環を担おうとしていた東條には、大局観があったと言うより他ない。

 

東條がメモ魔であり、細かいことに気付く人であることは、遺族自身が認めている。欠点として指摘されることが多いが、決して偏狭な軍人・官僚ではない。次男の輝雄氏には軍人になるよりは、技術者となることを薦めている。同じ航空技術者として三菱重工で輝雄氏の上司として働いた堀越二郎氏が、組織人として不適格で、零戦の名声にもかかわらず、三菱での評価に恵まれず退職したことに比較すると、輝雄氏は三菱自動車の社長、会長までのぼりつめた。輝雄氏は「A級戦犯の息子」として出世競争に重大なハンディキャップがあったのにもかかわらず、である。小生は父東條英機の薫陶による人徳の故と信ずる。

 

巷間の東條英機批判論には、先の赤松氏がはやくも予測したように、ためにする悪罵に満ち溢れている。高評価するのは、故岡崎冬彦氏位しか寡聞にして知らない。この洗脳の厚い皮を剥ぎ取るためには、理性による克服が必要である。昭和天皇の英明は言うまでもない。従って小生は、第一次大戦以降の日本の歴史上の人物で、東條英機を昭和天皇に次ぐ人物と評価する所以である。

*世紀の自決・額田坦編・芙蓉書房刊

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧ください。

 


ゴッホは素人画家である

2019-06-21 19:54:21 | 芸術

 ゴッホは素人画家である、と言ったらすべての人怒るか、あるいは笑い転げるだろう。だが考えてみるがよい。玄人すなわちプロとは何か。プロとは自らの技芸で生計を立てている、というのが最低限の条件であろう。必ずしもその人の技芸の質が高いか否かは問われないのである。

 例えば歌手を考えてみよう。素人にもプロの歌手顔負けのうまい人はいくらでもいる。だがそれでもプロの歌手とは誰も呼ぶまい。下手くそと言われようが、可愛いだけが取り柄のアイドル歌手であろうが、どさまわりしかなかろうが、それで生活費を稼いでいる以上は立派なプロであろう。場合によっては生活費が足らずに困って副業をしている場合もあろう。それでも収入の多くを歌で稼げばプロ歌手である。

 逆にサラリーマンが副業に歌を歌って稼いでも、生活の補助にしかならなければプロとは言うまい。歌手志望のサラリーマンが、生活の安定を捨てプロの歌手になるのに不安を感じる、と言うのは生計を歌の道で稼ぐプロの生活への不安である。

 さてゴッホである。ゴッホは生前売れた絵はたった1枚しかなかったというのは有名な話である。その他の絵には人にあげても見向きもされなかったものさえあるという。彼の生活を支えていたのは弟であった。親が子供を養うように、弟に養われていたのである。これでゴッホはプロの画家ではなかったという意味は理解いただけたと思う。

ゴッホの絵は現代では真筆であれば、億単位で取引されている。このことを不思議に思うわないのだろうか。ゴッホが現在取引されている価格の何百分の一でもいいから、生前のゴッホの手に入れば、彼は生活に困窮することはなかったのである。それでは売れなかったのはなぜか。要するに社会の人々にニーズがなかったら売れなかったのである。売れない以上はプロではない。趣味の絵かきは今でもいくらでもいる。その中にはとびきり上手な人もいる。それはあくまでも趣味の人であつて、プロではない。
 
さてこの屁理屈は単なる思い付きではない。私は芸術とは、ある意味で社会に役に立つものだと言う芸術論を信じている。あまりに奇異だと思われる人、興味のある人はこのブログの下記のURLのホームページにアクセスしていただきたい。

このブログに興味をお持ちの方は、ここをクリックして小生のホームページも御覧下さい。