毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

外交を知らない外交評論家とは何か

2008-11-30 20:43:23 | 政治

 産経新聞の11月30日の一面の岡本行夫氏の記事には驚いた。中国は穏やかになってきた、と言うタイトルが示すように、中国は以前のように強硬ではなく、穏やかで理性的になったというものである。外交評論家たる岡本氏がこのように情緒的言辞で一貫した文章を書くのだから、日本人が外交下手と言われるのも無理はなかろうと思う。

 氏が中国で講演した時に、小泉首相の靖国参拝の心情を説明し、小泉さんを嫌いにならないで下さいと結んだら期せずして聴衆から拍手が起きた、というのはその典型である。中国のような言論統制された独裁国で、国民が正直な心情を公的な場で表明できると考えているのだろうか。氏のような人物を篭絡するために聴衆は政府により動員されているという、簡単な事実に気付かないのであろうか。仕方あるまい、日本の多くの政治家はこのように簡単に中国政府に篭絡され続けた。

 あきれたのは日本軍が繰り返し爆撃した重慶でも聴衆は温かかったと言う言葉である。東京では同じような時期に、繰り返し空襲を受け、東京大空襲では市民を一晩に10万人も殺戮された。東京は桁違いの被害を受けたのである。重慶爆撃の主目標が軍事施設であったのに対して、東京では市民がターゲットにされた。

それでも日本で講演するアメリカ人に対して、現在の日本人が冷たいと言う事が考えられると言うのだろうか。この比較からも岡本氏の言う事は見当違いである。岡本氏は日本だけはひどく悪いことをしたから永遠に恨まれるのは当然と言う心情にあるから、温かい反応があると感涙にむせぶのだろう。中国政府の指示があれば聴衆は一転して岡本氏に罵声をあびせても、不思議ではないのが現在の中国である。

中国にけちをつけるのが流行になったとか、中国の悪口を言うのを止めよ、と岡本氏は言うが、つい最近まで一般市民でも、中国四千年の歴史などというコマーシャルが使われるように、中国には好意的であった。度重なる食品汚染の事件やオリンピックの聖火リレーでの中国人の暴圧的態度に、市民は中国人の実態に目覚めたのである。そのような人は私の周囲にもいくらでもいる。

けちをつける、などと言うのは事実に反して文句を言うという意味だから、話にならない。中国のやり方はおかしいという事実を指摘するのは、けちをつけるとは言わない。過去の過ちを認めた途端に今の日本に誇りが持てなくなるのか、と言う。今日本に対して日本軍の残虐行為など、作られた日本の過ちはとてつもなくひどいのがわからないのだろうか。そのような話を信じたら日本に誇りを持てない方が普通である。

産経新聞の11月23日に曽野綾子氏がその典型を示している。昔の週刊朝日に歌手の加藤登紀子氏がのせた文章である。日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる、と加藤氏は書いているのである。ついでに言うと曽野氏はそんなに日本を憎むのなら、さっさと他国人になったらと言っている。当たり前の話である。これでも岡本氏は前言を撤回しないのだろうか。

岡本氏が簡単に認めてもいいではないか、という日本の過去の過ちとはこれほどのものなのである。岡本氏は単に一般論として過去の過ちを認めても国に対する誇りは失わないはずだ、という事を言っているのに過ぎず、現実に日本で起きている、日本人自身が日本に対する誇りが失っているという事実を見ていないのである。

博識な岡本氏がその事を知らぬはずはないから、これは詭弁と言われても仕方ないであろう。私は保守の立場で、外交を専門とする岡本氏がこれほど情緒的な論文を書くのが信じられない。外交とは憎悪する相手にも微笑んで握手する場面もあるからだ。中国でやさしくされたから、といって全面的に信じるという外交評論家としての見識を疑う。


情けない田母神論文批判

2008-11-12 21:52:01 | 国防

 櫻田淳氏が産経新聞の11月7日の「正論」で田母神前航空幕僚長の投稿論文に対する批判をした。ひとつは田母神論文は左翼側をかえって勢いづかせてしまって逆効果だといういうことである。戦後かなりの間、学会はともかく、保守政治家や多数の国民は、日本が侵略国だなどとは思っていなかったはずである。当時周囲の顔色をうかがって、自己主張しなかった結果、現在では安倍元首相などの保守政治家でさえ、その事を公言できない事態に陥った。

 なるほど目先を考えれば田母神氏は黙っていればよかったのだろう。だが長年大部分のの保守政治家や政府関係者がそうしていた結果、自国を悪者だったと規定した、世界に類例がない村山談話さえ定着してしまった。それもこれも大多数がことなかれ主義を通した多年の積み重ねの結果である。

 集団自衛権の行使を否定するなど、日本の国防政策が歪んだのは、日本を侵略国だと認めたことが前提だから、正すためには歴史認識の誤りを指摘しなければならない。そもそも田母神氏などの政府関係者が現行の政府の間違いを指摘するな、というのがおかしいのである。

かの石原莞爾がそうであったように、国防の戦略は世界観、歴史観の裏づけが必要である。単に戦闘技術への習熟ばかりではだめである。特に国防の幹部にはそれが求められる。自衛隊や防衛省内部に適切に研究や意見発表すべき場がないから、氏は民間論文への応募と言う奇策に出なければならなかったのである。国防の現場の意見をくみあげるシステムがないのは危険な事である。

 また桜田氏の「日本の自衛隊は、往時の日本の軍隊とは違う」と言ったのは愕然とした。左翼にとって残虐な日本軍と、日本のアジア侵略とは不可分なのである。櫻田氏は田母神論文は内容は正しいと言いながら、無意識に左翼史観に毒されているように思われる。