毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

おお長嶋巨人軍

2007-09-23 13:36:41 | 社会

 ここはどこでしょう。一番下の写真の通りバラが咲いています。そう、千葉県民にはメジャーな谷津のバラ園です。昔の谷津遊園がつぶれて一部を習志野市営のバラ園にしたのです。

 なんで長嶋巨人軍だ。そう中段の写真を見ればわかるように、ここは戦前の巨人軍発祥の地です。場所はバラ園の正面入り口の左側の目立たないところにあります。ですから入場料はいりません。

 何でもメジャーリーグが日本に遠征に来ることになったとき、相手がいないというので、学生野球の選手を集めて、この地で結団練習したのだそうです。

 そこで一番上の写真です。かつての巨人のスター選手のサインと手形。中央に鎮座ましますのが、わが長嶋選手です。ここでも長嶋はわがままです。他の選手が手形を押しているのに、きたないと言ってサインしかしませんでした。

 ちなみに私の奥さんは長嶋の佐倉高校の大後輩です。奥さんのために弁じます。奥さんは大学には行っていませんが、当時から佐倉高校は有名進学校です。なぜ馬鹿の長嶋が有名進学校に言ったのかと、いぶかる意地悪のあなた。長嶋は地元佐倉市の出身で、奥さんは隣村。当時は県立でも地元枠があり、佐倉市出身者は有利だったのです。

 それでは長嶋は佐倉校の後輩の野球を指導したか。奥さんによると、佐倉校にはバックネットと野球道具一式を寄付しただけ。母校にはきませんでした。当時の先生の話では練習に疲れた長嶋は毎日授業で居眠り公認。放課後になるとさわやかに目覚めたそうです。巨人ファンのあなたならご存知のように長嶋は佐倉校にうらみがあるのです。甲子園にも行っていません。

 なぜ中央に長嶋のサインか。誰か忘れてやしませんか。そう9連覇の伝説の川上です。川上がいないから中央は長嶋の指定席。長嶋と川上は両雄立たず。互いに同席するのを避けたのです。その伝統は巨人軍発祥の地にも生きていました。長嶋は千葉県人だから千葉の名所観光に協力するのは当然。熊本出身の川上は居る場所がないのは仕方ないのでありました。

 物知りの私はうんちくをもうひとつ。谷津遊園は地元ではメジャーでも全国ではマイナーな京成電鉄の施設。東京ディズニーランドができると同時に廃止になりました。京成電鉄はディズニーランドの有力な出資者だからです。

 いばるんじゃねー。ディズニーランドは谷津遊園のなれの果て。といって悪ければ、ディズニーランドのルーツは谷津遊園。私は独身時代奥さんと一度だけ谷津遊園でデートしました。唯一印象に残っているのが、意味なく、でんと展示されていた「ロッキード・スーパーコンステレーション」という旅客機。

 スーパー・コンステレーションすなわちコニーを知っているあなたは偉い。終戦直後ダグラスDC-4とシェア争いをした4発の旅客機です。レシプロエンジンの限界に挑戦したターボコンパウンドのシリンダとシリンダの間にゆとりのない恐ろしいエンジンを剥き出しに展示していたのが印象的でした。

 というわけで東京ディズニーランドは、ルーツも千葉、場所も千葉県浦安市、千葉ディズニーランドです。千葉県民のために弁じます。奥さんの実家の周辺の田畑は30数年間景色が変わっていないそうです。こんなところ日本でも土佐の高知の山の中とか釧路湿原くらいしかないじゃありませんか。土佐県の人、怒っちゃいけません。私は自慢しているのですから。

 何の話しでしたっけ。そう千葉県の名物は谷津のバラ園と巨人軍発祥の地。とりは千葉ディズニーランドでありました。というわけで全国の巨人ファンの皆様、北海道でも沖縄でも、遠路はるばる巨人軍発祥の地をたずねなければ、あなたは本物の巨人ファンではありません。なにせ無料で聖地が見られるのですぞ。


アキバです

2007-09-16 14:12:24 | 東京の風景



 後楽園ホールの寄席に行った帰りに、例によって秋葉原の電気街で降りました。もちろんメード喫茶のちらし配りのおねーさんです。今日は休みだけあって、10人くらいたむろしていました。

 以前はただちらしを配り、オタクのにーちゃんと会話するだけだったのですが、最近では写真を撮らせます。最初はカネをとるのかと思っていたのですが、そうではありません。

 でも写真をとったにーちゃん、おじさんは大抵律儀にちらしをもらっていきます。そこでおとーさんもデジカメぱちり。もちろん、ちらしももらったのです。コメントをひとつ。メードコスプレは何といっても色白が一番。元ガングロ風はちょっと・・・。でも今日も暑かった。


バブルとは何だったのか

2007-09-13 19:48:03 | 政治経済

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バブルがはじけて以後好況の現在でもバブルの意味をはっきり言ったのを聞いたことがない。まず現在の好況を景気の回復と控え目に言っているのが姑息である。神武景気を超える最長の「景気回復」というのである。神武景気と比較するなら「好況」というべきである。そして最長の好況ならいつ不況に転じてもおかしくないのである。振り返ればバブルがはじけたはずの平成2~3年にもまだみんな好況と言っていたではないか。

 閑話休題。バブルとは「金融関係を中心にした好況である。かつて石炭産業、造船産業で好景気があったように、好景気は特定の産業を中心に起きる。かつては全てが第二次産業であった。戦後初めてサービス産業に突然好景気が起きたのである。

 引き金は忘れもしないNTTの株式公開だった。株が異常に上昇した。通常は平均株価はGDPに比例する。それはGDPがトータルでは会社など産業の生産力の評価指標だから、同じく産業の評価指標たる株価とは比例するはずである。これは経済の原則である。だが経済の専門家はそれを教えてくれない。株が上がっているときこれは異常だと水を差すのをいやがって原則を無視する。私は勝手にこの原則を立てた。

 当時日本と米国の株価とGDPの推移のグラフを見たが米国のものがきれいにGDPに比例するのに、日本のは昭和60年頃から突如株価だけが異常に上がっている。そこでこの原則を思いついたのである。それはなぜか。周囲を見ればわかる。今まで株に目もくれなかった人たちが次々に株を買っているではないか。

 NTT株公開をきっかけに素人が多数株を買ったのである。株の数に急変はないからそこに多数の資金が流入すれば、単純な割り算で平均株価が上がる。土地も同様である。要するに投資にいままで関心がなかった人たちまで資金を投入したのである。住みもしない土地を買って儲けようとする。だから地価も上がる。しかし住むことがないのだからバブルがはじけて売る時期を失した人は悲惨である。私の近所でも千葉の田舎に使わない土地を持って都内のマンションに住んでいる人がいる。

 これがバブルである。実体がないのに株や土地に投資する。投資は土地の利用価値があるから買うのでも、会社の業績がいいから買うのでもない。確かに価値があったり業績がいいということはある。だがそれは本質ではない。土地や株が上がると予測する口実に過ぎない。どの株や土地が儲かるか推定する根拠に過ぎない。

 不思議なもので好況のイメージが広がると、実際には給料が大して上がっていないのに好況感から気前よくものを買う。だから消費が増えて好況の輪が投資以外にも広がる。ところがバブルがはじけても皆の価値観は株価にへばりついている。

 たとえ生産が増加しても株価が上がらない限り不況を脱したとは経済評論家は言わなかった。それは評論家が経済を専攻しているために、銀行や証券会社を経済の中心と見がちだからである。身内びいきなのである。平成11年ごろ平均株価が2万円にまで上がっても景気が回復したとは決して言わなかった。バブル期の3万円を越える異常な株価が脳裏にあったのである。

 過去の好況不況の経験を見るがよい。石炭でも造船でも不況がその後回復しても、好況を引っ張っていたこれらの産業が元に戻ることはなかった。もちろんこれらの産業の需要が激減したこともあるが、ある産業が好況を引っ張ったとすれば、次の好況が来た時にはその産業がこの好況の牽引者になることはないというのが過去の好不況の波の経験が教えている。

 少なくともバブルの次に来る好況には金融業は牽引者とはなれないのである。もちろん金融業のニーズは激減するわけではなく、産業を支える任務は重要だから金融業が没落することはない。だからバブルの次の好況にあっても、金融業は普通の経営状態を期待できれば充分である。好況のおこぼれにあずかろうとはおこがましいのだ。

 バブルの投機に懲りた庶民は株などの投資を控える。だから株投資に投入される資金は減少する。するとさきの計算の逆で、株価は下がるのは当然である。バブルに懲りた人たちの多くは二度と株に手を出さないから、少なくとも当分はバブル期の株価を回復することはない。まして平均株価の計算法が変わって低めに算定されるのである。

 ところでバブルという言葉の乱用をITバブルに見てみよう。前回の好況をバブルと言ったのは、かつての好況が全て製造業すなわち生産という実態のあるものであったのに対して、バブルでは株や土地取引といういわば生産の実体のない投機的ばくち的産業に起きたからである。泡のように空虚だと言ったのである。人の気分で急に上がった好況は気分の変化であっという間に下がる。だから不況になるとバブルと命名したのである。

 だがITバブルは異なる。IT産業にはソフトやハードと言った産業としての実態はある。だからバブルではないのである。それをバブルといったのは、今はIT産業の景気はいいが、すぐにだめになるという意味に過ぎない。バブルに懲りた経済評論家の好景気産業の警戒心に過ぎない。だからバブルという言葉の乱用である。


中国語を喋る猿が乗っていた、中国の宇宙船

2007-09-05 22:24:05 | 支那大陸論

 中国が有人人工衛星を打ち上げたという。嘘である。そもそも中国に近代技術の組織的運営能力はない。中国で製造されている最新兵器の全てがソ連製のコピーか、ロシア人に改良してもらったものである。多くの人はテクノロジーの基礎技術基盤というものを甘く見ている。

 戦前外国技術の製品を買うだけで研究しなかった民族が、50年かなんぼで西欧が築きあげた技術を習得し運営する教育組織生産研究などを自前で行えるほど簡単なものではない

 朝鮮にしても同様。ただし日本に併合されてなんぼか技術移転がされているから今後の可能性はないでもない。台湾も同様である。それが証拠に韓国の造船はどんがらと呼ばれる船体を作るだけで、エンジンや電装品は日本製である。ましてや中国である。

 中国の有人宇宙船開発が始まったのは1992年である。ソ連が崩壊した一年後である。大挙してあぶれたロシア人技術者が中国に職を求めてやってきた。厚遇されたのである。そして宇宙開発は始まった。日本が西欧技術を導入した歴史は古い。蒸気機関車の時代で、近代技術が始まってさほど経っていない。ともかくコピーでもついていったのである。

 偉そうに言うが、日本でも立ち遅れたためにコピーがやっとだったのである。当時の技術者は嘘をついている場合が多い。最先端技術たる軍事技術の多くは独創を装ったものまねが多い。かの零戦もエンジンも含めコピーの改良とみられる部分が多いが有名な設計者堀越二郎はとうとう真実を語らなかった

 実は機械工業では、日本よりロシアの方が実は一歩ましである。日本は捕獲したB-17爆撃機のコピーをしようとしたが生産設備の性能が追いつけずコピーできなかったが、その後ロシアは更に高度なB-29を完全コピーして量産したという事実が日本とロシアの技術の一歩の差を示している。ただし、桁に不可解な孔が開いていたので仕方なく、意味もわからず孔を開けていたという。

 第二次大戦後ロシアにやってきた米国技術者にロシア人技術者が質問したところ、工員が間違えて開けてしまったのだから必要はないと、返事されて唖然としたという笑い話が残っている。かくほど技術の移転は難しいのである。

 その証拠に、当時の有人宇宙船の地上管制センター内部の光景は写真すら公開されていない。ロシア人ばかりがうろうろしていたからである。日本よりはるかに宇宙技術が進んでいるはずの中国は、国際宇宙ステーション計画に参加しない。できないのである。人工衛星技術も宇宙飛行士の技術もないことがばれるからである。

 昔の米ソの宇宙船で人間代わりに打ち上げられた猿や犬が、人間代わりの実験台として乗っていた。中国人宇宙飛行士は、この猿や猫と同じである。宇宙カプセルに閉じ込められていたにすぎない。

 せいぜい無線機に、宇宙飛行とは関係のない北京語かロシア語何かを叫んでいたのであろう。すなわち、中国の宇宙船には中国語を喋る猿が乗っていたのである。

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