毎日のできごとの反省

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書評・西尾幹二のブログ論壇・総和社

2017-01-22 15:10:09 | 歴史

 最後の方に書いてあるが、西尾氏はパソコンや携帯が苦手な人らしく、ブログも原稿を書き、パソコンでブログにするのは、代行してもらうらしい。それでもインターネットの世界に西尾氏は飛び込んだのである。西尾氏らしい、辛辣かつ、厳格なコメント満載である。

 最初は一時話題になった西尾氏の皇室批判の話題であるが、小生はまともに読んだこともない。西尾氏は皇室に対して諫言をしている。それを読んだことがないので論評はしない。ただ、「・・・皇太子殿下が雅子妃殿下を迎えられたことについて私は近代日本の学歴主義との結合と書きましたが、ここで天皇家は学歴主義を新しい権力と誤解したのではないでしょうか。(P291)」という。この指摘は「天皇は権力に守られる。それにより権力は勢いを増す。」ということと関連している。

戦後は皇室はアメリカという権力によって守られている、ということでもある。確かにその通りである。だが、単にアメリカを、かつてから皇室が守られていたような権力と同列に考えるのは疑問ではないか。また、雅子妃殿下以前に、美智子妃殿下という民間人を受け入れた、というのは昭和天皇ご自身ではなかったか。

それはかつて藤原家などから皇室に入った、ということとは異質な気がする。戦後民間人が皇室に入った、ということは英王室などによる影響ではあるまいか。つまり開かれた皇室というものに影響された結果であるような気がする。つまり西欧を入れたのは昭和天皇ご自身からではないか。それについて、どうこう言うつもりはない。事実関係として言いたいだけである。

 北岡伸一の田母神論文批判である。「日米開戦直前にアメリカが示した交渉案のハル・ノートを受け入れたら、アメリカは次々と要求を突きつけ、日本は白人の植民地になってしまつたことは明らかだと(田母神氏は)いう。・・・ハル・ノートをたたき台に、したたかに外交を進めることは可能だった。その結果が、無条件降伏よりも悪いものになると考える理由は全く分からない。」(P100)

 これに対して西尾氏は「思い込みと野蛮な非合理感情に動かされるアメリカの開戦への驀進は、イラク戦争でも目撃ずみです。・・・今の時代感覚でハル・ノートの時代を判断している楽天的幻想です。ルーズベルトの高まる対日敵意とアメリカの年来の中国大陸への野望、欧州戦線とのかね合い、そしてなによりもあの時点でのアメリカの自己過信がもたらした尊大横暴です。勿論アメリカにも理性的な人はいたでしょう。ですが、そこにだけ目を向けて、日本の『負ける戦争を始めた当時の指導者』の『責任』を言い立てる北岡氏のもの言いは、・・・最初から旧敵国アメリカの側に身を置いて歴史を見ている姿勢です。厳密にいえば客観的な歴史の事実は把握不能です。ことに現代史は実証的な歴史そのものが不可能です。」と断言する。

 北岡氏の言説は、国際関係の厳しさと複雑さを知らない、幼稚なものとしか言えない。西尾氏の批判以前に、保守を自称する人物にも、ハル・ノートは無視するか受け入れたふりをすれば、戦争をしなくて済んだ、という者がいるから救いようがない。

ハル・ノートは日本が受け入れる事ができないで、開戦せざるを得ないようにする目的で出されたのだから、事実誤認も甚だしい。米国は交渉する気はなかったのである。もし、日本が米国民にハル・ノートを公開していたら、米国民は米国政府に怒って、反戦機運が盛り上がり、開戦を回避できた、という説も同様である。ハル・ノートより前から公然と石油禁輸などの経済制裁に近い挑発を行っているのである。それらの公然たる挑発を米国民も知っていたのだから、米国民の反戦感情を利用するなどと言うこともあり得ない。

 「現代史は実証的な歴史そのものが不可能」だというのは、日本では定説とされてきた張作霖爆殺の真相が必ずしも正しいとは断言できない証拠がでてきたことや、カチンの森のポーランド将兵殺害がナチスドイツの仕業ではなく、実はソ連軍の仕業だと逆転したことが、それほど昔ではなく、歴史が現代に近いほど皮肉なことに事実が隠蔽されやすいということでもある。

 鎖国の理解であるが、通例では江戸時代にヨーロッパ文明を警戒していた、とされるが、「もう一つの側面は、中華文明に対する土着文化の長い時間をかけた、静かな拒絶反応の表現であった(P115)」というものである。これは菅原道真が遣唐使の廃止をして、支那文明の導入をやめたことを言うのではない。

 日本は、それ以前から漢字などの支那文明を取り入れながら、同じ姓の者とは結婚しない、イエを守るための形式的養子を認めないなどは、日本の都合でこれらの支那の制度は採り入れないできた。

「何から何まで日本社会とは異なることを少しずつ知ったのは、江戸時代を通じ、儒教以外に学ぶもののなかった学習時代を経て、日本人が自己認識を深め、一つの自立した日本文明が成立していった結果に外なりません。日本は江戸時代にある意味で文明化していたと考えます。ゲーテが見た、神と自然が調和した秩序は、新井白石や本居宣長が見ていた世界に重なります。明治になって『文明開化』したのではありません。」ということである。

西尾氏は歴史家の秦郁彦氏を批判する。小生も以前は、慰安婦問題で吉田の嘘本を実証的に暴露した秦氏の功績を評価していたこともあったのだが、「南京事件」について、秦氏が被害者数の大小に相対化する態度を取っていたことに疑問を持った。

「秦 ・・・西尾さんは欧米の『意志』を悪しざまにおっしゃるけれど、この時代、どの国もみな互いに謀略を仕掛けあっているわけですね。ワルはお互いさまで、負けたからといって『騙された』と泣き言をいうのはみっともない。・・・

西尾 秦さんは日本も覇権争いに加わった一国にすぎなかったと、当時の各国を相対化されたが、世界史観において、私は全く立場が異なる。西洋のキリスト教原理主義からくる裁きの思想、・・・善と悪を自分の頭上に掲げ、自らに対する裁判官にもなり、処罰者になる。日本人にも中国人にもこういう発想はありません。この思想は・・・スペインとポルトガルが帝国主義的拡張をつづける過程で全世界に飛び火していく。・・・パリ講和会議の時点で、すでに第二次大戦後のニュルンベルグ裁判とまったく同じような『裁きの意志』が露顕していました。(P127)」

このようなやりとりがあり、秦氏は西尾氏に同感です、と言いながら、結局は相対的な発想は崩さないばかりか、東京裁判を「ほどほどのところに落ち着いた、比較的、寛大な裁判だった」というのだから何をかいわんやである。だから西尾氏に「秦さんはどうも旧敵国、戦勝国のような立場に立って・・・日本を裁いている。」と論難される。

東京裁判の裁判官らですら、後日東京裁判を批判しているから、秦氏はそれ以上に戦勝国的立場に立つのである。西尾氏が秦氏を保坂正康氏と同類扱いするのも分かる。

民主主義教育について、「どんな社会にもエリートは存在するし、必要とされる。問題は、教育への機会均等という美名の下に・・・正しいエリート教育の在り方が一度も真剣に討議されなかったことにある。エリート教育とは、精神の貴族主義を養成することであって、権力への階段を約束することではない。(P228)」と喝破している。官僚でも実業界でもこの点に大いなる誤解があるが、無理からぬことであろう。

受験勉強はなぜするか、と言えば「快適な生活、安全な身分保証、適度の権力欲」という自己逃避であるのに、自己逃避せずに勉学するという受験生の態度は、「明らかに矛盾である。」というのは本当である。

小生のかつての知人で、自らの人生経験をあからさまに語る人がいた。必死に勉強して一流大学に入ったが、その時点でエネルギーを使い果たしてしまったというのだ。だから自分は卒業した大学の割に、不本意な地位にいるのだが、同窓会に出ると皆一流会社の役員や社長ばかりだと言っていた。卑下したり嫉妬するでもなく、あまりに有体に言うので、嫌味も何もない。西尾氏の言説の裏面の真実を聞かされていた気がする。

大江健三郎は不自然な人物である。大江が新制中学時代に憲法を習った頃の思い出を語っている。(P232)その文章を西尾は「符牒や暗号を一度叩きこまれたら、もう二度と疑うことのできない人間改造の見本のようなものである。これはまた子供はどのようにでも教育できるし、大衆の意識はどのようにでも改造できる・・・大江氏が別のエッセーで『天皇は、小学生のぼくらにもおそれ多い、圧倒的な存在だったのだ』と戦時中の自分の姿勢を書いていることである。

昨日まで戦争をしていた若い先生に、修身の代わりに平和憲法を教えられたことを後年まず矛盾と考えるとのが正常な感覚だと私は思う・・・大江健三郎氏には〈主権在民〉や〈戦争放棄〉はモラルではなく鰯の頭、疑ってはならない護符、呪文、要するに天皇と同じように『おそれ多い圧倒的な存在』であったということでしかあるまい。

大江さん、嘘を書くことだけはおよしなさい。私は貴方とまったく同世代だからよく分かるのだが、貴方はこんなことを本気で信じていたわけではあるまい。ただそう書いておく方が都合がよいと大人になってからずるい手を覚えただけだろう。」と辛らつだが本当である。

大江の天皇陛下に対する敬意と、その後の言動の矛盾から分かるのは、大江は単にそのとき受けのいい言動を繰り返しているのに過ぎない。国粋主義的風潮が世に蔓延すれば、簡単に「主権在民」などいう「呪文」は捨て去るであろう。

そして「民主主義は政治上の、相対的な理想であって、決して教育理念にすべきではない。・・・民主主義の名において民主主義のために戦いたがる青年たちが、民主主義を事実上許さない政治体制につねに従順であるのは、戦後民主主義の七不思議の一つである。民主主義が再び抑圧されはしないかとたえず警戒し、いきまいている青年たちは、間接的に自分たちの抑圧されやすいことを告白しているようなものである。(P234)」

青年たちばかりではない。大江のような年寄りまでもそうなのである。中共や北朝鮮のように民主主義どころか民衆が限りなく抑圧されている国家に従順なくせに、日本政府に対してだけ、民主主義の危機だなどといきまくのである。


映画評論・バイオハザード ファイナル

2017-01-15 13:01:58 | 映画

映画評論・バイオハザード ファイナル

 もちろんバイオハザードシリーズの完結編である。ストーリーを説明するつもりはない。画面に何回か出る、荒廃した大都市の風景には、どこか見覚えがある。そう、原爆などの米軍の無差別爆撃で焼け野原になった、日本の都市の風景の写真にそっくりなのである。

 猿の惑星の「猿」のモデルが実は日本人で、原作者は、大東亜戦争当時、東南アジアで日本軍に収容されていたピエール・ブールというフランス人である。ブールは、無力な白人たちと白人が開発したはずの兵器で白人を支配する猿たちの関係と、大東亜戦争で捕虜となった白人兵士と日本兵の関係にアナロジーを見たのである。

 小生も最初はそれに気付かなかった。何年かして、ようやくこのアナロジーに気づいた。知人に話してみたが、笑って取り合ってもらえなかった。その後、ある雑誌で、実は想像は正しかったばかりではなく、この映画が日本で公開される際に、米国人は日本人が、この映画を嫌って見に来ないのではないか、と恐れたという。しかし、ほとんどの日本人は気付かないどころか、ヒット作になった。

 ニューヨークにはハーレムという地区がある。その昔、アメリカ出張の際の休日の観光で、ハーレム見学とメトロポリタン美術館見学コースがあって、小生は後者を選んだのを一時後悔した。当時のハーレムは浮浪者などが占拠するひどく荒廃した地区で、一人で入ったら出てこられない、という話だった。

 観光もバスに乗ったままで、危険だから絶対外に出るな、という注意があった。テレビで見たハーレムの光景は、ハリウッド映画で見る核戦争などで荒廃した街とそっくりであった。これはハーレムをモデルにしたのだと勝手に想像している。それを実見しなかったのを後悔したのである。その後ハーレムは徹底的に治安改善が行われ、普通の街になったそうである。

 これらは、フィクションであっても、実体験や見聞が映画などの元になることがありがちだ、という見本である。バイオハザードで見る、ウィルスの被害で荒廃した光景は、米軍の無差別爆撃で破壊し尽された日本の都市がモデルに違いないと思う。そればかりではない。ぞろぞろと行進する「アンデッド」の群れは、空襲で焼かれた日本の民衆の死体がモデルであろうと邪推する。

 東京都内では、空襲で焼けただれた民衆が、灼熱に水を求めて隅田川や旧中川などに飛び込んで折り重なって死んでいった、と聞く。アンデッドにはそのイメージがあるのではないか。アメリカ人が日本の無札別爆撃を表向き、いかに正当化しようとも、意識の下では罪悪感があるのだと思う。