毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

真珠湾攻撃異見

2015-03-29 11:45:55 | 大東亜戦争

 現在の日本では、自虐的な者たちを除外しても、真珠湾攻撃を愚行だとする意見ばかりであるが、理由は論者によって異なるから、同一意見だとは言いにくい。それでも、騙し打ちとなってアメリカ国民を戦争に駆り立てた、とか、戦艦が沈んだところで引き揚げられることは分かっており、空母を取り逃がしたばかりではなく、石油タンクや工廠を破壊しなかったから容易に反撃されたた、などというものが大勢であろう。

 さらに、対米戦は避けることができたはすだとする主張もある。そのいくつかのうちの極論は、アメリカを攻撃せずに、独ソ戦が始まった当時松岡洋右が主張したのと同じくソ連を攻撃せよ、というものである。だが、昭和十六年当時米国はソ連に対しても、レンドリースによって、大量の武器を与えていた。つまり中立ではなく、実質的にソ連側に立っていたのである。そのソ連を攻撃するということは、日本が米国の敵となることを意味するから、対米戦を避ける方法とはなり得ない

 ハワイはフィリピンとは異なり、本土に準ずるからハワイを攻撃せず、植民地のフィリピンを攻撃すれば米国の矛先は鈍る、という説もある。これとて、メキシコ領に勝手に作ったアラモ砦に立てこもった米国人を全滅させた、ということを米墨戦争の口実とした米国にとっては、植民地か否か、ということも問題外である。

 石油資源を求めるだけなら、米国を避けて蘭印すなわちインドネシアの油田地帯だけを攻撃すればよかったというもある。尊敬する憲政史学者の倉山満氏は「石油が欲しいなら、オランダ領インドネシアにだけ進駐すればいい話です。・・・当時のアメリカは石油会社の利益を守るために戦争を起こせるような国ではありません。」(嘘だらけの日露近現代史P209)と書く。

 しかし、支那事変に対して中立国のはずの米国が、援蒋ルートを遮断する目的のペタン政権と合意の上の仏印進駐にさえ、通商条約破棄や経済封鎖といった、事実上の宣戦布告行為をしている。経済封鎖を打破する目的の蘭印占領に反応せぬはずもない。ましてハルノートは宣戦布告でも何でもないから無視すればよかった、というのは論外である。蘭印を占領すれば、米国はフィリピンから対日通商破壊をするから、結局日本はフィリピンを占領せざるを得ないのである。

 これらの説は全てルーズベルト大統領が、参戦しない、という公約に拘束されて日本が直接米国を攻撃しない限り、対日戦争は始められなかった、という言説が事実である、という前提に立っている。ところがどうだろう。「『幻』の日本爆撃計画」という米国人の著書によれば、ルーズベルト大統領は、300機の大編隊で日本本土を爆撃する計画を立案させ、実行に着手しつつあった、という。

 もちろん機体には中華民国の国籍標識をつけ、搭乗員たるアメリカ人は義勇軍として参加する、というものである。いくら義勇軍だと言い張っても、国際社会が本気にするはずはない、田舎芝居以下の見え透いた嘘である。結局爆撃機を英国に回すため機材が不足して爆撃自体は実行されなかったのだが、「実行に着手しつつあった」というのは、有名なフライングタイガースという日本軍と闘った「義勇軍」戦闘機部隊はは、爆撃計画のその一部として派遣されたのであったからである。

 また、米国は前述のレンドリース法や大西洋への駆逐艦派遣とUボート攻撃などの実質的参戦行為を行っている。問題は爆撃計画もこれらの実質的な参戦行為も、国民に秘匿されていたどころか、マスコミに公表されていたのである。もちろんレンドリース法は議会を通過しているから、過半数以上の支持者が賛成していたのである。

これらに対して、チャールズ・リンドバーグなどの少数の例外を除いて、米国民や識者の間から公約違反だという大統領非難の激しい議論が起こったということも聞かない。ルーズベルトや取り巻きの共産主義者が支那の共産化のために陰謀を巡らせて、支那事変や対日戦争を陰謀したという説は尤もであるが、ここまで公然とやられれば、陰謀にはならない。結局米国民は対独、対日戦争を心底では望んでいた、としか言いようがないのである。だから対日戦が始まれば「リメンバー・パールハーバー」という合言葉がなくても米国世論は戦争への興奮で沸き立ったのに違いないのである。

この傍証として、例えば福富健一氏の「重光葵」に「・・・当時のアメリカ世論は日本人への怨嗟で満ちていた・・・」(P103)というように1924年に成立した排日移民法が語られている。当時の日本人移民は、年間二百数十人に過ぎなかったから、米国民の怨嗟というのは、支那人のように蝗のごとく大量にやってくる民族移動に対する恐怖ではなく、劣等であるはずの有色人種である日本人が、ロシアを破り、米国国内にすら脅威を与えている、という恐怖心である。白人と対等な能力を持つ日本人が、米国内でこれ以上増殖することに危機感を抱いたのである。昭和天皇が排日移民法が、日米戦争の淵源であると語っておられるのは、同法に日本人が反発したことが原因である、というのではなく、その時点で、排日のための対日戦争の可能性を米国民が漠然と脳裏に描いていたことが原因である、と考えておられた、ということではなかろうか。日米交渉が困難になった時点でも、日本政府も国民も対米戦争の可能性を低く考えていた、あるいは望まなかった、という事実からも、排日移民法への反発が日本側から対米戦につながっていると考えるのは無理がある

米国が対日戦を望んでいたのは分かっていたはずである、というのは結果論のようであるが、そうではない。事実前掲の「『幻』の日本爆撃計画」によれば「アメリカの意図を理解するのに、日本は手の込んだスパイ組織の助けなど必要としなかった。1941年の秋には、日本爆撃計画はアメリカの活字メディアで広く報じられていたからだ。(P239)」のである。日本人は外交官でなくても、欧米の新聞をチェックしていた知識人や政治家もいたから、その程度の公開情報は入手可能であった。公表されたマスコミ情報だけで、これらの事実は分かるからである。例えば駐米大使館が米国マスメディアの分析さえしていれば分かるからである。

多くの識者が論じているので一言だけしておくが、山本五十六司令長官が、真珠湾で太平洋艦隊を壊滅させれば、米国は戦意喪失して早期講和に持ち込めると、もし本気で信じていたとすれば、あまりにも戦史や国民性を知らなかったと言わざるを得ない。山本は戦艦の撃沈で満足して、徹底した破壊を行わずに艦艇の損失を最小限にして帰還することを許していることから、その後も簡単に戦争は終わらないと漠然と考えていたのであろうとしか、思われない。

脱線が長くなったが、対米戦が避けられなかったとすれば、いかに開戦すべきであったか、ということを論じる前提を述べたのである。第一に真珠湾攻撃だけが戦争に向かって米国民を団結させた原因ではない、とすれば真珠湾攻撃の可否や時期、方法等は軍事的にだけ考えればよいのである。

 米国の対日戦の要石となるのは、真珠湾である。対日戦への補給は全て真珠湾を経由している。艦艇もすべて真珠湾を経由して移動しているからである。つまりハワイからこれらの機能を喪失させればよいのである。艦上機による工廠、港湾施設、石油タンクなどの施設の徹底した破壊である。艦上機による艦艇の攻撃はせいぜいそのおまけである。

 むしろ、空襲部隊への援護に随伴した戦艦は霧島と比叡だけだったが、せめて米太平洋艦隊と同数の長門以下の戦艦を出撃させ、随伴した巡洋艦による施設への艦砲射撃と、退避する艦船に対する戦艦の攻撃するのがよい。

 実際に、ハワイに出撃しなかった8隻の戦艦のうち、金剛と榛名だけが南方作戦に支援として出撃していたが、長門以下の6隻は柱島に停泊し、「トラ、トラ、トラ」の一報を受信すると、山本に命じられて豊後水道を通過し、小笠原付近までのこのこ行って何もせずに帰ってくる。「私論連合艦隊の生涯」を書いた元海兵の豊田譲氏ですら、ある下士官の口を借りて「勲章をもらうための行動」と揶揄している。余った戦艦はあったのである。

大東亜戦争における海軍の攻撃法は、航空機だけ、あるいは艦艇だけのいずれかだけの攻撃によるものがほとんどで、これらをミックスした複合的な攻撃が滅多にないのを不可解に思うのである。攻撃レンジと破壊力で、双方は補完の関係にあるからである。

 攻撃の時期であるが、実際に行ったように開戦劈頭でなければ、攻撃は困難となるから開戦時である。後は定期的に米本土からの補給や施設の修復の妨害が必要である。米潜水艦による跳梁もなくなる。こうすれば、対日反攻は極めて困難となる。結局真珠湾攻撃はすべきであると考えられるが、実際にも日本軍が悩んだように第二段目の作戦が最も悩ましい。そのヒントはドイツとの連携によるイギリスの屈服ではなく、東アジアの植民地の独立であると考える。


帝国憲法の真実・倉山満・扶桑社新書

2015-03-28 13:12:17 | 憲法

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 もちろん倉山氏の著書を読むのは、教えられることが多いからである。だが時々論理をきちんと説明しないことと、言葉使いに違和感を覚える。後者は例えば本書で、アメリカを評して「これは、『余裕ブッこいている』以外の何ものでもありません」(P60)あたりです。もちろん「」なので例えではあろうが、余りに言葉が粗野である。ですます調で通しているから、ますます奇異に感じる。

このことは、歴史上の人物に一方的に悪罵を加えるのと軌を一にしている。だからといって小生にとって氏の著書の価値を下げるものではない。ただ理解を妨げることがあろうことを恐れる。品のいい物いいをすればいいというものでもない。しかし、文章を公にする以上、最低限度の格調と言うものがあろうと思うのである。

閑話休題。最大の興味ある命題は、自衛隊は軍隊ではない、ということである。護憲派の人たちに言わせると憲法九条では、戦力の保持が禁止されているから、自衛隊は違憲の軍隊だから廃止すべき、というのが本音である。だが倉山氏は、九条を改正したところで軍隊にはなり得ない、というのである。

国際法上の軍隊の定義は①責任ある指揮官のもとに、②識別しうる標識を有し、③公然と武器を携行し④戦争法規を守る集団であること(P54)であるから、自衛隊は確かに国際法上は軍隊である。自衛隊は警察官僚が大勢参加した結果、法体系が警察型になった。警察は許可されたことだけしかできない、ポジティブリスト型で、国際的には軍隊とは、禁止されたこと以外は何をしてもよい、というネガティブリスト方式である(P58)。

例えば、領空侵犯されると自衛隊機は2機でスクランブルし、1機が攻撃されるとようやく、正当防衛で反撃できる、というものである。国際法上、軍隊は警告射撃し、それでも領空から退去しないと、撃墜するのだが、自衛隊法で禁止されている。つまり自衛隊は軍隊もどきであって、戦車や戦闘機といった、普通の警察が持ち得ない威力が大きい兵器を持つモンスター警察なのである。つまり倉山氏が言う通り、国内法の立場で考えるなら、日本に軍隊はないのである。

憲法とは何か。(P123)憲法とは国家体制そのものであるから「国体」である。英語のconstitutionは憲法と国家体制の二つの意味に訳される。正確には二つは同じ意味なのである。国体とは、その国の歴史、文化や伝統に則っている。すると日本国憲法のような成文憲法とは厳密には「憲法典」と呼ぶべきである。自民党の赤池参議院議員は「現行憲法は憲法違反の憲法だ」と言っても誰も意味がわからなかったそうであるが、憲法を国体と解し、成文憲法である日本国憲法と区別すれば、この見解は正しい。すなわち占領軍は日本の歴史、伝統、文化を破壊する目的で現憲法を作ったからである。(P126)

本書の主意のひとつは、日本国憲法の前文には「暗号」が隠されている、ということであろう。日本国憲法の前文は英語の原文の直訳だから、極端に醜い日本語である。自然な日本語にこなれたものにすればできないことはなかったのに、敢て当時の日本人は、下手な直訳にしたか。それは「この憲法は日本人の手によるものではなく、アメリカ人が押し付けてきたので、日本政府は嫌々受け入れているのだ」(P26)というのである。

だが人間の心理とは不可思議なものである。戦後の日本人は、子供の頃から長い間、日本国憲法とは、平和と民主主義、国民主権の有り難いものだ、と教育された結果、この暗号を読み取れなくなってしまっているのが現実である。アイドルが読んだ日本国憲法なるヨイショ本まで出ている位だから、病膏肓に入ったというべきであろう。あたかも翻訳調であるかのような見苦しい日本語の大江健三郎の作品が売れ、欧米言語に訳しやすい結果、ノーベル文学賞をもらったのも、大江が日本国憲法に膝まづく人であることとも関係はあろう。


なぜクマラスワミ女史はスリランカ人か

2015-03-16 15:25:01 | 連合軍の残虐

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 「慰安婦問題」で国連にクマラスワミ報告を書いたクマワスワミ女子は、スリランカの出身でインターネットを調べたら1953年生まれで、ハーバード大学などの米国の大学で学士号などを取得している。現在はニューヨーク大学教授であり国連で活躍したこともある。スリランカは1948年にセイロンとして英国から独立したから、彼女は英国の支配は知らない。

 それにしても、スリランカはインドと共に、英国から過酷な支配を受けたから、彼女のように人権活動家であって、過去の人権問題を告発するなら、まず祖国と隣国の英植民地時代の英国による過酷な支配を告発すべきであろう。小生は、彼女がそうしないで、アジアで独立維持のために唯一戦った日本の「慰安婦問題」の虚偽報告まででっちあげた理由を考えたいのである。

GHQ焚書開封10「地球侵略の主役イギリス」から英国の過酷な支配をざっと見る。インドの紡績産業をつぶすために、紡績工全員の指を切断した。拷問殺害は当たり前、態度が反抗的だという口実だけで投獄あるいは殺された者は、何万何十万か知れない。インド人を徴兵して関係ない国の戦争に参加させ、徴兵に応じない者は苛烈な拷問にかける。

 農業を破壊し尽くしたために、人口の3分の1の一億人は常に飢餓にある。学校は壊されて60%あった識字率は7%に激減した。これらのことは、全てイギリスがインドから収奪して冨を得るためである、というからひどいというより恐ろしいものである。植民地とはそのようなところを言うのである。

 そこでクマラスワミ女史である。前述のように女史の教養と働き場所は全て欧米である。元英国植民地の常として上流社会の彼女は英語のバイリンガルであろう。つまり、アウンサン・スー・チー女史と同じでメンタリティーは欧米人なのであろう。

 このような人たちの常として、かつて父祖が欧米の苛酷な植民地支配を呪詛し、独立を渇望したことを忘れている。欧米流教育によって忘れさせられている。そして、わずか数年の日本の軍事占領を声高に批判することを無上の喜びとしている。日本は東アジアの欧米の領土を軍事占領しただけで、植民地支配したのではない。女史らが宗主国を批判しない根本的原因は、欧米の支配により恐怖が骨身にしみているのであろう。欧米は出て行ったとはいえ、彼らに屈服したのではなかった。

フィリピンは米国から独立を与えられ、インドネシアは40万人もの犠牲を出す独立戦争に勝ちながら、オランダから独立のための賠償を奪われた。インドのガンジーが非暴力の独立運動を讃えられるのは、英国に都合がいいからである。インド独立はガンジーの非暴力運動で得られたのではない。

かつての欧米の植民地だった国の人々は、未だに宗主国を恐れている。だから英語のバイリンガルであることを誇りに思い、欧米流の歴史観を持つことを自然であると、上流社会の人々が思うのは当然であろう。だからクマラスワミ女史が韓国や反日日本人の嘘を容易に受け入れ、日本が性奴隷を使ったと報告することに信念すら抱いているのである。

今の日本人の情ない状態はさておく。日本人はガンジーやネール、スカルノといった東アジアの強い指導者は戦前にも戦後にもいなかったと嘆く。ならば、どうしてそのような指導者を輩出する、かの国々は容易に植民地になり、日本は欧米の植民地にならなかったのであろう。答えは自ずから明らかであろう。


バターン死の行進はなぜ起きたか

2015-03-15 12:45:24 | 連合軍の残虐

バターン死の行進はなぜ起きたか 

 私はバターン死の行進と言われる捕虜虐待がなぜ発生したかを問うているのではない。以下は「インディアン悲史の書評の一部の再掲載である。 

「涙のふみわけ道」(Trail of Tears)とはチェロキー・ネイションの強制移住である。単に白人達に邪魔だと言うだけで、着の身着のままで1300kmも移動させられ、死者は四千人、四人に一人が死に、死者を出さなかった家族はいなかった(P208)。単に移動だけではない強姦殺戮も行われたのである。しかし大統領はインディアンの了解にもとづいて行われて幸福な結果をもたらした(P208)と国会に報告するほどの恥知らずである。アメリカ人はありもしない「パターン死の行進」を日本軍の残虐行為をでっちあげているが、その米人ですら、「涙のふみわけ道」にくらべりゃ、パターンの死の行進なんざそんじょそこらのピクニックみてえなもんだ(P152)」と評したのだ。要するに「バターン死の行進」とは自分たちの行為を日本人に投影して発明した嘘である。嘘をつく人間は自分がしそうな悪事を人がやったと言うのだ。 

 と書いた。戦争にあたっては政府は自国民自身をも欺く宣伝戦も行う。「民主義国家」も例外ではない。第一次大戦の際には、英国はドイツびいきが意外に多い自国民に、ドイツ軍の残虐行為をでっち挙げて、国民をドイツとの戦争に駆り立てた。米国は、それを更に上を行って、日本軍の残虐行為をでっちあげたのである。日本軍は収容施設に捕虜を移送する、という当然のことを行ったのに過ぎない。それは、第二次大戦で初めての大規模なものであったが半分は鉄道輸送だったから、距離からすれば、涙のふみわけ道の20分の1に過ぎない。しかし米国人にとって、自ら行った、距離から言えばはるかに大規模で、内容からも残忍な、涙の踏みわけ道、と同じものでなければならなかったのである。そんな大嘘のプロパガンダを、愚かにも、現代日本人は信じているのだ。

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戦犯虐待の記録・佐藤亮一・国書刊行会

2015-03-01 12:50:09 | 連合軍の残虐

 文字通り、大東亜戦争後に練護国の捕虜となった方たちの虐待の記録である。もちろん戦犯などと言うのは、嘘でっち上げであり、捕虜を虐待するための口実である。連合国は、緒戦で敗北した姿を植民地の人々に見られる屈辱を味わい、その結果、植民地が独立してしまったための復讐をしたのである。有名な会田雄次氏の「アーロン収容所」とは桁違いの連合軍による残虐行為が書かれている。

 それも戦中、怒りや恐怖に駆られての虐待なら、心情として理解できなくはない。だが戦後冷静になってから平和な時期の非道を極めた虐待である。虐待のあげくの殺人などは珍しくもない。これらの行為は、欧米の植民地で日常に行われていたことと同一であろう。欧米の植民地支配に対する、現代日本人の無理解には、とんでもないものがある。結局、辛くて読破できなかったのは、著者や犠牲者の方々に申し訳ない次第である。

 だひとつ「旧来の国際慣例からいっても、講和成立とともに戦犯者に対しては大赦が行われ、たとえ大赦条項が適用されなくとも、当然のこととして戦犯は放免されるのが常であった。第一次大戦後のベルサイユ条約でも、ドイツ戦犯者の引渡し要求は事実上空文と化し、ドイツみずから、国内裁判で、きわめて少数のものを軽い刑に服させたのみである。(P31)」と指摘しているのも重要である。結局第二次大戦後は、連合国はこの慣例を無視するという時代に逆行することを行ったことが書かれていることを指摘しておく。