毎日のできごとの反省

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書評・日本は勝てる戦争になぜ負けたのか

2019-11-12 16:56:22 | 軍事

日本は勝てる戦争になぜ負けたのか・新野哲也・光人社

 全般的にかなりの思い込みと直感で書かれている。このことは著者自身も自覚している。直感で書かれていると言うのは悪いことではない。科学でも仮説と言うものは多くがそのようなものだからである。著者の主張を大雑把に言えば、方向こそ異なれ、陸海軍にそれぞれ日本の敗戦による革命を望んだものがいたから、勝てる戦いを負けた、と言う事であろう。これは必ずしも唐突なことではない。当時のアメリカ政府中枢はソ連のスパイに占拠されていて、外交の多くが決定されていた、と言う事は戦後のレッドパージで証明されている。ゾルゲ事件に象徴されるように、日本でもソ連のスパイが政治中枢を動かしていた、というのも事実であろう。その暗部は我々が知っているよりはるかに大きいのに違いない。日本は敗戦と近衛文麿の自決によってその全てが闇に葬られてしまったのであろう。 

日本人の多くが、かつての仇敵であったソ連の共産主義体制の惚れ込んだのは不思議ではないのかもしれない。日本の敵は帝政ロシアであった。ソ連はそれを倒したのである。敵の敵は味方であるかも知れない。しかも計画経済により、重工業化の大躍進をしたと伝えられた。軍備のため重工業化を必要とした日本もそれに続け、と考えたとしても不思議ではない。だから軍人が密かにソ連に傾斜したとして心情的にはあり得るのかも知れない。石原莞爾の総力戦の思想も国家社会主義を前提としているし、石原以上の戦略家であった永田鉄山も同様である。ソ連の重工業の躍進が農業を犠牲にした事は、ばれていないし、ソ連のスパイ活動の暗躍もあったのであろう。 

 ただ海軍が戦争下手であったと言うのは著者の言うように敗戦革命を望んだという高等戦術ではなく、幹部教育の失敗と官僚主義によるものであったと思う。陸軍は人間を相手にした戦争をするだけに、戦史教育を含んだ戦略と言うものを考えなければならない。しかも満洲鉄道を保護する関東軍を持っていたために、必然的に異民族を相手にした生きた戦略を学んだのである。海軍は、日本海海戦を艦隊決戦の勝利と誤解して、艦隊決戦に勝つための教育しかしてこなかった。日本海軍の戦略とは軍艦のカタログデータを優れたものにすることでしかなかった。この差が海軍には石原莞爾のような戦略家を生まなかったゆえんである。指揮官教育と言う点でも海軍には問題があった。東郷平八郎は、白旗を揚げて降伏の意思表示をするロシア艦隊に対して、参謀の進言を退けて停船するまで砲撃させた。ミッドウェー海戦で山本五十六は、空母ありの報を南雲艦隊に伝えたらどうか、と言ったが、参謀に反対されて止めてしまったと言われている。大東亜戦争の海軍には指揮官に必要な決断力がない者が多い、と言わざるを得ないのである。 

 著者はインド洋攻略を主張しながら、インパール作戦を批判しているのは矛盾である。艦砲や艦上機の攻撃だけでインドの英軍を駆逐するのは無理である。海軍の本質は補給路の確保や上陸の支援など、陸軍のサポートであって陸上兵力と対峙する事ではない。最後の勝利は歩兵により得るものである。昭和の日本海軍は敵艦船の撃沈を究極の目標としたが、これは作戦の手段に過ぎないという、明治の提督すら知っていた事実を忘れていた。東條がインパール作戦を指示したのはボースに対する同情ではない。戦略が分かっていたからである。インドの蜂起なくして英軍の駆逐はなく、英軍の駆逐なくして、インドの独立はない。インドの独立なくして東亜植民地の独立はない。 

 東亜植民地の独立なくして英米に不敗の体制を築くことはできない。日本軍の初期の快進撃を支えたのは、西欧の植民地の民が日本軍を支えたからである、という素晴らしい事実を書いているのはこの本ではないか。山本五十六が無暗に拡大戦略をとってソロモンの消耗戦で航空機と艦艇に甚大な被害を受けて失敗したのは、そもそも攻勢終末点というような戦略教育すら受けていないからとしか考えられない。山本は結局米戦艦の撃沈しか目的としていなかった。艦艇勢力が劣勢だから航空機で補おうとしていたのである。海軍が米国には勝てないとは言えなかったのも、三国同盟反対から賛成に転じたのも、全てが陸軍に対する予算均衡と言う官僚的発想であった。 

 著者の言う、日本の戦争下手は戦士たるべき軍隊の中枢が官僚化したのが原因である、というのは事実である。官僚化したのは陸大海大の成績で序列が決まると言うシステムが原因である(海軍は海大よりも兵学校)。システムの失敗はエリート教育の失敗であると言う著者の主張も事実である。政治家教育の失敗も同様である。それが陸大海大帝大を作ってエリート教育事足れりとしたのは、明治元勲の失敗であるのは事実であるが、その原因が下級武士出身だったと言うのは間違いであろう。いずれにしても著者の指摘する日本には正しいエリート教育がなく、学歴偏重の官僚主義が日本を蝕んでいる、というのは現代日本においても大きな課題である。真のエリートのいない議会制民主主義とは、衆愚政治の別称である。 

 確かに長い江戸時代にあっても武士の教育が続けられ、それが維新の原動力になり、日清日露の戦争の指導者の精神的基礎であったと言うのは事実である。しかし下級武士だったからエリートを育てなかった、と言う批判は単純に過ぎる。現に徳川末期の将軍後継の争いなどは、序列を重んじる官僚的発想で、新野氏の批判する学歴偏重と根源は同じである。むしろ伊藤らは下級武士から成りあがったからこそ、東郷のように成績優秀ではないものを戦時に抜擢した海軍の風潮の見本となったのではないか。明治期には伊藤、西郷、大久保らの実力主義の成り上がりの風潮の残滓があったからではないか。 

 著者は昭和十六年の時点で日米開戦を避けることができ、避けるべきであったと言うが、明白な誤りである。そもそも新野氏は、避けるべきであったと言うために、避ける事が出来たとこじつけている節がある。避ける事ができないのであれば、避けるべきであったと言っても仕方ないからである。日米開戦の直前ルーズベルトは「ラニカイ」と言う海軍籍にしたぼろ舟を太平洋に遊弋させ、日本に海戦の一弾を打たせて開戦しようとして、太平洋をうろうろさせている、ぼろ舟が攻撃される前に真珠湾が攻撃されたのに過ぎない。この事が象徴するように、アメリカ政府は参戦したくて仕方なかったのである。 

 既にアメリカは武器貸与法を成立させ、大量の武器弾薬を英ソに送っていた。国際法の中立違反である。ということは事実上の参戦で兵士を送っていないだけであった。正確にはUボートを攻撃させたのだから兵士を送っていたともいえる。国民が本当に戦争反対なら、野党もマスコミもこのことを攻撃して世論は沸き立っていたはずであるが、そのような事実もない。米国が第一次大戦に参戦したのはドイツの船舶攻撃により僅かばかりの民間人の被害を生じたからである。大量の武器供与ははるかに危険な行為である。建前は反戦でも米国民は戦争やむなしが本音であったと考えるしかない。ハルノートは満洲からの日本軍撤退を要求していないし、最後通牒ではない、と新野氏は書く。支那に満洲が含まれていたか否かなどは瑣末な事である。ハルノートは突如交渉の経緯を無視して条件を極度に高くしたのは交渉の拒否を意図している。 

 米国が世論の反対にもかかわらず、あれほど長くベトナム戦争を継続したのは何故か。それを考えれば支那本土から撤兵すればいい、などと言う発想はない。既に日米修好通商条約を破棄し、禁輸など経済制裁を実行している環境の中である。これらのことは米国民周知の事実である。かつての社会党などはイラク戦争の直前に、戦争はしなくても経済制裁だけにとどめよ、などと主張したが、これは経済制裁が準戦争状態であると言う国際法の常識を無視している。ことほど左様に当時の環境からして、最後に登場したハルノートが最後通牒ではないと言うのは誤りである。ハルノートはソ連のスパイによって厳しいものに改ざんされていた、と言うのは事実であろうが、それ以前にルーズベルトは日米開戦を対独参戦の口実にしようとしていたのだから、ソ連のスパイの暗躍がなければ日米開戦はなかったとは考えられない。根本的には人種偏見もあって、支那大陸進出つまり体のいい支那侵略のために日本が邪魔だったのである。 

 ハルノートを公開していたら、と言う事は小生も考えた。だがそれ以前に石油禁輸その他の公式な経済制裁措置を取っている。従って大統領は、それにもかかわらず日本は譲歩しなかったから仕方なく原則的要求を行ったのだ、と説明すればお終いである。すなわちハルノートは唐突に出たのではなく、エスカレートする米国の制裁措置の最後に登場したのであって何ら不自然なものではない。アメリカ国民は原理主義の面があるから、日本の対外的行動をなじって理想的言辞を並べれば説得できる。当時の米政府のマスコミ対応は現在の日本よりよほどましであり、説明上手である。 

 真珠湾攻撃さえしなければアメリカは参戦できなかった、というのも考えにくい。地球儀を見ていただきたい。新野氏の言うように東南アジアの資源地帯やグアム、サイパンなどの島嶼を確保しようとすれば、そこに大きく立ちはだかるのはフィリピンである。真珠湾を攻撃しなくてもフィリピンでアメリカは邪魔するのに違いない。逆に言えば地理的に、これらの地域を確保しようするのに、フィリピンは最適な位置にある。必要なのである。結局この観点からも、英蘭に宣戦すれば、アメリカとの戦いは避けられない。とすれば真珠湾の無力化は必要である。 

原爆を積んだ重巡インディアナポリスの航路をたどってみよう。パナマ運河を通過して、サンフランシスコ、真珠湾に寄港しテニアン島で原爆を降ろした同艦はフィリピンに向かう途中で撃沈された。パナマ運河、サンフランシスコ、ハワイ、テニアン島のこれらの間はほぼ等距離である。航続距離や補給の観点からも、これらの地点を経由する必要があったのである。つまりハワイへの補給を断ち無力化すれば米軍は日本を攻撃できない。 

 よく言われるように無力化のためには、真珠湾攻撃の際に、港湾施設と石油タンクを破壊する事であるが、それだけでは足りない。潜水艦などをハワイ周囲に配置して、機雷封鎖や出入りする艦船攻撃などをしてハワイを使う事を常時防止する事である。アメリカ西海岸を砲撃したことから分かるように、イ号潜水艦の航続距離は他国のものに比べ極めて長い。そのような作戦は充分に可能であった。この本は基本的にいい発想から書かれているが、たまに我田引水があるように思われる、と言うのが書評子の結論である。

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プラモの効用

2019-11-09 17:05:40 | プラモコーナー

 このプラモの写真うち真横から写したものは、ソ連崩壊前のプラモ雑誌に載った、ある写真の機体を再現したものである。写真のキャプションにはこうある。

 「1945年4月、東部戦線のソ連包囲下を逃れ、イタリア北部・ファルコナラの米軍占領飛行場へ投降してきたクロアチア空軍所属のG-10。」

 G-10とはメッサーシュミットBf109G-10のことである。当時の日本人には「クロアチア空軍」はてな?だったのである。ソ連崩壊がした今でこそ歴史教科書をひもとくとクロアチアとは

 クロアチアは第一次大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国から独立して独ソ戦を戦うが、戦後ユーゴスラビアの1地方とされ、ソ連崩壊によって再度独立を勝ち取った。

 とまあ、要約すればこんなことになる。ところが、ソ連崩壊以前ならめったやたらに歴史の教科書にクロアチアなどという名前がのることがなかったであろう。ところが小生はプラモマニアだったために、ソ連時代には、ユーゴスラビアの一地方に過ぎなかったクロアチアという名前を、こんな訳で知っていたのである。

 それに大抵の日本人には、ソ連崩壊後、何故か突然に、ソ連から独立したのではなく、ユーゴスラビアから独立したことは奇妙であったのに違いない。しかしかつてクロアチア空軍なるものがあったのをプラモから知っていた小生には、意外でも何でもなかった。しかもクロアチアは、ナチスドイツとともに独ソ戦を戦い敗れたのであった。

 そして亡命したG-10のパイロットは、ソ連の魔手を逃れんとして、米軍占領地まで逃げたのである。いかに当時からソ連は東欧の人々から恐れられていたかが分かるエピソードである。クロアチアの物語はソ連圧政の象徴であるが、バルカン半島の野合分裂の象徴でもある。

 

 プラモの効用はそればかりではない。昔の左翼の人たちは、何とソ連を平和主義の国とみなしていたのである。ところがソ連軍用機のプラモ情報を知りたい小生にとっては、ソ連東欧圏は特に軍事に関しては徹底した秘密主義で、民需品そっちのけで、こっそり高度な軍事技術に予算を傾注していたのを知っていたから、平和主義など嘘八百だと知れたのである。

 そのため東欧のプラモなどというものは、キット本体はともかく、説明書に使われている紙と印刷の質の悪さは驚きである。今でも保管しているが、戦時中の日本の本の質よりもさらに劣っていたのではなかろうか。曲げるとポキリと折れてしまう。わら半紙より劣る。プラモマニアであったが故にソ連幻想を免れた、という次第である。

 ただし東欧の国々の名誉のために言うが、ソ連時代の東欧のプラモメーカーのソ連軍用機のプラモのデッサンは、同時代の日本のメーカーのものより優れていた。昔、某東欧メーカーのMiG-19をモールドを全て彫り直し完成させたが、基本形が優れているので、苦労のしがいはあり、今でも見劣りはしない。

 プラモのことを忘れていました。キットは30年よりもっと前のレベルの1/48である。確かK-4型として再販したものをG-10として作ったものである。当時はクロアチア空軍のデカールなどなかったから、国籍標識や4の番号も含めて、細かいステンシル以外は全て手書き。胴体側面が真っ黒に汚れているのも、亡命機の写真に似せた。国籍標識が当時のドイツ空軍の鉄十字に似ているのが、空軍開設がドイツ空軍の協力によった影響と推察する。

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日本画にデッサンとは

2019-11-07 19:47:38 | 女性イラスト

 東京藝術大学の美術学部には、日本画専攻と言うのがある。その入試には実技として、素描、と言う必須科目がある。素描とは単なるスケッチ、と言う意味があるが、ここではデッサンの意味である。デッサンには例外的に浮世絵からの影響を受けた、線描のものがあるそうだが、ここでは洋画のデッサンである。

 洋画のデッサンは、基本的に物の形を鉛筆等の無彩色で立体的に表現する方法である。例えば円錐形のものがあれば、陰影によって円錐形である事が分かるようにする事が基本である。その事は一見、物を見たままに正確に表現する事のようである。しかし実際は微妙に違うのである。

 飛行機で羽田に着陸する前に富士山を何回か見た事がある。富士山は周囲から際立って高く、昔東京空襲の爆撃機が、富士山を目標にして、そこから東京に向かったという意味が実感できた。ある時の富士山は、切り絵で三角に切りぬいたような形だった。富士山の形は実際には、円錐の頂点をカットしたような形である。しかしその時は立体的ではなく、三角の頂点を少しだけカットしたような台形の平面的な形に見えたのである。

 デッサンの場合には、たとえ目にはどのように見えようと、円錐形であるのが事実なら、そのように描かなければ不合格である。私は子供の頃毎日富士山を見て暮した田舎者である。正確には富士山の傾斜地の上に家が建っていたのである。だから富士山がどのように見えるかは脳裏に焼き付いている。ところがよく見る油絵の富士山の絵のほとんどには違和感がある。

 違和感があるのはデッサンの技法を基礎にして描かれた絵である。それよりは、よほど浮世絵の平面的な絵の方が違和感がない。私は何万回も富士山を見てきたが、赤富士を見たのはたった一度きりである。北斎の赤富士はその時の印象を適切に表しているように見えた。つまり古来の日本の絵画の技法は見えたように表す事を基本としているように思われる。

 絵画の技法は普段のトレーニングの影響を受ける。デッサンのトレーニングをすれば、人はその影響を受ける。伝統的な日本画は洋画のデッサンとは対極にある。例えば、もし北斎がデッサンのトレーニングを受けていれば、あのような絵は描けなかったのである。つまり昔の日本人がデッサンを必須の訓練課程としていれば、浮世絵は生まれていなかったとさえ言える。それならば日本画専攻の者にも、芸大でデッサンの技術の習得を必須としている事は、そのような可能性の芽を摘んでいるとも言えるのだ。

 私は日本画に対するデッサンの良い影響の可能性を否定するものではない。伝統的な日本画からの別な可能性の発見があるからである。しかし全員にデッサンの技術の習得を要求する事には疑問がある。デッサンの技術を習得できないが才能がある者、あるいはデッサンの技術の習得が、本来の才能をつぶす者もいるはずである。私の疑問はその事にある。

 藝術大学、と言うのは明治の西洋文明の習得の一環として設立された。その根本には科学技術は、西洋以外の文明圏にも、普遍的に適用可能なものであると言う発想が根底にある。例えば科学技術は自然現象をうまく説明し、それにより蒸気機関などの文明の利器を作る事ができる、という考えである。たしかにそれは一面の真実であろう。

 同様な発想で明治の日本では洋画を導入した。つまり技術文明の普遍性が、芸術にも適用されると考えた。遠近法も陰影のない平面的な日本の絵画は、明治の日本人には、いかにも非科学的で貧相に見えたのである。しかし日本の絵画の技法は日本の風景や人物を適切に表現するために生まれたものである。必ずしも間違っているものではない、という発想ができなかったのに違いない。民間でも洋画の技法を取り入れるのと並行して官立の美術学校が作られた。そけが芸大の前身である。

 しかし芸大は日本人のニーズから設立されたものではない。だから芸大を出ても仕事は少ない。そこで画壇なるものが構成された。つまり芸大などを出た人たちの活躍の場である。それはやがて院展などとして展覧会画壇に発展する。ここで展覧会のために存在する、という奇妙な絵画の世界が発生した。

 さて本題の女性イラストである。着彩する勇気がなかったのでスケッチ状態で放置したものである。小生のイラストにしては馬面であるが、意外にバランスがとれたというのは、自画自賛である。

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カタカナ語の乱用

2019-11-03 21:48:25 | Weblog

 幕末以降、西欧文明が入ると日本人はそれを漢字で表記してきた。経済、哲学などなど数えたらきりがない。ところが最近の日本人専門家はそれを怠りはじめているように思われる。その典型的な例が倉山満氏の「2時間でわかる政治経済のルール」という本に示されている。

 「地政学の五つのキーワード」(同書P38)を見てみよう。地政学の理解で重要な五つの語を挙げている。アクター(関係国)、パワーズ(大国、列強)、ヘゲモン(覇権国)、チャレンジャー(挑戦国)、イシュー(争点)である。倉山氏はこれを列挙した上で次のように述べる。

 「日本語があるなら何もわざわざカタカナにする必要はないと言われそうですが、馴染みのないカタカナ語のほうが、一般的によく使われる日本語より地政学用語として規定された概念を表現するには適しています。例えば「アクター」は主体性のある国のことで、国家としての意思や能力のない国はアクターではありません。「関係国」と言う言葉は普段から使っている一般的な単語なので、漠然と「関係している国全部」と考えがちですが、「アクター」と言うことによって、その混用が避けられます。・・・」として残りの四つの用語も説明がされている。

 日本人なら、一瞬なるほどな、と思うであろうが、よく考えるとこの説明は実に珍妙なのである。これらの概念は欧米人によって作られたものである。その欧米人の立場に立つとどうなるか。いや高校生程度の英語の知識があれば、ヘゲモンを除く四つの言葉は、一般的な英単語として知っている。ましてや英語のネイティブの人間ならば、例えばアクターという言葉は多義に渡り「「アクター」は主体性のある国のことで、国家としての意思や能力のない国はアクターではありません。」ということは、そのような地政学的用語の説明を聞かなければ分からない。

 英和を引いても「俳優、役者、行為者」とあるから、欧米人にしてもアクターとだけ言われれば、「俳優、役者、行為者」など全然関係のないことを漠然と思い浮かべるだけで「その混用が避けられます」ということにはならない。要するに欧米人にとっても地政学上のアクターとはいかなるものか定義されなければ、役者などととんてもないことと混同されてしまうのである。まだ日本語の「関係国」の方がはるかにましである。

 日本人が専門用語としてカタカナ語を使うと意味不明だから、きちんと定義をしないと分からない、というだけのことである。小池都知事が、例えば「都民ファースト」などといって、簡単な意味のことをカタカナ語にして、偉そうに煙に巻いている、というレベルの話なのである。

 工学用語で、この例を説明して見よう。材料力学には、応力とひずみ、という重要な概念がある。いきなり応力、といわれても普通の国語ではなく材料力学用語だから調べるであろう。しかしひずみと言われれば、国語辞典にも出ているから、その意味だと誤解されるが、材料力学用語としては、きちんと定義しなければ分からないのである。手元に材料力学のテキストがないのでウィキペディアをひいてみる。次のような意味である。

 元の長さLの物体が荷重によって長さがℓに変化した場合、ひずみeは

 e=(ℓ-L)/L

 の式で表される無次元の数値であり、荷重が引っ張りの時eは正の値、圧縮の場合は負の値となる、というものである。ひずみは英語では、strainという普通に使われる言葉だから、欧米人にとっても定義がなければ工学上の意味が分からないのである。なお工学用語では「歪」という漢字は使わずに「ひずみ」と書く。

 ちなみに、応力の原語はstressだから日本人にとっても欧米人にとっても、「ストレスによって病気になった」などという場合のストレスと、工学上でストレスと言った場合には意味が全然違うのである。特に最近では、一般に英語での専門用語は造語せずに、原語の一般的な英語がそのまま用いられることが多いから、専門の範囲での言葉の定義をしないと、とんでもない誤解をすることになる。ところが、欧米の文明を取り入れた日本人の先人たちは苦労して、国語にない新しい翻訳用語を発明した。それが「応力」のような言葉となったのである。

 だからカタカナ語をそのまま使えば混乱しないで済む、などということがいかに珍妙か分かるだろう。ちなみにISO規格などの欧米発の規格では、まず最初にterms and definitionsと書いてある。これは「用語と定義」と訳される。つまり規格の最初には用いられる専門用語を列挙して、その定義を明確にする必要があるのである。

日本の規格や技術基準類もかなり前から、この方式を取り入れている。カタカナ語だから混用を避けられるのではなく、定義を明確にしなければ混用は避けられないのである。だから、地政学用語で「関係国」という言葉の定義を明確にしておき、英語ではアクターと言う、という説明なら筋が通るのである。

こんなことをくだくだ述べたのは、近年工学でも社会科学でも、果ては日常の言葉ですら、英語そのままのカタカナ語を使い、日本語に翻訳する努力を怠っている傾向が著しいからである。特にIT業界用語にはその傾向が甚だしい。昔の人はピストンエンジンの部品でも、英語をカタカナ語にしただけでそのまま使うのではなく、全て漢字に当てはめる努力をしたのである。クランクシャフトを曲軸と訳したのを、素直にクランクシャフトと言えば分かりやすいではないか、と揶揄する者すらいるから本末が転倒している。

 

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東京の災害の碑

2019-10-31 22:05:53 | 歴史

 東京都内には、結構、災害の碑が多い。しかも古いものは小生の知るものでも江戸時代に遡る。意外に思われる方も多いかも知れないが、東京の地も数々の災害にみまわれていたのである。小生の見た碑の災害とは地震と津波とそれから空襲である。空襲を災害に入れるのは意外に思う人があるかも知れないが、一晩に10万人の死者を出した東京大空襲は、被害者にとっては理不尽な災害そのものであったのに違いないと思う次第である。

 東日本大震災の後には、災害の痕跡をどのように残すかという議論がなされた。それならば、先人が残したこれらの災害の碑も、もっと大切にされてもしかるべきであろう。というのは、これらの碑の多くは、辛うじて近隣の人たちの好意で保存の努力がなされているだけで、碑の説明文すらないものが多いからである。ここに紹介するのは、そのほんの一部である。

①波除碑:江東区牡丹三丁目の路傍にある。寛政三年の深川辺を襲った津波の碑であるが、空襲と震災による損傷が激しい。

 

②波除碑:江東区木場洲崎神社内にある。①と同じ津波の碑であるが、幕府はこの周辺を買い上げて空き地とし、ここより海側に住むことを禁じたが、その後人々は忘れ、住宅密集地となっている。この碑は都指定の文化財となっており、比較的詳しい説明の看板が設置されている。しかし、肝心の碑は破損して何だかよく分からないのが残念である。

③大正震火災横死者追悼碑:隅田川の白髭橋上流の東白髭公園東北の道端に、日露戦争の記念碑、朝鮮の壬午事変出征の碑とともに何の説明もなく建っている。看板等はないが手入れはされているようで状態は良い。このあたりは、東京大空襲の被害を受けていないと見えて、三つの碑には焼損の痕跡がないことが幸いである。

 これらの3つの碑は身の丈の倍くらいある巨石から削り出したものであるが、ここにまとめられて建っているのは偶然ではなく、何らかの折に近隣から移設してまとめたものと推定するが、残念なことに碑の説明すらないので、皆目見当がつかない。東日本大震災の碑を大切にするのと同様に、これらの碑も大切にすべきと言いたくなる所以である。

④東京大空襲の碑:隅田川の言問橋右岸の北側たもとにある。言うまでもなく、昭和二〇年三月十日の東京大空襲の犠牲者慰霊の碑である。御覧のように、いつも献花などがされているのには感心する。

 

 

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西山記者は正しかったのか?

2019-10-29 17:30:21 | 歴史

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 平成24年の3月まで、連続ドラマで山崎豊子原作の「運命の人」がTBS系で放映されていた。このドラマは有名な外務省機密漏洩事件をかなり忠実に模しているとされている。主人公の弓成記者とは実在の毎日新聞の西山記者がモデルである。外務省の機密とは、沖縄返還の際に、当時の地権者に米国が支払うはずになっていた原状回復費を日本政府が肩代わりする、という密約をかわしていたものである。確かに戦争で奪った土地を返すのに、費用は奪われた側が払うということは世間一般の常識では理不尽なことである。

 だが現実には世界にはこのような理不尽なことで溢れている。インドネシアは第二次大戦後、婦女子も含めた40万人の命を奪われる独立戦争を戦ってオランダから独立した。なんとオランダは独立の条件として、多額の賠償金を取ったのである。オランダの植民地支配は、他の欧米食国と同様に現地人を獣扱いした過酷なもので、その結果部族の争いや土地・産業の荒廃、多数の虐殺をもたらした。取り返しのつかない荒廃をインドネシア全土にもたらしたのである。それにもかかわらず、オランダは当然の如く賠償金を取ったのである。未だにアジアのかつての植民地国は白人の宗主国の過酷な支配の過去を公然と国民に教育する事さえ恐れてしていない。一方でありもしなかった日本による占領下の被害を声高に言うのに、である。

 このことに思いを致すことができない現代日本人は何と愚かな人たちであろうか。歴史を見て欲しい。かつて戦争で奪われた土地が外交交渉で還ったことを寡聞にして私は知らない。沖縄は稀有な例外である。戦前はさておき、戦後米国は自由と民主主義の国で侵略戦争は悪である、と言う建前を主張する国になったから、戦争で沖縄が米国領になったとは口が裂けても言えなかったのである。しかし実態は当時沖縄に行くにはパスポートが必要であった、紛れもない米国領だった。 

 余談になるが、沖縄が交渉で還ってきたことから、多くの日本人は北方領土が交渉でかえってくるとの幻想を抱いている。断言する。ロシアが余程ひどいことにならない限り、北方領土が交渉で還ってくることはない。いや、ロシアが内乱でめちゃくちゃになろうと、外交より戦争で奪い返すしかない公算の方が高い。外交交渉では二島返還でさえありえない。かく考えれば西山記者の機密漏洩とは何だったのだろうか。日本政府が密約を結ぶのを拒否して沖縄返還が反故になれば良かったのだろうか。たとえ基地付きとは言え返還自体が歴史的なできごとである。西山記者はそれを妨害しかねないことをしていたのである。 

 言論の自由・報道の自由を守るとドラマは言っていた。確かにそれは恐ろしく勇気のいることであり犠牲を伴うことである。だがこのケースでは何のためにそれらの自由を守ると言うのだろうか。報道の自由が守られた結果、沖縄が返還されなくても良いと言うのだろうか。沖縄の人たちが米軍基地の犠牲になっている事は極めて遺憾なことである。しかし一方で沖縄の地政学的な位置の問題がある。さらに日本が米国に代わって自らを守る、あるいは東アジアの安定に寄与しようとはしない、という怠慢のせいでもある。沖縄から米軍基地を撤去して代替の軍事力を置かなければ、東アジアには大規模な動乱が起きる。 

 他のドラマや映画にもあることだが、まだおかしなことはある。沖縄の人が、記者に米軍もひどかったが日本軍はもっとひどかった、と語るシーンである。実際にこう語る沖縄の人は多くいるのだろう。しかし「天王山」と言う米国人が書いた本に、沖縄における米軍の残虐行為が多数書かれている。戦時中の沖縄における強姦事件は一万件を超えていると言うのだ。投降した日本兵を殺害するのはほとんど当然のことだった。連れていた4人の沖縄女性を強姦した上に川に投げ込んで殺したと言うのもある。その他の恐ろしい残虐行為が多数書かれている。つまり米軍は人道的な軍隊などではなかったのである。何故現代の米軍兵士は小学生すら強姦する恐ろしい人たちなのに、沖縄戦当時の米軍が残虐非道な存在ではなかった、と言えるのであろうか。残虐な日本軍、と言う教育のために、日本兵は米軍よりひどかったと言い、反基地闘争のために、現代米兵はひどい、というのではないか。多くの目に監視されていた現代に比べ、やりたい放題だった沖縄戦当時の米軍の方がひどかったのは当然であろう。 

 「天王山」には疑問のある記述もある。ふらふらしている日本兵の胸に煙草の火で合衆国海兵隊という文字を焼き付けた上に、担架で運んでいる最中にわざと落として骨折させたと言う。だがこの日本兵は女性を強姦した後に二人の子供と一緒に咽喉を切って殺したと言うのだ。これは実に奇妙なことである。担架で運ばなければならないほど怪我などで衰弱していた人が、どうして強姦などできたのであろうか。米軍の強姦事件の大半は熾烈な戦闘が行われている地域ではなく、戦闘が収まって落ち着いた場所で起きたと言うのだから。多分このエピソードを語った米兵は、遊び半分に行った残虐行為の言い訳をしたのである。この本には、この手の遊び半分としか思われないような残虐行為が多数書かれている。後に日本通で有名になったドナルドキーンですら、当時の手紙で「アメリカ人が日本人をまだ人間として評価できないからだ」と書いた位だと紹介している。日本人は米国人にとって獣であったのである。獣が人道的な扱いを受けるはずがない 

 この著者が自虐的日本人と違ってまともなのは、数々の米兵の残虐行為を書きながら一方的に断罪するのではなく、「武装していない住民に対する故意の残虐行為は、日本兵によるものよりはるかに少ない。」と一言だけ同胞のために弁明していることである。ただしこのことを著者はこの本では立証してはいないから勝手な自己正当化に過ぎない。主観的な弁解だけで、事実を立証していないのは、ノンフィクションとしては、重大な瑕疵である。米軍とソ連軍との相違はソ連軍が強姦略奪を上官までが推奨しているのに対して、米軍は公式には禁止していたのに過ぎない。やっていることに大差はないのである。しかも、この本に書かれている多数の強姦殺人、虐待などの戦時国際法に明白に違反する行為については、ただの1件でさえ処罰されたケースがあったとは書かれていない日本軍では日本兵自身による、戦時国際法違反相当の行為について自ら処罰した例はある。日本軍の軍紀が厳正であったと言うゆえんである。 

 もうひとつは記者が報道の自由を権力から守ろうとした大義についてである。彼は当時の佐藤政権に対して戦ったのである。だがそれ以前にGHQによって日本は徹底的に言論統制が敷かれていた。西山氏はその時代に育ったはずである。言論の自由が奪われたから戦争になるのを止められなかった、と言う反省から、権力の弾圧から言論の自由を守ろうとした、と語る。しかし戦後行われていた米軍による厳しい言論統制については言及さえしない。米軍は自らへの批判を許さなかったばかりではない、公職追放によって、米軍に都合の悪い人物を政界、言論界、教育界から追放して米軍が去っても事実上言論統制の効果が継続するよう仕組んだ。

 その結果戦前戦中の言論統制を声高に批判する人はいくらでもいるが、戦後の米軍の言論統制を批判するのは例外的である、という米国が望んだ事態が生まれた。西山記者の行為が個人として勇気のあるものだと言う事はそのとおりだろう。しかし米軍による徹底した言論弾圧に触れさえしないことに、その勇気に大きな疑問を持つのである。彼にとって戦前戦中の日本政府の弾圧は存在しても、戦後のGHQによる過酷な言論弾圧は存在しなかった如くである。ちなみに事件を起こしたのは毎日新聞の記者であったが、放送したTBSは毎日新聞の系列である。 

 

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ミラージュF1-CG・スペシャルホビー1/72

2019-10-27 18:37:56 | プラモコーナー

 ミラージュF-1はハセガワにもあるのですが、何せ古いので、スペシャルホビーにしました。塗装は素直に箱絵のものをご採用です。組み立てに問題はないのですが、機首のピトー管のパーツが折れてしまったので、0.5mmの真鍮棒で代用しました。それと、脚カバーがやたらに多いのですが、接着しろがないので、付けたそばからポロリポロリ。それで見えないところにプラバンを貼って、しっかり取り付けました。写真でも全く見えません。

 

 他のミラージュシリーズが尾翼なしのデルタ翼にこだわっているのに対して、ミラージュF-1は下の写真のように平凡なクリップトデルタ翼と尾翼の組み合わせが意外です。元々外部装備は機体の美しさを壊すので取り付けたくはなかったのですが、パイロン用の穴が開いていたので、落下タンクとミサイルのパイロンだけ取り付けました。

 もっともミサイルの部品が沢山あるのに、説明書には取り付けの指定が見当たらないので、取り付けようがありません。説明書の一部を失くしたのかもしれません。それでミサイルのパーツがごっそり余りました(;^_^A

 

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共産主義国の私有財産の不思議

2019-10-25 23:18:11 | 政治

 昔話だが、平成21年の暮、こんなニュースが国際面の片隅に載った。「立退き抵抗排除モスクワ」、という見出しである。モスクワ市当局が、1950年代に菜園要地として河川労働者に分与され、小家屋の建築が認められたのが始まりで、ソ連崩壊後に土地が転売されたり、一戸建て住宅が建てられたと言う。その後モスクワ市が1998年にこの一帯を自然公園に指定して、違法建築として住宅の強制撤去を始めたと言うのだ。長年住んでいるのを一方的に自然公園に指定して、強制撤去するのが通用するというのはロシアらしいでたらめである。

 だが小生が不思議に思うのはその点ではない。私有財産、つまり土地や家屋などを個人で保有する事が禁止されているはずの共産主義で、土地が労働者に与えられていたと言う事実である。だからこそ今頃になって強制立ち退きなどと言う問題が発生したのである。しかし一方でこの話で納得する事がある。皆が不思議に思わない不思議である。単純な小生は、ソ連が崩壊して資本主義になった時、ロシアには大混乱が起きるだろうと思った。

 ソ連では、土地や家屋などを個人で保有しておらず、全てが国の資産で、現在住んでいるのは、仮に国から割り当てられているだけのはずである。するとソ連が崩壊すれば、土地や家屋を誰が保有する事になるかについて、奪いあいの大混乱が起こるのに違いない、と予想したのである。つまり誰の土地でもない、と言う事は体制が変われば誰にでも権利がある、と言う事だからである。

 ソ連は平等のはずだから、誰も平等に財産を受ける権利があるはずである。例えばソ連崩壊にあたって、国有のはずの土地の配分について、こういうルールを定めたとしよう。一家の人数の頭割でその家族がもらえる総割り当て面積を決める。モスクワとシベリアでは人気が違うから、面積の比率を決める。次に各地の土地の保有の希望を募り、抽選で配分していく、などなどである。だがどのようなルールを決めても皆が公平だと納得できるルールなど作れまい。

 ところがそんなルール作りも行われず、混乱も起きなかった。その理由は、全ての国民が先の河川労働者のように、土地を配分されてそこに住んでいたのである。つまり土地の国有などと言うのは建前で、実際にはそこに住んでいた者の所有になっていたのである。もし住人が仕事の都合で転地すれば、その土地は不要になるから売って、その金で転地先の土地を買ったのであろう。

 ソ連にも貨幣はあったのである。貨幣があれば土地にも自然に価格がついたのである。そもそも貨幣の保有だって私有財産である。しかし建前では土地は国有だから、あまり公然とはできなかったのには違いない。だから土地の転売で騙されても裁判には持ち込めないから、裏では色々な問題が鬱積していたのに違いない。つまり資産の国有の建前は、国民に不便を強いていたのに過ぎない。ノーメンクラツーラと呼ばれた赤い貴族、つまりソ連の政府高官一家が世襲の豪邸に住んで、豪勢な暮らしをしていた事はソ連末期には広く西側世界にも知られていた。

 彼らは大資産を事実上私有していたのである。ソ連崩壊後、彼らは公然とそれを私有したのである。共産主義の実際とはそんなものだったのである。ソ連の初期には国営農場などが作られて、農民は土地を奪われて、かつての自分の土地を共同で耕させられていた。これが資産私有の禁止と言う、共産主義を厳格に実現する唯一の手段であった。しかしまもなく農民は共同農場では真面目に働かないために、能率が低下して個人農園が認められるようになった。

 そして国営農場は崩壊したのである。昔の中学の社会科の教科書には、ソ連のコルフォーズ、ソフォーズと言った国営農場で大規模農業があたかも理想の農業であるかのように、写真入りで紹介されていた。その後の経緯をみればそんな事は幻想であった事が分かる。つまり資産の私有禁止、つまり共産主義などと言うのは実際には運営できないのである。単純に考えてみるがよい。ソ連にだって貨幣はあった。貨幣の保有は私有財産の保有である。貨幣の保有なしに日常の生活ができようはずはない。だから、共産主義の絶対原則たる、私有財産の禁止、などというものがそもそも夢想である

 だから世界中で共産党が消え、中共ですら資本主義化した。いや、中共ですら人民元という通貨はあるのだから、初めから私有財産の禁止などというものは、有名無実だったのである。そう考えると日本にある「日本共産党」なるものに所属する人たちの知能はどうなっているのだろうかと、小生は思うのである。

 西欧諸国では「共産党」なるものはフランスにしか存在しない。現在のドイツでは、共産主義とナチズムは、ファシズムである、ということで政党の結成は事実上禁止されていることは有名な話である。日本の戦前はファシズムであった、などと見当違いの批判をする人士が、日本共産党の存在を支持している場合が多いことは、小生には奇怪なこととしか思われない。

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女性イラスト(芸術家の技量のピーク)

2019-10-25 18:36:54 | 女性イラスト

 生前評価が確定した多くの著名芸術家の場合、案外閑却されているのが作品個々の出来の良し悪しの評価と、どんな作家にも技量のピークがあるということである。ピークに向けて作品の品質は向上して、ピークを超えると明らかに衰えるということである。例えば東山魁夷の作品を時系列的にならべた個展を見たことがある。晩年の魁夷の作品は明らかに技量が落ちていることが見て取れる。晩年は素人目にも粗雑になっていったのである。恐らく筆の技量は年月により、さえてきても、眼が悪くなっているのが根本的原因と、勝手に想像したと言う次第である。 

 年齢による視力等の体力の衰えが、経験による技量の向上を超えてしまったことなどの原因があるのであろう。しかし主催者側では誰が見てもわかるはずのこの事実に触れない。鑑賞者も何故か気付きもしない。芸術の制作には技量を必要とする。従って年齢その他の原因によるおとろえはある。芸術家の制作能力にはピークがある。多くの美術評論家が、あまりに当然なこの事実に触れないのを不可解に思う次第である。

 

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侵略という言葉の二義性

2019-10-23 14:31:43 | Weblog

 平成27年4月14日の産経新聞の正論欄は古田教授の「『侵略』といえなかった朝鮮統治」であった。教授は、明治期までの李氏朝鮮はまるで平安時代のような古代の世界で、商業も技術も無きに等しい国家で、その状態が何百年続いていたと言う。併合した日本は近代化に成功したのだから「侵略」とは言えないという。教授の言うことは常識的には納得がいくものである。

 一方雑誌「正論」27年5月号で近現代史研究家の関野氏が、米国の贖罪史観植え付け計画のいわゆるWGIP(War Guilt Information Program)の文書を発見して実在を証明した。その中で関野氏は、日本の侵略をパリ不戦条約を根拠にするには、そもそも条約で侵略の定義がされておらず、当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と説明している。

 一方では常識的に侵略ではない、と考えることができるという意見があり、他方では侵略など定義されていない、という意見がある。明らかに「侵略」には二義性がある。侵略が定義されていないのなら、侵略だと断言できないのである。それは古田教授が言うのは、国語的常識から言っているのであり、関野氏は国際法を問題にしているからである。それでは巷間で日本の近代史を説明するとき、この区別が裁然となされているのだろうか。実はそうではない。

 保守系の論者の一部には、大航海時代以降の欧米のアジア・アフリカの植民地支配を、苛酷な侵略と断ずる一方で、日本の満州事変以後の戦争を語るときは、侵略という言葉は当時の国際法で定義されていないのだから、日本を侵略国と断罪はできない、という主張をする人がいる。この混乱は侵略という言葉が幕末以来、欧米の苛酷な植民地支配を恐れ、かつ非難する言葉として使われるようになったため、国語的には道義的色彩を帯びたから、生じたように思われる。

 「侵略」には本来は他国を攻撃して領土を占領ないし、取ること、という物理的意味しかなかったはずである。戦国時代には日本国内では互いに侵略が常態化していて、他国の領土を取ることはむしろ善だったのである。有名な「風林火山」の「侵掠(しんりゃく)すること火の如く」の侵掠は侵略と同義である(広辞苑)。泥棒一家ではあるまいし、悪事をスローガンとして押し立ててゆくはずはないのである。だから条約のwar of aggressionという先制攻撃によることを意味する言葉を侵略と訳したのは、本来の日本語の意味では間違いではなかった。だが既に一方で、日本人自らが道義的悪の意味を付与していたのだから、戦後になって自虐史観の立場から大いに悪用される結果となってしまったのである。

 それでは大航海時代以降欧米諸国が、世界各地を植民地を求めて荒らし回ったことは、国際法違反なのであろうか。そうではないのである

米国人ブロンソン・レーが書いた「満洲国出現の合理性」という本に1841年にジョン・キンシー・アダムスという米国人の国際法に対するコメントが紹介されている。

「国際法とは地球上の凡有る国家を一様に拘束する法則ではなく関係当事国の性質及状態の異なるに従って異なる所の法律制度である。基督教国の間に行はるる国際法がある。其の国際法は米国憲法に於て米国と欧州諸国及植民地との関係を律する上に於て米国の義務的のものとして認められて居る。其の外に亦米国と阿弗利加の土人との関係を規律する国際法もあれば、米国と野蛮国との関係を規律する国際法もあり、更に又「花の園」即ち支那帝国との関係を規律する国際法もあるのである。」(P25)と。

幕末に国際法を知った時、日本人の国際法理解は、アダムスの言う「基督教国の間に行はるる国際法」だけであった。正確にいえば「キリスト教国」間にだけ適用される国際法を「キリスト教国」でなければならないという前提を忘れて、世界中に適用されていると誤解していたのである。しかし、不平等条約を結ばされたことに気付くと、ようやく「国際法」にはキリスト教国、すなわち文明国と、非文明国に適用されるそれは異なる、ということを思い知らされたのである。

 非文明国においては国際法は、米国による、アフリカ黒人の奴隷化を正当化するものである。さらに米国の中南米支配を正当化するものである。もちろん適用地域が違っても欧州と野蛮国の間にも適用されるはずである。そして支那における欧米の権利を正当化するものである。

当時の国際法では、キリスト教国と野蛮国の区別がある以上、そこに住む住人も対等ではない。効率よく植民地から収奪するためには、植民地の人間は獣並に扱う必要がある。だから国際法の植民地の是認は、植民地支配が苛酷であるという道義的非難を拒絶している。

国際法の淵源は、ヨーロッパの国家間の戦争におけるルールであったことを忘れてはならない。国際法とは発生の過程からして、キリスト教国間のルールであり、その他には別のルールが適用されるはずであった。すなわち、文明国は非文明地域を無主の地として植民地にすることが当然とされたのである。しかし、大東亜戦争の終結と、それに伴うアジア・アフリカ諸国の独立によって、時代は劇的に変わった。

植民地の大部分は独立し、国際法には適用する国の「文明」のレベルによって同一ではない、などというダブルスタンダードは建前上はなくなった。世界に一律に同じ国際法が適用されることになったのである。そうである以上、帝国や植民地というものは国際法上、本来的には存在を否定されるべきものになったのである。

帝国のひとつであったソ連は崩壊した。倉山氏の嘘だらけの日露近現代史によれば、ロシアはソ連という帝国に支配されていたのであって、ロシアもウクライナ同様にソ連の支配下にあったのである。いわばソ連帝国の植民地といったところであろう。東欧諸国のほとんどはソ連の間接支配の植民地だったのだろう。そう考えれば非ロシア人即ちグルジア(ジョージア)人のスターリンがソ連の支配者だったことも、「ソビエト連邦」という地名や民族名を含まない奇妙な国家の名称だったことも理解できないわけではない。

ソ連が崩壊した後の帝国は中共だけとなった。漢民族と自称する人たちが、はるかに大きい面積の「少数民族」地域を植民地として支配する帝国である。昔から漢民族が支配する中原(中共の領土の一部)はその周辺の地域を含めて、統一と分裂を繰り返してきた。特に中原は、それ以外の地域とは異なったルールを勝手に作ってきた。従って欧米流の国際法など適用されるとは考えてはいないのである。

さて、侵略という言葉に戻ろう。現在の国語でいう侵略という言葉が道義的悪、の概念を付与されていることは、いまさら変更しようもない。一方で国際法上の侵略とは、時代によって国際法の変遷とともに定義が変化していったと考えるべきなのである。国際法上の侵略には、善悪の概念を含むべきではなく、その時代において禁止されていたものであったか否かだけを論ずるべきなのである。

もちろん禁止されるか否かには、理由として善悪が含まれる場合もあるし、政治上あるいは運用上の理由によるものもある。例えばダムダム弾の使用は、被弾者の苦痛を不必要に強める、非人道的なものであるとの判断により禁止されている。しかし、同様に非人道的兵器があったとして、国際法上ダムダム弾のように明示的に禁止されていなければ、使用は可能であると主張することもできる。戦時国際法のような戦争法規は、禁止されていないことならば、何でもありのネガティブリスト方式だからである。

侵略については、国際法上は満州事変当時は定義されていなかった、とも言うことはできる。また当時の米英は厳密な意味でのパリ条約に対する留保ではないにしても、各種の発言等で、中南米地域には適用されない、その他の条件をつけている。前掲の関野氏が当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と述べているのは、この意味なのである。

米英の明示的考えとは主として「自衛」に含む地域と内容について述べられている。すなわちパリ条約当時は「侵略」の定義を強いて言うなら、「自衛ではないこと」ということである。

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