ペマ・ギャルポ著・飛鳥新社刊
何ともどぎつい題だが、内容はこのタイトルが荒唐無稽ではないことを教えてくれる。沖縄の独立運動や沖縄マスコミの極度な反基地反本土の実情をみれば、解放工作は相当に進んでいることが分かる。著者はよく知られたチベット亡命政府の代表者でチベットが中共に奪われたことを、今後の日本に重ねている。チベット問題は、中共によるチベット侵略と民族絶滅であって、決して人権問題に矮小化されてはならない。
チベットでの残虐行為は怖しい。チベットの高僧の一人は四肢に杭を打たれ腹を切り割かれ、「奇跡を起こせるなら皆の前で飛んで見せろ」と言われ高い所から落とされた僧侶もいる。(P67)犯罪者の市中引き回しなどは支那人もやられているから日常茶飯である。小生の知人は1980年代にその光景を目撃しているから、それほど昔の話ではない。宗教弾圧はすさまじい。侵略の過程で100万人いたチベット僧侶の内、9割が死亡、還俗国外脱出のいずれかとなった(P68)というのである。それを見て残った10万人は宗教者としては生ける屍であったろう。中共による侵略の犠牲者は亡命政府によれば、1959年から1979年の間に戦闘、餓死、処刑、拷問などにより120万人が死んだと言う(P70)。絶対数も多いが人口が極めて少ないことを考えると気が遠くなる数の人が犠牲になっている。人口比で言えば中共なら数億と言う単位であろう。問題は中共による残虐非道な行為は現在も行われていて、世界の国々もそれを知りながら、経済および軍事の大国故に目をつぶらざるを得ないことである。
著者も言っているように、チベット侵略はチベット人自身の愚かさによることも大きい。それを日本人に訴え、中国による侵略に備えよ、というのが本書の意図でもある。1933年にダライ・ラマ13世が無くなった頃、ネパールが中心となって「ヒマラヤ王国連邦」を提唱した時に、チベットは大国だから小国とは組めない、と断った。チベット侵略の再羅それらの国に応援を求めてもだめだった(P93)。国連加盟についても推薦を受けて政府がサインすれば入れると言う状態までにこぎつけたのに、国連とはキリスト教国の国だと言うので大寺院の僧たちの反対でつぶれた。だがここにも寺に送り込まれていた中国人工作員の力があったと言うのだ(P95)正に沖縄の反米活動や独立運動がこのようなものであろう。
チベットの宗教界のリーダーは自己保身を優先して、近代化を怠り、東チベットに中国の画策による暴動があった時も放置し、結局自分たちの身に危険が降りかかるまで放置し、どうにもならなくなってから、国連に訴えたりインドやネパールに助けを求めても手遅れだった(P98)。ギャルポ氏は国民が一枚岩であれば侵略を阻止できたと言うがそのとおりである。チベットは標高が高く地政学的にも侵略は困難である。だから中国は周到に工作したのである。国民が一致団結して闘ったなら、侵略は防止できたのに違いない。現に軍事大国ソ連の圧倒的な力に、徹底的に抵抗した小国のフィンランドは不完全ながらも独立を維持した。第二次大戦のフィンランド空軍の機種の多さは、なりふり構わず戦ったことの証明である。製造国は、米英、仏独伊、ソ連その他数えきれない。敵国ソ連機すら捕獲修理して使ったのである。バルト三国はソ連の工作によって愚かにも自らソ連への編入を求めたことになっているのである。愚かな日本人は、それを真に受けていた。1980年代の百科事典には、バルト三国が相次いでソ連への編入を求めた、と平然と書いている。
1972年に発見された「中国共産党・日本解放第二期工作要綱」というものがあり日本社会はこれにより着実に侵攻していると言う。(P4)自民党の分裂や中国人による土地買い漁りなどその筋書きだと言うのだが腑に落ちる話が多い。平成25年6月には元自民党大幹部の野中元議員が「田中角栄首相から、中国とは尖閣問題は棚上げにしたと聞いた」と中国で発表し記者会見まで開いた「事件」があった。元々親中と言われた人だが、記者会見では自信なげに俯いて話していたのが印象的であった。恐らくは記名的な弱みを握られ、しゃべらされ、後ろめたさに堂々と話すことができなかったのであると私は想像している
日本のマスコミもどうにかしている。人民日報の東京支局は朝日新聞の本社内にあり、NHKの中にはCCTVの事務局がある(P134)というのだから。著者の言うようにこれらの報道機関は中共の諜報機関でもあるのだから、日本の最大手マスコミは既に籠絡されていたのだ。恐らくは朝日もNHKも報道内容をチェックされていいなりになっているのである。そもそも、言論の自由のない独裁国家の言論機関が、日本の公共放送機関や、最大手のマスコミに同居していると言うのは、恥ずべきことである。
著者はインドとの提携に希望を持っているのだが当然の成り行きだろう。以前はインドはチベットが中国の一部であることを認めていたのだが、2010年12月に温家宝首相が訪印しビジネスで大きな合意をしたが、このときは、チベットが中国の一部であることばかりではなく、台湾の中国帰属を認める合意を文書化することを拒否した。これは印パのカシミール問題に中国が中立であるという文章化を拒否したことも一因だが、インド自身が対米関係や経済で自信をつけたことにもよる(P180)という。
インド独立の功労者は日本と提携したチャンドラ・ボースなのはインド政府も分かっているのだが、積極的には宣伝しない。日本と共に闘ったインド国民軍の勢力が拡大し独立機運が高まることを恐れた英国は、懐柔するためにインドの自治と戦後の独立をガンジーやネールに提案したと言う(P223)。もしこれが実現していたなら、ガンジーやネールは英国の傀儡に成り下がったのである。ガンジーの物語を英国が映画化したのは、ガンジーを都合よく描くためである。その映画には、チャンドラ・ボースは名前すら出ない。そのことこそ真の独立貢献者はガンジーではなく、チャンドラ・ボースである証明である。ビルマにしてもインドネシアにしても旧宗主国には公然とかつての悪業を言えない。日本はかつて中国に悪いことをしたから、今でも文句を言われる、という日本人がいるが、国際関係の真実を知らないなぃー部過ぎる考え方である。西欧の旧植民地はかつてひどいことをされたからこそ、独立しても怖くて文句ひとつ言えないのである。
中華思想の中華という言葉は孫文の発想だった(P209)と言うのは意外である。孫文は飾り物に過ぎないにしても中共の侵略政策には大いに貢献しているのだ。