毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

統帥権独立の嘘

2020-12-27 14:31:27 | 歴史

 今日の日本では、明治憲法が統帥権の独立と言う制度を持っていたために、日本は無謀な戦争に突入して大日本帝国は滅びた、と言う事が保守革新ともに定説となっている観がある。私にはこれに対する直接的異論を聞いたことが無い。だが敢えて言う。統帥権独立亡国論はまやかしである。統帥権独立への批判は、敗戦健忘症と軍への責任転嫁である。 統帥権独立が軍部による無謀な戦争を招いたと言うのは、制度の論理からも事実関係からも明白な間違いである。

この典型的な論者の司馬遼太郎の「明治」という国家、を見よう。明治憲法では、天皇は元首であるが、司法、立法、行政の三権の長が各々の責任を持っているので、天皇自身は責任を持たない。天皇はこれら三権の長の輔弼を受けるだけである。問題は統帥権であると言う。統帥権はこれらの三権から独立していて、天皇を直接輔弼する、という制度に問題があるのだというのだ。これも定説であろうが、明治国家がまがりなりにもうまく機能したのは、維新の元勲が政治家として生きていて、統帥権をコントロールしていたからだというのだ。

 だが制度的な問題から言えば、これは三権独立ではなく、四権独立であった、と言う事に過ぎない。戦後、朝日新聞の高名な緒方竹虎は五十人の新聞人」という本に「軍というものは、日本が崩壊した後に考えて見て、大して偉いものでもないなんでもない。一種の月給取りにしかすぎない。サーベルを提げて団結しているということが、一つの力のように見えておったが、軍の方からいうと、新聞が一緒になって抵抗しないかということが、終始大きな脅威であった。」と言っている。この言葉はジャーナリストとして恥知らず、と言うべきであろう。

 これは、新聞社が反対すれば戦争は防げたと言っているのであるが、一面で参謀本部や軍令部と言った、いわゆる軍部も官僚機構の一種に過ぎないと言う本質を言っているのである。司馬は、軍を行政府の下におかずに、独立させていた事にある、と言っているのだ。これは軍隊というものを特異なもの、特に悪い事をするものであるという前提が無ければ成立しない意見である。軍隊は戦争という悪い事をするから、常に他の権力の下に置かなければいけない、という訳である。しかしそれならば、他の三権は少々悪い事をしても良いのだろうか。

尖閣の中国とのトラブルにみられるように、行政府の間違いは国益を損なう。間違えれば戦争をも惹起しかねない外交的誤りもあるのである。軍部は天皇の直接の輔弼機関であったために、暴走したというのなら、他の三権も制度上は同様なのである。例えば統帥権の独立、というのなら、同様に行政権の独立もあったのである。従って統帥権の独立と言う制度自体が間違っている、と言う事は成立しえない。

 司馬氏は忘れていたのだろうか。三権独立の制度上の利点は、三権が各々の権力の行使を掣肘する機能を付与されているという事である。例えば行政が不適切な事を行おうとすれば、国会は予算を成立させない、と言う抑止力を持つし、国会が変な法律を作れば最高裁は違憲立法審査権によって阻止できる。いわばじゃんけんと同じで、三権は制度上、どれかが上位に立っている、というものではない。こんな事は中学の社会科でも教えている。

 しからば明治憲法の軍部はどうであったか。統帥部が勝手に作戦を行おうとしようとも、軍備を拡張しようとも国会は予算審議、という手法で掣肘する事は可能であったし、事実そうしていたのである。事実関係を見よう。統帥権独立の悪名高い、統帥権干犯という言葉である。これは政府が海軍軍縮条約のロンドン条約を結ぼうとした時、野党民政党の犬養毅らは国会で統帥権の独立を侵す、統帥権干犯を唱えて非難したのである。憲政の神様と言われたかの犬養木堂が、である。

 つまり統帥権干犯と言う言葉は、軍部が言いだしたのではなく、それを掣肘すべき立法府が言いだしたのである。軍拡に走ろうとした急先鋒は軍部より立法府であったのである。当然これは選挙で選んだ民意である。統帥権独立と言う制度自体が悪い、という批判が当を得ていない、というのはこれでも分かる。しかも海軍内部にもロンドン条約批准賛成派はいたのであるから、軍部イコール軍拡賛成というのは形式論理に過ぎない。現にアメリカでも軍需産業がらみでの軍備拡大派の国会議員はいるのである。それではもし、軍部が内閣の指揮下にあったらどうであったろうか。もしこの時民政党の犬養毅が総理大臣ならロンドン条約は結ばれなかった、というのが論理的帰結である。つまり行政府は軍拡に寄与したのはずなのである。

 それでは実際に起こった事態を見て見よう。「明治」という国家、で司馬氏は統帥権独立の弊害が表れた典型として、張作霖爆殺と満洲事変の勃発を揚げている。司馬は「・・・張作霖の爆殺も統帥者の輔弼(輔翼)によっておこなわれましたが、天皇は相談を受けませんでした。一九三一年、陸軍は満洲事変をおこしましたが、これまた天皇の知らざるところでした。」と書く。統帥者とは誰だろう。陸軍の場合参謀総長である。この両事件は参謀総長の預かり知らぬ事だったのである。陸軍の参謀本部が計画実行したのではなかったのである。繰り返すが統帥者は知らなかったのである。両方とも東京の軍部ではなく、出先の関東軍が計画実行したのは知られている。

出先が独断でやった行為が、どう考えたら統帥権が独立していなかったら起こらなかったと言えるのだろうか。或いは言う、統帥権の独立という意識があったから、関東軍が独走したのだと。それならこれは制度上の問題ではあるまい。どちらの事件も出先が独走したのは、参謀本部に相談したところで、反対されて問題が先送りされると考えたからである。現に満洲での関東軍暴発の噂を聞いた参謀本部は止めに建川美次を派遣した。もっとも建川は見て見ぬふりをしたようであるが、これは個人的問題である。

以前の「また満洲事変を繰り返すのか」で書いたが関東軍は満洲で跳梁する支那政府の暴虐に、無為無策の日本政府に対して実力行使をせざるを得ないところに追い込まれていたのである。張作霖爆殺はロシアの謀略だと言う説がある。だとしても関東軍がやったとしてもおかしくはないのである。張作霖爆殺は、行政府が統帥部を掣肘する事が可能であった見本でもある。事件が起きた時に、関東軍がやったという噂が出て、「満洲某重大事件」と言われて昭和天皇の耳に入り、時の田中義一首相は天皇に関係者を厳罰に処する事を約束した。しかし田中は陸軍の圧力に屈して事をうやむやにして天皇に罵倒された。その結果田中は悩み体調を崩して悶死したのである。これは田中個人が人間としては弱かったのであって、制度上は統帥部の人間でも処罰する事が可能であった事を示しているのだ。そうでなければ田中首相は天皇に厳罰に処する事を約束する事はないのである。

 クリムゾン・タイドというアメリカ映画があった。ロシアで反乱軍が日米に対する核攻撃を示唆する。これを受けて原子力潜水艦アラバマは出動するが、途中ロシア潜水艦と交戦し司令部との通信が途絶する。艦長は核攻撃が行われるからロシアに核ミサイル発射命令を出すが、デンゼル・ワシントン演じる副長は反対し、軍法の手続きに従って艦長を拘束する。艦長の反撃もあるが、ワシントンの命令で回復した通信により核攻撃の必要が無いことが分かった、ざっとこんなものである。

 孤立した原潜の中での判断の困難さと葛藤を描いたものであるが、シビリアン・コントロールが確立している米軍でも、孤立した状態では指揮官の暴走の危険がある、という教訓もあるのだ。司馬氏や多くの日本人にとって、満洲事変などを統帥権の独立に帰してしまう事は、歴史から何も教訓を得ていないのである。司馬氏は明治期の指導者は、明治の元勲は維新の戦火を潜っていたために、統帥権が独立していても適切な軍事的指導をし得た、と言うが以上述べたように統帥権が独立していようがいまいが、現代でも政治家には適切な軍事外交での指導力が必要である。

現在の日本の政治家より、その点では戦前の政治家にすら遥かに劣ると言わざるを得ない。日本の政治家は軍事に何の見識も持たない。いや軍事的知識を忌避する事が平和主義を標榜する資格であると考えている。が、軍事的知識の全くない総理大臣が、軍事組織たる自衛隊をどうして指揮する事ができようか。彼らは平和主義者のつもりでも、外交で追い込まれると適切な判断をし得ず、領土を失う事になる危険性をはらむのは、尖閣諸島で中国船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件の処理でも分かる。あるいは戦争を無条件に忌避する事が最後には相手の攻撃を誘発して戦争を惹起するのである。


尖閣諸島の島嶼奪還は日米安保の対象にはならない

2020-12-17 13:48:28 | 軍事

 米国は、日本の施政権のある尖閣諸島は日米安保の対象となる、と言い続けている。しかし、これには「施政権が日本にある」という条件付きである。言い換えれば施政権が日本になければ対象とはならない、ということである。現在の尖閣の状況はどうか。毎日中共の公船がやってきて、日本の領海での漁の妨害をして、中共の領海での漁を禁止する、とうそぶいている始末である。

 そもそも日本は強襲揚陸艦なるものを保有して、逆上陸の訓練をしている。これは、中国人が尖閣に上陸してしまったことを意味する。尖閣には日本人もいなければ、守るべき施設もない。それに中国人がいるということは、既に施政権が中共の手に渡ったことを意味する。

逆上陸とは、尖閣の施政権が中共に奪われたことを意味する。日本に施政権がなければ、日米安保の対象とはならないのである。

 逆上陸で島嶼の奪還をするということは日本単独で行わなければならず、米軍の援助は期待できないのである。日本は尖閣に灯台などの施設を作り、公務員を常駐させ、中国人の上陸を迎撃する体制を至急に作る必要がある。日本人がいて、日本の施設があるから、それを攻撃したら、施政権のある尖閣諸島に中共が侵略したということになるのである。そうでなければ、無人の尖閣に上陸した中共軍を侵略したと主張されるであろう。


アヴィアC2・その3完成

2020-12-02 17:31:55 | プラモコーナー

 さて完成です。全体をウォッシングしてやや汚れをいれただけで、特段の表面処理はしていません。

 

 よく分からなかったのが、補助翼の操舵用のホーンらしきもので、エッチングなので、補助翼に穴をあけて、瞬間でペタッとしただけですが、よく着いてくれました。スピンナーキャップですが、ドリルのようなものの意味がさっぱり分かりませんが、これがいかにも、Ar96らしいのです。普通のスピンナーキャップのタイプもあるようですが、あえて選びませんでした。

 

 機体の構造は、外板の分割などから、全ジュラルミンのセミモノコック構造と思われる。イギリスやソ連が第一線機に鋼管溶接構造や木製を採用しているところをみると、練習機としては随分豪華である。

  この機体、不思議なことにアンテナ支柱がありません。図面を見てもアンテナ線すらないのですが、都合がい良いので無視しました。

 

はじめはつけ忘れていたのですが、カウリング下面には排気管があります。後端の排気口あたりに、穴をあけました。穴は排気管口径ぎりぎりに大きく開けましたが、写真では分かりません。

 

 実は一時48のキットもあったので買いたい気にもなったのですが、キャノピーがバキュームなのでやめました。何ということはない機体なのですが、不思議な魅力があります。

 

 モールドもほどほどで、塗装で消えることもなく、合いもいいので苦労なしで、気楽に作れる良品です。0-senさんも紹介してくれましたが、塗装替えのバリエーションキットもあります。ただ、A型とB型の違いもあるようです。

 

 Aは着陸灯だと思われ、前面に透明部品がつく。別なタイプでは、国籍標識上に丸い透明窓がつくのもあるのだが、国籍標識をうまく円形に切り抜き透明部品をはめこむ自信がないので、やめました。Bがエルロンのロッドだが、説明書にも図面にも正確な場所が分からないので、いい加減に位置決めをしました。