毎日のできごとの反省

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書評・さらば財務省・高橋洋一

2018-10-09 15:09:26 | 政治

 安倍総理辞任の真相、財務省が隠した爆弾、郵政民営化の全内幕、などの前半の章については、貴重な著者の体験に基づく貴重な話で納得がいった。特に郵政民営化には、財務省との関係でいずれ民営化しないと郵政も財務省も破綻する必然的なものだということは世間に知られていない情報であった。

 また、消えた年金の真実、では、年金記録がでたらめになっていたのは旧社会保険庁内部の労働組合のサボタージュが原因である、ということをはっきりさせてくれた。しかも以上述べた問題について、ほとんどのマスコミが真実を報道せず、表層的に安倍晋三氏、小泉純一郎氏、竹中平蔵などによる改革を妨害する役割しか果たしていないことも明らかにしてくれた。

事あるごとに、報道の自由だとか、真実の報道は民主主義の根幹だ、などと叫ぶ日本のマスコミのインチキさについては、今更ながらあきれる他ない。日本のマスコミは多くが、建前に反して、特定勢力によって動かされる怪しげな存在である、という思いを深くした。

ただ、公務員制度改革については、一部指摘したいことがある。まず著者は、民間には天下りがなく、公務員だけが天下りをし、天下り先のために働いている、という面があると言うのだが、これは事実ではない。天下りが公務員制度をゆがめているのは事実であるにしても、民間にも「天下り」は存在する

特に民間でも大きな企業には必ず系列会社が存在し、定年の前後に系列会社の大手から、中小の会社に再就職をする、ということは稀ではないと思う。日頃公務員の天下りを批判している朝日新聞ですら、子会社のトップに再就職をしているではないか、という記事を書いた、雑誌があった。しかも再就職する人物は単に親会社だから再就職するのであって、必ずしも子会社の業務に精通しておらず、お飾りのトップに過ぎないというのだ。正に悪しき「天下り」の典型であろう。天下り批判の急先鋒の朝日がこの体だから、他はおして知るべし、であろう。

著者の批判する公務員制度批判の多くは、日本の企業体質のかがみであって、年功序列も終身雇用も現代の日本の企業体質の反映である、といえる。

小室直樹氏によれば、日本は戦後、高度経済成長と天皇の絶対性の崩壊により、村落共同体が崩壊したため、急性アノミーにおちいったという。そのため村落共同体の受け皿となったのが、会社組織である、というのだ。(「小室直樹の中国原論」による)小生はこの指摘は正鵠を得ている、と考える。小室氏は豊富な学識ばかりの人ではなく、人の精神構造にも理解が深いのである。日本の公務員制度は、多くの面で民の縮図である。

個人のスキルによって、民から官、官から民、民民へと自由に転職することが可能であるべき、という著者の主張には一面の真理があるが、小室氏の言う視点が全く欠落している。日本の終身雇用制度は戦後に強固になったのであって、必ずしも戦前はそうではなかったことは、当時の小説を読むと分かるのである。戦前は必ずしも終身雇用でなくても個人の精神の安定が保てたのは、村落共同体が健在であったから、ある人が会社を辞めても村落共同体という安定した所属場所があったからである。あからさまに言えば、会社が嫌になって辞めても、帰って迎え入れてくれる村落共同体がある、という安心感があるのである。

小生の田舎にもそのような村落共同体があったため、その安心感は理解できる。今でもその残滓があって、小生の子供の頃の同級生にも、東京で公務員勤めをしていたのが、定年で実家に戻り、家業をついだ者がいる。彼にとっては歳をとってから、田舎で暮らす、というのは当然であったようである。わが家は事情があり、そのような村落共同体から疎外されていた。だから小生は村落共同体を忌避する本能があるのだが、日本社会における村落共同体の重要性は理解できる。

現代ではむしろ、都会にこそ村落共同体が濃厚に残っている、と感じることがある。例えば江戸市中であれば農村ではなく、隣近所が職業を異にする自営業なり職人の共同体であった。元々同じ農業を営む同一職業共同体ではなかったのである。だから農業村落共同体の崩壊は直接都市部には影響を及ぼさない。その結果代々、都会の地に住む家系の人々にとっては、共同体は存続し得たのである。ただし、小生のように田舎から仕事を求めて都会に新たに住むようになった新住民は、共同体の一員になるには日月を要するのであろう。何世代か定住しなければならないのではなかろうか。

恐らく世界の社会的生活を営む人類には、民族等に拘わらず、何らかの所属共同体が必要なのである。民族によってはそれが宗教であったりするのであろう。欧米では、その主たるものがキリスト教であることは、夙に知られている。戦前までの日本では職業の大多数を占めた農業を基礎とした、農村村落共同体であったのである。

このような観点の欠落した著者の公務員制度改革は夢想的理想主義の一面を免れてはいない、と考える。著者にしても、信念と運に基づいて行動した結果、財務省という共同体からはじき出されたが、実はその実力によって思想をともにする共同体の一員になっているのだろうと想像する。前川喜平元文科省事務次官にしても、左翼的言動をあらわにすることによって、何らかの居場所となる新しい共同体に安住したのであろう。

そうでなければ、文科省を辞めた身分で、学校の講演会に呼ばれて謝金を得る機会を得ることはなかったはずである。しかし、つい先日までエリート官僚であった前川氏の新規に所属した共同体の構成員の大多数はそうではないだろうから、必ずしも安定した居場所ではなかろうとおもう。小生が聞いた、公共事業関係のエリート官僚で、突如公共事業罪悪論を振りかざして退職してしまった人物がいる。その人物はかつての所属官庁の現職からもOBからも嫌われている。前川氏を想像するゆえんである。

本書も公務員改革の部分については、存外に旧来の公務員批判と大差ないように思われる。公務員とて終生、精神の安定を得る共同体は必要なのである。そこで小室氏の意見を克服できるようになれば、著者の公務員制度改革も現実的になる、と思う次第である。


書評・大東亜共栄圏 帝国日本の南方体験・河西晃祐

2018-10-02 18:07:19 | 大東亜戦争

 本書評では、当時の日本人の現実的立場や理想などの観点から、本書を批判的に評しているが、本書が類書に比べ総合的かつ、資料を駆使している点で優れた研究である、というものである、と考えているということを前提としている、ということをまず述べておく。

著者は現代日本の戦前研究者に見られる典型的なひとつのタイプの人である。つまり日本には完璧な道義性を求め、独立運動をするアジア人に対しては日本に対する裏切りを、無条件にありうべきこととする。また、日本が戦争遂行のためにアジアを利用したことに厳しい目を注ぎ、欧米の苛酷な植民地支配には言及しないことである。

 例えば、大東亜会議の後に、東條首相が次のように述べたことを引用している。

 

 「ビルマ」人は大東亜共栄圏の中にて割合良い方にて上の部に属すると云い得べく 之を秦国人に比するに秦人の方が扱ひ難し 併し我方として信頼するや否やを不問 兎に角政策としては怪しきものをも抱込む心算なり

 

 これを評して「・・・日本を指導者とするはずの大東亜共栄圏において、タイをはじめとする国々の民族指導者らが、東條をして『扱ひ難し』と述べさせるほどに抗い続けた証拠でもある。」

 

 国々と言うが、会議に参加したのはタイ、汪政権、満洲国以外は欧米の植民地であり、他の独立した「国」はひとつもなかったのである。大多数が独立国ではなかったものを「国々」と総称するのは適切ではなかろう。しかも「指導者」とはチャンドラ・ボースのような反西欧の独立の闘士であった。タイは西欧の植民地獲得競争の中で、バランスをとり独立保つほどだったから、外交的に「狡猾」であるのは当然であろう。しかもタイは日本の勝利に乗じて、「旧領土」を取り返そうとビルマに進軍するという、機会便乗主義を見せた。

 チャンドラ・ボースは大東亜会議に消極的どころか、インド独立のためにインパール作戦を要請し、作戦失敗が明白になった時点でも作戦継続を主張したのである。このように、アジア各地の「指導者」が様々な思惑を持って大東亜会議に参加していたのは当然である。これらのアジアの地域の指導者は各人、勇気や努力と辛酸の経験をした立派な人達であったのに違いない。だが敢えて言う。欧米の植民地獲得競争の中で、日本が独立を保持し得て西欧と伍したのに対して、なぜこれらの立派な指導者を出すような、ほとんどの地域は独立すら保持し得なかったのであろう、と。

 著者は東條の枢密院会議での発言を引用して「・・・東條がビルマやタイを心の底では『盟邦』だとも考えていなかった可能性」がある、とし枢密院顧問官の南弘の枢密院会議における発言から「・・・台湾統治を実地で経験していた南はビルマを『子供』と認識し、『日本の保護指導』が当然ではないかという質問を重ねた。」と批判する。余りにも偽善的な批判ではないか。

 現実の世界情勢に対する政治的判断として、ビルマやタイを心底から対等の盟邦と見ることが出来ないのも、台湾やビルマが当時の日本に比べれば「子供」に過ぎないと見るのも本音から言えば当然であろう。場所が枢密院会議であれば、国会に比べても本音に近い発言となろう。あまりに現実を見ない批判としか考えられない。

 また、アメリカ軍フィリピン再上陸に際しての次の記述(P254)は、事実関係としては正しいようであるが、結果的に倒錯していると思われる。

 「アメリカ軍の上陸に呼応して蜂起したフィリピン人「匪団」は、アメリカ軍を解放者として迎え入れた。大東亜共栄圏の理念なるものは通用しなかったのである」というのは事実である。だが米西戦争でフィリピンをスペインから引き継いで苛酷な弾圧をした米国を、単なる解放者として記述するのは浅薄に過ぎる。そもそも筆者はフィリピン人が米軍を解放者として迎えた、という「事実」に矛盾を感じないのであろうか。日本が占領したのは米国領フィリピンであって、植民地支配したのではない。それにもかかわらず、戦争中には米軍の手先となって日本軍をスパイしたフィリピン人は多数いる。

 フィリピン人は必ずしも米国に約束された独立を期待して日本軍に抵抗した訳ではない。そうであろう。米国は米西戦争の際に約束した独立を反故にした前科がある。それでも米軍に協力したり、「解放者として迎え入れた」のは単に米軍の強さに屈従したのに過ぎない。「理念」以前に現実的選択をしたに過ぎない。日本の大東亜共栄圏構想の真贋とは関係のない打算である。フィリピン人は表には出さないが、米国の苛酷な植民地支配や、マッカーサー再上陸の際に砲爆撃によって何十万人という無辜のフィリピン人を無差別殺害したことに、心底に怨嗟を抱いている者が少なくない。

 例えばミャンマーは、独立後英国の植民地支配の苛酷さを国際社会に訴えた。そのとたんに、軍事政権や独裁政権などとして制裁を受け、植民地支配の怨嗟の声はかき消されてしまった。このように、欧米の支配を受けた地域は独立後でさえ、本音を語ることは許されていないのである。現在でも欧米による過去の歴史を暴くことは、かつての被植民地の民には許されていない。著者には、その観点が欠落しているどころか、日本にだけ道徳的完璧を要求している。

 このように文章を読む限りは、氏の態度は公正である。例えば松岡洋右の評価などは資料によりきちんとしていて、これまでの偏見的常識にとらわれていない。しかし、結局のところ資料に現れた表面的論理的公正に過ぎないように思われる。日本人が西欧の植民地支配に憤りと危機感を持っていたのは、表面にどの程度出たかは別として、ほぼ全日本人の心底にはあったはずである。だが現実に国際社会に相対する時、完璧な道義的態度で、日本自身を一方的に犠牲とし、植民地解放に専心するなどということは、現実として選択できない行為である。

 アジアとの植民地解放は、あくまでも日本の国益の保持、という観点の範囲で行うのは当然であり、国益と矛盾する場合は抑圧する、という選択は当然ではないか。それでも搾取の限りを尽くした、欧米の植民地支配とは隔絶していることは間違いない。日本の明治以来の戦いの結果は無残な敗北に終えた。しかし、欧米諸国による植民地支配は日本の戦いによって終焉した。

 日本は世界史を一変させたのである。しかもその結果多数の独立国ができ、日本にとってもそれ以前とは比較にならないくらい自由な貿易が出来る、という有益な世界が到来した。それを日本が充分に利用できないのは、むしろ、日本の戦争を罪悪視する日本人が蔓延して、日本を政治的軍事的に独立することを妨害し、それを平和主義と標榜していることにある。 

根源的問題は維新から大東亜戦争までの日本の苦闘の拙さにあるのではなく、自らの闘いの成果を利用し得ない、現代日本にあるのではないか。

批判部分ばかり書いたので、著者の貴重な指摘を紹介する。それは「戦争のカタチ(P97)」に書かれている。第二次大戦の戦争の形態が当時としては例外であった、ということである。本書によれば日清戦争は日清の闘いであるにも拘わらず、朝鮮半島を舞台にしたものであって、清朝が継戦能力を失って敗北したのではない。日露戦争も似たようなものであった。第一次大戦は、ロシア、ドイツともに対戦国の首都が占領されたのではなく、国内で革命が起き、戦争を継続できなかったため、講和したためである。つまりこれらは交戦国の話合いによって講和が成立したのである。

これに対して大東亜戦争(著者は太平洋戦争と呼ぶ)は首都が壊滅する、という徹底した形で終わった、ということである。また戦争終結のプランとしても、日清日露戦争においても、第一次大戦当時においても開戦時に明確な戦争終結のプランがあったわけではなく、結果として終えたということである。

これらを基に著者は、対米戦は戦争終結のプランを指導者が持たずに開戦したとしても、開戦自体は指導者達にとっては合理的選択であったという。それは必ずしも正しい選択であったとは言えないにしても、「・・・日本の国力を過信していた訳でも、アメリカの国力を過小評価していた訳でもなかった」とし「正しい情報と判断力があれば戦争が回避できるわけではない怖さ・・・」があると結論しているのである。

これは多くの識者が、日露戦争当時は周到な戦争終結の準備をしていたのに、大東亜戦争では何の戦争終結の見通しがなく愚かにも開戦を選択した、と批判するのに対する明快な反論であるように思われる。直近のいくつかの戦争終結の様相に照らしてみれば「帝国日本のそれまでの戦争経験から照らしてみれば、成り立ちうるものである。」と指摘したのは慧眼である。第二次大戦の終結は、それまでの国際法上の常識を破る特異なものであったことは、深く認識すべきである。