毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

中共はまだ崩壊しない

2016-09-15 15:26:29 | 支那大陸論

 中共の大陸支配は盤石である。ある新聞で、中共が南シナ海の問題で仲裁裁判所で負けたことなど、このところ支那の外交は失敗し続けていると、いくつかの例を挙げていた。それ自体は事実である。ところが、それにも拘わらず、共産党政権がゆらぐどころか、習近平主席が追い落とされる様子すらない。

 香港で民主化運動が起ろうが、適当に弾圧して済ましている。反日教育に熱心なのは単に共産党の正統性を主張するだけで、巷間言われることがあるように、政権が倒れるのを防いでいる訳ではないと思われる。もし、尖閣での挑発が過熱して、日本と一戦交えて負けても、中共政府は平気であろう。過去にもベトナム戦争後、ベトナムに侵攻した。国際社会ではベトナムに負けた、というのが常識であった。

 ところが、国内的には懲罰戦争として宣伝し、一撃を加えて撤退したと押し通した。要は国内統制ができていれば問題はないのである。誰かがベトナムに負けたではないか、と政府を非難し、そのことにより反乱が起ることない状態であればいいのである。

 この10年位、中共のバブル崩壊で、経済がだめになるという、中共崩壊説が盛んである。数年前、中国は2014年に崩壊する、という本が出たが、2014年はとうに過ぎた。歴史が教えるところでは、支那の王朝の崩壊は内部ないし、外部からの反乱でしか崩壊しない。単なる経済問題だけで崩壊した王朝はない。

天安門事件などで、アメリカに亡命した民主活動家の運動も、到底反乱の勢いを持っているようには思われない。中共政権はまだ70しか経っていないから、という訳ではないが、まだその時期であるようには思われない。

ただし崩壊するときはあっけないだろう。その後長い混乱が続き、新しい王朝が興る。支那大陸の歴史はその繰り返しである、清朝崩壊後1949年の中共成立まで混乱が続いた。戦前の日本には、漢民族には国家統治能力がない、と見当違いな断定をした識者が多い。眼前における混乱が新王朝成立までの過渡期であると気付かず、永続するものと誤解したのである。逆にいえば過渡期の支那の混乱は、それほど物凄いものであったのである。

支那の混乱期については、「満洲國の出現の合理性」(ブロンソン・レー)という本に描かれている。小生は戦前の古書で読んだが、最近、新訳が刊行されたようである。タイトルは変わっていると思う。

余談だがレー氏は日本や満洲人への同情心から満洲国擁護論を展開したのではない。米政府の満洲国対応が、米国建国の理念に反すると考えたのである。レー氏は愛国者であって、親日家ではない。


ムラサキツバメ

2016-09-11 16:04:19 | Weblog

 とみに最近は運がいいようてす。この数年、都会ですが、川と公園に囲まれたマンションに転居してから、公園を散歩すると、生まれて初めて見る蝶に3種類も出会いました。最初はウラギンシジミ、次はアカボシゴマダラ、今年は何とこの写真のムラサキツバメです。昨年はあこがれのアサギマダラに出会いましたが、写真は撮れずでしたのが、悔しかったのです。いまでは都会になってしまいましたが、、小生が子供のころの実家の街は、通学途中の半分が林のなかで、突然視程1mもない濃い霧に覆われることも珍しくない田舎でしたが、今の都会住まいの方がよほど野生の珍しい蝶が多いのです。

 子供の頃の夏休みの宿題で昆虫採集して、標本を作っていましたが、今では短い命を絶やすのに忍びなくて写真だけにしています。実はこの蝶、は種類が分からなくて困りました。最小タテハチョウかと思いきや、似たものはいるもののスパリはありません。色からジャノメかと思いましたが、肝心の蛇の目がありません。

 大きさがウラギンシジミとヤマトシジミの中間だという事でシジミチョウにまとをしぼりました。するとムラサキツバメだという事に落ち着きました。後翅の尾美状突起が一対あることと模様が決め手でした。しかし、とまると絶対翅を開きませんから雌雄の区別は分かりませんし、100%の自身はありません。どなたか専門家の方、ご教示下されば幸甚です。ちなみに最近二度見ましたが止まっていたのはキバナコスモスの花です。しかも一度止まると、近くに行っても翅を閉じて絶対動きません。

 

 

 

 

 

 

 


書評・「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド 文春新書

2016-09-10 13:20:40 | Weblog

 読もうと思っているうちにもう一年以上がたってしまった。ぱらぱらとめくって、読む前の内容を下記のように想像をしてみた。{ }内。 

{ロシアはソ連が崩壊して普通の国になった。要するにロシア帝国の時代のヨーロッパに戻ったのである。違いは、大英帝国が見る影もなくなった代わりに、強大なアメリカと言うイギリスの庇護者が登場した。英国が考えるのは昔日と同じく、大陸と一線を画し、大陸に強大な一国が登場することを防ぐことである。

だが西欧は相変わらずロシアを強大なソ連と同じと錯覚して、対抗のためにNATOとともにECをEUに発展させて、ソ連圏だった東欧も取り込もうとした。大陸と一線を画す英国は通貨統合にはのらなかったために、ヨーロッパ経済の中心は図らずもドイツになったのである。EUでドイツは一人勝ちしている。EUはドイツ帝国のヨーロッパ支配の道具になったのである。

以上である。

筆者は英国はEUを離脱する、と予言しているが実現しつつある。筆者はフランス人である。だから伝統的思考に従えば、普通の国ロシアとフランスの親近感は普通であるし、フランス人がロシアより強大なドイツを恐れるのも自然である。

ただ本書にないと思われる視点がふたつある。域外からの移民問題で一番悩まされているのはドイツである。ドイツ国内は移民問題で荒廃している。またイスラムの勃興にもヨーロッパは悩まされている。イスラムとの確執の歴史は長い。イスラムによるヨーロッパ支配と、ヨーロッパによるイスラム圏蹂躙で、お互い様なのだが、結果は確執を生んでいる。

内容を大雑把に見よう。やはり「新冷戦ではない」(P22)というタイトルがあるように、ロシアはソ連の再現ではない、と考えているのだ。そこで「紛争が起こっているのは昔からドイツとロシアが衝突してきたゾーンだ・・・アメリカが、クリミア半島がロシアに戻ったことで体面を失うのを恐れ・・・ドイツに追随した」という。要するにソ連以前の伝統的な独露関係に戻ったと言うのだ。

ただ「言語と文化とアイデンティティーにおいてロシア系である人びとが東ウクライナで攻撃されており、その攻撃はEUの是認と支持と・・・武器でもって実行されている。(P33)」というのは、ウクライナだけではなく、バルト三国など旧ソ連に支配された国々には看過できないだろう。これらの国々にロシア系住民が多いのは、ソ連帝国支配のため、ロシア人が政策的に送り込まれているケースがあるからだ。

その犠牲としてバルト三国などでシベリアに強制移住させられた人々が多数いるのだ。不思議なのは筆者が「一九三二~三三年にかけてウクライナで旧ソ連が行った人工的大飢饉により数百万人が殺された。(P96)」とウクライナの被害を知っているのに、前述のようなことを書くことだ。ソ連がロシアに変身した途端にソ連時代のこれらの行為が免責されるとでもいうのだろうか。

これに対してドイツについては「・・・二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国であり、人間の非合理性の集積地の一つだ。(P142)」と断ずる。これはドイツに対する偏見が強すぎまいか。確かに今の常識では第一次大戦はドイツの、第二次大戦は日独の責任に帰されている。いかにヒトラーが狂気を秘めた人物であるにしても、両大戦をドイツの責任に帰するのはあまりに単純化し過ぎ、それ故今後の政治の糧とはなりにくいであろう。

ソ連の崩壊については、「ロシアはかつて人民民主主義諸国を支配することによって却って弱体化したのであった。軍事的なコストを経済的な利益によって埋め合わせることができなかったのだ。アメリカのおかげで、ドイツにとって、軍事的支配のコストはゼロに近い。(P41)」これは米国を軍事的盟主としたNATOのことを言っている。しかしその反面として、いくら軍事コストが少ないため、経済的利益を得てドイツが強くなったとしても、軍事の後ろ盾のない経済と言うのは脆い。だから今のドイツをドイツ帝国とは言いにくいであろう。

米独の比較においても筆者の見方はバランスを欠いていると思われる。「大不況の経済的ストレスに直面したとき、リベラルな民主主義国であるアメリカはルーズベルトを登場させた。ところが権威主義的で不平等な文化の国であるドイツはヒトラーを生み出した。(P63)」というのも図式が単純過ぎる。リベラルな民主主義国である「にもかかわらず」、と言い換えるべきであると思われる。

大恐慌の克服は、リベラルで民主的な政策により実現したのではない。米国の理念とは相いれない共産党独裁ファシズム国家のソ連と組むことさえ辞さないことによって、大戦争に国民を扇動して克服したからだ。ニューディール政策で恐慌を克服したのではない。

EU内でドイツが有利なのは、ドイツ国民間の経済的不平等は小さいが、「・・・東ヨーロッパの低賃金や南ヨーロッパにおける給与の抑制を加味して考察すれば、現在英米に見られるよりも断然いちじるしく不平等な支配のシステムが生まれつつある(P64)」

つまりEUではドイツ人が支配する側にあるというのである。EU域内ではドイツ人は高賃金を維持しながら、低賃金の周辺国国民を使って利益を上げるシステムとなりつつある、というのはその通りだろう。

日独仏の比較論は面白い。「日本社会とドイツ社会は、元来家族構造も似ており、経済面でも非常に類似しています。産業力が逞しく、貿易収支が黒字だということですね。差異もあります。日本の文化が他人を傷つけないようにする、遠慮する・・・のに対し、ドイツはむき出しの率直さを価値付けます。(P157)」経済面についての類似性は高度成長以後のことで、戦前の日本の経済基盤は弱いものであった点がドイツと違う。遠い国日本の過去を見ない近視眼であるのは仕方ないだろう。日本への評価は本書の論旨には影響ないからである。

フランスは「遺産は男女関係なく子供全員に平等に分け与えられました。このシステムが培った価値は自由と平等です。(P158)」と手放しで賛美しているようにしか思われない。フランスの自由と平等は国内の白人にしか適用されないように思われる。現在フランスでは女性イスラム教徒が着る水着を禁止する動きさえある。いくらテロにさらされているにしても、日本人から見れば不寛容に過ぎるとしか思えない。

EUについては、筆者は単一通貨にはもともと反対で、容認するに至ったのは、ヨーロッパが保護主義を採用することを促す可能性があるからだ(P217)という。正しいのであろう。単なる通貨統合と自由貿易は矛盾するからである。著者のこの主張について小生には充分読解する能力がないが、ヨーロッパ保護主義とは、EU域内における経済統制と、域外に対する半鎖国政策のことであろうか。

全体的には伝統的なフランスの親露感情とドイツ危険視が根底にあるように思われる。またアメリカについてはかなり書かれているのに、英国にはあまり書かれていない。これは英国のEU離脱を予言しており、そもそも帝国ではなくなって、ヨーロッパに対する影響力が少なく、他方で米国は軍事力等でヨーロッパに対する影響力が大きいという現状認識からだろうか。なお、編集後記には編集部によって、全体がうまく要約されていることを付記する。


カタパルトとスキージャンプ

2016-09-08 14:30:44 | 軍事技術

 別項で日本海軍の航空戦艦伊勢級のカタパルトは、米英のように飛行甲板上の艦上機をそのまま射出できず、台車に載せると言う運用上の制約が多い方式であることを書いた。ドイツの未成空母のグラーフ・ツェッペリンはカタパルト装備とされていたが、図面を見る限り日本海軍と同様に台車方式のようである。異色なのは英国空母のスキージャンプ方式である。これなら、機体もいじる必要はなく、高度な技術の蓄積が要るカタパルトも不要だと飛びついたらしいのが旧ソ連である。

 だが、ソ連製空母がスキージャンプ方式を通常離陸方式のCTOLの発艦に採用したのは感心できない。カタパルトを開発使用した経験がある英海軍がスキージャンプ方式を発明採用したのは、艦上機が垂直離着陸機(VTOL)のシーハリアーだったからなのである。シーハリアーは垂直離陸するためには、爆弾等の兵装が制限される。兵装の搭載量を増やしたり、航続距離増大のために燃料搭載量を増やすためには、垂直離陸を諦めて短距離離陸にしなければならない。

 もちろん兵装や燃料を消費して軽量となった状態なら垂直着陸できる。搭載量を増やすと短距離離陸しなければならないのは、離陸速度の不足ばかりではない。ハリアーの主翼は離着陸にはいらないから、CTOL機に比べかなり小さい。これは空気抵抗が小さいから高速飛行には有利である。逆にいえば、ある程度の速度がないと機体重量に釣り合う揚力が発生しない

ハリアーの垂直離陸時の揚力は全てエンジンの鉛直方向の推力である。従って離陸重量が重くなると不足するのは、この鉛直方向の推力である。そこで爆弾などの搭載量を増やすには、短距離でもいいから滑走して主翼やフラップによって揚力を補うことが必要である。

 それともうひとつ、別に鉛直方向推力を補う方法があればよい。スキージャンプ台は大きな傾斜をしているから、台を通過することによって、鉛直方向のベクトルの力が機体に与えられる。それがエンジンの鉛直方向推力を補うのである。

 ところがロシアや中共海軍のように通常離着陸機(CTOL)で搭載量が大きいと短距離しか滑走していないから、スキージャンプ台を過ぎても失速速度を十分に超えておらず、台で上に放り出された勢いが残っているだけだから、失速して海面上に降下してしまう。それを防ぐには、飛行場から離陸する場合より、艦上機の搭載量を制限しなければならないのである。もちろんスキージャンプで与える垂直方向速度ベクトルは離陸の補助にはなるが、カタパルトに比べて充分ではない。

 このように、元々スキージャンプ台はハリアーの搭載量を大きくするために発明されたのであって、カタパルトの代用品ではないのである。現に英国のスキージャンプ台を備えた、最新鋭の大型空母クィーンエリザベスは、短距離離陸垂直着陸機(STOVL)機としてF-35Bを運用する設計である。前述のように現代の重い艦上機を短距離で離陸速度まで加速するカタパルトは、高度な技術を必要とする。

 ロシアや中共は、当面カタパルトを実用化できないから、スキージャンプに飛びついたのである。従ってCTOLの戦闘機や攻撃機の運用は極めて制限が大きく、一機当たりの打撃力が小さい。その上遼寧の場合は、動力がオリジナルのものが使えなかったので、カタログデータの30ktは到底出ないと見られている。なんちゃって空母と呼ばれるゆえんである。


反権力マスコミの嘘

2016-09-03 14:56:52 | ジャーナリズム

 現代日本のマスコミは何かと、反権力と言論の自由を振りかざす。世の中にこれほど胡散臭いものはない。有名なジャーナリストは、日本の首相を何人も辞職に追い込んだと、反権力を自慢げに語ったのを、ある評論家に、それなら最も反権力の監視の対象となるべきは、その男自身だと揶揄していた。図星である。

 日本のマスコミの反権力とは、攻撃しても徹底的に反撃できない都合のよい権力者攻撃である。それも基本的に対象者は日本人だけである。日本の政治家が失言すれば、よってたかって叩く。それも外国の批判を招くから、という外国頼みのものすら多い。しかもその外国と言うのは反権力の言論の自由が全くないから、自己矛盾も甚だしいのである。

 現代も含めて、支那の歴代王朝には、公式史観という言論統制の枠がある。現在の王朝の正統性を保証する歴史観である。これに対する批判は許されないから、反権力の言論の自由はない。日本のマスコミが反権力を言う時に最もよく持ち出すのが、現代中共王朝の歴史観に日本の政治家の言動が反していた時である。曰く、中国から批判をされるぞ、である。

反権力を標榜するときに、批判が絶対許されない他国の歴史観に則っているから、矛盾も甚だしい。井の中の蛙と言ってもいいだろう。

欧米にしても日本人が考えているほどに、反権力の自由も、言論の自由もあるわけではない。言論弾圧もある。戦前米国のミッチェル准将は、戦艦に対する航空機の優位を主張していた。そこで戦利戦艦を演習で爆撃して見事に沈めてしまった。デモンストレーション見学に居並ぶ海軍の幹部は色を失った。ところが、海軍はダーティーなマスコミに金を渡してスキャンダルをでっち上げ、ミッチェルは屈辱の中で退役に追い込まれた。

「東京裁判」で何人もの米弁護士が真摯に日本人を弁護した。大統領を非難する言論すら展開した。その結果、弁護士で米国での職を失った者もいた。大西洋無着陸初横断飛行で有名なリンドバーグは欧州戦争への参戦に対して、ラジオ放送などを通じて反対運動をした。そのため多くの中傷と非難をあび、脅迫までされた。かくほどに米国の言論には、自己の信念を貫くための不利を覚悟の上で戦う人士がいることである。

ロシアや支那でそのような人士がいないこともない。ただ違うのがロシアや支那では例外であり、欧米では例外とは必ずしも言えないことである。さらに違うのはロシアや支那では言論弾圧の程度が違うことである。ソ連崩壊後といえども政権批判をしたために、不可解な死をとげたロシア人はけっこういる。

中共では政権にわずかな批判をしただけで、行方不明になったり、ひょっこり現れて突然前言を翻す、という「事件」が最近頻発している。欧米でも同様な弾圧はないことはないが、ロシアや支那に比べれば例外的と言えることが違う。

これらに比べれば、現代日本のマスコミの反権力とか言論の自由はままごと遊びの類であろう。そもそも日本のマスコミは維新以後、常にその時々の最も強い権力に追従していたのは事実が証明している。戦前のテロで多くの人が暗殺された。暗殺されたのは、どういう人士であったか。政治家、軍人、資本家、金融家である。この中に欠けている有力な職業がひとつある。ジャーナリストである。その原因は、ジャーナリストが常に最大権力に阿っていたことである。同時にジャーナリストが世論を形成する最大権力者であったことすらある。