毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

星野仙一と南雲忠一

2008-09-19 21:13:58 | 大東亜戦争

 日米戦争の最初の天王山は、ミッドウェー海戦であることは戦史を多少とも知った人には常識であろう。その海戦に惨敗した指揮官の南雲中将を連合艦隊司令長官の山本五十六は更迭しなかった。真珠湾の奇襲を許した、キンメルを更迭した米海軍と比べ、戦後の史家は批判してやまない。

 当然であろう。乾坤一擲の闘いに敗れた指揮官は、責任を取らなければ、後任の指揮官の決意がゆるむ。これと北京オリンピックで惨敗した、星野監督と比較したい。敗戦にもかかわらず、読売新聞の渡辺オーナーはWBCの監督にも星野氏を使いたいと発言した。

 これは世論の批判にあって撤回されたが、情におぼれて責任追及を怠ったという点では共通する。多くの人たちは過去の歴史に関すると、敗戦の指揮官は更迭すべきと主張するが、現実に敗軍の将たる星野氏を見るとつい情にほだされる。

 星野氏のWBC監督反対の先鋒はスポーツ新聞であった。同様に、二百三高地攻略に難渋した、日露戦争の乃木将軍の実家は投石の嵐にあった。なまじの偉い人より、庶民の声は本質を見抜いて厳しい。

 むろんオリンピックメンバーに不充分な点があったことで、星野氏にも大いに同情の余地がある。しかし二度とない、北京オリンピックに惨敗したのは事実である。指揮官が責任をとらなくて責任をとれる人はいない。

 ちなみに航空艦隊を失った南雲中将は、サイパンの戦いで戦死した。自決とも、切込みで戦死したとも伝えられるが、最後の責任をとって戦死した事は、南雲中将の名誉のために申し添える。


常勤の派遣社員は矛盾

2008-09-19 19:50:22 | 社会

http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~k-serizawa/index.html
 今や日本の企業は、派遣やパートに支えられている。それはコストが正社員に比べて安いからである。それでは、派遣やパートのコストを安くできるのは何故か、皆さん考えたことがあるだろうか。例えばある会社で一年のうち、忙しいのが二ヶ月あり、その時期に必要な人数を正社員として雇っていたら、残りの10ヶ月は正社員が大量に余る。

 ある食堂で昼と夕しか、客が多くないとすれば、忙しい時期に合わせて調理人やウェーターを雇うと残りの時間には客より従業員が多い状態になり、これもコストの無駄である。さて一般には前者の場合には二ヶ月だけ派遣を雇い、後者の場合には昼と夜の忙しい間だけパートを雇えばよい。

 だがこれは、雇う側に都合が良く、派遣やパートをする側には、残りの期間や時間帯に仕事がなくなるのだから、年収が少なくなり生活が困難になる。そこで派遣の場合には、人材派遣会社に登録しておけば、残りの時期は別の会社に派遣されていれば、一年通しで働くことが出来る。パートの場合には、子育ての終わった主婦などで、一日働くのはいやだが、少しは働きたいというニーズがある人を雇えばよい。あるいは学生アルバイトである。ちなみに英語でアルバイトはパートタイマーという。

 これで雇う方も雇われる方も、両方ハッピーである。これが派遣やパートが始まったそもそもの論理のはずである。ところが実態はそうではない。派遣の多くが通年どころか、同じ会社で何年か働いているケースが圧倒的に多い。派遣が常勤化している。これは派遣の本来の姿ではない。派遣がいつもいるような必要がある仕事の量が常時あるなら、派遣でなく、正社員を雇うというのが本来の姿である。

 ところが現在の多くの企業では、派遣と正社員が区別がつかない状態で働いている。派遣は必要な短期だけではなく、正社員がやるべき常勤の仕事をしている。当初延べた理屈によって派遣社員の雇用がコスト削減になるなら常勤の派遣はコスト削減にならない。そんなことはない。コスト削減になるからあえて正社員を採用しないのである。

 最近は色々な圧力により改善されているものの、派遣には会社の経費を払わないことにより、諸経費が減らして正社員よりコストがかからないから、安上がりになる。以前は保険のたぐいもほとんどかけられていなかった。要するに正社員より悪い労働条件が可能なため安上がりになるのである。

 それでも改善されない事はある。派遣は一定の期間いると別な人に代わる。つまり同じ数の派遣がいるにもかかわらず、同じ人が定住する事は少ない。これにもからくりがある。正社員は年をとるから、年功序列で昇給する。しかし派遣は交代するために年をとらないのである。そうではなくても、派遣は技能で時間給が査定されるから、実際には年齢は考慮されない。

 いずれにしても、派遣はいつまでいても年功により昇給しないから、派遣の給料は低いまま抑えられる。このように派遣の存在は、現代の日本の矛盾を凝縮している。繰り返すが、常勤の派遣は正社員そのものである。最近、このようなケースで派遣を正社員にする動きがあるのは当然のことである。


スピード社製水着の秘密とは

2008-09-19 19:50:01 | 文化

 スピード社製の水着で速く泳げる理由には、抵抗が少ないとか、浮くとか色々な要素が指摘されているが、それだけで、あれほどの記録ラッシュができるだろうか。

 私が10年以上はまっているのが、ベンチプレスである。体重65kgで最高110kgまでの記録があるから、ど素人しては相当なものだと思っている。100kgは確実に上がる。同じスポーツセンターには競技会に参加しているプロが何人かいるのだが、その人たちは時々奇妙なものを着る。

 伸縮性の強い素材で、上体をきつく締め付けるもので、きつすぎて自分だけでは着られず、手伝ってもらってやっと着る。パワースーツというのだそうだ。名前の通り、これを着ると記録が一割以上上がると言う。単に筋肉を締め付けるばかりではなく、バネの役目をして筋肉の力を補助しているようだ。

 もちろん私などのようなど素人が使っても逆効果かもしれない。使いこなすには、それなりの技術がいるのだろう。パワースーツを使うのと使わないのとこれだけの差があるなら、競技会では不公平になる。そこで、競技はノー・ギヤー、つまりパワースーツが使えない部門とギヤーの部門に分かれているのだそうだ。

 スピード社の水着はこのパワースーツの機能もあるのではないかと私は疑っている。筋力が一割以上簡単に上がるなら、自己記録が向上するのは当然である。スピード社の水着は、筋力補助器具ではなかろうか。いずれ、その秘密が解明されると、締め付けによる筋力アップの効果がある水着は禁止されると思われる。


成田航空宇宙博物館パート2

2008-09-19 19:49:22 | 科学技術

 さてそれではお約束の、航空宇宙博物館に行く際の注意事項です。僕があったひどい目について紹介します。最後に成田空港に行ったのは、七年前、韓国の研修生の帰国を見送るためでした。それ以前も外国出張等で3回ほど行っていたから、成田は慣れているはず。となめたのが間違いだった。世界は変わるのです。

 駅の改札を出ると、すぐに検問があり、パスポートか身分証明書を見せろと言う。おいおい、成田空港駅に着たけど、成田空港に来たわけじゃない。飛行機に乗るわけじゃない。パスポートはもちろん、免許さえ今日も持っていない。そこで係りの女性に、博物館に来たので、空港に来たのじゃない、と説明してもだめ。

 カードでいいから、同じ名前が書いてあるのを二枚以上見せろと言う。なるほど、他人のカードならそうはいくまい、というわけだ。カードならいくらでもある。ヨドバシカメラのポイントカードと、ビデオレンタルのカードを見せる。なにせ僕はVISAカードとか言う、立派そうなものは持たない。

 オーケーにはなったが、今度来るときは身分証明書を持参して下さい、と念を押された。二度と来るものか、と言いたいが、そうはいくまい。空港第二ターミナルからだと、13番のバス乗り場からと、インターネットにあった。行ってみると、1時間に1本しかなく、しかも30分後だ。
 
 問題は帰りだ。同じ路線バスに乗って帰るが、空港駅直前に高速のインターチェンジの料金所のようなゲートがあり、車は全部そこを通る。運転手が、皆さん身分証明書の準備をと言う。またカードかと思うがだめ。ゲート前で係員が乗り込んで、全員をチェックする。隣のゲートを見ると乗用車も同じだ。カードならあります、と言うと、運転手に一人身分証明書のない乗客がいますから、担当を呼んでくる、と言う。

 大変なことになったようだ。僕一人のために10人ほどが足止めだ。制服の担当が乗り込んで書類に記入しろという。住所、氏名、年齢、電話番号と、駅に来た目的を書けと言う。目的?当然家に帰るためだ。でも記入したら、すんなり通してくれた。皆さん航空宇宙博物館に行くには、パスポートを持っていくべし。

 どうしてもいやな人は、芝山鉄道線の終点、芝山千代田で降りるルートもある。ローカル駅だが、けっこう立派に見えた。ただし、京成電車などより、はるかに便が少ないだろう事は予想できる。そこからどうするって、例の路線バスもあるが、博物館まで約二キロ。健康のために歩くこと。

 添付の写真はかの戦後の国産発の旅客機YS-11と富士重工のFA-300のどちらも試作第一号機である。YSなら有名で解説はいらないが、FA-300はFA-200の後に製造されたものである。単発のFA-200に対して、エンジン2台を備えた、本格的なビジネスジェットとして作られた。

 しかし100機も売れなかった。日本の航空業界は村社会なので、お互いに批判はしない。しかしYSもFA-300も、商品としては明らかな失敗である。YSに至っては、戦後初、ともかく旅客機開発を自前でやった、という以外は何もとりえもなく、技術的には平凡以外の何ものでもない。