毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

共産主義崩壊の不思議

2020-10-10 16:37:08 | 共産主義

 共産主義の崩壊は実に奇妙な事件だった。なぜなら共産主義という、世にも稀な体制が崩壊したのにもかかわらず、多くの独立国ができる以外に何も混乱が起きなかったのからである。ソ連と言う共産主義体制では私有財産は禁止されていた。従って土地や建物などの資産は全て国有であった。個人資産というのはないはずなのであった。

 それが廃止されて全て個人が持つことになれば、国有財産の分配をめぐって、奪い合いが起きて、大混乱が起きるとは誰も想像するはずである。ところが私有への移行にあたって何の混乱も起きなかった。国営工場でさえ、すんなりと民営化した。これは単細胞のな私の頭には不思議なのだが、誰一人としてそのことに疑問を呈する人は専門家ですらいなかった。

 その理由は案外簡単なのである。つまり建前の国有などというものはとうに崩壊していて、実際には全ての土地などの資産は私有化されていたのである。これは当たり前の事なのかも知れない。例えばある農家が土地を耕している。隣の農家も土地を耕している。

 すると必然的にお互いの農地に境界ができる。するとこの農家が耕している土地は、国有と言う建前とは逆にその農家の占有するものとなる。つまり他人が勝手に耕すことが出来ない事実上の私有地になる。つまり全資産の国有などと言うものはありえないフィクションだったのである。

 それでもスターリンや毛沢東の時代には、農民を強制的に集めて集団で共同農業をさせた。これがコルフォーズや人民公社である。しかしこれも無理があって短期間のうちに自然崩壊した。しかしこれらの集団農場の時代を日本の共産主義者は愚かにも礼賛したのである。社会科の教科書ではソ連のコルフォーズで大規模農業を行う写真が掲載されたものである。

 しかもソ連や中共の集団農場華やかなりし頃ですら、全体の農地に占める集団農場の比率はわずかであったと推定される。つまり共産化などというものは当初からインチキだったのに違いない。

 だがインチキ共産主義にも支配者にはメリットがある。つまり農地も全部国有なのだから、そこからとれた農産物は全て国有だと主張できる。スターリンは軍事力を高めるために、重工業に大規模投資した。その資金を得るために農産物を農民から取り上げて輸出した。

 農民は自分の農産物があるのに奪われて大量に餓死した。いわゆる「飢餓輸出」である。そして工場を建てる家やダム、道路を建設する土地が必要なら国民からただで無条件に強制的に取り上げることができる。何せ土地は全て国家のものだからである。これは中共では今でも行われている。

 共産主義とは単なる計画経済ではない。国家が国民の権利を蹂躙するのに都合が良い体制に過ぎない。つまりソ連における共産主義の崩壊とは、国家が理不尽に国民を蹂躙する体制の崩壊であった。国民に歓迎される体制に移行するのに混乱が起こるはずはない。

 世界の先進国で共産党が存在するのは、日本とフランスだけである。(中共などは、あれだけの経済力を有しながら、都合のいい時は発展途上国だと言い張る)日本の共産党員は理論に忠実だから私有財産の害悪を信じているのであろう。そうでなければ、マルクスの言う共産主義者ではないからである。現在の共産主義者は共産ソビエトが何の国有地争奪争いが起きなかったのをどう考えているのであろうか。


左翼全体主義考(3)左翼は全体主義である(最終版)

2019-07-25 16:05:44 | 共産主義

(3)-1 戦後の共産主義

 戦後日本の共産主義は、政府がGHQに抑え込まれたことにより、拡大した。一つは無力だった刑務所にいた共産主義者の釈放による登場と、戦前の潜伏共産主義者や偽装転向者との合流による共産党と社会党という共産主義政党の結成。二つ目は共産主義学者やジャーナリストの復活である。学者の中には家永三郎のように、戦前は皇道主義を唱えていたものが、時局に乗って、共産主義的言動をするようになった者も少なからずいた。朝日新聞などのジャーナリズムは、元々いた隠れ共産主義者が復活すると同時に、GHQの弾圧によって朝日新聞のみならず、一般スコミは左傾化していったのは、時勢に阿っていたのだが、世代が変わると左傾言論は「社是」となっていった。

 三つめは共産主義系労働組合である。共産主義労働組合の主力は、国鉄、国家機関、公教育者の労働組合である。これらを官公労とすれば、民間会社は自社が潰れたては困るから過激な左翼運動はあまり出来ず、官公労が主体となったのは自然な成り行きである。こうしてGHQによる自虐史観が、マスコミや政党に跋扈し、公然とした言論は自虐史観しかなかった。子供の頃の小生の周囲は、残虐な日本軍のイメージとは程遠い人たちばかりであったから、自虐史観にあまりの不自然さを感じていて、戦前の日本人の行動の弁明を求めた。

 従って、自虐史観しかなかったとしても、常に疑問を持つことが多かったため、自虐史観にどっぷり浸かることはなかったと思う。しかし、維新以後の戦前日本の行動を具体的事実を持って、肯定的に評価するには二十年は要したと思う。大平洋戦争という、教科書の用語から脱したのも時間はかかった。父母が決して「太平洋戦争」とは言わず大東亜戦争、と言っていたのを子供心に不可解に思っていた。

小生は「大東亜戦争」が自然と言えるように、逆洗脳を自らかけていたのである。従って、今では「太平洋戦争」と言うか「大東亜戦争」と言うかを、ある人物の歴史観を判定するリトマス試験紙にしている。いかに立派な論を説こうとも、太平洋戦争と表記する限り、GHQの洗脳の呪縛から解けきれていないと判定する

閑話休題。敗戦から長い間、マスコミもジャーナリズムも公に出るものは左翼的であったにも拘わらず、保守と目された保守合同後の自民党政権が、共産党や社会党などの官公労の共産主義の者の支持する政党に政権を譲ることはなかった。戦前の事情を知っていた日本人が、大勢を占めていた時代には、表面に現れていた左翼的思潮に騙されることはなかった。時に自民党が腐敗すると社会党に票が流れることがあっても、国民の投票結果は、共産主義政党に政権を渡そうとはしなかったのである。ただし西尾幹二氏によれば、自民党は保守主義者だけの政党ではなく、自民党議員の思想の配分が、国民全体の思想配分に等しいから、大勢として結果的に保守政党であった、という。これは正しい分析だと思われる。自民党にも加藤紘一のような共産主義もいたのである。

その後、昭和四〇年代頃からであろうか、「諸君」などの雑誌等によって、戦前の日本に対する弁明が始まるようになって、小生は貪るように読んだものであったが、世間の表層に現れた思潮は相変わらずであった。しかも徒弟制度で凝り固まった日本の学会は、自虐史観に席巻されていたと見え、一方で学問の府である大学は左翼思想で非ずんば、人に非ずという風潮であったろう。

 政界の決定的な転機はやはり、ベルリンの壁の崩壊に続く、ソ連の崩壊であろう。ここで思潮の流れをはやまって読んだ、重要な転機をもたらす人物がいた。小沢一郎である。今でも小沢の行動を軽視する傾向が強いが、現在に至る日本の政界を混乱に陥れている、という意味で小沢の存在と罪は大きい。自民党の一党政権を一党独裁と批判する輩には、自民党に対抗できる保守政党は必要不可欠である。

ソ連の崩壊とともに、共産主義は死んだに等しいと小沢は思ったのである。共産主義が死んだということになれば、共産主義政党はいずれ消滅する。とすれば自民党に類した保守政党による二大政党政治の実現が現実になる、と踏んだのだ。そこで、自民党が共産主義政党を圧する前に、自民党を割って、保守政党を作って政権の受け皿にすることにした。

ところがどっこい、共産主義政党は消滅しなかった。小沢は見切りが早過ぎたのだ。国民一般は共産主義は間違いであることを実感したのだが、共産主義政党の支持基盤である、官公労は健在であった。社会党はほとんど崩壊したが、共産党は健在で官公労の票を集めた。官公労の票の受け皿は、民主党、民進党、立憲民主党などと名前が変わっても、官公労が堅固な支持基盤であるのに変わりはない。

看板だけ自由主義で、支持組織は共産主義であった民主党は、一時国民の眼を欺いて、政権を獲得するに至ったが、あまりの拙劣さで失敗し、自民党以外の健全な保守政党を求めた無党派層国民は離れていって現在に経っている。結局立憲民主党は、官公労などの共産主義の支持に等しいだけの勢力しか得られないのである。小沢は今や、選挙に強いという都市伝説の主となって、反自民の頼みの綱になっているに過ぎない。政治生命は終えたし、政治信念は何も残っていない。

ところが変わらないのは新聞マスコミである。相変わらず朝日新聞は自虐さを増した。それどころではない。新たなマスコミの旗手となったテレビは、反権力を装った、共産主義者の牙城になったのに等しい。例えば意味のないモリカケ問題では、地デジ全局が何の根拠もないのに「安倍夫妻疑惑」を垂れ流した。一方で、テレビ離れした層のメディアである、インターネットの世界でも左翼的言論が拡散した。ネトウヨと呼ばれる層も根強いが、ヤフーニュースは徐々に左翼的傾向を増しているように思われる。また学者層では、公的に登場する憲法学者は全員が、自衛隊違憲論者である、というように学問の徒弟制度から、左翼の牙城となっている。

 

(3)-2 左翼全体主義による言論弾圧

さて本論である。マルクス主義の前提のひとつは、共産主義に至る道は普遍的な歴史的経過であって、共産主義社会は必ず到来し、そこで歴史は終わる、ということである。それから類推して、「ソ連」を成立させたマルクス・レーニン主義は科学的社会主義であると言った。その意味は、科学だから「絶対的に正しい」ということである。これは20世紀初頭の誤謬である。科学だから「絶対的に正しい」とは限らないことは、現代の科学者なら誰でも知っている。ニュートン力学は相対性理論から見れば、近似解を与えるに過ぎないことが分かっているのである。

しかしマルクス主義においては、そのことが勝手に独り歩きしていった。ソ連ではマルクス・レーニン主義以外の思想は禁じられた。唯一全体正義のマルクス・レーニン主義以外の思想を信じることは、罪であるとされた。コミンテルンの支部として作られた各国共産党においてもマルクス・レーニン主義だけが正しい思想だとして、それ以外は排除された。ソ連においては、非マルクス・レーニン主義は弾圧された。内心の自由はないのである。

日本でも同様であった。宮本顕治は仲間とともに裏切り者を粛清した。これがマルクス・レーニン主義における正義である。テレビのインタビューで、共産主義の日本の泰斗である故向坂逸郎は、共産主義政権が出来たら共産主義思想以外の思想の者をどうしますか、と聞かれた。向坂は「弾圧する」と断定した。向坂は正直で共産主義に忠実だったのに過ぎない。共産主義すなわち極左思想を持つ者は異論を許さない全体主義者である。

 

①  戦前の状況

 戦前は自由主義的思想が弾圧された、とされている。天皇機関説や自由主義者の河合榮治郎らの大学からの排除である。この厳しさは安政の大獄以来のことで、日本で苛烈に思想によって弾圧するのは例外であったように思われる。中川八洋氏によれば、戦前に弾圧に回った側は、実は多くが共産主義者である。ゾルゲ事件はスパイ事件であって、思想弾圧ではない。

 しかもゾルゲや尾崎秀実に連なるはずの多くの人々、すなわち共産主義の群れは、逮捕されずに闇に消えた。ゾルゲ事件の全貌は明かされていない。キーマンであった近衛文麿は自殺して、全てを隠して死んだ。しかし、これは共産主義ネットワークによる隠ぺいのための殺害であると言う説がある。これらを要するに、戦前の極端な思想弾圧は、実は右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説に小生はたどりついた。

 思想的に比較的寛容な日本人による、苛烈な弾圧は他に説明がつかないのである。安政の大獄は攘夷派と佐幕派のテロルの応酬であり、権力闘争であって思想弾圧ではない。信長の宗教弾圧も思想問題ではなく、武装仏教の解体による政教分離であった。これらすら欧米や中国の宗教弾圧や権力闘争に比べれば可愛いものである。これに比べ、戦前の極端な思想弾圧は、非日本的な匂いがする。そこで現代に移る。

 

②  現代の左翼全体主義

①  では戦前の思想弾圧が、右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説をたてた。マルクスは愛国心を肯定した国際的労働組合、すなわち第二インターナショナルの綱領作成に関与したと言われている。従って、必ずしもマルクス自身は当面は国家を否定してはいなかった。しかし、マルクスの共産主義と労働者の国際的連帯と言う発想は、元々世界はひとつである、という夢想的アナーキズムにつながってしまう要因があったのではなかろうか、と思う。

 それはソ連による第三インターナショナル、すなわちコミンテルンとして利用されてしまった。世界の労働者は各国において、ソ連を祖国とする共産主義に忠誠を誓うと言うものである。つまり各国の共産主義者と労働者は、ソ連に利用されることとなった。ソ連が崩壊した結果、忠誠を誓うべき祖国はなくなったのである。恐らく日本の共産主義者に支配される労働組合はとりあえず、中共に忠誠を誓うことにしたのではなかろうか。

 日本を否定する以上、ソ連に代わる国外で従うべき国家権力が必要となったからである。反日である以上、帰属する国家権力が必要なのである。マルクス主義に胚胎していた、共産主義絶対視の傾向は、マルクス・レーニン主義により確固たるものとなった。小生の知己のある共産主義者は、若い頃雑談で、「俺達は正しいのだから、手段は悪であっても良い」、という意味のことを言ったので唖然としたことがある。ところが昨今のジャーナリズムやインターネットの状況を見ると、この言葉は真実味を帯びてきたのである。

 例えば杉田水脈氏は、ある雑誌でLGBTは生産性がない、という意味のことを書いてバッシングされ、その雑誌が翌月号でその特集を組むと、雑誌もバッシングを受け廃刊を余儀なくされた。ひどいことに例の菅直人氏は似たような発言を何年も前にしたのに、何の問題にもされなかったのである。杉田氏は保守で菅氏は左翼と看做されたからである。ジャーナリストや学者、政治家などで保守ゆえに左翼からバッシングを受けてひどい目にあった、例はいくらでもある。小川榮太郎氏などは、新聞社から、言論ではなく言論機関にあるまじき、裁判という報復を受けている。

 かつては改憲をいうだけで非難される状況があったが、さすがにそのような状況はなくなった。しかし、左翼による言葉狩りのような傾向は、特にテレビマスコミにおいてひどくなっているように思われる。繰り返すが、マルクス・レーニン主義に淵源を持つ日本の左翼は本質的に、言論の自由を認めない全体主義的傾向が強い。彼らの言う言論の自由とは、左翼思想の範囲内での言論の自由なのである。

 百田直樹氏や櫻井よしこ氏などが講演をキャンセルされたことがあり、そのような例はいくらでもある。ところが、左翼論者が同じような目に遭ったことは極めて少ないし、そんなことがあれば、テレビマスコミが一斉に唱和して思想弾圧だと騒ぐから、できないのである。令和元年の参議院選挙の際には安倍首相の演説の際に集団でやじを飛ばし、演説を聞かせなかった。警察も止めないので、ある人がスマホで動画を撮ったら、集団の一人が、携帯を奪って壊した。ここに至って、初めて警察は動いたのである。その後の安倍首相の演説でも集団がヤジで妨害したので、警察が排除した。前回の件で学習したのである。ところが、朝日新聞はこのことを「警察による言論弾圧」と記事にした。朝日新聞も、ヤジ集団も左翼である。自分たちは悪い安部の言動を阻止した正義の行動をしたのである。選挙妨害ではなく「絶対正義」なのである。

何度でも言う。左翼・共産主義者は思想統制を是とする、全体主義者である。そのことは、実は戦前から続いているのである。インターネットは大丈夫と言うなかれ。中共の例でわかるように、インターネットは、言論の自由にも寄与するが、全体主義の思想統制には最適な道具なのである。

自由主義者は言う。「君たちの言論は間違っている、しかし君たちの言論の自由は生命を賭して守る。」と。共産主義物は言う。「君たちの言論は間違っている、だから君たちの言論を弾圧する。」と。

尼港事件の犠牲者は壁に共産主義は我らの敵と血書して絶命した。その叫びを今聞くべき時である。

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左翼全体主義考(2)日本の共産主義

2019-07-25 16:05:27 | 共産主義

左翼全体主義考(2)日本の共産主義

(2)日本の共産主義

(2)-1 共産主義と社会主義

ここで、便宜上共産主義と社会主義の概念の相違について書く。本稿全てにおいてそうであるように、これらの定義は全て小生によるものである。皆さんは既にご存知と思うが、後の議論のためと、小生の頭の整理のために書くのである。

社会主義とは、共産主義と比較すれば、広い概念である。現実に存在する共産主義国家から、共産主義のうち計画経済と私有財産の否定を基準として考えると分かりやすい。社会主義の最も左翼を、計画経済と私有財産の否定と考えれば、共産主義は社会主義の一部に含まれる。現在の資本主義社会では、全く国家統制のない自由勝手な経済政策はあり得ない。例えば賃金においては最低賃金制度があり、国家が推奨する分野においては補助金を出したりする経済政策も、一歩計画経済に近づいたという意味においては、社会主義的であるといえる。

私有財産の否定の中間はないかといえばそうではない。高額の相続税や固定資産税である。資産家から取ったこれらの税金は福祉などという形で低所得者に配分される。資産家の財産は、相続税として奪われるのである。税率が高くなればなるほど共産主義的であると言える。要するに共産主義に近ければ左翼的ないし、より社会主義的となる。

だから社会主義とは相対的な概念である。だから資本主義国家においても民主社会主義、というような理念を党是とした社会主義政党が存在するのは、そのような理由である。自由主義とも言われる資本主義と共産主義を除いた社会主義とは何か、である。上記の説明と共産主義の定義を比較すれば分かるであろう。信教の自由と思想の自由というふたつの「自由」があるのが、共産主義を除いた社会主義である。思想の自由からは、結社の自由が導かれ、結社の自由からは政党の自由が生まれる。

政党の自由からは議会制民主主義が生まれる。こうして、資本主義国家においては、議会制民主主義国家が生まれる。ところが、運営の実態上からは、ロシアは本当に資本主義国家なのか、という疑念がある。民主的な手続きを経てエリツィンから権力を得たプーチンは、長期間権力を維持し続けているばかりではない。私有財産保有の自由はあるものの、建前上言論統制がなく議会はあるものの、ジャーナリストの暗殺という形で、実質的に言論の自由が奪われているに等しい。つまり資本主義ではあるものの自由主義とは言えない。

ここに、資本主義と自由主義の乖離する例がみられる。このような例は、発展途上国では多く見られる。ロシアは科学技術はともかくとして、政治的には前近代的な要素の残滓が多い例である。結局国家体制と言うものは、支配民族の性格のくびきから逃れられないものであるとだけ言っておこう。中共についてはさらにややこしいが、深入りの必要がないので、やはり支配民族の性格によるものとだけ言っておこう。

 

(2)-2 戦前まで

 日本の共産主義はもちろん、欧米の思潮の影響を受けたものである。概括的に述べれば、マルクスの著作が日本に入ってきたのが、共産主義の始まりだと言える。日本においては共産主義は、皇室を否定する危険思想として、政府は一貫して排除する姿勢をとってきた。検閲や、かの治安維持法である。こうして共産主義は危険思想として禁止された、ということになっている。

ところが不可解なことに、日本人による社会主義色の濃い、あるいは共産主義に基づく出版物は、共産主義と名を付けない限り、ほとんど野放しにされたに等しい。例えば「改造」などという雑誌がそうである。改造はマルクス主義思想家の巣窟となり、廃刊させられたのは、なんと終戦直前であった位、野放しにされていた。輪をかけて不可解なのは、マルクスの著作が堂々と出版されていたことである。コミンテルンの地下活動と相まってマルクスなどの著作を読んだ帝大生などのエリート層にも共産主義しそうははびこっていった。

この乖離は不可解と言うよりは、大間抜けに等しい。アメリカが言論思想の自由の建前から、共産主義者が跋扈していたのは理解できない訳ではないが、国策として日独防共協定まで結んで、共産主義を天敵扱いしていた日本では、矛盾の極致である。しかもゾルゲ事件という大事件を経た後でも、軍や政治家、思想家の中には、共産主義者が残ったのである。米国がレッドパージ後、政治における共産主義者が徹底排除されたのとは著しい違いである。

ここで特筆すべきは、北一輝である。彼は大川周明とともに、民間右翼のボスと言われた存在である。これはかの中川八洋氏の示唆と小生の読書の結果から言う。大川はいざ知らす、北は共産主義者だったのである。書架に見当たらないので記憶で書くが、「日本改造法大綱」によれば、骨子はふたつ、「国民の天皇」と「私有財産の上限を何万円(現在なら数億円)かにする」というものである。

国民の天皇ということは、カモフラージュである。よく考えれば天皇は国民のものだと言うのだから、国民が廃止しようとすればできるのである。現代の日本共産党と変わりはない。私有財産の上限と言うのは、私有財産の禁止を合理的に実施する手段である。前述のように完全な私有財産の廃止と言うのは、日常の生活を考えれば不可能だから、制限すれば生活に支障のない範囲で私有財産が禁止できる、という訳である。

北は軍人の一部と組んで統制経済を推進すべきと主張していた。しかも統帥権の干犯などという統制的言辞を発明して、政党を持って政党を弾圧せんとしたのである。これらを総合すると北は「天皇制廃止」「私有財産の禁止」「言論弾圧」「計画経済」と言うソ連の真似事を日本に導入しようとしたのが本質と言わざるを得ない。北は共産主義者である

 

北ばかりではない。スパイ尾崎秀実ばかりではなく、陸海軍の幹部にもソ連の計画経済のインチキな成果に魅惑されて、統制経済を推進する者は多かった。統制経済とは、ソ連の計画経済と同じではまずいと思ったカモフラージュであろう。そして言論統制が強まった。不思議なことに言論統制は、自由主義者である、河合榮次郎にも及んだのである。国体明朝として行われた言論弾圧には、結果からすれば共産主義者よりも、河合榮次郎のような天皇の崇敬者の方が被害が大きかったのではなかろうかと疑う。

つまり計画経済をベースに陸軍の一部の地下にも潜った、共産主義者の活動家に都合のよい言論弾圧ではなかろうかと疑うのである。ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実らのソ連のスパイは人身御供であって、親ソ共産主義の御本尊は政治家や軍人の中に公然と残されていたのである。徳田球一らの共産党員ら幹部は、根こそぎ逮捕されて、皆が戦地で戦死傷する中、刑務所で不自由なく暮らしていた。実は「転向者」とされる人物の多くは公然と社会に出て活動をした。

ここで整理すると、戦前の共産主義者には、三種類の系統があったように思われる。ひとつめは、コミンテルン日本支部として創設された共産党だが、逮捕拘留されて戦後GHQが釈放するまで実質的に活動はできなかった。ただし、逮捕されたが転向を誓約して、釈放されたもののうちの一部が隠れ共産主義者として活動している。

ふたつめは、尾崎秀実らゾルゲなどのコミンテルンの指示を受けて活動をしていたグループで、政権中枢に食い込んで支那事変を煽動するなどしていたグループである。三つめはソ連の計画経済にあこがれた軍人グループや、民間浪人や学者などのグループである。このグループには、第二のグループと連携をしていたものとそうではないものがいたであろう。例えば米内光政は、陸軍の大勢が支那事変拡大反対であったにもかかわらず、突如強硬意見を主張して、支那事変を拡大した。彼はロシア通であったために、ハニートラップにかかって籠絡されていた、という説さえある。

第二のグループは、特に近衛内閣の中枢に食い込んでいて、支那事変から対米戦争へと誘導したとみられている。しかし、ゾルゲ事件で一部が逮捕処刑されたものの、戦後、近衛が自殺したために全貌は明らかになっていない。そのため近衛は殺害説すら出ている始末である。

戦前の厳しかったと言われる思想統制の大本は共産主義者で、思想統制の対象は巧妙に自由主義者に対して行われていたのではないか、という仮説を小生は持つに至った。これについては最後に述べたい。

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左翼全体主義考(1)共産主義とは

2019-07-25 16:04:26 | 共産主義

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左翼全体主義考(1)共産主義とは

(1)-1 共産主義とは

 日本における左翼の全体主義的傾向と、それに起因する言論の抑圧の甚だしさについて、共産主義とはいかなるものか、ということから始めて、言論抑圧の必然性を考えてみよう。特に近年、日本において左翼による言論抑圧の傾向が強まっているように感じられるからである。まずは共産主義とはいかなるものか、である。

 日本の左翼とは、共産主義者ないし、そのシンパである、と定義する。共産主義とは何か。この点に関してはソ連と言う「共産主義全体主義国家」が崩壊した今となっては、原点にかえって考えるしかない。というのは、ソ連はマルクス(マルクスとエンゲルス:以下省略)の共産主義を現実化するために、マルクス・レーニン主義という理論を考え、実践した。これは政権奪取においては暴力革命を、暴力革命の実施にあたっては、プロレタリアートは共産主義の前衛たる共産党の指導を仰ぐ、というものである。

国家の運営に当たっては、共産党一党独裁体制における、宗教の否定、私有財産制の否定と計画経済によることとした。これがソ連およびその「衛星国家」と言われる東欧諸国の基本原則であった。アジアにおいては、中共その他の「共産主義国家」が誕生したが、元々はソ連の傀儡政権であったが、誕生以降はアジアにおける古代からの専制王朝の様相を呈して現在に至っている。そしてソ連が崩壊して以来、日本の左翼が故郷と仰いだ、共産主義の御本尊が消え、一般大衆からも共産主義に対する幻想が崩壊したから、左翼も崩壊したはずであるが、そうはならなかったのである。

マルクス・レーニン主義とは、マルクスのいう共産主義国家を実現するために、マルクスから逸脱したものである。マルクスは革命とは言ったが、合法ではないにしても必ずしもレーニンが行ったような殺戮をも当然とする革命とは明言はしてはいなかった。マルクスは共産主義者がプロレタリア階級を指導することを示唆したが、労働者を愚民扱いするに等しい「前衛」などという言葉は使ってはいない。

確かにマルクスは、私有財産制度と宗教を否定した。この点は明らかである。しかし、共産党一党独裁については、論理的必然性からしてそうなることは明らかだが、共産党一党独裁についても明言はしてはいない。まして計画経済だとか、統制経済など言うものについては、マルクスはむしろ否定的であるとさえ思える。労働者「階級」が、生産用の資材を保有し、自由に働くことを求めていたようでさえある。

結局のところ、現実の共産主義国家、ソ連邦を実現するために、レーニンはマルクスにはない発明をしたのである。しかし、現実の共産主義国家を実現運営するには暴力革命も、共産党一党独裁も、計画経済も必然となった、と考えざるを得ない。たとえマルクスが生きていてそれらを否定しようが、これらの悲惨な現実は実にマルクス自身が考えたことに淵源を有すると言わざるを得ないのである。

唐突だが、後々のため、皇室と共産主義体制の関係について一言する。天皇は権力を分離して、権威として存在するようになった。だから武家政治でも明治の中央集権的国家体制にも矛盾なく適合した。維新国家は事実上立憲君主制となったが、それとも矛盾はしない。その意味で天皇をいただいた共産主義体制は天皇の側からはあり得る

しかし、共産主義は、絶対君主を否定する。従って、共産主義者から見れば、天皇は認められないのである。マルクスの理論の帰結は、権威と権力の分離などということは認められない。マルクス主義が科学的社会主義として、宗教を否定したから、宗教と同じく権威の源泉である天皇は認められないのである。結局のところ共産主義体制は、天皇制を否定しなければならないのである。たとえ天皇の側から共産主義を受け入れられても、共産主義者は、それを認めない

 

(1)-2 マルクスの理論

 順は逆になってしまったが、なぜマルクスは私有財産の否定などに至ったかを示したい。マルクスの共産主義への道や共産主義について考えていた事は、端的に「賃労働と資本」と「共産党宣言」の二著がもっとも理解に適切であろう。資本論は、英国の資本主義社会の悲惨を描いたものであって、共産主義の理論を書いたものではないからである。

マルクス主義理論のエッセンスは「賃労働と資本」に書かれている。それは剰余価値説である。その理論は単純なもので、全ての工場生産品の価値は、労働者による労働のみによってだけ生まれる、というのが理論の絶対的前提である。価値が労働だけからしか生まれないとすれば、それによって収入を得る、資本家は労働者が生み出した価値を搾取している、ということになる。

労働者の生み出した価値とは何か。価値とは、労働に要した時間に相当する労働者の生活費である。マルクスの理論からは、資本家は労働者の生み出した価値の全てを労働者に分配すべきであるが、資本家が雇用しているために、そうとはならない。しかも労働者は生活のために、より低い賃金でも雇用されることを求める。あくまでも資本家の地位は揺るがないので、搾取はより多くなるようにしかならない。

労働者の窮乏は激しくなる一方である窮乏が際限なくひどくなって、頂点に達すると革命が起き、労働者が権力を奪取する。従って、革命は資本主義が高度に発展した社会においてだけ起きる。それを媒介するのが共産主義者である。あけすけに言えばマルクスの考えた理論の根幹はこれだけの事なのである。

このことからマルクスはいくつかの事を敷衍する。革命は歴史的必然から生まれるものである。従って、この歩みは絶対的真理である。このことを後の共産革命の実践者は科学的社会主義であると呼んだ。科学のように普遍的真実だ、というわけである。これを否定する者を弾圧する、という考え方はここに起因する。また宗教は労働者の窮乏を、精神的に救済するものである。だからマルクスは宗教をアヘンに等しいものである、と言った。宗教は否定された。

資本家は資産によって工場を経営し、労働者を搾取するから、私有財産は搾取の手段である。従って財産の私有は禁止し、労働者の共有であるものとする。注意を有するのは価値を生むのは、工場の労働者によってのみ生まれるから、マルクスの言う労働者とは、一般に言うところの工場労働者だけである。農民も商人も価値を生み出さないから、マルクス理論においては労働者ではないという帰結となる。ソ連において、医師や技術者が低賃金におかれたのは、その実践である。レーニンはマルクスの理論に現実を合わせようとしたのである。

 

(1)-3 マルクスの理論の現実との乖離

 これだけシンプルにマルクスの理論を見ると、今の目で見ると現実と甚だしく乖離しているのは分かるであろう。明瞭なのは、労働者には工場労働者以外の、農民、商人などは労働者としてカウントされない、ということである。現代の共産主義者はそのことは語らない。現実と乖離しているから都合が悪いからである。農民はや商人は労働者ではなく中産階級であると、マルクスは明言している

 このことをレーニンは徹底して悪用した。ソ連は西欧諸国より工業部門で立ち遅れた。近代兵器生産ができないのである。そこで行われたのが飢餓輸出である。重化学工業に投入する資本を得るために、農民から農産物を奪って資金を得て、あたかも計画経済が大躍進したように宣伝した。しかし、そのために農村では餓死者が出たのである。

 マルクスの言う資本家とは、自ら資本を持ち工場を経営する者のことである。現実にはこのような者が大勢を占めたのは資本主義社会においては、ごく初期の段階だけであった。その後の大資本においては、経営者自身が工場などの資産を自ら保有することなど不可能な規模に発達したのである。現在社会で経営者が自ら資産を持って工員を雇う、などというのは規模の小さい町工場でしかない。

 現在の日本の共産主義者が応援する中小企業とは、マルクスの言う、労働者を搾取する資本家そのものである。マルクスが見た当時の英国での資本家とは、その程度の発展段階のものでしかなかった。マルクスは、それが全てである、として理論を組み立てたからこのようになってしまったのである。そして科学的社会主義として、宗教を否定したから、このような矛盾はなきものとされた。

 共産主義社会の最も不可解なのは、私有財産の否定である。私有財産とは何か、を考えれば分かる。金銭、不動産、その他の資産である。金も家もなければ、人間はどうやって生活すればいいのだろうか。食料を買うのにすら金が要る。金がなくて生活できる、近代社会とは何であろうか。どんなに単細胞が考えても不可解極まりない。現にソ連にも金銭はあったのである。

 このようにマルクスの理論ですら、普通に考えるだけで、現実に適合しない事ばかりである。ところがこれを多くの学識あるはずの人が大真面目に信じたのである。否、ソ連が崩壊した今でも信じている人がいる。マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるという。どうしたことだろう。それは数学を考えてみればわかる。

数学とは現実を数量化した普遍的なものである、と考えがちだがそうではない。数学とはいくつかの仮説(公理)を立てて、仮説を論理的に展開して、公理系を作る。公理系の中で矛盾が生じなければ、その公理系は成立することになる。

例えば、負の数の二乗は必ず正の数になる。これが一般的常識である。ところが数学者は二乗すると、負の数となる「虚数」という概念を発明した。これを加減乗除した数学を展開しても、矛盾が生じないことを発見した。これが虚数の世界である。現実から直観すると奇異だが、このような数学の世界は存在する。しかも、虚数を使った数学は、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのである。

マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるといったのは、このようなことではなかろうか。理論の中では矛盾のない体系が構築できるのである。しかし、  虚数を使った数学が、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのに対して、マルクスの作った理論体系は、現実世界に適用は出来なかった、それだけのことではなかろうか、と思うのである。それで現代のマルクス主義者は、マルクスの作った架空の世界に生きているのであろう。それどころか、日本のマルクス主義者は現実をマルクス理論に合わせることを夢見ているのではなかろうか。その一端が言論抑圧という形で露呈しているのだと小生は思う。


共産主義国家という語義矛盾2

2019-06-29 17:44:47 | 共産主義

 前回の「共産主義国家という語義矛盾」では、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義は、アナーキズムであると言った。これを敷衍して見よう。共産主義体制を「ソ連」で実現したのはレーニンである。だから共産主義を今では、マルクス・レーニン主義ということが多い。ところが、マルクス・レーニン主義は、共産主義国家建設と言う必要性から、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義から決定的変貌を遂げた。

 マルクス・エンゲルスの発明した共産主義とは、あくまでも労働者が支配する世界で、全世界で実現したあかつきには、国家というもののない世界であったはずである。国家の指導者が即労働者であるはずがないからである。共産主義をアナーキズムという所以である。つまり国境のない世界を目指したのである。そこでレーニンらが発明したコミンテルン、という組織である。コミンテルンを世界各国に組織し、共産主義革命を起こし、順次ソ連邦に加盟させ世界を共産主義社会にしよう、というわけである。理想主義は狂気と紙一重である。レーニンは本気であったのかも知れない。理想主義は現実には実現しない。レーニンとスターリンの狂気は、粛清と国民の大量殺戮という点では変わりない。

 結局コミンテルン工作は理論倒れに終わった。反共の国も根強く、第一次大戦で敗北したドイツですら、共産主義革命は起らなかったのである。この現実を目前にしたレーニンたちは、一国社会主義、という理論を発明した。世界中が共産主義社会にならないのなら、ソ連だけでも社会主義を実現しよう、という「現実主義」を取ったのである。そして逐次ソ連邦に編入して、社会主義を拡大していこう、というわけである。

 ただし、共産主義への理想は全くのまがい物になったわけではない。ソ連ではマルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という教えに従って、宗教を弾圧した。ロシアでは強固なロシア正教があり、ソ連に組み入れられた共和国にはムスリムも多かったにもかかわらず、である。しかし、一国社会主義という概念はレーニンやスターリンに結局は悪用された。

抑々「ソビエト社会主義連邦共和国」という名称が世界史的には奇妙なものである。ソビエトとはロシア語で「評議会」という意味だからである。多くの国家の名称は、地域名や民族名、あるいは清朝のように理念を現す言葉を淵源としている。それを普通名詞である、ソビエトという名前を冠したのである。このことがソ連邦の発端が、アナーキズムであることの傍証である。

しかし、そのことは現実には、周辺諸国を侵略するという帝国主義としかいいようのない膨張政策を合理化していったのである。今は独立したバルト三国は、全く同時期にソ連邦への「編入」を申請して了承された、という形をとって侵略されてしまったのである。その昔の旧ソ連時代の頃に、バルト三国を百科事典で調べたところ、三国が幾日も間をあけずに、次々とソ連邦に参加を申し入れたと、何のコメントもなく書いているのに唖然とした。その百科事典には日本の「中国侵略」に対する悪罵で満ちているにもかかわらず、「ソ連によるバルト三国侵略」とは絶対に書かないから、ひどく矛盾に思ったのである。

このようにソ連邦と言う名称は、アナーキズムとしての共産主義を象徴しているにもかかわらず、現実にはソ連の帝国主義的覇権主義を合理化するものとなっていたのである。中共の場合はさらに狡猾である。はなから世界の共産主義世界の実現などは考えていない。単に清朝領土の継承と、さらなる領土領海の拡大を目指しているだけである。それが、前項で述べたように国家資本主義であろうと、国家社会主義であろうと、方便として有効なら何でもよいのである。毛沢東から鄧小平への経済政策の大転換は、今から思えば不思議ではない。経済政策などは方便に過ぎないからである。

ソ連が内にロシア正教やムスリムを抱えているのに対して、中共の特異性は、支配民族たる漢族は、これらに比べれば無宗教に近いのである。儒教、道教といったものは、ロシア正教やイスラム教に比べれば宗教的色彩は薄い。しかし、今後注目すべきはチベットやウイグルと言った、明確な宗教を持った民族を植民地化していることである。また漢族内部にも回民と呼ばれるイスラム教徒を抱えている。これらの異教徒はいつの日にか中共を支配する漢族を脅かす。中共が法輪功を弾圧するのは、その恐怖に慄いているのである。現在のロシア共和国ですら、共産主義を脱したことになってはいるが、イスラム勢力は看過できない。

付言するが、ロシア革命はマルクス・エンゲルスの思想からばかり生まれたのではなく、フランス革命の狂気を直接の契機としたという説(渡辺京二氏など)は根強い。いずれにしても、現実の闘争にマルクス・エンゲルスの思想は利用し尽くされたのである。


共産主義国家という語義矛盾

2019-06-29 17:05:33 | 共産主義

 マルクスとエンゲルスの発明が共産主義である。その共産主義とは、究極において国家の存在を否定する、アナーキズムである。マルクスらの「共産党宣言」では共産主義者は「共産主義者とは・・・国籍と無関係な・・・プロレタリア階級全体の利益を強調し」と書かれている。アナーキズムこそが、極左である。その反対が極右だとすれば、国家絶対主義である。ところがソ連であれ、中共であれ、実在の共産主義国家とは国家絶対主義である。

 マルクス・エンゲルスの言う共産主義とはアナーキズムだから、共産主義国家とは語義矛盾である。むろん極左翼国家というものもない、ということになる。ソ連や中共は国家絶対主義だから極右国家という事になる。そのことは実際彼らの国策たる共産主義政策の実体が証明している。

 共産主義とは自由に働き、働いて発生した価値、すなわち利潤は、労働者自身が得るものであって、国家や資本家が得てはならないのである。だから国家や資本家から労働者が搾取されることはない、という理論なのである。つまり国家も資本家も労働者の敵として否定される。ところがソ連でも改革開放以前の中共でも、計画経済と称して、国家官僚が生産物と生産量を決め、労働者はそれに従い働き、一旦は生産物を国家に召し上げられ、労働者は国家からの配給を与えられるだけであった。

 これはマルクス・エンゲルスの言う資本家による搾取に他ならない。国家社会主義どころか、国家資本主義に他ならない。国家が資本家になりかわって労働者を搾取するのに過ぎない。極端なのは国営農場などである。農民は土地を国家に召し上げられ、その土地で国家の命令通りの農業をするのに過ぎない。ソ連も中共も一度はこのような集団農場を実行、対外宣伝を大々的に行ったが、集団農場自体が失敗に終わった。

 ちなみにマルクス・エンゲルスは、労働者とはプロレタリア階級すなわち工場で働かされる労働者と定義している。手工業者や農民、商人は中産階級であり、プロレタリア階級ではない。それならば、共産主義者とプロレタリア階級だけが支配する共産主義社会とは、何といびつなものだろう。

 改革開放も、国家経由で外国資本を導入したのに過ぎないから、その本質は変わらない。労働者は相変わらず、外国資本の工場を通して国家から搾取されるようになった。外国資本を導入したのは、満洲に日本が残した資本をむさぼりつくして枯渇すると、中共自体が蓄積した資本がなく、技術も全く持たなかったから、国家は外国資本を利用しただけである。

 現在の中共では、一見中間層が増えているように見えるが実態はそうではない。外国資本の導入によって利益を得ているのは、外国との合弁会社における幹部職員である。この幹部職員とは実態は民間人ではなく、国家官僚である。国家官僚が労働者から搾取した利益を中間で奪い、残りを国家に上納する。受け取るのは中共のノーメンクラツーラ(赤い貴族)たちである。

 中共が西欧の資本主義と異なり、国家資本主義であるというのは、大量に作られる高層マンションによく表れている。高層マンションは売れなくても、国家の計画で次々と作られる。するとマンションというGDPが一見増加するばかりではなく、資材流通も起こり、労働者も賃金が受け取れる。

 昔ソ連では計画に基づき、使われもしない建設機械を量産して、使われないから河に放り込んだ。これは中共の売れないマンションとは五十歩百歩である。自転車操業どころではない。だからいずれ、中共は破綻する。経済は軍事力の基礎である。海外領土侵略を狙ってブルーウオーター・ネービーを建設しているが、経済がこんなことだから、中共海軍と言うのは張子の虎である。

 だが、いくら張子の虎でも、支那は伝統的にプロパガンダ能力が優れているから、張子の虎を本物に見せている。中共の沖縄の籠絡は着々と進んでいる。既にして朝日新聞やNHKは中共のプロパガンダ機関になっている。朝日新聞職員が、いくら日本のための正論を書こうとしても、籠絡された幹部が絶対に書かせない。

 朝日新聞には、人民日報の支局が、NHKには中国中央電視台(CCTV)の支局が入っているのは有名な話である。日本の大手メディアに、中共の国家情報機関に等しいものが入り込んでいる、というのはゆゆしきことである。


共産党は「赤い貴族」を生む

2016-07-11 17:39:09 | 共産主義

 平成28年7月10日の参議院選挙の開票日、フジテレビで主な政党の紹介をしていた。もちろん泡沫政党の社民党は紹介されない。傑作なのは「日本共産党」だった。のっけからソ連共産党の日本支部として、日本の共産党ができた、と言ったのである。堂々とソ連の傀儡だと出自を語ったのである。

 党本部は85憶もかけて建直した豪華なものであるのはいいとして、受付のおじさんから、食堂で働く人まで全員が正職員であるばかりではなく、志位議長をはじめとする幹部も含め、おじさんたちも全員が同じ給料だから、俸給表などはない、というのだ。なるほど共産主義者らしい建前の世界だ。

 馬脚はすぐ現れた。前トップの不破哲三氏の自宅を紹介したのだ。もちろん敷地にカメラは入れないが、遠くから撮影する木の間から見えるのは、巨大なと言うべきものすごい豪邸であった。なにせ近隣にある運動場を含めた小学校と敷地面積がほぼ同じだと言うから、その大規模さが分かる。

 これを見てソ連の、ノーメンクラトゥーラ(赤い貴族)という言葉は死語ではないと思った。共産主義のご本尊のソ連も私有財産の保有は禁じられ、共産党幹部から一般市民まで全員が平等のはずであった。実際には共産党幹部は、ノーメンクラトゥーラと呼ばれる特権階級である。豪邸や別荘を保有し、外国の高級料理を好きなだけ食べられるし、ソ連製のボロ乗用車ではなく、専用ドライバー付の高級外車を乗り回した。

一般国民は食料を長い列に並んでも買えないこともあるのに、赤い貴族には好きな食料でも何でも好きなだけ手に入る。要するに建前の給料以外に欲しいものは、ソ連政府、いやその上に立つソ連共産党が与えてくれるのだ。

日本共産党幹部の豪邸の陰には、同じシステムがある。日本の赤い貴族なのである。不破哲三には100冊を超える著書があるそうだ。アナウンサーが豪邸を見て、印税が入るからでしょうかね、と言っていたがそうではあるまい。桁が違う。その印税ですら、末端の貧しい党員が、なけなしの安い給料から不破氏の本を買って得られる。

それどころか、建前から個人資産ではまずいから、豪邸は日本共産党の保有で、豪華な食事も好きなだけ日本共産党が支給するのであろう。不破氏しか使えないのだから、実質は不破氏の資産であるのに固定資産税も払わずに済む、というメリットすらあるのであろう。

毛沢東は国民が餓え死んでいる時、豪華な食事を楽しみ、若い女性をとっかえひっかえはべらせた。赤い貴族の頂点である。日本共産党は政権も取っていないのに、赤い貴族を生んだ。正確に言えば、現幹部は生きているうちには政権は取れないから、生きているうちに、共産主義政権の神髄たる、赤い貴族位にはなりたいのであろう。かくして見れば共産主義政権が赤い貴族を生む、というのは必然である。選挙番組は意図せずして面白い光景を見せてくれたのである。


北海道新幹線には乗りたくない

2016-02-09 15:33:53 | 共産主義

 平成28年3月には、北海道新幹線が開通する。もちろん地元にとっても待ちに待った日である。だがJR北海道は大きな問題を抱えていて、根本的には解決する様子もない。平成25年11月21日の産経新聞の正論に、評論家の屋山太郎氏がJR北海道の病巣を厳しく指摘して、タイトルも「JR北は破綻処理するしかない」という過激なものである。

 平成23年に石勝線で特急が脱線炎上し、多数の負傷者を出して以来、JR北海道は事故や不祥事が続発している、というのだ。そもそも前身の旧国鉄は労組問題がどうにもならない状況になり、屋山氏が書く通り、国労の富塚書記長は公然と「国鉄が機能しなくなれば国力が落ちる。そうすれば革命がやり易くなる」という、とんでもないことを言っていたのだ。

 日本に暴力革命を起こすために、労働運動をしていると公言しているのだ。当時国労を支持していた政治家や学者たちが、この言動を非難しなかったのは、常識論からは不可解である。暴力革命を黙して支持していたのに違いないのである。

 国鉄の分割民営化は煎じ詰めれば、どうにもならなくなった労組問題を解決するためである。ところが屋山氏によれば、JR北海道は、この旧国鉄の体質が残っていることが原因で、事故やら不祥事が続いているのだ。

 レールの据え付け精度がとんでもなく基準から外れているのが放置されていた例もある。事故が起きるのは不思議ではない。新幹線の工事は、各種の基準通りきちんと実施されているのであろう。しかし、長い間維持管理しながら使っていると、精度は狂ってくる。それを点検して整備・補修しながら安全を確保していくのである。

 屋山氏の指摘のように、JR北が、そのようなまともな維持管理ができるような体制ではない、とするならいつか新幹線のレールや列車が老朽化しても、適切に整備されるとは限らない。在来線より遥かに早い新幹線の場合、維持管理の手抜きの結果は、石勝線の時とは比べられない大事故につながる。

 東日本大震災の時ですら、東北新幹線は事故を起こさず、安全に停止した。だが北海道新幹線は、適切に点検・整備がなされるという保証はないのである。開通してから年を経るごとに事故の危険は増える。人災である。北海道新幹線には乗りたくない。


国鉄分割民営化の目的とは?

2015-10-17 20:01:59 | 共産主義

 平成27年10月1日から日経新聞の、私の履歴書というコーナーにJR東海名誉会長の葛西敬之氏の連載が始まった。驚いたのは、当事者が自ら国鉄分割民営化の本当の目的を正面から書いていることだった。分割民営化の議論が行われている当時からの、小生の推測とぴたりと一致したのである。小生はごく自然だと思っていたが、仕事関係の知人に話すと、意外だと言う顔をされたが、考えは変わらなかった。

 連載一回目から書いている。氏は、静岡と仙台に勤務して、国鉄の職場の崩壊を目の当たりにした。労組と当局の悪慣行がはびこる実態を目にして、「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を持った、というのだ。要するに、国鉄をダメにした労組の力を削ぐには、分割民営化しかない、ということである。

 分割することによって労組の組織を小さくし、民営化して利益感覚を持たせることによって、労組の横暴を自然に止める、ということである。静岡鉄道管理局の総務部長に就任した氏には早速、一人の新人の配属先を動労の要求により替えろ、本社から指示があった。突っぱねると、ストライキをやられて多数の客に迷惑をかける、と言われたが、それでも断り、東京の動労幹部から電話があって、これも断ると、「お前と話してもダメらしいな。後は戦場でまみえよう。」ときつい口調で言われた。

 すると動労は病気と称して集団欠勤したので、国労幹部に話して、乗務をかわってもらって解決した、というのである。仙台では助役たちを虐めたり、威嚇して、仕事をさぼる悪慣行を認めさせた、というので、早速、氏は悪慣行の廃止を宣言すると、無断欠勤を始めたというのである。

 すると氏は、働かないから、といって次々と賃金カットをしたというからすごい。本社のキャリア組は組合の筋の通らない要求に屈したり、水面下で労組幹部と手を結び、見逃していた結果が国鉄の惨状をもたらした、というのだ。だから現場の管理職や良心的な組合員は、キャリア組に不信感を持っていたのだが、氏は実行力で信頼されるようになった、というのは当然であろう。

 小生も高松にいたころ、ある会合の後の飲み会で、国鉄の現場管理職の愚痴を聞いた。愚痴は労組批判ではなく、二、三年で転勤してしまうキャリア組が、トラブルを恐れて労組となれ合うことに対する批判であった。だから氏の言うことはよく分かるのである。国鉄の惨状が色々書かれているが、氏の勇気には敬服する他ない。小生も労組の威嚇などにあった経験があるが、筋を曲げることはなかったつもりだが、本当の信念を通すことはできなかった。二十年経っても、当時の経験を氏のように新聞どころか、ブログ程度のものにすら公表する勇気すらないのである。氏の勇気には敬服する。


共産主義の害毒

2015-05-17 13:19:52 | 共産主義

1.共産主義とは

 共産主義理論の根本は労働価値説である、と小生は単純に理解している。労働価値説とは、生産物の価値は労働によってしか生まれない、というものである。ところがやっかいなのは、マルクスが考えた共産主義理論における「労働」とは、国語の意味で言うところのものとは合致しないことである。共産主義でいう労働とは工場で行われる労働という狭義なものである。従って農業や運送業、設計などの作業は全て労働とは看做されない。マルクスの著書では、農民と労働者をはっきりと区別しているのである。

 そうなった原因は、マルクスが見たのは19世紀のヨーロッパにおける、悲惨な工場労働者だったからである。資本家によって過酷な労働を強いられ、仕事を得るために低賃金に甘んじている工場労働者の姿を見たのである。資本家は工場を建て、労働者を雇い働かせるだけで、何もせずに次々と金が儲かるというのはおかしいのではないか、という訳である。

 そこで、生産物の価値は原材料を加工する作業を行う、工場労働者だけが生むことができる、という論理にしたのである。農業は種を撒いたら植物は自分で育ち、実がなり農民はこれを刈り取るだけなのだから、農産物の価値は農民が生み出したのではない、というのである。現在までも、少なくとも日本では、政治家も学者も、マルクス主義思想における正確な「労働」の意味を明言ない。このマルクスの論理はソ連において徹底的に悪用された。飢餓輸出である。生まれたばかりの後進国ソ連を守るには軍備が必要である。軍備を行うには重工業が必要である。初期のソ連は資本の蓄積がないから重工業は発達しにくい。

 そこで農業生産物をほとんど輸出に回して資金を得た。そのためには農家から生産物を奪ったから農民には食料が残らない。そこで豊作であっても農民には飢饉が発生したのである。農民は労働者ではない、ということが農民から食料から奪う根拠となったのである。この理論が、恐らく党内で飢餓輸出を実行する説明に使われたのであろう。

 ソ連では、医師やエンジニヤと言った職業も低賃金に置かれた。現実を考えれば、そんなことは理論に拘ることはないのだが、一方で理論を強調したために、無理やり現実離れしたことを行う羽目になった面がある。医者は人の命を扱うことも多いのだから、安い賃金では大した治療はできない。だからまともな治療を受けようとすると、公定の医療費の何倍もする法外な治療費を払わなければならない。

 程度の差こそあれ、このような矛盾はあらゆる職業で発生した。必然的に闇市場が発生する。計画経済などという現実には不可能なものが生きながらえたのは、闇市場の調整機能のおかげである。どんな本に書かれていたか失念したが、昔西洋人が、外部から完全に隔離した数百人規模の人工の街を作り、計画経済の社会実験をしたそうである。

すると短期間に計画経済は破綻して立ちいかなくなったそうである。こうしたことから、西洋人の経済の専門家はかなり早い時期から、ソ連流の計画経済などは実行できないと知っていたのだそうである。ところが日本では、石原莞爾など対ソ戦を考える陸軍軍人ですら、計画経済による急速な経済成長、特に重工業の発展に幻惑された。ソ連は敵だが計画経済による重工業の発展は、日本の武器生産にも必要である。それで陸軍の軍人が求めたのがソ連でいう計画経済という名前を変更した「統制経済」である。

 戦後の日本の高度経済成長も統制経済の応用である、と言われる。それが日本で成功したのは、ソ連のような硬直した計画経済ではなく、資本主義経済下で日本人の柔軟な調整機能によって行われていたからである。もしソ連圏に組み込まれて計画経済を強制されていたら、高度経済成長などは二重の意味で不可能であったろう。第一にソ連の硬直した方式を押し付けられたであろう。第二に、ソ連の衛星国はソ連に搾取される経済だったのである。ソ連に必要なものの生産を割り当てられるのである。生きた証拠がチェコや東独である。あれほどの工業国であった両国もソ連の衛星国になったために、見る影もなくなっていった。東独などは西独と比較できたから、その差は歴然としている。

 

2.共産主義の歴史的役割

 共産主義はかつて多くの人々を魅了した思想だが、実は多くの害毒がある悪魔の思想と言うべきものである。日本は戦前から共産主義の害毒に気づき、共産主義者を取り締まっていたはずだった。にもかかわらず、戦前ですら、本気で共産主義を信奉し、ソ連を祖国と思う倒錯した政治家、軍人、学者、ジャーナリストや思想家など知識階級と目される人々の間に、無視できないほどに増えた。

そこには日本人の西欧思想あるいは外国思想への盲目的信仰が根本にはある。正しい考え方は、日本国内では発生せず、常に外から入ってくる、という半ば体験的な信仰である。戦後の共産主義の跋扈は戦前から胚胎していたのである。胚胎どころか政治中枢まで囚われていた、と言えるが全貌は未だに明らかにされていない。

中川八洋氏などに言わせれば、ゾルゲ事件などは枝葉末節に過ぎない、というのである。戦後45年も経ってソ連崩壊を契機として、世界で共産主義は否定され、日本でも同じ趨勢にあるように思われる。しかし直接的に共産主義が跋扈することがなくなった現代日本では、依然として共産主義がばらまいた毒に悩まされ続けている。

 日本にばらまかれた共産主義思想の毒の根本は、祖国への破壊衝動である。ソ連の作ったコミンテルンは、世界に支部を作った。世界各国に共産主義革命を起こすためである。他国にソ連と同じ理想の革命を起こす、というのはソ連の使った詭弁である。レーニンもスターリンも、外国にマルクス主義の理想としての革命を起こす気はなくなっていたのである。日本人、ドイツ人アメリカ人などでコミンテルンのエージェントとして活動した者の成果は、ソ連の都合のいいように自国の政府を動かしたり、ソ連に自国の情報を売り渡したのであった。その動機付けが祖国での共産主義革命、ということであった。

 尾崎秀実も近衛内閣を動かして支那事変を拡大して日本を疲弊させ、対米戦に持ち込んで負けさせ、革命を起こそうとしていたと言われている。だがスターリンの目的は日本によるソ連攻撃の可能性をなくすため、日米戦争の危機を惹起して、対独戦に勝利することであった。日本に共産主義革命が起きてソ連化したとすれば、出来過ぎたおまけである。尾崎が営々と祖国を裏切ったのは日本を理想の国にする、という目的があったからである。単に卑劣な裏切り者ではなく多少の(!)犠牲があっても究極的に日本人民を幸福にするという空恐ろしい自信があったのである。

 共産主義には額面上ではそこまでの魅力があったのに違いない。だから現実的なドイツ人や米国人さえ、コミンテルンのエージェントになったのである。だが米国やソ連の衛星国(何という欺瞞的呼称)とならなかった、西欧諸国ドイツは第二次大戦が終わると早くその難を逃れた。西ドイツなどは、戦後共産党は自由で民主的な基本秩序に反するとして、違憲判決を受け、その後名前を変えて再建されたが議席は得ていない。アメリカはエージェントの裏切りが戦後間もなくばれて、レッドパージが行われ、共産主義が一掃された。ジョーン・バエズなどのベトナム反戦運動をした人たちは、間接的にソ連などの共産主義者の活動に騙された人たちで、確信的なソ連のエージェントではない。

 ドイツや東欧では、共産主義の害毒を身を持って被害を受けたから、共産革命を夢見る人たちはいない。いくら子供の頃から共産主義教育をされていても、東欧諸国は共産革命とはソ連に奉仕するものに過ぎないことを身を持って知っている共産主義が抜けないにしても、外国に奉仕したり、自国を破壊するような衝動は持たないのである。

 どこか日本だけが事情が違う。その違いは、歴史的経過と日本人のメンタリティーの相違に起因しているように思われる。歴史的経過とは、ドイツや東欧のように共産主義政権に徹底的に弾圧された被害の経験を持ったことがないのが第一である。第二は正しい思想は外国から来る、という伝統的な幻想である。未だに解けない謎は、外国思想に寛容である、とはいっても日本人はキリスト教を絶対に受け入れなかったことである。キリスト教徒の日本人は例外である。仮説を立てるとしたらキリスト教は神道と根本的に相いれないこと、共産主義はキリスト教と関連があるとはいうものの、表面的には宗教ではなく、科学的思想で普遍性がある思想である、という触れ込みであったことであろう。

もう一点は、現在のように、共産主義による経済運営は成り立たないことが明白になった現在でも、日本人で共産主義に一度かぶれた者は、革命の原動力となるべき国家に対する破壊衝動が消えないことである。健全な反権力とは、現在の政権や政府機関に対するチェック機能であるはずであり、日本そのものに対する敵対心ではないはずである。これについては後述する。ただ一言すれば、日本を悪く言うこと自体が正しい、という尋常ならざる日本人は確実にいる。いかに尋常ではないかは、あったことがない人には分からない。

 

3.人権主義者の手続き無視の恐ろしさ

法治国家では、官憲が人を取り締まるためには複雑な手続きが必要とされる。誰の目にも明らかな犯罪や権利の侵害でも、取り締まるには所定の手続きが必要とされる。これは素人目には面倒なだけに思われる。これを素人考えで明らかな人権侵害を容易に取り締まろうというのが、民主党が提出して廃案となった人権擁護法案である。

官憲が人を取り締まるために複雑な手続きが必要な理由は、絶対的正義を認めないことからくる。だから米国でも、例外的に情報機関などは表沙汰になったら手続きを踏んでいない、とされる違法な行為が特定の人々にだけできるようになっている。それはこれにかかわる人々の絶対的正義を認めざるを得ない必要性がある例外的事項である。

だが、人権保護法案のように、公然と特定の人々だけが、明らかな人権と判断すれば、裁判所の令状もなしに個人を拘束できる、というやり方は、明らかに近代法治国家としては異常である。このような考え方の人々は、戦前の特高警察の例を挙げて国家権力の横暴を批判する人々である。明らかに、自分たちが批判している特高警察と同じことができる事を求めている。だが、彼らは特高警察は悪いが、自分たちには絶対的正義があるから同じことをしてもよい、と考えるのである。日本の病理は、保守政党であったはずの自民党議員にも賛成者がいたことである。

 

4.自由主義の反権力と共産主義の反権力の違い

元来日本の共産主義者の反権力とは、非共産主義の政府にことごとく反対することである。つまり議会制民主主義の政府の行うことに、無条件に抵抗することである。これは、日本にもたらされた、共産主義の反体制思想が根本にある。共産主義政権以外は全て、暴力革命によって打倒すべき政権である、という思想である。

革命によって倒すためには、民衆に現在の体制について大きな不満を抱かせなければならない。そのために、社会不安や不満を煽る。日本にもたらされた共産主義には元々このような反体制思想が根本にあるうえに、ソ連によって作られたコミンテルン日本支部、すなわち日本共産党は、共産主義思想を利用して日本をソ連の属国にしようとしていた。活動している者は、ソ連のためではなく、究極は日本のためになる、あるいは民族の枠を取り去った労働者の天国を作ることを理想としていた。だがそれはソ連に利用される謀略に過ぎなかった。

これらの残滓が現在の日本には明瞭に残っているのである。その結果、日本の反権力の多くは、単に現在の政府権力に対する反発ではなく、日本国という存在そのものに対する反抗意識となっている。歌手の加藤登紀子が「日本」という言葉を発すると嫌な思いがする、というエッセーを書いている。これは、政府という国家権力に対するものではなく、日本そのものに対する抵抗感以上のものだそうである。これは日本そのものに対する忌避感情である。加藤氏は政治活動はしていないが、元々共産主義シンパがあると考えられる。

これはウイグル人が、中華人民共和国に対して忌避感情を持つのと、同じとも言え同じではない、のである。中華人民共和国、というのは「漢民族」を自称する人たちの帝国であって、ウィグルはその植民地の一部である。一方でウィグル人は国際法上の国家である、中華人民共和国の国民であるという現実がある。

国際法上の国家の国民が、所属する国自体を忌避する、という意味では同じである。しかし、ウイグル人は漢民族ではないから、漢民族の帝国である、中華人民共和国を忌避する、という意味では、同じではない。加藤登紀子は日本という国民国家の主要構成民族である、日本人そのものだから尋常ではないのである

 加藤氏のように、潜在的に日本そのものを忌避する感情から、反権力思想が発生している、という現象は現代日本人にしか見られない、世界的にも稀な現象であろう。その淵源が共産主義思想にあり、共産主義思想から離れた後にも、このような反権力感情が消滅しない、というところにも現代日本の病理がある。

 ただ、加藤氏のために弁ずれば、小生の深読みかもしれないが、彼女は同じ自虐的日本人と同じく、洗脳にやられたのである。彼女は洗脳によって日本に対する忌避感情を植えつけられたのである。ところが一方で、眼前にある日本人や日本の風土への愛着は自然に生まれたはずであるから、心の中で分裂が生じている、としか言いようがない。