私のハンドルネームの龍之介は、我が家に最後までいた息子猫の、ヒマラヤンの名前から取りました。 ふとお母さん猫のエルちゃんが、初めてお父さん猫のジュンとの間に出来た子猫に首を咥えて、これを見てちょうだいと歩き回ったことを思い出します。
エルちゃんは3~4ヶ月母親の元で育てられましたので、とてもお利口さんの猫でした。 いつの間にか押入れの中で生んだのです。 我が家の誰もが、お腹が大きくなって身ごもっているなんて、知りませんでした。
ある日、突然、何やら子猫が啼く声で、あれと思ったほどでした。
エルちゃんは、よく子猫を舐めていました。 私は我が子の鼻に口をつけて、鼻汁を吸っていました。 そんなことを思い出しながら、自然と小さな子供をペロペロ舐めたくなります。 例え、親しい他人のお子さんでもです。
ある意味では、私の愛情表現なのかもしれません。
母親は、自分の子供を育てることを第1優先にして行動します。 私たちは意識をしない頃のことは覚えてはいませんが、そのようの育てられたに違いありません。
後年、親が加齢化する中で、足腰が不自由になってきた時に、今度は私たち子供が、そのお返しをする番です。 その時に果たして、母親が無償の愛で育ててくれたように、私たちも無償の愛で接することができるでしょうか。
それまで育ててくれた親たちの葛藤を乗り越えて、接することができるでしょうか。 私は、いま特に母親のことを思い出すと、胸が痛くなってきます。 現在、友人から歩けなくなった母親のお世話をすることへの葛藤について、お昼ご飯を食べながら聴くことがあります。
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