日本の建物づくりを支えてきた技術-7の補足・・・・長押の実例

2008-09-12 12:47:12 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

先回載せられなかった「法隆寺東院 伝法堂」「東大寺 法華堂」「唐招提寺 金堂」の「長押」を、写真と図で紹介します。
「伝法堂」の部分詳細図では「長押」がどのように取付いているかが分ります。

なお、当初は「柱頭」に落し込むだけであった「頭貫」は、時が経つにつれて、柱に固定するように変っていったようです。
その変遷の解説図が、鈴木嘉吉氏の「古代建築の構造と技法」に載っています。今回は紹介できませんので、補足-2として、次回紹介したいと思います。


蛇足:近時片々 [文言追加16.36]

先日、このブログに対して、ある人から、「惜しげも無く展開される情報の質にいつも驚いております・・・」旨の「評」をいただきました。
どういう意味なのか判然としなかったのですが、同様のことを別の方も言っていた、との話を聞き、少し分ってきました。
つまり、「知っている、あるいは新たに知った情報」は、「独り占め」にしておけば自分を他から「差別化」できるではないか、「それなのに、あけっぴろげに出してもったいない」ということのようなのです。

私は、その昔から、「『情報』を独り占めしたがる人たち」を身のまわりでたくさん見てきました。
しかし、それで何か「いいこと」でもあるのでしょうか。「差別化」して、売り込んで何がいいのでしょう。
大体いつまでその「差別化」を維持できると考えているのでしょうね。

私が江戸時代に興味を示すのは、どうも、人びとはそういう「差別化」には興味がなかったように思えるからです。
今の世なら「専門家」と呼ばれるであろう人はたくさんいました。
しかし、皆、その「専門知識」を、自分の「地位の維持」のために使う、などということには執着していないように思えるのです。
皆がそれぞれの「知識」「知恵」を「あけっぴろげ」にしているように思えます。それこそ、流行の言葉で言えば「情報の開示」です。
開示した情報をどのように他の人が使うかは、「使う人の裁量」です。ですから、何も「独り占め」にして置く必要を感じなかったのではないか、と思います。
第一、「あけっぴろげ」にしてその人の「価値」がなくなってしまうような、そんな「専門」は「専門」でもなんでもないのです。
そして、そうだからこそ、いろいろな情報を、皆が皆、共有できたし、いいもの、わるいものを自ら判断することができたのだと思います。

これは、今の世とは格段の差があります。
今は、皆、自らの判断を停止し(自らの思考を停止し)「偉い人」の判断に依存し、「偉い人」の言いなりになってはいませんか。
「偉い人」をますます「偉く」させてしまっていませんか。それは、「法律」にまで及んでいます。「法律」が「思考の基準」であるかのようになってしまった・・・!「建築関係の法令」など、そのいい例です。[文言追加]

もちろん、江戸時代にも、今の世で「秘伝書」「門外不出の極意書」などと呼ばれる書き物がありました。しかし、なかみは、いわばメモです。アンチョコです。
それが世にばれたところで、どうということはありません。
それを「門外不出・・・」などと言い出したのは、近代になってからではないのでしょうか。近代人の思考法の裏返しです。

少なくとも日本の近代は、「狭隘な専門」こそ「専門」だとして推し進めてきました。福沢諭吉の「一科一学」の「思想」の結果です。
つきつめれば、「惜しげも無く・・・」という「発想」の根源も、その「思想」に行き着くはずです。

私は、それぞれの人が仕入れた、そして知っている「情報」は、隈なく公開すべきだ、と考えています。「情報」を知っている、あるいは「持っている」人が独り占めしても何の意味もない、まさに「宝の持ち腐れ」、むしろ、「公開」して共有し、論議をし、より意味のある「情報」として育ててゆくことこそ大事だと思うのです。
そして、そうなれば、世の中は今よりも数等明るくなる、と思っています。

以上、この機会に、「蛇足」を書かせていただきました。

次回へ続く

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