“THE MEDIEVAL HOUSES of KENT”の紹介-7

2015-02-02 12:06:24 | 「学」「科学」「研究」のありかた

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今回は、2  Houses of the early and mid 13th century13世紀初期~中期にかけての家々)の章から、・・・・その2 として、次の二項を紹介します。[文言修正2月3日14.30]
    Chamber blocks 
    Detached Chamber Blocks    
   註 Chamber blocks :「私室にもなる数室の小室からなる建屋」の意のようですので、あえて「個室群 棟」と訳します。
      Detached Chamber Blocks : 「本屋から離れて建つ数室の小室からなる建屋」の意のようですので、「分棟型 個室群 棟」と訳します。

 
文意・訳に間違いのないように留意してはいますが、なお不明、不可解な点があるかと思います。その際はコメントをお寄せください。
また、分量がかなり長くなります。ご了承ください。

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[図版をスケール入りに更改しました 2月3日14.00]

2 13世紀初期~中期にかけての(ケントの)家々・・・・その2

Chamber blocks  : 「個室群 棟」について

農村では、家事・農作業の種類に応じた建屋が用意されるのが普通であり、現存する「二階建ての石造の建屋」が hall の役割を持っていた、とは言い難く、むしろ、これらの石造部分は、かつて木造の ground-floor hall (多くの場合、現存しない)に付属していた「個室の建屋 」であった、と解釈した方がよい場合を数多く見かける。
しかし、このことを実証するのは容易ではない。何故なら、諸記録・文献からは、この事実を明らかにできず、また屋敷地に遺されている痕跡からも、確証が得られることが極めて少ないからである。
それゆえ、農村の家屋敷内の建物配置についてのより詳しい検討・検証が不可欠になる。

二階建て石造建物がすべて、これまで first-floor hall と見なされてきたわけではない。
13世紀には、多くの ground-floor hall には、それに接して二階建建屋を設け、そこに必要な諸室・設備を置いている。王宮や主教の官邸以外でも、WARNFORD 、HAMPSHIRE 、APPLETON MANOR 、BERKSAHIRE 、そして MUCH WENLOCK PRIORY や CHELMARSH HALL 、SHROPSHIRE にその例を見ることができる。
13世紀後半のでは、ケント地域でも OLD SOAR 、PLAXTOL にその事例がある。そして、これらの事例はすべて、 ground-floor hall に接して二階建ての Chamber blocks  :「個室群 棟」が設けられていたことが明らかになっている。


Detached Chamber Blocks   : 「分棟型 個室群 棟」について

石造の二階建て建屋には、それを first-floor hall とは見なし得ないタイプの Chamber blocks  :「個室群 棟」の例がある。多くは、その長辺の壁に二つの出入口が設けられているが、それは、かつては ground-floor hall に直角に設けられていたサービス棟であったと見なせば納得がゆくだろう。
この事例としては、ESSEX の Little Chesterford Manor 、OXFORDSHIRE の Swalcliffe Manor 、HAMPSHIRE の Hambledon Manor の例が挙げられる。
   註 Manor : 辞書では、「土地付きの大邸宅」「荘園」の意とあります。〇〇 Manor は、日本の「〇〇家住宅」に相当する表記と推察します。
ケントでは、 westerham に在る Squerryes Lodge (下図・fig5 再掲)がこの事例である。

この建物の場合、地上階の室に二つの出入口が並んで設けられている。上階には、図のように、妻側の壁に plate tracery window のある大きな部屋がある。
  (この図は、前回の再掲です。解説に若干の不明点があります。前回の註で、不明点について触れています。参照ください)。
しかし、この種類の石造の二階建ての例は、未だにその建屋の役割が判然としない。
Swalcliffe Manor の二つの出入口は、低層の標準的な形式の「別棟」に通じることを思わせるが、それが設けられている壁は、14世紀後期の hall のそれとは別の石造の壁である。それゆえ、その建屋が、当初の hall に接続していたのか、まったく独立していたのか、判然としないのである。
ESSEX の Little Chesterford Manor の場合は、「別棟」は、現存の aisled hall と同時代あるいは一時代早い時期に建てられたと思われるが、二つの「サービス部への出入口」は、その大きさが異なり、かなり離れているので、通常のサービス部への出入口として造られたのではないと考えられ、そしてまた、当初は、二階の部屋へは hall 側の壁の上方の出入口から通じていたようである。これは、Squerryes Lodge にも共通する特徴である。二階の部屋の出入口は hall の(天井の?)低い側から階段で直接通じているが、この形式は、LEICESTERSHIRE の Oakham Castle でも見られる。そこでは、hall の屋根の下に、大きな空間を確保できている。しかしこれは、接する hall が小さな場合には不可能であって、そのようにできるのは、 aisled hall 形式の木造の場合だけだろう。
Squerryes Lodge では、敷地が石造の建屋の壁面から15mもないあたりから急に高くなるため(急坂になっている、あるいは法面になっている?)、 hall を直角に建てる余地はない。
つまり、この建物と Little Chesterford Manor の事例はともに、(当初から) ground-floor hall とは離れて建てられ first-floor halls あるいは Chamber blocks  として供用されていた建屋ではなかろうか。この後者の解釈は、確証はないが、より適切な仮説のように思える。なぜなら、現在の建物の配置は、当初の ground-floor hall の改築の結果であると見なした方が、当初の石造建屋が、突然しかも短期間に hall から Chamber blocks へと用途替えしたと推定するよりも、数等論理的だからである。
これは都合のいい言い訳のように聞こえるかもしれない。しかし、 Chamber blocks が本屋から離れ独立して建てられる事例は13世紀を通して見られる、という事実は無視することはできない。
   註 このあたりの説明、図がないので難解なところが多々あり、当方の推定が多分に含まれております。ご了承ください。
      この部分の叙述についての筆者の感想   
      ここは、現存する遺構、特に「石造の二階建て建屋」の「謂れ」には、諸種の「仮説」があり、そこに存する諸「問題点」の概略を述べている、と解しました。
      引用されている事例には参考文献が示されていますが、せめて、平面図の転載があれば、より分りやすいのではないか、と思いました。
      しかし、多くの場合、「結論」が最初から「存在したかのように」語られるのが、「学術論文」や「報告書」の類の現在の普通の様態ですから、本書のように
      各「仮説」の問題点の所在や検討すべき「内容」などが詳しく開示されているのは、きわめて新鮮に感じられました。

      もっとも、「要点」だけ早く知りたいと思われる方には、くたびれる「作業」かもしれませんが・・・・。
王宮では、 hallcamera は離れて設けられることが多かった。
   註 CAMERA : 辞書では「判事の私室」とあり。原義は、「アーチ形天井(の部屋)」とあります。(再掲)
これは、 wiltshire の clarendon の遺構で明らかだ。そこでは、王と女王の居住区が hall から、そして相互も離れて設けられていて、その様態は13世紀中続いていたようだ。このことは、13~14世紀を通して、他の王室関係の建物でも、諸室・諸建屋間を結ぶ「通路: pentices 」の「発注・仕様書」が存在することからも推察できる。教会系の邸宅については、それを知る明確な文献資料に乏しく、上階に大きな部屋を有する独立した建屋の役割や、その適切な呼称については、更なる論議が必要だろう。
しかしながらケントの CHARING の大主教の邸宅の個室( Chamber )棟は、hall からはかなり離れていて、両者は「廊下」で結ばれていた、としか考えられない。また、OXFORDSHIRE 、Harwell の司教邸の Chamber は、14世紀後半に至るまで、hall からは独立していた。
しかし、当時の慣行・習慣は詳しく分ってはいないから、王や司教たちの居所が独立の Chamber blocks に在った、とは言い切れない。現存の建屋がまったく独立して在り、なおかつ隣接すると考えられる建屋もすべて消失している場合は、その独立して建つ建物の役割は、その敷地内の配置の状況、建屋のつくり:構造(架構法)、建物各部のつくり:詳細などを総合して推定・想定するしかないだろう。しかし、多くの場合は、遺物はきわめて断片的だったり、手が加えられたりしている場合が多く、結論を得ることは容易ではない。しかしながら、二階建ての石造建屋を Detached Chamber blocks と見なすことが適切な確証が少しずつではあるが明らかになってきている。そして、多くの場合、 hall は、石造建屋に近接し、木造で造られている例が多い。
この事例には二種類ある。一つは、それぞれの用途が推定できる多種・多様な石造建屋が在る場合であり、もう一つは、遺されている多くの細部を見る限り、そこを hall と解釈するには無理のある事例、である。見付かった事例の中で、最も説得力のあるのは、CORNWALLJACOBSTOW にある Pennhallam Manor だろう。この事例では、12世紀後半に建てられた石造の二階建建屋は、明らかに、独立の ground-floor hall (すべての痕跡は消失しているが)と同時に建てられた Chamber blocks であると考えられる。当初の hall は、13世紀に、二階建建屋に少し離れて接する石造の hall に建て替えられている。 Chamber blocks は、木造の垂木構造の地下室( under-croft : 地上階の意か?)の上に 建ち上がり、暖房は壁付の暖炉に拠っている。しかし、暖炉の位置が中心にはないから、部屋は二室に分れていたのかもしれない。この事例は、間違いなく first-floor halls の遺構であるとされてきたLINCOLNSHIRE の Boothby Pagnell Manor と同種の建物と言えよう。
残念ながら、 Pennhallam Manor のような完全な事例は他には見付かっていない。NORTH YORKSHIRE、WHARRAM PERCY の石造二階建の建物も、12世紀の Chamber blocks として判定されてきたが、この事例は、その判定根拠と併設の hall の位置に、いくつかの疑点があり、断定はできない。SURREY ALSTED に、13世紀の木造の建屋を併設していたと考えられるきわめて小さな二階建ての石造の建物があるが、ただ、遺構があまりにも断片的すぎ、これも判断が難しい。後者は、13世紀後半に、明らかに ground-floor hall と見なされる建屋に建て替えられているが、そのためには、当初の石造建物を、一部の壁を除きすべて取り壊したと考えられる。その形跡から、当初の建物群は、独立の木造建物と、石造の Detached Chamber blocks から成っていたことが窺えるのである。
すなわち、これまで first-floor halls として見られてきた二階建の建物遺構のいくつかには、 first-floor halls とは認め難い形跡があり、それらはむしろ、既に hall こそ失せてしまってはいるが、hall を含む大きな建物群の一建物であった、と考えた方が理解しやすい。
SHROPSHIREStokesay Castle の最古の二階建建物遺構や WATTLEBOROUGH の塔にも、当初は木造の halls が併設されている。他の事例には、13世紀後期の LEICESTERSHIREDonington-le-Heath Manor がある。その16世紀の壁付暖炉のある階上の大きな部屋には、妻壁に明り窓があり、かつては二つの部屋に分れていて、それぞれには、長辺の壁に設けられた別の出入口から出入りするが、その壁は建物の外に面している。反対側の長辺の壁には、更に二つの出入口があり、後側にある小さな建屋に通じている。この様子から、これは一戸の住居であると見なすことはできず、それぞれが独自の入口を持ち、内部がしつらえられた、より私的な用途の場所であると解した方がよいだろう。
より決定的に Detached Chamber blocks であることを示す事例は、同じく13世紀後期に建てられた SUFFOLKLittle Wenham Hall である。この事例は、 first-floor hall の一典型としてよく引用さる事例ではあるが、著しい矛盾点が二か所ある。二階には、一つの大きな部屋と、それに直接通じてきわめて華麗な礼拝堂( chapel )があり、その調度:しつらえが、hall というよりも個室的な部屋( chamber )なのである。それゆえ、そこは hall というよりも、礼拝堂の上階に設けられた「小さい予備室」( a poky room をこのような意と解しました)と見なした方がいいだろう。この時代のこのような高級な住居に、私的なしつらえがないなどということは考えられず、むしろ、その全体が、大きな住居の Chamber blocks であったと見る方が適切なのである。外壁は、玄関ホールが独立していたであろうことを示しているし、敷地の形状は、それが、Squerryes Lodge の如く残存建物に対して直角に配置するのではなく、並列して在ったことを示唆しているからである。
数年前、RIGOLD 氏は、ケントに在る1228年~1245年の間に建てられた STROOD の Temple Manor の石造建物は、従来 first-floor hall とされてきたが、その解釈は誤りである、との論を提示した。この Manor は、1308年時点で、hallchapelcamera と、その他の附属建屋から成っていたことが分っている。RIGOLD 氏は、この現存の石造建物は、ヴォールト天井で二つの部屋から成っているが、Knights Templar が住居と仕事場として使ったcameraである、と解釈したのである。考古学的な調査から、1308年とされている hall は、石造建物から離れていたことが分っているが、その建設地は、発掘中には確定できなかった。現在、この遺構の土地は ENGLISH HERITAGE の管理下にあるが、おそらく、 hall は、その外に在ったのではなかろうか。
  註 Templar :再掲: Knight Templar という用語があるようです。 wikipedia の解説を一部転載します。
            The Poor Fellow-Soldiers of Christ and of the Temple of Solomon (Latin: Pauperes commilitones Christi Templique Salomonici), commonly
            known as the Knights Templar, the Order of the Temple (French: Ordre du Temple or Templiers) or simply as Templars, were among
            the most wealthy and powerful of the Western Christian military orders[4] and were among the most prominent actors of
            the Christian finance. The organisation existed for nearly two centuries during the Middle Ages.
            教会がらみで一定の地位を有し、財力もあった者と思われます。
     ENGLISH HERITAGE : 英国政府によりイングランドの歴史的建造物を保護する目的で設立された組織。
             同様趣旨の組織の NATIONAL TRUST は民間団体。

Temple Manor は、たしかに、当時の自国のつくりの住居(domestic dwelling )ではなかったが、 ground-floor hall から完全に分離して石造のcamera Chamber blocks を設ける配置を見る限り、ここで論じている他の建物と何ら変りはない。どの事例も、その敷地は広く、より多くの建物を建てる余地が十分ある。
しかしながら、遺構が Chamber blocks であるとの確証は、更に多くの事例が発掘され、 hall の建屋の位置が特定されて初めて見えてくるはずである。それまでは、語られる諸説は、いずれも推測・憶測の域を出ないのである。

                            Detached Chamber Blocks  の項  了

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次回は、NETTLESTEAD PLACE and LUDDESDOWN COURT および Status of builders of early houses の項を紹介予定。これで、2  Houses of the early and mid 13th century の章は終りです。
続く3 Ground Floor Halls : Late 13th and 14th centuries の章では、具体的な架構(木造、石造)について解説されます。
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   この項を通読しての筆者の感想
   中世のイギリスの農村には、石造と木造の建屋とが混在して建っていたものと思われます。
   石造は現在もほとんど往時の姿のまま残っていますが、木造は改築されたり取り壊された例が多いのでしょう。
   それゆえ、中世の農村の住居・家々の実相を知る=復元するために、様々な試論・仮説が呈示、論議されてきているようです。
   そして、本書は、その論議の状況・過程を丁寧に説明するべく叙述を進めている、と理解できます。
   それゆえ、結論を急ぎたい人には、多分もどかしいかもしれません。
   しかし、読み進んでゆくにつれ、私の中には、徐々に、イギリス中世の農村が姿を現してきたように思います。
   そして、このように「過程」を示すという「姿勢」は極めて重要なのだ、と感じています。日本では見られないことだからです。
   現地で「(発掘)調査」に参加してみたい気分になっています。

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