SURROUNDINGS について・・・・2:先回の補遺

2011-11-15 20:52:15 | surroundingsについて
[文言追加 16日1.45]

先回のおしまいに、アアルトのカレー邸のスケッチを紹介させていただきました。

しかし、アアルトのカレー邸と言っても、知らない方が多いのではないでしょうか。
ライトの落水荘と言えば、大方の方が知っていますし、その外形もすぐに頭に浮かんでくる方が多いと思います。
ところが、カレー邸と言われても、頭に浮かぶ人は少ないと思われます。外形も片流れ屋根で、ライトの建物に比べると、どちらかと言えば「平凡」に見え、印象が弱いからです。

しかし、「surroundings の造成」という点では、これは凄い、と私は思っています。
surroundings へのこだわりの点では、ライトよりも徹底しているかもしれません。

落水荘は、ライトにしては「珍しい」事例なのかもしれません。
ライトは、時折り、「形」に走る、そんな気がしています。ライトの「形」には、surroundings とは関係ない場合があるように見受けられます。その分、ある意味「分りやすい」。「形」の恰好にだけ目を遣っていればいいからです。

一方、アアルトの「形」は、常に surroundings についての模索から生まれているように思えます。それゆえ、「分りにくい」。
なぜなら、アアルトの設計事例は、実際の「現場」に立てば自ずと分ることなのでしょうが、図や写真で「見る」ときは、建「物」だけではなく、「あたり一帯の場景を思い描きながら見る」必要が生じます(もっとも、最近は、アアルトの建物の写真や図を見ても、「物」だけ見て「まわり」に目を遣らない「建築家」が多くなっているように思います)。
「あたり一帯の場景を思い描く」作業は、いわば文章の「行間を読む」作業に似ています。
しかし、この作業は「面倒」です。だから、「一般受け」しないのではないか、と思います。
   これは、「桂離宮」は「分りやすい」が、「孤篷庵」が「分りにくい」のに似ているかもしれません。
   
   

先回の書物(THE LINE――ORIGINAL DRAWINGS from THE ALVAR AALTO ARCHIVE MUSEUM of FINISH ARCHITECTURE 1993年 刊)から、カレー邸の謂れについての説明文を、そのまま転載します。


同書には、先回紹介したスケッチの他にも、数点のスケッチが載っています。
以下に紹介することにします。
説明部分(英文だけ)を大きくして併載します。
 


説明文は、天窓からの光についてのみ語っていますが、このスケッチには、今度つくる建物が、既存の土地に、「どのように取り付くのがよいか」を、アアルトがいろいろと検討している様子が窺えます。
天窓の形を考えている一方で、遠くからどんな具合に見えるようになるか、などなど、考えているようです。





正面の見えがかりの検討のスケッチのように説明にはありますが、むしろ、正面の見えがかりは、土地へのセットのしかたによって決まってくる、それをどうするのがよいか、その検討のためのスケッチ、と見た方がよいように思います。
それは、建物の「外形」スケッチの中に、屋根の下に生まれる空間の概形を描いていることで分ります。
この片流れの屋根は、土地の上に新たにできる(アアルトが新たにつくろうとしている)空間の形の「反映」なのです。
 



terracing というのは、段状にする、という意味のようです。
terrace と言う語は動詞として「段状に整備する」という意があります。
簡単に言えば、地形に合わせるつくりかたの一。
ただ、アアルトのやったことは、わが国の住宅地造成で見られる雛壇をつくることとは違います。斜面を単に平坦地にするのが目的ではなく、建物、あるいは空間を土地に「馴染ませる」ための方法なのです。


これらのスケッチから、アアルトにとって、スケッチは、
既存の surroundings に手を加えるにあたり、従前の surroundings のつくりだしていた場景・情景を傷めることなく維持できる、あるいはさらによい場景・情景にする、そうするためには、どのような「手の加え方」が好ましいのか、それについての模索、その推敲の記録
と考えてよいでしょう。

何度も書いてきているように、建物をつくるということは、単に、一個の建物をつくる、ということではなく、
そこに従前から存在していた surroundings を「改変する」ことなのです。
設計とは、建「物」の設計ではなく、「 surroundings の改変」の「設計」である、ということです。
これをアアルトは、ごくあたりまえのこととして実行している、それが私のアアルトについての「理解」であり、傾倒した理由でもあるのです。簡単に言えば、アアルトの営為が「よく分る」、共感できる、ということ。

そして、これも何度も書いてきていますが、
日本の建物づくりは、階級の上下を問わず、「建物をつくることは surroundings の改変である」、という「事実」を、当たり前のこととして認識していた、と考えてよいでしょう。少なくとも近世までは・・・・。

それはすなわち、「住まいの原型についての認識」つまり、「人がこの大地の上で暮すとはどういうことか、についての認識」、が、往古より、ブレずに、継承されていた、ということに他ならないのです。

今あらためてこう書いているのは、今の世では、この「継承」がますます途絶えつつある、という感を最近とみに感じているからです。
私たちの surroundings は、こんなものでよいのだ、という事態に陥りかねない、と思うからです。もしかすると、そのうち、セシウムに囲まれているのがあたりまえだ、などとなるかもしれません。 

さて、カレー邸の様子を、アアルトの設計集:「ALVAR AALTO Ⅰ」(Les Editions d'Architecture Artemis Zurich 1963年刊)から転載します。
スケッチと対照してみてください。
なお、カラー写真は、「GA №10 」(A.D.A EDITA Tokyo 1971年刊)にあります。

まず、配置図と入口周りを見た写真。
配置図のどのあたりから見た写真か、判定してみたください。

道のカーブの付け方がダテではないことが分ります。
入口に近づく最後のあたりに、少し左にふくらんだところがありますが(写真はその手前で撮っています)、このふくらみは、まさにアアルトの「こだわり」の表れである、と私は思っています。
この「ふくらみ」がなかったら、どうなるか。
こう考えることができるのがアアルトの設計の「醍醐味」なのです。
ただ単に、カッコイイ絵を描いているのではない、のです。[文言追加 16日1.45]

次は1階平面図。


そして入って直ぐに広がるギャラリー。


ギャラリーの先に広がるリビング。


リビングの先に広がる広大な斜面の側から建物を見ると


そして最後に、ギャラリーの断面を描いた設計図。
こういう図面は、最近の設計ではお目にかかれません!惚れ惚れします。
天井のふくらみ、高さ、そして床の高さ・・・、その切替、それらの位置、それがなぜその位置なのか、これを考えるのが「楽しい」のです。
そして、やはり、ここでなければならない、と思い至って感激する・・・。凄いな・・・。


次回は、 surroundings を無視した最近の設計事例を例に話を進める予定です。

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