らくしゅみ

写真や音楽、その他気の向くままに綴ってみたいと思います。 楽に趣味をらくしゅみ。

ムーミンバレーパーク 飯能市

2023年07月30日 | まち歩き

昨日は妻とふたり、バスツアーに参加して来ました。行き先はムーミンバレーパーク。

入り口近く。

と言っても、入り口は駐車場から結構離れています。そして、アプローチはこうして霧が散布されています。

可愛い?

素敵です。奥に見えるのは灯台です。

メルヘンです。

ママがいました。

ムーミンの家です。

分かりにくいですが、手に花を持っています。

ランチはパスタ。皿といい下の紙といいフォークにもムーミンがあしらわれています。

 

初めて行きましたが、良い所でした。行った事がなかったので行きたいと思っていたのですが、勝手が全く分かりません。とりあえず出かけてしまえば何とかなるのでしょうが、それも何だか。

 

そうしたらバスツアーがありました。ムーミンバレーパークに4時間滞在して、その後入間のアウトレットパークに寄って帰ると言うものです。(笑) ムーミンバレーパーク、特に何があるという訳ではないのですが、その刺激の低さが色々と掻き立ててくれて、そして想像の方向を限定しないので良かったです。ま、簡単に言ってしまうと押し付けでないという事です。

 

行きにもう少しで目的地という所のインターが混んでいて、途中(手前)で降りて下道を行きました。土曜日だったのですが、行きのその渋滞だけで帰りはスイスイで快適でした。お陰さまで予習が出来ましたので、次回からはあれこれ考えずに出かけられそうです。

 

おまけ

そんな訳でゴールまでスーッと帰って来てしまいました。ゴールは九段下だったのですが、解散した後、九段会館の脇の堀に出てみたら蓮がすごいことになっていました。

夕方なので花は閉じていますが、圧巻でした。

 

今度は早めに行って、花の開いているところや、花の落ちた後の花托(蓮代)を見てみたいです。

 


酒と写真の日々 4th. 佐久間俊夫 新宿ゴールデン街 こどじ からのBUOY(ブイ)

2023年07月07日 | 展覧会

昨日の夜は大学時代以来の友人である、佐久間俊夫君の『酒と写真の日々 4th.』を新宿はゴールデン街にあるこどじに見に行ってきました。ちなみに3rd.はこちら

入口です。

いつも通りハガキで済ますという・・・案内。

ご本人です。

 

この日は満員で、大賑わいでした。客の半分はときのんの常連さんで、前回同様、写真を見るよりは近況報告会と化してしまいました。(それはそれで大事) なので改めてゆっくりと見に行きたいと思いました。

 

おまけ?

その後も続々とインバウンドの外人やらこどじの常連やらが来店して大賑わいなので、こどじの斜め向かいのブイへ移動。

広角すぎるなぁ、看板が小さくてよくわからないです。お店は2階です。(ガルシアではない)

変わらない店内。

こどじから避難してきた彼。この後もうひとりやって来ます。

 

話せば長い事ながら、要約すると、このブログで『ゴールデン街 BUOY(と書いてブイと読むらしい) 渋谷典子』がよく読まれています。なので、もう一度ブイに行ってみたいと思っていた所に佐久間君の写真展があったので、併せて訪ねてきたという事です。

 

実はそれには伏線があって・・・今から3週間ほど前に高円寺の鳥渡に萩谷さんの写真展を見に行きました・・・で、2週間前にカメラマン同士の打ち合わせが高円寺で有って、それならばと2次会は鳥渡に行きました。

 

そうしたらなんとそこに「渋谷典子」さんがいらしたのです。初めは渋谷さんとは分からずにお話をしていたのですが、ブイと渋谷さんの話になった時にまわりの常連さんから「なに言ってるの、この人が渋谷さんよ!」と教えていただきました。(笑) さすがにお顔までは存じ上げなかったです。

で、6月15日に発売の中上健次の短編集の表紙の写真が渋谷さんがお撮りになったものだという事で、それを手にしてもらって一枚写真を撮りました。

 

で、その写真を持って、昨日お伺いしたという訳です。

 

前回に疑問だった事、’79年頃にお会いしたか、何かの講義があったか?・・・これは、ないそうです。なので、私の思い違いということが分かりました。それと旧姓、再度教えていただきました。(笑) チャンチャン。

 

 

 


あの研究所(笑)

2023年07月05日 | カメラアクセサリー

先日、新城と木月3丁目に行ってきました。何をしに行ったのかと言えば聖地巡礼と書きました。

木月3丁目には私が子供の頃通っていた塾がありました。そして、その住所と同じ住所にあの研究所があったのです。(笑)

この研究所はこのセノガイドで有名でした。

あの研究所とは関研究所のことです。

そう、木月3丁目なんです。

 

特にこの研究所の商品を買った訳ではないんです。(スミマセン) ただ通っていた塾と住所が一緒というだけの事なのです。

 

昔はおおらか?雑?な時代で、研究所の電話番号まで書かれていました。ま、修理とかの事を考えると当然といえば当然ですが。その電話番号も、川崎市は74年(1974年)に局番が三桁化されたのですが、なので、その前後で取説には局番の違う二種類があります。

 

ちなみに川崎市に区が導入されたのは1972年です。なのでこのカタログは1972年より前のものという事になります。

 


武蔵新城から木月3丁目

2023年07月03日 | まち歩き

今日は新城(武蔵新城)と木月3丁目に行って来ました。いいんです、極私的なトリップです。

小田急線で多摩川を渡っています。

スタートは武蔵新城。1990年に高架化されました。

駅のすぐそばにある元祖ニュータンタンメン本舗。40ウン年前、初めて食べた時はむせかえって、食べるのに難儀しました。

で、道路を渡って新城北口はってん会という商店街。不思議な名前です。発展かと思いきや、この商店街が八店舗(はちてんぽ)の八店からスタートしたからだそうです。

お目当ての喫茶店。40ウン年前はよく通っていました。20年ほど前に建て替わってきれいになっていました。もちろんマスターにもお会いしました。新城は富士通の城下町でお客も富士通の人が多かったのですが、今はどうなんでしょうか?

入り口辺り。

さらにアップ。

店内の様子。リビングルームのようです。こことは別にさらにスペースがあります。なので大きな喫茶店です。

その昔はスパゲッティーとオムライスで悩んだものですが、昨日はハンバーグ。(笑)

アイスコーヒー。

新城からバスに乗って木月天王森(バス停の名前)へ。その昔、バスは川崎駅行きでしたが、最近武蔵小杉駅行きに変更になったそうです。系統は杉04です。木月天王森は川崎と小杉の分岐の手前なので問題ありません。写真は50年以上前に私が学習塾に通っていたころ、その学習塾があったところです。ストリートビューで昔の写真を見ると名残がありましたが、建て替わってからも結構経っているようです。

バス停は木月天王森でしたが、住所は木月3丁目。赤線で囲まれているところが木月3丁目ですが、広いです。

なんで、そんな所に行きたかったのかと言えば、いわゆる聖地巡礼です。(笑) とある研究所がこの辺りにありました。(でも、記憶の彼方)

私が若いころお世話になったバイク屋は健在でした。ちなみにここは木月4丁目。

エイブル、以前はカメラ屋でした。あのカメラはここで買ってもらいました。ちなみに木月1丁目です

ストリートビューに残っていました。(笑) 看板は野田カメラとありますが、このころ(2009年って書いてある)はもうカメラの販売をやめていました。

 

木月3丁目は子供の頃(50年以上前)、通っていた塾のあった所です。木月3丁目って実は広いのですが、塾から近いところにあの研究所があったのです。(笑) いいんです、わかる人だけで。
 
 
そして、脈絡の無い2地点ですが、新城からバスで一本で行けます。以前とは終点が変わっていますが、問題無いです。
 
 
後ろ向きでしょうか?(笑) でも、久しぶりに懐かしく、良いトリップでした。
 
 
追記

 


I・PAF フォトアクセサリーフェア 浜松町

2023年07月01日 | 写真

昨日は浜松町にある東京都立産業貿易センター(浜松町館)にフォトアクセサリーフェア2023を見学に行ってきました。ちなみに昨年はこちら

サイネージ。

会場内の様子。

 

一年経つのは早いもので、もうそんな季節なの?っていう感じです。今年はこの時期会社内で色々とあってバタバタしていたのと、前日は人間ドックに行ったりしたので、集中力が途切れてしまいました。ここはひとつ若い人にじっくり見学してもらいましょう。(笑)

 

おまけ その1

もちろん反省会をしました。(笑)

お店はちょっと妖しい感じの雑居ビルの中にあります。(笑)

 

おまけ その2

ずっと見たいと思っていたんですよ。貿易センタービルが無くなって露わになったモノレールの浜松町駅を。なぜかと言えば、脚が細くてこんなので支えは大丈夫なの?って気になるからです。貿易センタービルがあった頃はビルに寄っかかったように見えて、安心感?があったのですが、こうもむき出しになると脚が折れちゃいそうで怖いです。

白いかまぼこ屋根の部分が開業当時からの建物で、右の茶色のガラス張りの建物は80年代に増築されたものです。(確かそうだったはず) 貿易センタービルは私が子供のころ霞が関ビルに次いで高いビルでした。その次が京王プラザホテル(新宿)です。昔は高いビルが少なかったから覚えやすかったですね。(笑)