今日は知り合いのカメラマン、高橋依里 こうちゃんの写真展に行って来ました。
そう言うと失礼ですが、写真がというよりは、人間として社会としてどう受け止めていくのか、当たり前のものとして受け入れられるのか、そうでないのか、記録を越えた記録です。私も子を持つ親として考えさせられました。
倖田來未の様な発言もありますが、それだけ切実な問題とも言えます。それでもそういう人達は確実にいる訳で、そこを越えて、どうしたいのか、世論をリードしたいのか、単に我々はハッピーだと伝えたいのか微妙な展覧会でした。有り体に言えば喰い足りないです。自分の写真を撮っているというフィジカルな喜びだけで、もっと簡単に言えば撮りたいから撮っているだけで、怒りとか、戸惑いとか、不安とか、喜びとか、表現出来ていない気がします。
ちょっと辛口ですが、被写体としては凡庸なものをどう表すのかは、カメラマン次第ですから頑張って欲しいと思います。これからに期待します。
私をすれっからしと切り捨てて頂いても結構ですが。(笑)
そう言うと失礼ですが、写真がというよりは、人間として社会としてどう受け止めていくのか、当たり前のものとして受け入れられるのか、そうでないのか、記録を越えた記録です。私も子を持つ親として考えさせられました。
倖田來未の様な発言もありますが、それだけ切実な問題とも言えます。それでもそういう人達は確実にいる訳で、そこを越えて、どうしたいのか、世論をリードしたいのか、単に我々はハッピーだと伝えたいのか微妙な展覧会でした。有り体に言えば喰い足りないです。自分の写真を撮っているというフィジカルな喜びだけで、もっと簡単に言えば撮りたいから撮っているだけで、怒りとか、戸惑いとか、不安とか、喜びとか、表現出来ていない気がします。
ちょっと辛口ですが、被写体としては凡庸なものをどう表すのかは、カメラマン次第ですから頑張って欲しいと思います。これからに期待します。
私をすれっからしと切り捨てて頂いても結構ですが。(笑)
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