私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

傘寿を迎えたハリー・ベラフォンテ

2007-04-04 09:50:25 | 日記・エッセイ・コラム
 2007年3月3日ニューヨーク市の立派な公共図書館のお隣のレストランでアメリカの黒人歌手ハリー・ベラフォンテ(1927年3月1日生れ)の80歳の誕生日のお祝いパーティーがあったことが、Alternet というウェブサイトに出ていました。キューバのフィデル・カストロの誕生日が1926年8月13日、私の誕生日は1926年5月23日、と言ってみたところで余り意味がありませんが、ベラフォンテもカストロも私とほぼ同い年、共々に傘寿を迎えたと思ってみると、何とはなしに不思議な親しみがわいてきます。世界の異なる地点からとは言え、同じ世界を見つめながら今まで生きてきた点では共通なのですから。
 カストロは20世紀に生まれた最も偉大な歴史的人物の一人として名を残すことは間違いないと私は考えます。ベラフォンテがポール・ロブソンと同じような意味で歴史に名を残すかどうか、こちらはまだハッキリしませんが、私としては、そうなってほしいと思っています。1959年から2年間、私はシカゴ大学の物理教室に研究者として滞在しましたが、グレン・グールドの「ゴールドベルグ」に並んでベラフォンテの歌にもすっかり惚れ込んでしまった楽しい思い出があります。その頃買ったベラフォンテのLP レコードのジャケットと同じデザインのCD が今も出ています。
 コンラッドの『闇の奥』に、底に穴のあいたバケツで水を汲んで消火に励む男の話が出てきます。
「ああ、何と言うあの数ヶ月!いや、もう気にすまい。いろんなことがあったよ。ある晩には、キャラコ、更紗、ビーズ、その他いろいろの商品がいっぱい入れてあった草葺きの納屋が、突然、焔を吹いて燃え上がり、あっという間に、まるで、大地が割れて復讐の焔が吹き出し、あのガラクタ一切を焼き尽くしてしまったかのようだった。僕はと言えば、解体された僕の蒸気船のそばに立って、静かにパイプをくゆらしながら、みんなが火炎に照らされて、両手を振りかざして飛び回っているのを見物していた。と、突然、例の髭をたくわえた頑丈そうな男が、ブリキのバケツを手にして河の方に勢いよく駆け下りてきたが、僕に向かって、誰も彼も「よくやっているよ、立派にやっている」と言ったかと思うと、水をひと掬いして、また駆け上がって行った。見ると、バケツの底には穴が一つ開いていた。」(藤永訳p64)
ここを読んだ時、私はすぐにベラフォンテの愉快な掛け合いソング「Hole in the Bucket」を思い出しました。コンラッドの穴あきバケツのエピソードの陰惨な意味合いと対照的な明るい歌です。根っからの怠け者で何もしようとしないダメな夫に、「水を汲んで来な、ヘンリー」と妻は命じますが、ヘンリーはバケツに穴があるのをよいことにして、何とか言い逃れようとします。相手役はこれまた素晴らしいオデッタだったと思います。いい歌です。ベラフォンテの歌で最も良く知られているのは「Banana Boat Song」でしょう。カリプソは西インド諸島トリニダード島が生んだリズムのきいた民族音楽です。ベラフォンテはニューヨークのハーレム生れの黒人ですが、「カリプソの王」と呼ばれるようになり,聴いていて、如何にもカリブ海出身の男が歌っているように思ってしまいます。
 ベラフォンテは黒人の人権闘争運動の歴史に早くから深く勇敢に関わり、その運動の生き字引のような存在で、彼の80歳の誕生日のお祝いがニューヨーク市の誇る図書館の隣で行われたのは彼にふさわしいことだったといわれています。1944年ベラフォンテが米国海軍水兵として出航する直前、ニューヨークの有名なナイトクラブ「コパカバーナ」は黒人歌手ベラフォンテの出演を拒否しますが、その10年後、彼は堂々と出演を果たします。彼はポール・ロブソンの知遇を得、また、米国政府が入獄中のテロリストと看做していた頃のネルソン・マンデラを南アフリカの監獄に訪れました。
 1965年、マーチン・ルーサー・キング牧師はベトナム戦争に反対して、アメリカ合衆国を「世界で一番でっかい暴力の仕出し屋(the largest purveyor of violence)だ」と呼び、若者たちに兵役忌避を勧めました。そのキング牧師とベラフォンテは非常に近い間柄だったようです。ベラフォンテもベトナム反戦の運動に参加しましたが、イラク戦争についても、早くから、ブッシュ大統領を名指しで非難し、「これはテロ行為だ」と極め付け、ベネゼラのチャベス大統領を訪問した際には、ブッシュ大統領を「世界最大のテロリスト」と呼びました。それに加えて、米国政府の国務長官の地位を極め、黒人の能力と、能力のある人材に対する米国の開放性の輝かしい証しとしてのコリン・パウエルとコンディ・ライスの両人に、ベラフォンテは「house niggers」という意地の悪い呼び方を献上しました。ここまで遠慮なくやられては、アメリカの娯楽産業資本も黙ってはいられません。歌手としてのベラフォンテは,昨今、干された状態にあるそうです。年齢の問題だけではないようです。
  ところが、ベラフォンテのバースデー・パーティーに、招待状なしで前大統領クリントンが現われました。時代の米国大統領を目指す奥さんのヒラリー・クリントンに強力な黒人の競争者が出現しました。ケニヤ出身の父親と白人の母を持つ Barack Obama。ビル・クリントンは、その対抗馬を意識して、奥さんのために、側面から援護射撃をする目的で、つまり黒人票を少しでもかき集めるために、ベラフォンテのお祝いに乗り込んできたのでした。政治とは、変な、妙に汚いものですね。もしかしたら、次代の米国大統領は“黒人”オバマかもしれません。しかし、このオバマも、ベラフォンテの目には、もう既に、本物の黒人とは映っていないかも知れません。カナダの先住民(インディアン)の皮膚の色は昔から「赤い」ことになっています。彼らの仲間内の軽蔑語として「あいつはリンゴだ」というのがあります。白人社会に同化してしまったインディアンをそう呼ぶのです。皮をむけば中身は白い、というわけです。確かに人間は本当の中身で決まってしまいます。
 ところで、カストロのほうはどうでしょう。2006年7月、腸内出血のため大手術を受け、政権を弟のラウルに譲り、療養生活を続けています。アメリカやスペインでカストロは今や死の床にあると頻りに伝えられましたが、それは“希望的観測”に過ぎませんでした。2007年2月末、ベネゼラのラヂオ局のトークショーで、カストロはベネゼラの大統領チャベスと30分間もお喋りをして、その中でカストロは「私は再び学生になって勉強している」と話しています。私はスペインの大画家ゴヤの80歳の時の言葉「Aun aprendo」、英訳すると「I am still learning」、を思い出さずにはおれません。私も今80歳、自分が、空に澄み渡る月ではなく、泥まみれの老スッポンであることはよく弁えていますが、それでも、この大好きな言葉に励まされます。つい最近、カストロは、ブッシュ大統領の「植物から自動車燃料を」という提案に真っ向から反対する声明を発しています。これも病床で学生に戻って学んだ知識に基づいた重要発言だと思われます。トウモロコシやサトウキビから巨大な量の燃料を製造するようになれば、食料生産のための農業が地球規模で攪乱され、結果的に飢饉が起き、30億人以上の貧民が餓死するだろうと、カストロは言います。カストロの論理を辿ってみると、なかなか説得力があります。私たちも大いに勉強しなければなりますまい。

藤永 茂 (2007年4月4日)



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2 コメント

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藤永さんのエッセイを始めて読みました。わが意を... (村口至)
2007-10-21 12:04:32
藤永さんのエッセイを始めて読みました。わが意を獲たりとの思いです。ベラフォンテは中学時代に姉から知らされ、大学卒業後コード2枚入手。時折聞いています。ベネゼラチャベスの革命には、大変注目しています。11月には、仙台に駐日ベネゼラ大使イシカワ氏をお招きして、講演を準備中です。今後も藤永氏のメッセージを楽しみにしています。ご高齢のようですが、カストロのように長生きしてください。
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こよなく嬉しいコメントをいただき、感謝します。 (藤永 茂)
2007-10-21 13:35:26
こよなく嬉しいコメントをいただき、感謝します。
11月の仙台での駐日ベネゼラ大使イシカワ氏の講演会の事をこのブログで是非ご紹介いただきますよう、お願いします。
藤永 茂
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