私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

文学批評ということ

2006-08-09 10:08:09 | 日記・エッセイ・コラム
 どこで読んだのか忘れてしまいましたが、T. S. エリオットが「批評家というものは、私の詩に、私が思いもしなかった意味を付与してくれる」というようなことを書いていました。コンラッドの『闇の奥』をめぐって、80年間、文学批評家たちが、ああでもない、こうでもない、と際限なく説を立てているのを辿っていると、天国か地獄でコンラッドご当人も面白がって見ているような気がしてなりません。いや、必ずしも面白がってばかりではないかも知れません。批評家の中には、自分の文学的蘊蓄と想像力の凄さを披露するための絶好の踏み台として『闇の奥』の曖昧さを利用しているように見える人々もいます。
 現在、イラクが米国の色々の新兵器を試験的に使ってみる実験場になっている気配がありますが、コンラッドの『闇の奥』は色々の文学理論を適用して批評や解釈をしてみる恰好の実験場になっている気味があります。日本でも、イーグルトンの名著に触発されて、「文学理論」が大いにもてはやされた時期があり、筒井康隆氏の小説『文学部唯野教授』がその流行のシンボルとして話題になったようでしたが、現在ではどうなのでしょうか?唯野教授の文学理論講義の「受容理論」のところに、たしか、スタンリー・フィッシュの名が出ていたように記憶しますが、フィッシュは、かつてアメリカでも盛んだった大学論にもしきりに発言した他に、同じ頃、派手に戦われた「サイエンス・ウォーズ」にも嘴を容れて「自然科学の法則はベースボール・ゲームの規則と何ら変わる所はない」という無茶な発言をして、これには私も、物理学者として、苦笑させられました。
 しかし、フィッシュの唱えた文学理論( reader-response theory の一つの形 )からこの誤った科学論が出てきたのはごく自然なことでした。当時、科学論の分野では「自然科学の真理性は人文科学の真理性と何ら変わる所はなく、すべては社会的に構築されたものである」という説が大手を振ってまかり通っていました。フィッシュの文学理論のエッセンスを大雑把に要約すれば「一つのテキストの解釈は、個々の読者が属する共同体(コミュニティー)の中での主観的経験に左右され、それによって決定される。テキストの意味は、あるコミュニティーの中で生きている読者の内側に存在し、<これが唯一“正しい”解釈>などというものはない」といったことになります。フィッシュならずとも、一つの文学作品の意味が何処かに(out there) 絶対的なものとして存在するという立場をとる文学批評家は現在いないでしょう。内心では、リーヴィス以前、さらには、アーノルド以前の文芸批評に郷愁を感じていても、口には出せないのが現状であろうと思います。もし、そうだとすると、現在も盛んに続いている小説『闇の奥』の弁護論、特に、歯に衣着せぬアチェベ叩きの評論は不思議な現象のように私には思えます。アチェベ叩きの大合唱の本質を一言で言えば、「アチェベの『闇の奥』解釈は間違っている」ということなのですから。今の時代に「これはMISREADINGだ」と極め付けるには大きな覚悟と十分の理由がなければなりません。少なくとも、『闇の奥』を「アチェベは読み誤ったが、ナイポールは正しく読んだ」というようなことは、現代の文学批評家として、コンラッド専門家として、言うべきことではありますまい。しかし、コンラッドの『闇の奥』弁護を試みる人たちの多くがやっているのはこの事です。フィッシュが言うように、批評家とそれが属するコミュニティーの心理的あるいは思想的傾向をよく検討してみる必要があるのでしょう。
 私は『闇の奥』弁護論に、ポストコロニアル論的な視角から、甚大な興味を持っています。このブログでも、<『闇の奥』弁護論史序説>とでもいったタイトルで、ゆっくりと議論を積み重ねて行きたいと思っています。『闇の奥』弁護論も千差万別ですが、その主潮の一つは「『闇の奥』は英国を含めた帝国主義、植民地主義の批判だ」とするものです。これは「マーロウの言うことをそのまま受け取れば、英国批判は含まれていない」という主張に対する反論です。Garret Stewart の論考『Lying as Dying in Heart of Darkness』(PMLA 95(1980): 319-31) は、私がこの小論のはじめに言った「力業」タイプの評論で、『闇の奥』の弁護が主目的ではありませんが、『闇の奥』が英国を含む帝国主義一般の批判になっていると主張する点では、弁護の立場にあります。関連部分を一個所引用します。
Marlow can share in Kurtz’s slaying self-knowledge because “it”?what was left of the man, his neutered “shade” or “wraith”?“it could speak English to me. The original Kurtz had been educated partly in England.” Thus Conrad quietly implicates England, and Marlow as Englishman, in Kurtz’s European hubris and diseased idealism?and of course implicates himself, too, as British-educated master of nonnative English eloquence.
これは可成り強引な解釈です。論じられている部分は、前にも「エロイーズ・ヘイのコンラッド弁護論」の中で引いた、
This initiated wraith from the back of Nowhere honoured me with its amazing confidence before it vanished altogether. This was because it could speak English to me. The original Kurtz had been educated partly in England and ? as he was good enough to say himself ? his sympathies were in the right place. His mother was half-English, his father was half-French. All Europe contributed to the making of Kurtz, and ・・・
ですが、この文章から、英国も、マーロウも、コンラッド自身さえも、同じく断罪されているという解釈を引き出したわけですから。私にはどうも納得できません。

藤永 茂   (2006年8月9日)



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