私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

中東/アフリカの女性たちを救う?(2)

2011-08-17 11:01:07 | 日記・エッセイ・コラム
 前回には、アメリカ在住のアラブ系女性からの新聞投書を紹介しました。そこには反カダフィ勢力TNCとNATOがカダフィ政権を打倒しようとしていることに最も強く反対しているのはリビアの女性たちであることが明記してありました。今回ざっと訳出するスーザン・リンダワーの論考を読めばその理由が一段とはっきり詳しく分かります。リビアの男性の一部がカダフィを嫌悪する理由も同時によく理解できます。スーザン・リンダワーの原文はかなり長いので掲載しません。アバヤはイスラム文化圏の女性の伝統的民族衣装で全身を黒色などの単純な布で被うスタイルです。タイトルはNATOがリビアの女性の自由を奪う旧式の衣装を押し付ける戦いに加担していることを意味しています。:

『NATO’s War for the Abaya』(by Susan Lindauer, Dissident Voice, July 28th , 2011)
http://dissidentvoice.org/2011/07/35312/

■ ヨーロッパの銀行家にとっては、これはリビアの金(ゴールド)を狙う戦争だ。石油企業にとっては、良質で安い原油を手に入れるための戦争だ。しかし、リビアの女性にとっては、アバヤをめぐる烈しい徹底的な闘いなのだ。アバヤはイスラム圏の服装スタイルの一つで、その強制は、女性の自己表現と独自主体性を奪うものとされている。
 ヒラリー・クリントンとサルコジ大統領は認めるのをひどく嫌がるだろうが、リビアの女性の権利をカダフィ革命以前に押し戻すことはNATOが支持する反カダフィ勢力の主要なゴールの一つである。そうした反乱勢力は、NATOの宣伝がどうであろうと、圧倒的にイスラム教遵守派から成っていて、彼らは、イスラム教の原理に従順な社会を取り戻すことを強く望んでいるのである。しかしながら、アバヤは婦人の徳と淑やかさのシンボル以上のものだ。それは、女性の結婚と離婚に関する権利、教育と就職のために出産を遅らせる権利など女性の独立性にかかわるすべての要素に有害な影響を与える、全面的な保守的原理の導入のきっかけになるだろう。
 だからこそ、この戦争はリビアの女性にとってどうしても負けられない戦争なのだ。イスラム社会の近代化を支持する我々としては、NATOの助けをかりた反乱勢力が支配する真空状態にカダフィが権力を手渡してしまうのは全く無責任な話だと言わざるをえない。反カダフィ勢力がすでにリビア一般市民を痛めつけている事実もあり、イスラム聖法の支配を復元して女性の既得権利を剥奪するのが反カダフィ勢力の政策路線なのであるから、カダフィはリビア人民を守るためにしっかり立ち上がって反カダフィ勢力を阻止する義務がある。
 実際、フランスやイタリアが、選挙を通さずに、反乱勢力に政権を取らせようとしているのは何とも困ったものだ。選挙はリビアの女性たちに(カダフィではなくとも)アバヤを拒絶する別の首脳陣を出発させる力を与える防衛手段と言えよう。まさにこれこそが反カダフィ勢力の恐れることなのであり、彼らの根深く一貫した選挙過程拒否を説明してくれる。一般選挙に基づく民主主義こそはNATOの描く“新しいリビア”のヴィジョンを大いに脅かすものになっているのだ。
 アバヤの問題はイスラム近代化の闘いにとって大きな重要性を担っており、だからこそカダフィは政権発足の始めからイスラム・スタイルの衣装を事実上禁止した。アバヤの廃止は女性の権利を支持する広汎な改革政策の一部だったのであり、その改革パケッジはアラブ世界全体で最も進歩的な最善の改革の一つであった。リビアでの女性の地位の変革はきわめて大きなものであったから、イランのアヤトラ・ホメイニは、カダフィ政府はイスラム教の伝統を冒涜するものであるというファトワ(イスラム教指導者が出す法令)を、随分以前にカダフィに対して課したのであった。
 Imam (イスラム教の導師) Sheikh Khaled Tentoush はリビアの最も著名な導師だが、Imam Tentoush は、これまで二度、NATO による暗殺の標的になっていて、その一つは特に注目に値する。彼の言う所によれば、彼と他の12人の進歩的導師の一団は今回の紛争の平和的解決を目指してベンガジ(反カダフィ勢力TNCの中心拠点都市)に向かう途中、ブレガのゲストハウスで休憩を取っていたところ、NATO の爆弾がその家屋を直撃して、13人のうち11人の導師が殺されてしまったという。これらの導師たちはいずれもリビアの女性解放政策の支持者であった。ゲストハウスの近くにはカダフィ軍の施設はなく、爆撃時に近くに兵士の影もなかった。
 リビアのイスラム教過激派は何故これほどまでにカダフィの女性解放に狼狽立腹しているのか?カダフィの下での女性人権の初歩的な解説を今からしよう。

リビアでは女性に男の介添え役不要

 リビアでは、女性はショッピングとか友達の家を訪れるとか、市内を動き回ることが許されている。ちょっと信じ難いことだが、アラブの世界の殆どの国でそうした行動の自由は禁じられている。例えば、パキスタンでは、成年女性が市場に買い物に行く際も、幼い男児でもよいから、とにかく男性のエスコートと同伴でなければならない。サウジアラビアとクエイトでは、夫や兄弟や父親が働きに出ている間はアパートに閉じ込められる。勿論、例外はある。しかしこうした習慣、婦女子の自由の拘束はアラブ世界の広大な地域で行なわれているのが現実である。
 リビアでは、女性が家に鍵をかけて閉じ込められることは決してない。カダフィが女性の行動の自由を制限することを法律的に禁じているからだ。リビアでは女性が車をドライブする完全な自由が保証されているが、サウジアラビアではそうでない。多くのアラブの国々ではパスポートは男性が握っている。

結婚の権利

 悲劇的だが、アフガニスタンの首都カブールでは、父親の選んだ婿との結婚を若い女性が拒否すると牢獄に入れられることがある。彼女が気持を変えるまで、未来の姑が毎日のように牢獄にやって来て、息子の何処が良くないのか理由を言えと迫る。可哀想な若い女性は「はい」と言うまでカブールの牢獄に閉じ込められたままになる。それが、しかもアメリカとNATOの占領軍の鼻先で起っているのだ。同じことが彼らの占領下のリビアでも起るに違いない。アラブの世界の全体にわたって-イェーメンからヨルダンからサウジアラビアからイランまで-父親と兄弟が若い女性を何時嫁に出してしまうかを決める、普通、思春期になったら直ぐそうなる。彼女には一生で最も大事な決定についての選択権がないのだ。
 リビアではそうでない。これはカダフィの偉大な功績だが、あらゆるイスラムの伝統に逆らって、カダフィはその政権の出発時から、強制結婚はならぬと言明した。リビアの女性は夫を選ぶ権利を持っている。彼女らは恋愛結婚を求めるよう奨励されている。厳格なリビアの法律で、例外なく、如何なる者もリビアの女性に如何なる理由でも結婚を強いることは出来ない。

離婚の権利

 アラブの世界では女性が結婚を解消するのは残酷なまでに困難だ。女性はどんなに苦しめられようと離婚して去る法的権利はない。一方、男の方は二人の証人の前で「俺はお前を離婚する」と三回言えば、離婚成立だ。
 リビアでは違う。リビアの女性は好きな時に離婚することが出来る。女性はただ離婚届を提出すればよい。その点は米国の法律とよく似ている。リビアでは自分自身の財産を持って結婚することが出来て、離婚の場合には夫は妻の財産に手を触れることは出来ない。これは夫の財産についても同じだが、共有財産は普通妻のものになる。こうした“正常でない”結婚関係権利は保守的なリビア男性間に深刻な怒りをかき立てた。反カダフィ勢力はとりわけカダフィ政府が結婚に関する諸権利を女性に与えたことでカダフィを嫌悪している。
 結婚を遅らせることは子供の出産を遅らせることを意味し、その事は若い女性が教育を続け就職する力を与える、となれば、リビアの女性がアラブの世界で人生の機会に恵まれる点で最高に近いのも不思議ではない。これもまた、保守的なリビア男性のひどい恨みを買っていることであろう。

リビア女性の教育

 リビアでは女性の方が、男性よりも、高等教育の奨学金制度を利用している。社会いたる所に女性のプロフェッショナルを見かける。多くのリビア女性が科学者、大学教授、弁護士、医師、政府職員になっている。カダフィ政府は一貫して女性がその生き方を自由に選べるような政策を取って来た。イスラム教の導師たちの中にはこの政策に反対する者もいて、例えば、リビア国軍に多数の婦人兵士が採用されていることを非難する声もあるが、政府は常にその声を抑制してきた。

女性解放バッシング

 上述の事柄は反乱勢力がカダフィを“インフィデル”(不信心者、異教徒)と呼ぶ理由の一部である。反乱勢力はイスラム教法典の権威を復活させる意図をしばしば表現している。彼らの意図はアラブ世界では公然の秘密だ。このポイントを無視しているNATO は「見ざる、聴かざる、言わざる(See no truth, Hear no truth, Speak no truth)」の三猿だ。反乱勢力は権力を掌握するまでは「いい子、いい子」とNATOをなでなでし、その後は、すぐにも元々からやりたかったことを実行するだろう。リビア人はこの点を充分承知している。だから、ガダフィ支持の最も強い力のひとつはリビアの女性たちから生じたとしても、誰も驚かない筈である。
 イスラム社会の近代化を支持する我々は、リビアの人々がNATO の官僚よりも目先が利き、賢明であることに希望を託し、カダフィが何とか持ちこたえてくれることを祈るべきである。■

 以上がスーザン・リンダワーの論考の翻訳です。後半は少し省略しました。一国の女性解放の度合いは、その国の法制と政府の具体的政策を調べれば分かる事ですから、リビア事情に詳しい人々にはスーザン・リンダワーが言っている事が、多少の理想化、美化はあるにしても、大筋で正しいことを知っている筈です。もしそうでなければ、是非その旨教えて頂きたいものです。カダフィが辣腕の独裁的政治家である事は明白ですが、彼の国内政策については、我々一般人にはあまりにも歪曲されたイメージだけが与えられて来たのだと思われます。つまり、本当にはカダフィが何をしてきたか、何が米欧の気に入らないのかについては、我々は、殆どまったく知らないのです。

 さて、これが真実となると、ヒラリー・クリントンやスーザン・ライスやサマンサ・パワーなどの唱える「アラブ女性のアラブ男性の暴虐からの解放」のお題目が如何に欺瞞に満ちたウソであるかが赤裸裸に露呈されたことになります。フランス、イタリア、イギリス、アメリカが何をしようとしているのか、はっきり分かって来たような気がします。一言でいえば、カダフィが築いて来たリビアを破壊し終焉させたいのです。それは完全にアメリカとヨーロッパの自己利益のためです。その実現過程、新型の植民地化の実現過程で、いったん解放されたリビアの女性が以前の桎梏の中に引き戻されようとも、構わないのです。
 最後に、前にも二度引用した事のあるネグロポンテの発言「カダフィが倒れた後にこそ、本当に大変な仕事が始まる」を思い出しましょう。アメリカは、最終的には、アメリカの言うままになる傀儡政権を、いわゆる“民主的選挙”によって、リビアに樹立しなければなりません。つい先頃、アメリカはハイチでそれを強行しました。手段は、民衆の間で圧倒的な支持率を持つファンミ・ラバラス党を非合法化して選挙から閉め出すというものでしたが、リビアでは、同じ手は使えません。男女平等の理念に基づく人間的権利を獲得し、女性解放の自由を味わってしまったリビアの女性たちを一からげにして選挙から閉め出すことは、何としても不可能でしょう。しかし、ハイチとルワンダでは、アメリカはアメリカが選んだ傀儡候補を間違いなく当選させる悪辣な手段に出ました。ハイチでは二人の大統領候補は二人ともアメリカの操り人形でしたし、ルワンダではカガメを打ち負かす可能性が充分あった女性候補Victoire Ingabire Umuhozaを逮捕投獄してしまいました。カダフィが倒れた後のリビアでも同様の方法が採用されるでしょう。知れば知るほど、アメリカという国は恐ろしい国です。

藤永 茂 (2011年8月17日)



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4 コメント

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「闇の奥」の奥、拝読しました。 (Unknown)
2011-08-18 14:14:40
「闇の奥」の奥、拝読しました。
非常に興味深いことばかりで、目からうろこです。コンゴジャスティスも拝見しました。ありがとうございました。
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先生は量子化学が専門なのですね。私はデヴィッド... (Unknown)
2011-08-18 21:40:33
先生は量子化学が専門なのですね。私はデヴィッド・ボームと、宗教家ジッドウ・クリシュナムルティの著作の勉強会に出ていたことがあります。Dボームは彼との対話の中で、「人間は進路をまちがえた、
ある時隣人から搾取するほうが楽だと知った」云々という言葉があったのを思い出しました。「内面的葛藤を引き起こすのは時間である」とも。

また、私はアイヌ文化の会にも参加しておりました。その際先住民族問題を少し調べ、北米インディアンの悲惨さが、思っていた以上だったことにかなりショックを受けたことがあります。読み進むのもつらいそれらの話は、安易に近づいてはいけないと思いました。
が、今またこの時期、こういった悲惨な歴史は、ある勢力の利得のために隠されてきたのだと気づき、勉強しなくてはという気持ちになりました。
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 リビアの反体制派・NATO軍の首都制圧とカダ... (櫻井元)
2011-08-23 11:15:24
 リビアの反体制派・NATO軍の首都制圧とカダフィ体制崩壊必至との報道が昨日・今日と日本のメディアで多く流れました。昨日NHKのテレビニュースを見ていましたら以前の王政時代の国旗を掲げている反体制派の姿が映り、アナウンサーも「王政時代の国旗」とはっきり解説していました。藤永先生のブログによりますと、女性の人権を虐げる厳格で反動的なイスラム原理主義の勢力も反体制派を占めているようです。こうして見ますと、「民主化」を求める反体制派の中身が非常に怪しいものに映ります。
 私は『東京新聞』を購読しております。尊敬するジャーナリストの本多勝一さんがかつて『週刊金曜日』のコラムで、今の日本で健闘している新聞は全国紙よりも『東京新聞』と書かれていて、私も長年購読していた『朝日新聞』が年々くだらなくなっていくことを実感していたので(内容が薄い・広告面が多い)、『東京新聞』にこの春から切り替えました。見開きルポ「こちら特報部」など日々の紙面はたしかに充実しています。政府への批判的報道姿勢も感じました。特に原発事故では果敢な批判を展開しています。それでも、リビアについては、『東京新聞』にも限界がありました。
 今朝の紙面からご紹介します。一面の囲みに記者の解説がありますが、このようなものでした。

【解説】民衆の強い意志 原動力
…42年続いた独裁体制は、最後は支持基盤からも見放された。/…「大佐」という通称だけで法的な権限もないまま、長年にわたり政治体制や軍、膨大な石油収益を思いのままにしてきた。一方で民衆には政党や報道の自由を認めず反乱を弾圧で抑え込んだ。/次男への後継が有力視されるなど、国家の私物化に民衆の不満は鬱積。中東で吹き荒れる民主化運動「アラブの春」で蜂起したのは当然だった。/ただ、一連の民主化運動で、外国勢力の軍事介入により解決が図られたのは初めてのことだ。アサド政権の弾圧で2千人以上が殺害されたとされるシリアへの対応が鈍いのに比べ、欧米の積極的なリビア介入の背景には、世界有数の産油国リビアにおける権益確保の思惑があった、との見方は根強い。/とはいえ、多大な犠牲を払いつつ困難とみられたカダフィ体制打倒を実現したのが、自由や公正を切望する民衆の強固な意志であることに変わりない。…
(カイロ・今村実記者)

 一面の解説は以上のようなものでした。国際面・社説も同様の論調です。一面解説の中で、「石油利権」について触れているのは評価できますが、全体の論調の中ではお飾り程度で意味がなく、あまりにも欧米寄り、通念・ステレオタイブに乗った論調としか言いようがありません。相対立する双方の主張を公平に取材したうえでそのように判断したとはとても思えません。

 目を引いたのは、国際面のベタ記事(泡沫記事)扱いではありましたが、ベネズエラのチャベス大統領の発言を紹介する記事でした。以下に記事の全文をご紹介します。

NATOの空爆を「石油狙い」と非難
ベネズエラ大統領
【ニューヨーク支局】
AP通信によると、南米ベネズエラの反米左翼、チャベス大統領は21日、テレビ演説で北大西洋条約機構(NATO)によるリビアの最高指導者カダフィ派への空爆を非難し、「リビア国民のために神に祈ろう」と発言。友好関係にある同派を支持する姿勢をあらためて示した。/リビアの首都トリポリでは、カダフィ体制が崩壊寸前の状態だが、チャベス大統領は、欧米諸国の思惑について「リビアの富(石油)を押さえることだ」と強調。「彼らはこの日、いかに多くの爆弾を落としたことか」と非難した。

 チャベス大統領のような見方も一方ではあるわけですが、日本のメディアは比較的良心的な『東京新聞』も含めて、圧倒的な量で欧米一辺倒の報道を流すだけですね。

 藤永先生はブログの中で「思考実験」という言葉を使われることがありますが、私も以下のような思考実験をしてみました。思考実験をしてみますと、今の現実の世の中で起きている事象がいかにおかしなことなのかが明確になるような気がします。

 長年にわたり事実上の一党独裁体制で統治されてきた中国を考えてみます。選挙制度はありますが、ほとんどが共産党の推薦を受ける仕組みで、共産党の推薦を受けない独立候補には露骨な選挙妨害がありえます。思想・信条の自由、表現の自由などは大幅に制限されている国です。チベット・ウイグルなどの少数民族への差別・弾圧も激しいものがあります。反体制派は逮捕され投獄・処刑されてしまう危険がある。政府批判には生命をかける覚悟が求められる国です。
 この中国で自由と民主主義を求めて反体制派が蜂起したとしましょう。それに対して中国政府は、かつての天安門事件のように軍を出動させ鎮圧を図る動きに出たとします。そこで、欧米が国連を動かして安保理決議を取り、中国への武力攻撃を開始したとします。中国の反体制派の勝利まで、北京制圧まで空爆で支援したとします。

 このような頭の中で想定する思考実験をしてみますと、リビアで起きていることがよくわかると思うんです。中国でもしこのようなことが起きたら、欧米の行為は国際社会から諸手を挙げて賛成されるでしょうか。自由や民主主義に欠落や不備があっても、その中で、政府と民衆の間に軋轢が起きたとしても、そこに外国勢力が介入する、武力でもって主権国家の政権転覆を図るということは信じがたい暴挙ではないでしょうか。

 リビアでの欧米の行動は「石油利権」を目的とした醜いエコノミックアニマルが「人道」を旗印に掲げた帝国主義的侵略です。旗印をそのまま素直に信じてはいけません。かつての満州国が掲げた麗しい「五族協和」の理念と中国大陸侵略の実態とを想起してみてください。
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藤永先生、御無沙汰しております。今度の「中東の... (nazuna)
2011-08-27 01:48:36
藤永先生、御無沙汰しております。今度の「中東の春」が始まって以来、私は以前この藤永先生のブログで読ませていただいた須衛野 凉一氏の寄稿、「分断統治と知的従属」の中の言葉をしばしば思い出しておりました。

「二十世紀終盤から今世紀にかけて東欧や中東で発生した出来事を振り返ってみたとき我々が読み取ることができるのは、途上国や新興国における知的・技術的従属状態からの脱却を巨大な壁のように立ちはだかって阻む勢力が厳然として存在するということです。」
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2010/04/post_3039-1.html 

少なくともリビアでは、世俗的な政策で女性の解放が進んでいるだけではなく、石油産業を国有化して、その利益を国民の教育や医療の充実に当てていたと聞きました。それなのに、たとえそうであっても、ガタフィ大佐はそうしたリビア国民の福祉を犠牲にしてまでも倒さなければならないほどの、恐るべき独裁者なのだろうか?その答えを探そうとネットで調べたりしていましたが、日本語の記事だけでは、リビアの詳しい国内事情などは知ることが出来ず、やがて3.11の震災や原発事故の心配に気をとられて、今日まで来てしまいました。

思えば、アメリカのアフガニスタン侵攻が始まった頃も、日本のTVはアフガニスタンで政権を握るタリバンという党派の後進性と、彼等がどんなに危険な狂信者集団であるかを繰り返し報道していました。タリバンが政権の元で、アフガンの女性たちがどんなに抑圧され、自由を奪われたかを(少女たちは学校へ行くことを許されず、大人の女性は職を奪われた)何度も繰り返し流していたものです。それを聞いていると、まるで戦争の大きな目的は、タリバンからの女性たちの解放であるかのようでした。

しかしそんなある日、たまたまテレビを見ていたら、長年アフガニスタンで復興支援事業をして来たという中村哲氏という方が画面に現れ、思いがけないことを言われました。「それは少し事情が違う。タリバンが政権を握る前は、軍閥とは名ばかりの無頼集団が跋扈して、人々を苦しめていた。その頃は女性が一人歩きなどしていたら、たちまち、そんな無頼漢どもにさらわれて乱暴されてしまったのだ。タリバンはむしろ戒律を強めることで社会の秩序を取り戻そうとしていた。今は救世主のように持ち上げられている北部同盟のような軍閥こそが、アフガンの一般市民の敵だったのだ」
言葉遣いなどは多少違うかもしれませんが、そのような意味のことをおっしゃったのです。

その時、私はまだ、ペシャワール会の中村氏がどのような経歴の方かはよく知らなかったのですが、「もしかすると、この人の言っていることが本当なのかもしれない」そう思わせるような何かは感じられました。 (私は以前、このことを政治的な議論が活発に行われていた、あるブログのコメント欄に書いてみたことがありましたが、特に反応は有りませんでした)

その後、アフガニスタンではタリバンを追放し、カルザイ大統領のものと、問題の軍閥幹部たちが、議員や大臣として政権の座に付きました。そして・・・女性たちの生活はどうなったのでしょう?あれほど、アフガニスタンにおける女性の人権を心配していたはずの日本のマスコミなのに、そのことにはほとんど触れなくなってしまったような気がします。

このような形で、女性の「解放」や「人権」が利用されるのは許せないし、とても悲しいことです。

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