私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

転ぶ人,転ばない人(2)

2010-09-15 10:57:47 | 日記・エッセイ・コラム
 ミカエル・ジャン(Michaëlle Jean)は1957年ハイチ生まれの黒人女性で、今年の9月一杯まで、カナダ総督という地位にあります。英国の植民地であったカナダは独立国となった今も英連邦の一員であり、英国国王を象徴的に代表する総督が存在します。カナダ総督の機能や権限などについてここで詳しく知る必要はありませんので、まあ、その象徴性と実際の役目については、日本の天皇とよく似たところがあるとだけ申しておきましょう。依然として大変重要なポジションです。実際の起用任命権はカナダ政府首相にあり、任期は原則として5年です。カナダの国営放送CBCに属するジャーナリストで有力な番組プロデューサーのミカエル・ジャンの名が カナダ総督の候補として挙がったとき,賛否両論がありました。サイードの言葉で言えば、“controversial”な人物だったのです。CBCはNHKに似て、国家から運営費を与えられますが、NHKと違って視聴者から料金を徴収せず、足らない分はコマーシャル収入と視聴者からの寄付とで何とか賄っています。貧乏なので贅肉はこそぎ落とした経営ぶりですが、ジャーナリスティックな独立性と勇敢さはNHKより遥かに上のように思われます。カナダ総督になる前のミカエル・ジャンがホストをしていたCBCの公共番組『The Passionate Eye』や『Rough Cuts』を私は熱心に見たものですが、その社会批判、政治批判の鋭さに驚かされ、こんなドキュメンタリーをつくり、それを放映するCBCの、そしてミカエル・ジャンの勇気に感心したものでした。ランダムハウス英和辞書によると、ラフ・カットというのは、もともとは映画語で「粗つなぎ:ひとまずつないだカットをその作品全体にわたってつなぎまとめたもの;またその作業」とあります。番組のタイトルとしての語感は、社会問題に鋭角的に切り込んで、それを生々しく視聴者に届ける、といったものでした。
 ミカエル・ジャンは11歳の時、当時ハイチを支配していた独裁者パパ・ドック・デュヴァリエの弾圧をのがれて、ハイチの首都ポルトプランスから亡命者家族としてカナダのケベック州に移住します。長じてはモントリオール大学でイタリア文学、スペイン文学を修めて比較文学で学位を取り、あとヨーロッパの諸大学にも留学して、フランス語、ハイチのクレオール語に加えて、英語,イタリア語、スペイン語も完璧にマスターしました。社会運動家として被虐待女性の収容施設(駆け込み寺)の設立や貧困層青少年少女の援助などに努力し、ジャーナリストとして大いに注目を集めるようになってからも初心を忘れることはありませんでした。
 しかし、カナダ総督に任命されてカナダのエスタブリッシュメントの中枢に組み込まれてからは、彼女は少しずつ変わって行きます。総督が持っている国会の進行に関する権限を使って、結局は保守政権に有利なように政界に影響を与えることまでやってしまいました。彼女としては、カナダの国内政治が混乱状態に陥るのを回避しようとしただけの事だったかも知れませんが。彼女に救われた保守政権は、時が経つにつれて、ますますアメリカと一体不離の政策をとるようになり、彼女の母国ハイチが大震災に襲われた後に行なわれた事実上の軍事的侵略にも積極的に加担しています。この9月にカナダ総督の役を終えた後は、国連事務総長バン・キムン氏によって、ユネスコの特使に任命され、ハイチに赴くことになっています。CBCのラディカルなジャーナリストであった昔のミカエル・ジャンならば、追放された前大統領アリスティドを支持するファンミ・ラヴァラスの下層大衆によって大いに歓迎されたでしょうが、今はクリントン/バン・キムン路線に組み込まれたハイチの上層支配階級の人たちによって温かく迎えられることでしょう。
 私としては、かつてあれほど勇気あるしっかりした社会的政治的発言をしていたポール・ファーマーやミカエル・ジャンといった人々が全く無様に転んでしまったとは、到底信じられません。唾棄すべき新植民地支配政策の典型というべきアメリカ/カナダ/国連主導のハイチ復興路線を、やがて、システム内部から転轍する役目を、この二人に期待してやみません。

藤永 茂 (2010年9月15日)



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2 コメント

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久し振りに投稿します。藤永先生の健筆いつも拝読... (佐々木恭治)
2010-09-16 05:07:57
久し振りに投稿します。藤永先生の健筆いつも拝読しています。
池辺さんのコメントも冴えています。
最近は女性の方が良く勉強されているようで逆に男共がだらしなくなっているようで困ったものです。
さて「転ぶ人、転ばぬ人」はなかなか面白い題材です。
私も中年を過ぎての社会生活でこの「転ぶ」「転ばぬ」は一生の問題でもありました。
私は「転ばぬ」を選択したため大した出世はしませんでしたが、堂々と大手を振って生活出来ています。
まず誰にも後ろ指さされないし、どんなに偉そうな人にも歯に衣を着せなくしゃべられることです。
転んでいればもっと裕福な生活が出来たかも知れません。
まあそこそこ食べてゆけるだけの年金をもらって生活できるだけ恵まれていると思えば「転ばぬ」ことでストレスなく生きて行くのも有り難い事なのだとつくづく思います。
嫌らしき権力に靡くことを悪と捉えた倫理観が靡くことを内なる心が拒否した結果です。
人間は1日玄米二合半以上に食べたら心身がおかしくなるのです。
勿論二合半の例えは一般的なことで個体差はあります。
ビル・ゲーツが、ロックフェラーが、ロスチャイルドが、いくら金持ちかしらないが私みたいに戸締まりもしないで安眠できない生活ができますでしょうか?
私みたいに美味い完安全安心の全無農薬の完全有機野菜を食べられでしょうか?
マスゴミそのものは小賢しく振る舞って騙しのテクニックには秀でていても必ず抜けているものが出て来ます。
それは不誠実の文面にあらわれ至る所でぼろが出るからです。
藤永先生の文面はもう誠実そのものでビンビンと胸を打ちます。
人はだませても自分は騙せないのです。如来は絶対に騙すことは出来ないのです。
ハイチ出身の黒人女性が這い上がり、カナダ総督までになったが白人権力の犬になるとは人の悪い業(ごう)のなせることだと思います。
才能と人格は全く違うことを弁えない愚か者であることを示しています。
人格を備えない才能は気違いに刃物を持たせることと同じです。
佐々木恭治
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 ほらほら、ここに、人知れずすじを通して地道に... (池辺幸惠)
2010-09-17 06:07:17
 ほらほら、ここに、人知れずすじを通して地道に生きている人が佐々木様をはじめそれはたくさんいらっしゃいますよ。^^わたしもそこに加えてください^^  おっしゃるとおり、残念ながら人格の無いもののほうが権力を持てる構造になっているのが今の社会です(足をひっぱり生き馬の目をぬく・・)。アメリカの金金亡者の堕落したエゴイストたちの資本主義、と差別をつくる資本主義。一億総白痴化へと進ませアメリカナイズをすすめ衆愚社会を作ってきたのは、今は報道魂など亡くした既得権益でエリート化空洞化しているおバカな内地のマスゴミたちです。今、社会で成功している人の大半は、良心に蓋をしながら少しずつ転びつづけてきた人たちだといっても過言ではないでしょう。アホな権力者はごますりがお好きですからね。 
 ところで、沖縄の新聞はまだまだまともですから、このたびの辺野古のある名護市の市議選は基地反対の市長を支える市議が16人当選しました。対するは11人です。
 内地の報道はあまりとりあげなかったのでは? しかし3度目の正直がなるか否か、11月の県知事選こそが正念場です。仲井間現知事の新基地建設派に金の亡者がぞくぞく集まって盛況だそうです。3人目の候補だといわれる宮城さんという実力者が、伊波(現宜野湾市長)候補者と競合でなく協合できれば沖縄は、日本は、世界は救われるのですが・・・・。もう、自民党くずれに漁父の利をさらわれるのはやめにしたいものです。本土の方々にも、今こそ沖縄に全気力を向けていただきたい。子や孫にほんとうに公明正大で恥ずかしくない日本を残してあげるためにも、今こそが天下分け目の関ヶ原です。
 沖縄の自然こそが、これからの基地の無い沖縄の経済を支えるものです。500kもの海域は無尽蔵の資源の宝庫でもあります。現在の基地経済は5%でしかないのです。だのに、アメリカ軍基地はそれこそ無尽蔵に税金を喰っているのです。辺野古を埋め立てるのに沖縄中の白砂をさらっても間に合いません。ジュゴンをすべての生物をこれ以上殺戮するのはストップです。^^
 宝物は失ったら二度と帰ってはこない、それは、憲法9条も同じです。さあ、うかうかしてはおれませんよ。
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