私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オジャラン(8)

2015-10-14 22:26:13 | 日記・エッセイ・コラム
 『オジャラン(7)』で始めたオジャランの『Democratic Confederalism(民主的連邦主義)』の翻訳を続けます。原著の英語PDF版が下記のサイトから入手可能なことを「ささき」さんが、『オジャラン(7)』へのコメントの形で、教えて下さいました。

http://www.freeocalan.org

 私が予測したように、オジャランの思想とプログラムに従うクルド人たちはシリア北東部、イラク北部、トルコ東南部で次第に力を増す政治的実体を構成しつつあり、この実体の存在が今後ますますシリア問題の中核に進出してくることになると思われます。2014年の米国主導の対イスラム国有志連盟の話し合いには、当時、現場でISと最も激しく戦っていたクルド人のロジャバ革命軍は、全く無視されてオブザーバーとしての出席さえ許されませんでしたが、やがてジュネーブ(UN)でシリア問題の解決に向けた国際的会合が開催されるときには、彼らを無視することは不可能でしょう。前回のブログで紹介した『ロジャバ諸県の憲法』の前文に、“この憲章の下、我々この自治区の人民は、すべての人々が公共生活で自由に自己表現できるように、和解、多元的共存、民主的参加の精神で一致団結する。権威独裁主義、軍事主義、中央集権、公事への宗教的権威の干渉から自由な社会を建設するために、この憲章はシリアの領土的一体性を認め、国内的また国際的平和を維持することを強く願うものである。”と明記してあります。この線に沿って、シリア問題が解決され、クルド人を含むすべての人々が平穏な日常生活の営みを再開できるよう祈ってやみません。訳出しているオジャランの『民主的連邦主義』はシリア問題さらには中東問題解決の重要な指針となるべき文献です。

********************

官僚と国民国家

 国民国家はその組成的基盤である国民を超越するから、それはその政治的機関を超えた一つの存在となる。それは、その法的、経済的、宗教的構造のみならず、そのイデオロギー的な基盤を擁護するためのそれ自身の機関を必要とする。その結果生じる拡大する一方の民生と軍事の官僚制度は高くつき、しかも超越的な国家そのものを維持することだけに役に立ち、その事がまた、官僚を人民の上に置くことになる。
 近代ヨーロッパ期には、国家は人間社会のすべての層にその官僚制度を拡大する全ての手段を手に入れてしまった。それは社会の全ての生命線を汚染する癌のように成長した。官僚制度と国民国家は一方が欠ければ存在し得ない。国民国家が近代資本主義体制の背骨とすれば、官僚制は紛れもなく自然的社会を閉じ込める檻である。その官僚制度は国家システムが円滑に機能することを保証し、物資の生産の基盤を保証し、さらに、実在の社会主義的国民国家であれ、商業主義的国民国家であれ、主だった経済活動関係者たちの利益を保証する。国民国家は資本主義の名において社会を飼いならして、生活共同体をその自然な基礎から疎外させてしまう。社会的問題を突き止めてそれを解決しようとする問題解析はこうした連携をよく考察する必要がある。

国民国家と均質性

 国民国家はその始原の形態において全ての社会的プロセスの独占を目指した。多様性や複数性は撲滅すべきものとされ、これは同化と集団虐殺という結果を生んだ。それは、人間社会のもろもろのアイディアと潜在的労働力を搾り取るだけでなく、資本主義の名において、人々の頭を植民地化する。それは又、それ自身の存在を保護するために、あらゆる種類の精神的また知的なアイディアと文化を同化する。国民国家は、単一の国家的文化、単一の国民意識、単一の統合された宗教的共同体を創り出すことを目指す。かくて国民国家はまた均一的な市民義務を強要する。現代の市民義務は、私的な奴隷制から国家的な奴隷制への移行以外の何物もでもない。資本主義はそうした現代的な奴隷の大群なしには利潤を上げることはできない。均一的な国民社会はこれまでに作られた最も人工的な社会であり、それはいわゆる“社会工学計画”の結果である。
 こうした目標は一般的に力まかせか又は金で釣って達成されて、その結果、少数派、その文化、言語の文字通りの消滅や、あるいは、強制的な同化をもたらす。過去二世紀の歴史は、本物の国民国家という空想的な現実に対応する国家を創設しようとする暴力的な試みを明示する例証に満ち満ちている。

国民国家と人間社会

 国民国家は一般人民の運命に配慮するとしばしば言われるが、これは本当でない。むしろ、それは全世界的な資本主義システムの植民地総督なのだ、つまりは、現代資本主義に隷属する家臣であり、それは我々が普通思っているよりも遥かに深く資本の支配的構造に拘っているのである。国民国家は資本の植民地なのである。国民国家が国家主義的だと如何に自己宣伝しても、それには関係なく、国民国家は それと同じ程度に資本主義的搾取のプロセスに奉仕している。そうでなければ、現代資本主義世界の富の再分配をめぐる恐るべき闘争の説明が付かない。かくて国民国家は一般人民と共にあるのではない。それは人民の敵である。
 他の国民国家との関係と国際的独占企業との関係は国の外交官によって調整される。他の国民国家の承認なしにはどの国民国家も生存できない。その理由は全世界的資本主義システムの論理の中に見出される。資本主義システムの結束から離れる国民国家はイラクのサダム政権が経験したのと同じ運命に見舞われるか、あるいは、経済制裁によって屈服させられるであろう。
 さてトルコ共和国の例から国民国家というものの特徴の幾つかを引き出してみよう。
++++++++++
これで、II. 国民国家 の A. 基本的考察 が終わり、次の

B. 国民国家のイデオロギー的基礎

が始まります。この部分は[Nationalism] [Positivist Science] [Sexism] [Religiousness] の4項目からなっていますが、翻訳は省略して、抄訳的要約だけにします。
[Nationalism]
国民国家の出現と共に、国家そのものが殆ど神聖化される傾向が出てくる。国家が神の位置に祭り上げられると、国家主義(愛国主義、国粋主義)は、いわば、その宗教にあたる役割を担う。しかしその背後にあるのは、権力が国民を自己の利益に利用しようとする意思である。それは社会のあらゆる分野に浸透していて、芸術も科学も社会意識も独立ではない。したがって、真正の知的洞察に達するためには、現代の国家主義的要素の根本的な解析が必要である。
[Positivist Science]
実証主義哲学のパラダイムは国民国家のイデオロギー的支柱の一つであり、それは愛国主義に炎を注ぎ、また、一種の新しい宗教のような形をとった世俗主義を支える。実証主義は物事の外見だけを尊重し、それを現実そのものとする哲学的特徴を持つから、可視のものだけを、古代の偶像崇拝的に尊重する傾向を生む。
[Sexism]
国民国家のもう一つの支柱はその社会全体に広がっている性差別制度である。
多くの文明社会システムは権力保持のために性差別を採用しきた。彼らは女性を安価な労働力として利用し、また子孫、特に男性の再生産の手段と看做し、つまり、女性は性的対象であり、また、商品でもある。女性全体を搾取される一つの国家と見ることも出来る。社会的な根をもつ性差別は、愛国主義と同じく、国民国家とその権力のイデオロギー的産物である。女性の奴隷化は、他のすべてのタイプの奴隷制、圧政、植民地化が行われる最も深刻に偽装された社会領域である。はっきり言って仕舞えば:資本主義と国民国家は、専制的で搾取的な男性の独占物である。
[Religiousness]
見た所、如何にも世俗国家のように振る舞うにしても、国民国家は、目的達成のためならば、国家主義と宗教の混ぜ合わせを利用することを躊躇しない。理由は簡単で、宗教が、依然として、社会的に重要な役割を果たしうるからである。とりわけイスラム教はなかなか敏捷である。ある場合には愛国心の一部を担う。イランのシイア・イスラムはイラン国の最も強力なイデオロギー的武器である。トルコではスーニ・イデオロギーがそれに当たる。

+++(B. 国民国家のイデオロギー的基礎)の抄訳終り+++

C. クルド人と国民国家

ここまでの、国民国家とそのイデオロギー的基盤についての序論に従い、今や、我々は、分離したクルド人国民国家の創設がクルド人にとって意味をなさない理由を理解できよう。
 過去何十年間、クルド人は有力な列強による圧政に抗してクルド人の存在の承認を求めて闘争を続けてきたばかりでなく、クルド人社会を封建制から解放するために戦って来た。したがって古い鎖を新しい鎖に変えること、ましてやその圧政を強めるのは意味をなさない。これが、現代資本主義の文脈において、国民国家の創設が意味する所だからだ。現代資本主義にたいする反対なしには、人民の自由解放の余地はないからだ。これが、クルド人国民国家の創設を何故私が選ばないかの理由である。
 分離した国民国家の要請は支配階級または資本家階級の利益から起こるが、それは人民の利益を反映しない。なぜならば、もう一つ国を作っても、単に、追加の不公正を生み出し、自由への権利を今よりもなお抑制されるだけのことになるだろうからだ。
 クルド人問題の解決は、したがって、現代資本主義を弱めるか、それを押し返すやり方の中に求める必要がある。そこには、クルド人が住み着いている地域が四つの異なった国の領土にまたがっているということの他に、歴史的な理由、社会的な特殊性、それにこれまでの事態の展開があり、それらが、一つの民主的解決を絶対必要なものにしているのである。更にまた、中東地域全体が
民主主義に不足しているという重要な事実がある。クルド人居住地域の地政学的状況のお陰で、クルド人の民主的プロジェクトがうまく行けば、それは中東一般の民主化を進めることにもなる。この民主的プロジェクトを民主的連邦主義とよぶことにしよう。
*****(C. クルド人と国民国家)終り*****

これから先、いよいよオジャランの唱える『民主的連邦主義(DEMOCRATIC CONFEDERALISM)』の具体的説明が始まります。

 ご承知のように、10月10日の午前10時過ぎ、トルコの首都アンカラでのクルド人支持の平和集会で二つの爆発があり、死者約130人、負傷者約200人の大惨事になりました。問題の核心は11月1日に予定されている総選挙への影響です。この集会に参加した人々の中には、クルド人でない人々も含まれていたと思われますが、そうした人々は、クルド人の求めているものが、従来の国民国家的独立ではないことを理解しているのだと私は推測します。トルコ内のクルド人はトルコ国の枠内で、シリア内のクルド人はシリア国の枠内で、漸進的に、民主的な自治共同体の形成を求めていることを理解しているのだと思います。シリアのアサド大統領はこの状況を了解していると思われますが、不幸にも、トルコのエルドアン大統領は、トルコ内では勿論のこと、隣国のシリアでもクルド人が自治共同体を持つことを絶対に許さないと、すでに去る7月に言明しています。私としては、11月1日の選挙で、前回と同じく、エルドアン大統領の支持母体AKPが絶対多数をとることに失敗することを強く願っています。そうなれば、トルコから、クルド人問題を媒体にして、中東の混乱解決の糸口が見つかるやも知れません。

藤永 茂 (2015年10月14日)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿