私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

ホブソンの『帝国主義論』

2007-03-21 13:28:22 | 日記・エッセイ・コラム
 帝国主義論の古典として先ずあげられるのはレーニンの『帝国主義論』でしょう。その序文(1917年4月26日)のはじめに「本書は、1916年春にチューリッヒで執筆した。執筆の場がチューリッヒだっただけに、当然のことながらフランス語と英語の文献がいささか不足した。ロシア語の参考文献ははなはだしく不足した。しかしそれでも、英語で書かれた帝国主義に関する重要文献、すなわちJ.A.ホブソンの『帝国主義論』は利用した。同書の取り扱いには、細心の注意を払った。それだけの価値があると確信したからである。」(角田安正訳、p11)と特筆し、さらに、本文序章のはじめにも「1902年、イギリスの経済学者J.A.ホブソンの著書『帝国主義論』がロンドンとニューヨークで出版された。ホブソンは、ブルジョア社会改良主義と平和至上主義の立場に立脚し、本質的には元マルクス主義者K.カウッキーの現在の立場に与している。にもかかわらず、帝国主義の基本的な経済的政治的特徴をなかなか見事に、また詳しく説明している。」(角田安正訳、p31)と褒めています。実際、レーニンはホブソンから大きな影響を受けたとされています。レーニンのホブソン批判は上の文章にも見えていますし、またマルクス主義でない学者たちからもホブソン批判の声は沢山あげられましたが、南アフリカでのボーア戦争の騒ぎの真っただ中の1902年に出版されたこのホブソンの名著は、経済学についても帝国主義論についてもずぶの素人である私のような読者でも思わず頁をめくり続けてしまうような面白さと読み易さを備えています。私が、前回のブログで、「身勝手な巨大な嘘」と読んだイギリスの国民的欺瞞について、ホブソンは次のように書いています。
 「帝国主義を吹聴する人々の場合に我々が直面する心理的問題は、偽善という症状でもなければ、嘘のうわべの動機の猫かぶりを意識的に行っている場合でもないことは確かである。」(藤永訳)。つまり、偽善をやっているとか、本当の動機は隠してやっているとはご当人が思っていないところがポイントなのです。「帝国主義は諸事実と力関係を性懲りもなく曲げて記述説明し続けることに基礎を置いている。その歪曲誤伝は、おもに、とても手の込んだ諸事実の選択、誇張、骨抜きのプロセスを通して、利害の関係する徒党や個人によって演出され、そのため、歴史の見かけが歪められてしまうのである。国民の心が、この欺瞞にすっかり慣らされてしまって、自己批判が出来ないような状態になってしまうことに、帝国主義の最も重大な危険があるのである。何故なら、これはプラトンが「魂の中の嘘(the lie in the soul)」--それ自体、嘘とは知らない嘘--と名付けた心の状態だからである。」(藤永訳)。欺瞞を欺瞞と自覚しない精神状態、偽善を偽善と弁えていない偽善行為、ふと現米国大統領の名が心をかすめます。実際、ホブソンを読んでいると、絶えず世界の現状に心が飛びます。この意味でホブソンの『帝国主義論』は,私にとって、素晴らしく生きの良い古典です。レーニンがホブソンを「カウッキー主義者の先駆」と極め付けながらも、感心して読み続けた気持も分かるような気がします。拙著『「闇の奥」の奥』p128に、第一次世界大戦に反対するモレルが反戦運動組織「民主的コントロール同盟」に参加したことを記しましたが、この反戦同盟の議長を務めたのが他ならぬホブソンでした。コンラッドがホブソンの本を読んだかどうかは分かりません。しかし、確たる証拠は何もありませんが、彼の生涯の親友 Cunninghame Graham は読んだに違いないと私は考えます。そして、コンラッドの政治思想を論じる場合によく引用される、彼のグレイアム宛ての手紙から判断すると、コンラッドはホブソンの考え方に全面的に、断固として、反対であったと私は考えます。この私の推測の当否は別にしても、コンラッドとグレイアムとホブソンという3定点の相互位置を出来るだけ正確に測定し,決定する作業は、コンラッドの政治思想論として極めて実りの多いものになると思われます。その作業を行うために、レーニンのホブソン批判が何処まで当っているかを知る必要はなく、また現代の先端的帝国主義論を照合する必要もありません。コンラッド論の視角から特に面白く読めるのは、第II 部第III 章の「Moral and Sentimental Factors」です。その冒頭の文章を原文で引用しておきます。
ANALLYSIS of the actual course of modern Imperialism has laid bare the combination of economic and political forces which fashions it. These forces are traced to their sources in the selfish interests of certain industrial, financial, and professional classes, seeking private advantages out of a policy of imperial expansion, and using this same policy to protect them in their economic, political, and social privileges against the pressure of democracy.
訳してみます。「近代帝国主義の実際の進行情況を分析すると、それを形づくっている経済的な力と政治的な力の組み合わせがはっきりと見えてきた。それらの力の源をさぐると、帝国膨張政策から私的な利益を引き出そうとする特定の産業的、金融的、職業的階層の私的な利益関心に辿り着く。そして、彼らは、この同じ政策を利用して、その経済的、政治的、社会的特権を、民主主義からの圧力にさからって、保護しようとするのである。」
 ホブソンの脳裏にあったのは、もちろん、セシル・ローズに代表される一連の帝国主義者たちの経済的政治的勢力の行動であったのですが、今この文章を読む私たちはアメリカのチェイニー副大統領に代表される強力な権益グループのことを想起せざるを得ません。ホブソンがいう「民主主義からの圧力」とは民意の全体が正常に反映し機能する議会政治を意味していたと思われます。当時の英国国会も現在の米国国会も同じような感じだったのでしょう。
[訂正] 読者の方から拙著の中の誤りを指摘して頂きました。
(1)『闇の奥』p7:ワイズ・ミュラー → ワイズミュラー
(2)『闇の奥の奥』p231:ハイチ出身の詩人 → マルティニク出身の詩人
こうした誤りの他に、翻訳上の誤りも多々あると思います。どうかご指摘をお願い致します。

藤永 茂 (2007年3月21日)



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