私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

これまでコメントを頂いた方々に御礼

2024-06-03 10:45:40 | 日記
 2010年8月11日の古い記事『ルワンダのキリが晴れ始めた(5)』に、最近、『難民産業』と題して、大橋晴夫さんは、重いコメントを寄せて下さり、また、私のブログ記事一般についての感想文『二枚の写真』をメールで届けて下さいました。それを、勝手に、転載させて頂きます:
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二枚の写真

1965年3月理学部を卒業し、1年の空白の後、1966年4月大学院に進学した私は、今日までケイ酸塩の結晶化学の研究に取り組み、2024年の年初にも、海外の研究者とメールを交換し、彼らの報告した結晶構造データをもとに議論を重ねている。今日まで続く学びである。それでも研究から離れる覚悟をしたことが、若い日に二度あった。一度は院生の頃*、いま一度は就職してまもなくの頃であった。*今は研究しているときではないと手作りの装置を解体した私だった。対して、「失われる時間はどれほど貴重なものか、将来ふりかえって解ることだが、その尊さは測り知れない」と述べる者もいた。クローバー教授の発言に出会ってそれらのことを思い出した。
クローバー教授の発言に関する藤永氏の引用記事は2022年と新しい。しかし藤永氏が忘れることの出来ないクローバー教授の発言は1916年のもので、藤永氏の著作のどこに、はじめて引用されているのかは不明である。おそらく相当に長い期間あたためてきたもので、それはブログ記事の中で、直接「オッペンハイマーの「愛」は、カミュのそれと同じく、漠然とした人類愛ではなく、個々の隣人に向けられたものであったと考えられます。」に繋がっている。
私はかって藤永ブログ記事ユージン・スミスの「入浴する智子と母」2021.10.19.のコメント欄に母語の響きと題して筆をとった。その感想がどこから由来したのかは不明なところがあるのだが、ブログ記事を読み直して、対等性という言葉が浮かんできた。藤永氏は問い、そしてこたえる。「この2枚の写真のどちらにも、不条理の暴力の犠牲となった人間に対してもう一人の人間が注ぐ、注ぎ得る、無限の愛をそこに見るからです」。だがそれは原理ではなくて、対等性を意識しあえる人々のあいだに生まれるもの、・・・それ故に藤永氏は「オッペンハイマーやロートブラットはこの写真の美しさを感得できるでしょうが、テラーやシラードには醜い写真としか見えないのではないでしょうか?」とも述べていた。
「クローバーはイシを一人の良き人間として、一人の友人として扱いました。」、おそらくユージン・スミスもジョー・オダネルもだろう。「私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。」私が母語の響きと題して筆をとったものは、連帯とか対等性とかに昇華しなくてはならないだろう。
クローバー教授の発言に出会って思い出したことは実は今一つあって、それは、謝罪もせず「研究させろ」とは何事か アイヌ民族と研究者の初対話から考えた「知りたい欲求」が持つ暴力性と題する東京新聞2024.04.22.の記事であった。長い記事だが一部を紹介すると、日本文化人類学会は今月1日付で、単独でアイヌ民族に謝罪を表明した。同学会で京都大の松田素二名誉教授は「植民地統治時代にさまざまな不正義が行われたが、その出発点が何も問われていない。議論がないことは一番の問題で、修正しなければならない」とし、九州大の太田好信名誉教授も「このような案になり、じくじたる思いがある」と歩み寄った。一方、人骨のDNA分析などを手がける日本人類学会の所属で東京大の近藤修准教授は「純粋な研究としてやったことを否定できない。許されないなら、私はここを立ち去るしかない」と意見を展開。明治期に墓地を掘り返すなどして多くの遺骨を収集した東京帝国大医科大(現東大医学部)の小金井良精(よしきよ)について「アイヌ研究の最も基盤となった礎だ」と主張すると、アイヌ民族から怒声が飛び、日本文化人類学会側も反論した。
文化人類学と人類学とでは、研究者と被研究者との距離が異なるのだろう。「漠然とした人類愛ではなく、個々の隣人に向けられたもの」と関わっているだろう。その距離がまし、連帯と対等性とが薄まるとき、反抗が生まれるのかもしれない。
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 拙ブログ「私の闇の奥」は、本日で、開設から丁度3500日目になりました。開設の当初から本日まで、数多のコメントを寄稿してくださった方々に厚く御礼を申し上げます。私には自閉症的な所がありまして、あまり友人には恵まれない生涯でしたが、ブログでは、コメンテーターとして、実名、ペンネームを問わず、私に語りかけてくださった方々を、私の心の中で、手前勝手に、親友になって下さったのだと決めてしまっております。本日は、大橋晴夫さんのお名前だけをお借りして、皆々様に私の感謝の気持ちをお伝えできれば誠に幸甚です。

藤永茂(2024年6月3日)