私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

悪魔の代弁者

2022-08-15 19:44:44 | 日記・エッセイ・コラム

悪魔の代弁者(Devil’s Advocate)という言葉があります。核兵器の問題について、敢えて、その役を演じてみたいと思います。

 長崎の爆心の近くで兄が被爆したこともあって、私は長崎の原爆記念日には特別強い関心を持ち続けています。今年の記念式典で、長崎市長も被爆者代表も、その式辞の冒頭で、ロシアのウクライナ侵攻が言及され、被爆者の御老人は、ロシア軍によるウクライナ市民に対する無差別爆撃が長崎での被爆経験を想起させた、と述べられました。この御自身の想いに対して異議を唱える者は居ますまい。しかし、この二つの式辞が、心ならずも、ウクライナ戦争、ロシアによる核爆弾使用の可能性についての、熾烈を極めるプロパガンダ戦争に、実質上、一方の側からの参戦を布告したものであったように私は感じました。この戦争に参加すべきではありません。

 長崎原爆の日のNHK番組の中に、ニューヨークで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議に参加した岸田総理が8月1日(現地時間)発表した「ヒロシマ・アクション・プラン」なるものの解説も含まれていました。それによれば、岸田総理は、演説の冒頭で、ウクライナを侵略したロシアが核による威嚇を行ったとして、「核兵器の惨禍が繰り返されるのではないかと深刻に懸念している」と批判し、「核兵器による威嚇、使用はあってはならない」と訴えました。これも明らかにプロパガンダ戦争への参加です。「ヒロシマ・アクション・プラン」は次の5項目からなり、

*核兵器不使用の継続の重要性の訴え

*核保有国に核戦力の透明化を促す

*核兵器の減少傾向を維持

*原子力の平和利用促進

*各国の首脳、若者を被曝地に招聘

そして、最後の招聘事業のために国連に1000万ドル(約13・3億円)を拠出する基金の創設も表明されたとのことです。 NHK放送の解説には何のコメントも含まれていませんでしたが、「*原子力の平和利用促進」とは、一体、何の事でしょう!? 岸田総理の「アクション・プラン」は全く政治レベルでの提案です。この世界から核兵器を廃絶するには政治のレベルを超越することが必要です。「アクション・プラン」が象徴する政治のレベルにとどまっている限り、いま人類が直面している核問題の解決は絶望的です。

 このブログの2016年4月19日付の記事として『核廃絶は政治を超える』を掲載したことがありました。

https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/m/201604

やや長文ですが、読んでいただければ幸いです。しかし、むしろ、今は、問題を根源的に考え直していただくために、二つの基本的宣言、

#ラッセル・アインシュタイン宣言

#湯川・朝永宣言「核抑止を超えて」

を今一度しっかりと読んでいただきたいと思います:

 

日本パグウォッシュ会議[訳](2021 年 5 月 3 日公開、11 月 10 日改訂版)

ラッセル・アインシュタイン宣言

1955年7月9日 ロンドン

人類に立ちはだかる悲劇的な状況を前に、私たちは、大量破壊兵器の開発の結果 として生じている様々な危険を評価し、末尾に付記した草案の精神に則って決 議案を討議するために、科学者が会議に集うべきだと感じています。

私たちは今この機会に、特定の国や大陸、信条の一員としてではなく、存続が危 ぶまれている人類、ヒトという種の一員として語っています。世界は紛争に満ち ています。そして、小規模の紛争すべてに暗い影を落としているのが、共産主義 と反共産主義との巨大な闘いです。

政治的意識の強い人のほとんど誰もが、こうした問題に思い入れがあります。し かし、できればそうした思い入れを脇に置き、自分自身のことを、こう考えてほ しいのです。すばらしい歴史を持ち、その消滅を望む者などいるはずもない、そ んな生物学上の種の成員以外のなにものでもないと。

私たちは、ある集団に対して別の集団に対するよりも強く訴えかけるような言 葉を、一切使わないようにしたいと思います。すべての人が等しく危険にさら されています。そして、その危険の意味が理解されれば、それを共に回避する望みがあります。

私たちは新しい考え方を身につけなければなりません。私たちが自らに問うべ きは、自分が好ましいと思う集団を軍事的勝利に導くためにいかなる手段をと るべきか、ということではありません。そのような手段はもはや存在しないから です。私たちが自らに問うべき問題は、すべての当事者に悲惨な結末をもたらす に違いない軍事的な争いを防ぐためにいかなる手段を講じることができるのか、 ということです。

一般の人々だけでなく、権威ある地位にいる多くの人たちでさえ、核兵器が使わ れる戦争で何が起こるのかを理解していません。一般の人々は今なお、諸都市の 消滅という次元で考えています。新型爆弾は旧型爆弾よりも強力であり、原子爆弾が 1 発で広島を完全に破壊できたのに対し、水素爆弾ならば 1 発でロンドン やニューヨーク、モスクワのような世界最大級の都市を跡形なく消し去ってし まう、ということは理解されています。

水爆戦争になれば諸々の大都市が消滅することに疑いの余地はありません。し かしながら、これは、私たちが直面しなければならない小さな惨事のひとつにす ぎないのです。もしロンドンやニューヨーク、モスクワのすべての人が滅亡した としても、数世紀のうちに、世界はその打撃から回復できるかもしれません。し かし、今や私たちは、とりわけビキニ実験以来、それ以前に想定されていた以上 にはるかに広範囲にわたって、核爆弾による破壊がじわじわと広がっていくこ とを知っています。

非常に信頼できる確かな筋は、今では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆 弾を製造できると述べています。そのような爆弾が地上近く、あるいは水中で爆 発すれば、放射能を帯びた粒子が上空へ吹き上げられます。これらの粒子は死の 灰や雨といった形でしだいに落下し、地表に達します。日本の漁船員と彼らの魚 獲物を汚染したのは、この灰でした。

死を招くそのような放射能を帯びた粒子がどれくらい広範に拡散するかは誰に もわかりません。しかし、水爆を使った戦争は人類を絶滅させてしまう可能性 が大いにあるという点で最も権威ある人々は一致しています。もし多数の水爆が使用されれば、全世界的な死が訪れるでしょう――瞬間的に死を迎えるのは 少数に過ぎず、大多数の人々は、病いと肉体の崩壊という緩慢な拷問を経て、 苦しみながら死んでいくことになります。

著名な科学者たちや軍事戦略の権威たちが多くの警告を発してきました。その 誰も最悪の結果が確実に起こるとは言わないでしょう。そうした人々が言って いるのは、その可能性があるということであり、それが現実のものとはならないと確信できる人は誰ひとりいません。この問題に関する専門家の見解が専門 家各自の政治的見解や偏見に左右されるのを、私たちはまだ見たことがありま せん。私たちの調査で明らかになった限りにおいて、専門家の見解は、専門家 各自が有する知識の範囲のみに基づいています。最もよく知る人が最も暗い見 通しをもっていることもわかっています。

ここで私たちからあなたたちに問題を提起します。それは、きびしく、恐ろし く、そして避けることができない問題です――私たちが人類を滅亡させますか、それとも人類が戦争を放棄しますか1。人々は、この二者択一に向き合お うとしないでしょう。戦争の廃絶はあまりにも難しいからです。

戦争の廃絶には、国家主権に対する不快な制限2が必要となるでしょう。しか しながら、事態に対する理解をおそらく他の何よりもさまたげているのは、 「人類」という言葉が漠然としていて抽象的に感じられることです。危険は自 分自身と子どもたち、孫たちに迫っているのであり、おぼろげに捉えられた人 類だけが危ないわけでないことに、人々が思い至ることはまずありません。 人々は、自分自身と自分の愛する者たちがもだえ苦しみながら滅びゆく危急に 瀕していることを、ほとんど理解できないでいます。だからこそ人々は、近代 兵器が禁止されれば戦争を継続してもかまわないのではないかと、期待を抱い ているのです。

このような期待は幻想にすぎません。たとえ平時に水爆を使用しないという合 意に達していたとしても、戦時ともなれば、そのような合意は拘束力を持つと は思われず、戦争が勃発するやいなや、双方ともに水爆の製造にとりかかることになるでしょう。一方が水爆を製造し、他方が製造しなければ、製造した側 が勝利するにちがいないからです。

軍備の全般的削減3の一環として核兵器を放棄するという合意は、最終的な解 決に結びつくわけではありませんが、一定の重要な目的には役立つでしょう。 第一に、緊張の緩和をめざすものであるならば何であれ、東西間の合意は有益 です。第二に、熱核兵器の廃棄は、相手がそれを誠実に履行していると各々の 陣営が信じるならば、真珠湾式の奇襲の恐怖を減じるでしょう。その恐怖のた め現在、両陣営は神経質で不安な状態にあります。それゆえに私たちは、あく まで最初の一歩としてではありますが、そのような合意を歓迎します。

私たちの大半は感情的に中立とはいえませんが、人類として、私たちには心に 留めておかねばならないことがあります。それは、誰にとっても――共産主義 者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人、ヨーロッパ人またはアメリ カ人であろうと、あるいは白人であろうと黒人であろうと――なにがしかの満 足をもたらすような形で東西間の諸問題を解決しようというなら、これらの問 題を戦争によって解決してはならない、ということです。私たちは、このこと が東西両陣営で理解されることを願わずにはいられません。

私たちの前途には――もし私たちが選べば――幸福や知識、知恵のたえまない進 歩が広がっています。私たちはその代わりに、自分たちの争いを忘れられない からといって、死を選ぶのでしょうか?私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のこ とは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれま す。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の 危険です。

決議:私たちはこの会議に、そしてこの会議を通じて、世界の科学者、および 一般の人々に対して、以下の決議に賛同するよう呼びかけます。

「私たちは、将来起こり得るいかなる世界戦争においても核兵器は必ず使用さ れるであろうという事実、そして、そのような兵器が人類の存続を脅かしてい るという事実に鑑み、世界の諸政府に対し、世界戦争によっては自分たちの目的を遂げることはできないと認識し、それを公に認めることを強く要請する。 また、それゆえに私たちは、世界の諸政府に対し、彼らの間のあらゆる紛争問 題の解決のために平和的な手段を見いだすことを強く要請する。」

署名者:

マックス・ボルン
P. W. ブリッジマン 

アルバート・アインシュタイン

L. インフェルト
F. J. ジョリオ・キュリー
H. J. マラー ライナス・ポーリング
C. F. パウエル
J. ロートブラット  

バートランド・ラッセル

湯川秀樹


1 ジョリオ・キュリー教授は、「国家間の紛争を解決する手段として」という言 葉を加えることを希望する。
2 ジョリオ・キュリー教授は、これらの国家主権の制限は、すべての国家によっ て合意され、すべての国家の利益にかなうものでなければならない、と加えることを希望する。
3 マラー教授は、軍備の全般的削減は「すべての軍備の同時並行的な均衡のとれ た削減」を意味すると解されるべきだとの留保を付ける。

訳者注:以下の第 1 回パグウォッシュ会議議事録に収録された宣言(英文)及び 脚注に基づいて、この和訳は作成された。

Joseph Rotblat, ed., Proceedings of the First Pugwash Conference on Science and World Affairs, Pugwash, Nova Scotia, Canada, 7-10 July 1957. Pugwash Council, 1982, pp. 167-170.

本和訳の作成経緯に関する補足説明(2021 年 11 月 10 日) 本和訳は、日本パグウォッシュ会議が 2021 年 5 月 3 日に本ウェブサイトで発 表した「ラッセル=アインシュタイン宣言」新和訳の改訂版である。その新和訳 はパグウォッシュ会議のウェブサイトに掲載された宣言(英文)を基に作成され た。その後、日本パグウォッシュ会議内部からの指摘を受け、新和訳ワーキング グループが調査した結果、1955 年に発表された宣言文と比較すると、同宣言文 からは一部の言葉が抜けていること、パラグラフの分け方が一部異なっている ことなどが判明した。そのため、1955 年の宣言文と同一であり、かつパグウォ ッシュ会議の公式の議事録に所収されていることを考慮し、第 1 回パグウォッ シュ会議議事録に収録された宣言に基づいて新和訳を改訂することになった。 声明本文の変更点は以下の 3 点である。

・新和訳の第 8 パラグラフと第 9 パラグラフを接続する。
・新和訳の第 15 パラグラフと第 16 パラグラフを接続する。
・新和訳の第 10 パラグラフに、パグウォッシュ会議ウェブサイトの宣言文で は欠落していた“quite”を訳出する。

 

「核抑止を超えて」-湯川・朝永宣言

いまから二十年前、ラッセルとアインシュタインが宣言を発表し、核時代における戦争の廃絶を呼び かけ、人類の生存が危険にさらされていることを警告した。その宣言の精神に基いて、私たちは、人類 の一員としてすべての人々に、次のことを訴えたいと思う。

広島・長崎から三十年、私たちは、核兵器の脅威が増大している危険な時代に生きている。今私たち は、一つの岐路に立っている。即ち、核兵器の開発と拡散がやむことなく行われていくか、或いは、こ の恐るべき核兵器が絶対に使用されないという確実は保証が人類に与えられるように大きな転換の一歩 を踏み出すか、その重大な岐れ路に立っている。

私たちは、戦争と核兵器の廃絶のために努力を傾けてきた。しかし、それが見るべき成果をあげられ たとは考えられない。むしろ、その成果の乏しいことに憂いを深めざるをえない。

ラッセル・アインシュタイン宣言が発表された当時は、まだ大量の核兵器は存在せず、世界平和の実 現のためにその手始めとして熱核兵器の廃絶をすればよいという考えが成り立つ時代であった。だが遺 憾ながら、その後、私たちは、核軍備競争をくいとめることができなかったばかりでなく、核戦争の危 険を除去することもできていない。また種々の国際的な取決めによって、軍備管理という枠組みの中で の努力と苦心が積み重ねられたけれども、その成果に見るべきものはない。

従って、核軍備管理によって問題の解決が可能であるという期待をもつべきではないと、私たちは信ず る。そして核軍縮こそが必要であるという確信を深めざるをえない。というのは、軍備管理の基礎には核 抑止による安全保障は成り立ちうるという誤った考え方がある。従って、もし真の核軍縮の達成を目指す のであれば、私たちは、何よりも第一に核抑止という考え方を捨て、私たちの発想を根本的に転換するこ とが必要である。

もとより私たちは、核・非核を問わず、すべての大量殺戮兵器を廃棄し、最終的には通常兵器の全廃 を目指して軍備削減を行うことがきわめて重要であると考える。しかしながら私たちは、今日の時点で 最も緊急を要する課題は、あらゆる核兵器体系を確実に廃絶することにあると信ずる。

たしかに核軍縮は全面完全軍縮を実現するための中間目標にすぎない。しかし、その核軍縮ですら、 それに必要な政治的・経済的・社会的条件を満たさない限り、その実現はとうていありえない。

また私たちは、私たちの究極目標は、人類の経済的福祉と社会正義が実現され、さらに、自然環境と の調和を保ち、人間が人間らしく生きることのできるような新しい世界秩序を創造することであると考 える。

もし核戦争が起れば、破局的な災厄と破壊がもたらされ、そうした新しい世界を創ることは不可能と なるばかりでなく、史上前例のないほどに人間生活が破壊されるであろう。このように見れば、核兵器 を戦争や恫喝の手段とすることは、人類に対する最大の犯罪であるといわざるをえない。このように核 兵器の重大な脅威が存在する以上、私たちは、一日も早く、核軍縮を実現するために努力しなければな らない。

私たちは、全世界の人々、特に科学者と技術者に向かって、時期を逸することなく、私たちと共に、道 を進まれんことを訴える。さらに、私たちは、核軍縮の第一歩として、各国政府が核兵器の使用と、核兵 器による威嚇を永久かつ無条件に放棄することを要求する。

一九七五年九月一日 湯川秀樹・朝永振一郎(宣言署名者 26名 略)

このブログの次回では、核廃絶と核抑止について、もう一度よく考えてみたいと思います。

 

藤永茂(2022年8月15日)