私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

転ぶ人,転ばない人(1)

2010-09-08 09:38:05 | 日記・エッセイ・コラム
 マーガレット・アトウッドというカナダの女性作家がいます。カナダ文学の女王と呼ばれることもあります。彼女の小説の日本語訳も数多く出ているようですのでお読みになった方もあると思います。私がカナダに移住したのが1968年、日の出の勢いの新進女流作家アトウッドの第二作『Surfacing』(日本語訳:浮かびあがる)が出たのは1972年、評判につられて私も読みました。その後も彼女の活躍は目覚ましく、現代のカナダを代表する顔の一つと言えましょう。文学賞にノミネートされることもしばしばで1985年には最初のカナダ総督賞、2000年にはイギリスの最も権威のある長編小説文学賞であるブッカー賞も受賞しています。
 アトウッドの政治的姿勢は進歩的、左翼的と看做されてきましたし、私もそんなふうに感じています。現在はカナダ緑の党の党員で、またケベック州の独立を唱えるブロック・ケベコワという政党の支持者でもあります。いわゆるエコ問題への関心も強く、トヨタのハイブリッドカーの愛用者です。NAFTA(North American Free Trade Agreement, 北米自由貿易協定)には反対の立場をとっています。現在カナダは全面的に米国支持の保守党政権(ハーパー首相)の下にありますが、アトウッドは保守党が過半数を取らないように努力したこともあったようです。
 今年の初め、アトウッドは、イスラエルのDan David Prizeの受賞のため、テルアビブ大学から招待を受けました。ダン・デーヴィッド賞は2000年に発足し、毎年、いろいろの分野から選ばれた何人かの人に与えられています。音楽家ではヨーヨーマやズービン・メータ、政治家ではアル・ゴアやトニー・ブレアが受賞しています。アトウッドへの授賞が発表された後、ガザ地区のパレスチナ人学生団体から、長い手紙が彼女の元に届けられました。その中には、イスラエルがパレスチナ人に与えてきた苦難の数々が挙げられ、テルアビブ大学のキャンパス自体がセイキ・ムワニスという村を接収し、その住民であったパレスチナ人を追い出した跡地に建設されたことが記されています。そして、
「不正が行われている状況の下で中立の立場を選ぶことは、抑圧者の側を選んだということだ」
というデスモンド・トゥトゥ大司教の言葉が引用されています。手紙の最後の節を以下にコピーして訳出します。
■ Ms. Atwood, we consider you to be what the late Edward Said called an "oppositional intellectual." As such, and given our veneration of your work, we would be both emotionally and psychologically wounded to see you attend the symposium. You are a great woman of words, of that we have no doubt. But we think you would agree, too, that actions speak louder than words. We all await your decision. (アトウッドさん、我々はあなたを故エドワード・サイードが言ったところの“反骨の知識人”であると考えています。ですから、あなたのお仕事に対する我々の尊敬の念もあわせて、あなたがこの授賞講演会に出席されるのを見ることで我々は感情的にも心理的にも痛手を負うことになりましょう。あなたは偉大な女性発言者です、この点について我々は全く疑いを持ちません。しかし、行動は言葉よりも声高に語るということに、あなたも同意なさるものと我々は考えます。我々すべてあなたの決断をお待ちしています。)■
マーガレット・アトウッドは2010年5月9日テルアビブ大学に赴いて受賞講演を行いました。賞金は50万ドル、「我々は文化的なことでボイコットはしない」というのが学生たちの訴えに対する彼女の返答であったそうです。ダン・デーヴィッド賞を辞退しなかった理由を、彼女はもっと詳しく発表しています。そのポイントの一つはこの賞はダン・デーヴィッドというお金持ちが個人的に設立したもので、イスラエル国家からの公的な賞ではないというものです。また、最古の人権団体である国際ペンクラブの副会長としての中立性も論じてあります。なにしろ彼女は、学生たちも認めるように、「言葉の大達人女性」ですから、その受賞弁護論には、「なるほど」と頷きたくなる言葉も多く含まれています。しかしながら、私としては、アトウッドさんも結局は転んだな、という思いを禁ずることが出来ません。彼女のように筆が立ち、口も達者な人たちは、いくらでも自己正当化を展開するものです。
 ダン・デーヴィッド賞をあげると言われても転ばない人々は居ると思います。例えば、ノーム・チョムスキーとかジョン・ピルジャーとかジョン・バージャーとか・・・。もっともこれらの反骨の知識人には、そもそも、声がかからないでしょう。もう一人の気骨の士クリス・ヘッジズの最近の文章『ガザの涙は我らの涙』(The Tears of Gaza Must Be Our Tears, August 9, 2010)の中に故エドワード・サイードの言葉が引いてありますので、以下に訳出します。
■ 私の意見では、知識人の心的習癖として、困難だが立派に筋の通った立場がある場合、それが正しいものであることを知りながら、その立場を取らないことを心に決め、背を向けてしまう、責任を回避してしまうという習癖ほど忌むべきものはない。あなたは余りに政治的であるように見えるのを望まないのだ;問題の人物(controversial)と看做されたくないし、バランスのとれた、客観的な、穏健な人物という評判を保ちたい;あなたの希望は、よくお声がかかり、相談を受け、名のある委員会の委員に任命され、そうなることで、一般に信頼されている主流の内に留まることなのだ;いつの日か、名誉学位、大きな賞、ことによると大使の地位さえも手に入れたいと、あなたは思う。
 知識人にとって、こうした心的習癖は最高に腐敗堕落をもたらす効果がある。もし、熱烈な知的生命を変質させ、中性化し、最後には、扼殺してしまうものがあるとすれば、それは、そうした心的習癖の内面化である。個人的に、私は、現世界のすべての問題の中で最も困難なものの一つであるパレスチナ問題で、そうした場合に出会って来た。現代史における最大の不正行為の一つであるパレスチナ問題について率直に意見を述べるのを恐れる気持ちが、真実を心得ていて、それに奉仕すべき地位にある多くの人々に、遮眼帯をかけ、口輪をはめ、その両足を縛ってしまうのだ。パレスチナ人たちの権利と民族自決の支持を公言する者に、男女を問わず、必ず加えられる虐待と中傷にもかかわらず、怖れを知らぬ、こころ温かき知識人が表に立って、真実が語られなければならない。■
 日本には“転向”という思想的に重い言葉があります。この言葉の前で,私の心にまず浮かぶ名は中野重治ですが、今はこのお話はいたしません。隠れキリシタンの踏み絵の話も軽率に始めるべきではありますまい。私がここで取り上げている「踏み絵」「転び」の意味はもっと軽く、人間の心に宿るどうしようもない惨めな弱さについての話です。単純に物事を考えがちな私が人間の心の弱さと見るものが、実は、物事の複雑さをよく心得た人たちの叡智であるのかもしれませんが、それにしても、私が ナイーブな信頼を置いていた人々が,従来取っていた立場(と私が勘違いしていた場合があるかも知れませんが)から離れて行くのを見るのは悲しいことです。思いつく名前が幾つかありますが、ここでは、いま悲劇的な状況にあるハイチに関係する二つの名前を挙げることにします。
 まずポール・ファーマー(Paul Farmer)。この人からは、今年の2月3日に始まる6回のブログのシリーズ『ハイチは我々にとって何か?』を書くために沢山のことを教えられてきました。例えば、『ハイチは我々にとって何か?(5)』(2010年3月17日)に書いたように、米軍と国連軍についての信じられないような事実を、ファーマーさんの証言によって確信させられました。:
■2004年のアリスティド大統領国外追放以来ハイチに駐留している国連軍MINUSTAHと、今度の大地震の直後ハイチに急派された米軍の大部隊が、災害救援活動の邪魔になったという事実を、事実として受け入れることに抵抗感を抱く方々も多いでしょうが、それが事実だという証言者は上掲の「国境のない医師団」の他にも多数見つけることが出来ます。私から見て、決定的な証言者の一人はPaul Farmer という人物です。ハイチに関する信頼の置ける著書として、前回を含めて今まで何度も紹介してきた『ハイチの使い道(The Uses of Haiti )』の著者で、ハーバード大学医学部の著名な教授です。地震直後の1月14日のロサンゼルス・タイムズに「国連の救援活動が阻害された」という記事が出て、その中に、国連の ハイチ特使の肩書きを持つファーマーさんの談話が出ています。記事は「地震で壊滅的な打撃を受けたハイチが緊急に求めている救急医療キット、毛布、テントを積んだユニセフの貨物輸送機が、本日、ポルトープランス空港に着陸しようとしたが、理由不明のまま着陸できず、パナマに引き返した」というリポートに始まり、国連特使ポール・ファーマーの言葉を次のように伝えています。「首都(ポルトープランス)の商業港は事実上封鎖され、航空輸送の方も、ほとんど機能していない空港に何とか着陸しようとする航空機で渋滞している。」地震後2日目に不明だった「理由」とは、米軍大部隊の空と海からのハイチ侵攻であったのです。優に1万を越える兵員総勢、装甲車や銃火器、彼等の滞在のための設営機材、食料などの持ち込みの方が救援物資の搬入より優先されたということです。これは、もはや誰も否定することの出来ない事実です。■
しかしながら、実はこの時、国連事務総長バン・キムン氏(したがって米国政府)がハイチの大地震災害に対処する国連特使としてポール・ファーマーを選んだことに、ふと不吉な予感を私は抱きました。インターネットで調べればすぐ分かりますが、ポール・ファーマーは業績的には大変立派な経歴と地位の持ち主ですが、言ってみれば、もともとシステム内、アメリカの権力機構内部の人です。権力機構内部の人はダメ、とすぐに切り捨ててしまうほど私は馬鹿でないつもりですし、権力機構内部に留まって世の中をよい方向に持って行く人物もありうると思っています。現在、アメリカの大震災後のハイチ支配は、クリントンとブッシュの二人の前大統領によって公式に行なわれていて、ポール・ファーマーはその最も重要な顧問役を果たしています。ハイチでは来る11月28日に大統領選挙が行なわれます。クリントンがOKを出した何人かの候補者の間で争われる“民主的選挙”の見せかけが整えられるのがほぼ確かと思われますが、この演出の最大の困難は、貧困大衆の圧倒的支持を集めている政党ファンミ・ラヴァラス(Fanmi Lavalas)が候補者を立てることを選挙管理委員会から禁止されていることです。以前、私のブログで書きましたように、アメリカはこの政党の党首であった前大統領アリスティドを国外に追放し、ハイチの貧困大衆が大震災後は特にしきりとアリスティドの帰国を要求していますが、アメリカはこれを許しません。
 ここで、クリントン(オバマ政権と言っても同じ事です)が、ラヴァラス党の処置についてポール・ファーマーに意見を求めた時のことを、私は頭の中で想像してみるのですが、「ラヴァラス党に選挙への参加を許せば大変なことになるから、許すべきでない」というのがファーマーさんの返答であっただろうと私は考えます。システム内に留まって、輝かしい業績に輝くセレブであり続けるためには、この答しかありません。極めて賢明なリアリストであるファーマーさんは、自分をそんなに卑しい人間とは感じていないでしょう。しかし、彼の著書『ハイチの使い道(The Uses of Haiti )』を読んで彼を信頼し、彼が好きになってしまっていた私としては、上に引用したサイードの言葉に照らして、「ファーマーさん、何といっても、やっぱり、あなたは転んだということですね」と言わざるをえません。聞く所によると、彼はルワンダの独裁者ポール・カガメ大統領と親交があり、今は、ルワンダの首都キガリに住んでいます。
 ハイチに関して、もう一人、私が「転んだ」と思う人があります。それは、ハイチ生まれの黒人で、いまカナダ総督の地位にあるミカエル・ジャン(Michaëlle Jean)という女性です。彼女は今大きな苦渋の中にあると思います。たとえ転んでしまっても、私の同情は依然として彼女と共にあり、今後の再転向を期待しています。次回にそのお話をしましょう。

藤永 茂     (2010年9月8日)