私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

へそを見詰める

2010-09-01 10:35:43 | 日記・エッセイ・コラム
 80歳になりかける頃から、色々のことに、すぐ腹を立てるようになりました。一種の老化現象であろうかと思われます。昨年の夏から体の調子が悪くなり、寝たり起きたりの時間が増えてからは、些細なことに腹を立てないようにして気持ちを穏やかに保ち、できればよく笑うようにしたらよいのでは、という忠告を受け、ノーマン・カズンズの本などを読んでみたりもしました。また、「病は気から」という言葉に十分の真理があることも体験しました。おかげさまで尿道結石や前立腺肥大から生じていた身体的な困難はおよそ除去することが出来、体の調子は随分とよくなってきましたが、世の中のあれこれの事にやたらに腹を立てるという病状は好くなる様子がありません。
 英語の表現に“navel gazing”というのがあります。自分のへそをしげしげと見詰めること、転じて、瞑想にふけること、考えるばかりで何もしないこと、を意味するようです。私は、へそを見詰めながら、自分が、この頃、何故やたらに腹を立てるのか、よく考えてみることにしました。まず気付くのは、自分の人生が終りに近づいているという、私としての当然の自覚が下に敷かれた、自分自身と人間一般についての深い失望の気持ちです。いや、失望という単語は不適切、いまさら望みを持つ時間的余裕はないのですですから、落胆した、あるいは、当てが外れてしまった、と言うべきでしょう。おおよそ済んでしまった自分の人生の、のっぴきならぬ罪深さ、愚劣さが、まず、心にのしかかって来るのです。個人的な罪の意識と悔悟についてはお話致しますまい。愚劣さについては、例えばこうです。
 粟津則雄著『西欧への問い』(朝日新聞社)の中に「ロマネスクの旅」という文章があります。著者がフランスとスペインのロマネスク建築、聖像、絵画を見てまわった折の感想記です。私も粟津則雄さんが訪れた場所の幾つかに旅をしましたが、粟津則雄さんが感じ取られたものと私が感じ取ったものとの間に、何と大きな開きがあることでしょう。量的には勿論、質的にも絶望的な違いがあります。私は、粟津則雄さんの並外れた資性と自分のそれを比較してガッカリしているのではありません。私は自分が過ごして来た長い人生の時間の希薄さを思い知らされて愕然とし、後悔し、悲しんでいるのです。そして、これは学問とか知的教養とかの問題ではないことが分かっているからです。パリに旅行した人間が、パリの地を踏んだことのない人間より、パリを知っている、パリをよりよく味わうことが出来るという保証は全然ないのです。
 旅の話を続けましょう。芭蕉の奥の細道を自分も辿ってみたいと思ったことがありましたが、果たせないまま、この年を迎えてしまいました。しかし、行ってもどうということも無かったに違いありません。幾つかの芭蕉の句碑のそばに立って記念写真を撮ることが出来たにしても何の意味があるでしょうか。芭蕉その人の旅の時間の密度にくらべて、私のそれは話にならない貧しさ、希薄さであったでしょうから。いや、「奥の細道」などを持ち出してくる必要もありません。言葉に尽せない美しさの夕焼けに心の底から感動することがあったかどうか、ということでもよいのです。そんなことは誰にでもあるし、誰にでも出来るさ、と考えるのは間違っています。人間、ある精神的姿勢をとることが出来ない限り、美しい夕焼けも本当には見えないのです。粟津さんには見えた沢山のものが私には見えなかった理由はそこにあります。旅に出る前に予習をよくしたかどうかの問題などでは全くないのです。教養の多寡の問題ではないのです。若いときからの精神的な生きざまの差が、年齢を重ねれば重ねるほど、残酷に出るということです。
 これが人生を生き損ねた一老人の繰り言で終ればよかったのですが、私の場合は、私に似た同類の愚劣な老人たち、そのような老人になって行くに違いないと思われる若者たちがこの世に満ち満ちていることに理不尽な苛立ちを覚えて、直ぐに腹を立ててしまうという困った症状を示しているというわけです。粟津則雄さんの別の文章「老年について」には次のように書いてあります。
■今やわが国は世界有数の長寿国になったから、いわゆる老人は巷にあふれているが、レンブラントの絵に見るような中身のつまった老人にはめったにお目にかからない。その顔を見ていると彼らの過去がざらついた手ざわりをもって浮かびあがって来るということにはならないのである。
 これは、老人たちの多くが、自分たちの老いに対して自信を失い、あいまいで中途半端な不安やおそれを感じているからだろう。「老年」というちゃんとしたことばがあるのに、「熟年」などという軽薄なことばが作り出されたのもおそらくそのためだろう。彼らはみずからの老いをはっきりと見つめようとはしない。それから眼をそむけるために、若者ぶり、若者に媚び、「お若いですね」などと言われて相好を崩している。
 自分のにやにや笑いの醜悪さには気付かないのである。このような足もとの覚束ぬ生活を続けていては、その顔に時間や経験が刻みつけられるはずがあるまい。若者ぶった老人たちの顔にしばしば張りついたあの空疎な表情は、見て楽しいものではない。■
 空疎な表情は老人に限られてはいません。テレビのトークショーやクイズショーでさんざめく美男美女をご覧なさい。彼らの軽薄な空疎な表情をご覧なさい。テレビのおかげで、日本には、軽量級のイケメンとプリティガールは居ても、ほんとに美しい男性もほんとに美しい女性も居なくなってしまったような気がします。お隣のアメリカに押されて、自国の映画やテレビの娯楽産業が未発達のカナダは、その点まだましのようです。町や大学のキャンパスで、はっとするような美しさの女性に逢うことがあります。
 人間そのものに対して決定的な失望を私に与えたのはイスラエルの行動でした。今の若い人々には想像もつかないでしょうが、ナチ・ホロコーストは私の世代の人間にとって大変な事件でありました。人間の残忍性、一つの人間集団がもう一つの人間集団に加えうる言語に絶する残虐の抹消されえぬ証拠であり、その認識にもとづいて、その悪を徹底的に糾弾し、その悪からきっぱりと手を切るという選択以外に人類が進む道はないと、私たちは思ったのです。それは平和主義の考えなどというよりも、もっと実存的な個人的心情のレベルで痛感したことでありました。ところがどうでしょう。シオニズムを信じる人々は、ユダヤ人が受難したホロコースト、あるいは、ショアーは全くユニークなものであり、ユダヤ人以外の人間集団に対してイスラエルがショアーに類似の苦難を与えてもかまわないという立場をとって何ら恥じる所がありません。このことは、パレスチナ人には、イスラエル建国の直後から分かっていたことだったのでしょうが、「アンネの家」などの仕掛けに騙され続けていた愚昧な私がそれにはっきり気がついたのは、この10年ほどのことに過ぎません。残りの持ち時間が少なくなった私がすっかり落胆し、腹立たしい思いに苛まれる最大の理由の一つは此処にあります。
 しかし、人間の残忍性について腹の立つことは他にもあります。それは日本人一般の、罪を犯したと思われる人々に対する残忍さです。テレビのニュースでは、犯罪の容疑者のことを伝える場合、ほとんど例外なく、容疑者の男性を「おとこ」、女性は「おんな」と呼びます。私の耳には、これはひどい差別語に響いて仕方がありません。容疑者はあくまで容疑者であるのですから、えん罪の可能性もあります。ただ普通に「その男性」、「その女性」と呼んだらいいではありませんか。腹立て爺として、ついでに申し上げますと、この頃流行のいやな言葉使いに従えば、“呼んであげたらいいではありませんか。” このやにさがった言葉使いが内包する “思いやり”の欺瞞性に私は身震いすることがあります。近頃、もう死んでしまった親が生きているかのように装って、長寿の祝い金や年金を貰い続けるという罪を犯した人々がしきりとニュースになりました。詐欺は詐欺ですから処罰されるべきですが、あれほど大ニュースとして取り上げる必要があったでしょうか。こういう、こそ泥的な罪人たちがマスコミで嗜虐的にいじめられる一方で、大掛かりな公金泥棒は野放しです。罪を犯す人々に対する刑罰のことを思うに付けて、いつも心によみがえる一編の詩があります。ドイツの劇作家ブレヒトが書いた『嬰児殺し??マリー・ファラーのこと』という詩です。長いですが,少し辛抱して読んでみて下さい。この頃の日本人には分かってもらえないかもしれませんが。
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マリー・ファラー、生まれは四月、
未成年、母斑はなく、みなし子、せむし、
それまで前科はなかったが、
赤ん坊を殺してしまったと、申し立て。
事情は以下の通り。
妊娠をして二ヶ月の頃、
ある地下室に住む女の手を借りて、
二度、水を注入し、堕胎をしようとしたのだが、
ひどく痛んだばっかりで、
うまくは行かなかったのだ。
 しかし、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

それでも、と彼女は言う、約束しただけの金は払った。
そのあと、自分で、おなかを、きりりと、しばりあげた。
そして、胡椒をすって、アルコールにまぜて、飲んでもみた。
だけど、まるでひどい下痢をしただけのことだった。
からだは、目にもはっきり、ふくれ上がり、
皿を洗うと、ひどく痛むことがよくあった。
でも、と彼女は言う、まだ、若気のいたり、
心をこめ、願いを込めて、
マリア様へ、お祈りをした。
 そこで、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

だが、お祈りは、どうやら、
何のききめもなかったのだ。願いのことがありすぎた。
からだは、いよいよ大きくなり、
早朝の礼拝で、めまいがしてたおれたり、
たびたび汗を、怖れのあぶらの汗玉を、
マリア様の足元に、いくつも落としたのだ。
それでも、彼女は、そのからだの有様を、
お産のときまで、かくしおおせた。
というのも、まるで不きりょうの彼女が、
誘惑されることになったなどと、
誰も信じはしなかったのだ。
 で、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

その日は、と彼女は言う、朝まだきに、
階段を洗い拭きしていると、おなかに
ぐいと鉤爪が立てられたような気がして
その痛みに、身をもがき、よじらせた。
しかも、彼女は、この苦痛をかくし通した。
日がな一日、洗濯物を干しながら、
あれこれ頭をしぼって考えた??挙句に覚った。
子供を産まねばならぬのだと。
とたんに、心臓が重くしめつけられた。
彼女がベッドに上がったのは、
もうずいぶんとおそい時刻になっていた。
 しかし、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

横になったと思ったら、もう一度おこされた。
雪が降ったから、掃き除けておきなさい。
すんだのは十一時、ながいながい一日だった。
夜になって、やっと、彼女は、
そっとお産が出来るようになった。
そして、一人の男の子を産んだ。
その子は、他のどんな男の子とも
何の変わりもなかったのだ。
たしかに、彼女は、他の母親たちと同じではない。
しかし、だからと言って、私が、
この母親を見くだす理由はありはしない。
 だから、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

そこで、私は、男の子がどうなったか、
話をつづけることにしよう。
(彼女も言った、何ひとつ、かくし立てせずにお話ししましょう)
それをどう聞くかで、
わたしがどんな人間か、
あなたがどんな人間か、
わかろうというものだ。
彼女は話した。ベッドに就くとすぐ、
ひどい吐き気におそわれた。
ただひとり、心もとなく、一体どうなるのかもわからずに、
ただ、けんめいに、叫び声だけは、あげまいとした。
 だから、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

吐き気もするし、部屋も、凍てつく寒さになって来たので、と彼女は言った。
最後の力をふりしぼって、屋外の便所へ身を運んだ。
(何時ごろだったか、彼女にはもうわからない)
その便所で、わりにすんなりと、子供は産まれたのだ。
しかし、そのあけがた近く、
心は、もう、すっかり狂乱した。
便所の中にも雪が降り込んできて、
指がこごえて、赤ん坊を
持ち支えることも出来なくなってきた。
 が、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

便所から部屋にもどる途中で、
それまでは、おとなしくしていたのに、
と彼女は言った。
赤ん坊が泣き叫び出した。
これが、ひどく彼女の神経にひびいて、
めくらめっぽう、両のこぶしで、
赤ん坊が静かになるまで、打ちまくった。
それから、その死体を
ベッドの中へ持ち込んで、
夜のあけるまで、母子は添い寝した。
朝が来ると、彼女は、死んだ赤ん坊を
洗濯小屋の中にかくした。
 けれど、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。

マリー・ファラー、四月に誕生。
マイセンの刑務所で死亡。
未婚の母。有罪服役。
なべての者の、
弱さのあかしではないだろうか。
あなた方よ、清潔なお産の床で出産し、
妊娠の身を祝福とよぶ、あなた方よ。
罪に堕ちた弱い者を、
責めないでほしいのだ。
彼女の罪は重かったが、
その苦しみもまた大きかったのだ。
 だから、諸君ら、お願いだ。
 腹を立ててしまうのは待ってくれ。
 人の子はみな、他のすべての人の助けがいる。
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藤永 茂 (2010年9月1日)