私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

オバマ氏の正体見たり(4)

2008-07-16 11:55:14 | 日記・エッセイ・コラム
 6月15日は日曜で父の日、ワシントン・ポストの記事によると、オバマ氏はシカゴの Apostolic Church of God で、「余りにも多くの黒人の父親が彼らの家庭と子供たちに対する責任を果たしていない」と発言しました。アメリカの黒人の子供たちの半分以上がシングル・ペアレントだそうです。黒人男性がてんでダメだからだ、というのがオバマ氏の考えです。“These men have abandoned their responsibilities, acting like boys instead of men.(これらの男たちは、一人前の男というよりまるで少年のように振舞って、彼らの責任をおっ放り出してしまっている。)”いやはや、これは厳しい。ライト牧師の説教内容がマスコミで騒がれて、ライト牧師との関係を断たなければ大統領候補指名の戦いが不利になると踏んだオバマ一は、一家を挙げて16年間通った Trinity United Church of Christ と5月に縁を切ったばかりです。
 あとに残されたトリニティ教会の8千人の信者たちは、米国政界の燦然たる「希望の新星」バラク・オバマとその一家が自分たちの教会に属する事を大きな誇りにしてきただけに、彼が去ったことで、捨てられたと感じ、裏切られた悲しみに沈んでいると、ワシントン・ポストは報じています。引退したライト牧師のあとを継いだオーチス・モス牧師は、深く敬愛してきたライト牧師が、マスメディアによって、泥の中で引き回されるという辛い場面を見せつけられたトリニティ教会の信者たちに向かって、次にように語りかけています。:
■ We, the community of Trinity, are concerned, hurt, shocked, dismayed, frustrated, fearful and heartbroken … We are a wounded people and our wounds, the bruises from our encounter with history, have scarred our very souls. (我々トリニティ教会の信徒は、はらはらし、傷つけられ、ショックを受け,狼狽し、落胆し、恐れおののき、そして、悲しみに打ちひしがれている。我々は、手負いの人間たちであり、我々の傷、歴史との出会いから受けた打撲傷の数々は、我々の魂そのものに傷跡を残している。)■ 何と重く悲しい言葉ではありませんか。
 2008年3月19日付けのブログ『オバマ現象/アメリカの悲劇』の中で、私は次のように書きました。:
■「バラク・オバマが強烈な権力意志の持ち主である」--これが、これからの議論の最も基本的な仮定です。歴史の現時点で、アメリカ合衆国大統領に勝る権力の座はありませんから、この座に就くことを志向する人間が強烈な権力意志の持ち主であることは、「仮定」と呼ぶより、事実と断定してよいでしょう。アメリカ合衆国大統領の座に就くことを自分に対する至上の命令と決めた人間が先ず一番に目指すのは、「とにかく選挙に勝つ」ということでなければなりません。選挙に勝つ為には、それを可能にする選挙地盤、票田、英語でいうコンスティチュエンシイの育成獲得が必須です。米国史上初の黒人大統領という呼び声の掛かる政治家として、黒人票は勿論当てにしたい所ですが、忘れてならない事実は、黒人人口はアメリカの全人口の約12%に過ぎず、しかも現行の間接選挙システムの下では、黒人票の最終的有効性はせいぜい2~3%、これでは全く役に立ちません。「票田は黒人票以外に求めなければならない」-これが“黒人大統領候補” バラク・オバマの始めからの政治判断の一つの要である筈です。■
「かなりの黒人票を失っても、白人票さえしっかり押さえておく方が肝心だ。」この冷酷な計算がオバマの胸中にある計算です。そうでなければ、「黒人の若者たちが置かれている現状の責任は、父親としてまるっきり駄目な黒人男性にある」というような発言を誰がするでしょうか? 「アフリカ大陸の惨状の責任は、黒人本来のだらしなさにある」という、白人が最も好む、定番の見解のアメリカ版にほかなりません。
 私の30年来の愛読書評誌 The New York Review of Books の最近号(Volume 55, Number 12)に Darryl Pinckney という人(黒人男性作家)の『Obama & the Black Church』という論考が出ています。この人の意見は私のそれとは違っていて、アメリカの大統領になれそうな黒人が史上始めて出現したというのに、ライト牧師という怪しからぬ男が辻斬りを仕掛けてきたようなものだと言います。白人にも黒人にも同じ言葉で語りかけたマーチン・ルーサー・キング牧師の衣鉢を継ぐのがオバマ、あの過激な白人排撃を唱えたマルコム・Xの後裔がライト牧師だ、とピンクリーは考えているようです。しかし、キング牧師の志の継ぐのがオバマだという見解をとるには非常な困難があります。暗殺された後で出版されたキング牧師のエッセイ『A Testament of Hope (希望の遺言書)』(1968年)の中の次の文章を読んでみましょう。:
■ Millions of Americans are coming to see that we are fighting an immoral war that cost nearly thirty billion dollars a year, that we are perpetuating racism, that are tolerating almost forty million poor during an overflowing material abundance. Yet they remain hopeless to end the war, to feed the hungry, to make brotherhood a reality… In these trying circumstances, the black revolution is much more than a struggle for the rights of Negroes. It is forcing America to face all its interrelated flaws ? racism, poverty, militarism and materialism. It is exposing evils that are rooted deeply in the whole structure of our society. It reveals systemic rather than superficial flaws and suggests that radical reconstruction of society itself is the real issue to be faced. (何百万というアメリカ人が、我々は、年間300億ドルにもおよぶ費用をかけて非人道的な戦争[ ベトナム戦争]を戦っていること、人種差別を恒常化していること、あふれんばかりの物質的豊かさの一方で殆ど4千万人の貧困者の存在を黙認していることに気が付きつつある。しかも、人々はこの戦争を終わらせ、空腹な者たちに食べ物を与え、人類愛を現実とすることに無力なままに止まっている。・・・ この我慢のならない状況にあって、黒人革命は黒人の権利のための闘争を遥かに越える意義を持っている。それは、アメリカに、人種差別、貧困、軍国主義、物質主義という、相互に連関する欠陥のすべてに面と向かわせるのを強制している。それは、我々の社会の全体構造に深く根ざしている悪を暴露しつつある。それは、表面的な欠陥というよりも、全身的な欠陥であることを明らかにして、社会そのものの根本的な再建こそが立ち向かうべき本当の問題であることを告げているのである。)■
ベトナム戦争をイラク戦争に置き換えれば、この言葉は今のアメリカにぴったりと当てはまります。キング牧師のいう通り、アメリカの「悪」は構造的なものです。民主主義の総本家のような顔をするアメリカですが、その政府と議会を牛耳る強大なイスラエル・ロビー、産軍共同体・ロビー、オイル・ロビー、製薬ロビー、アグリビズ・ロビー、等々の政治圧力団体とその完全支配下にあるマスメディアが、中下流一般市民の真の福祉と幸福をまったく圧殺してしまう構造になっているのです。日本のほうがアメリカよりも遥かにましな民主主義国家であります。
 上掲の文章を書いて間もなく、凶弾に倒れたキング牧師の霊が、今、シカゴの街角に立ち現われたならば、彼は,一体、ライト牧師とオバマのどちらに与するでしょうか。オバマのマイアミ講演とイスラエル・ロビー AIPAC での講演を聴き、この二ヶ月ほどの間のオバマ氏の驚くべき変節と前言取り消しの数々を知れば,キング牧師の選択は、私には、明白です。もしかしたら、秘かに吉良上野介の首級を狙う大石内蔵助と同じ苦渋の中に、今のバラク・オバマはあるのかも--という私のはかない期待も、今ではすっかり擦り切れてしまいました。オバマ大統領の下でも、アメリカはアメリカのままであることは、もう間違いありません。
 最近、アメリカで、特に、知識層の黒人の間で大変話題になっている書物があります。
Douglas Blackmon 著『Slavery by Another Name』(Doubleday, March 25, 2008)
私はアメリカとカナダで広く受信されているアメリカのテレビ放送 PBS の番組「Bill Moyers’ Journal」(6月20日放送)を通して、この本の内容を知りました。「奴隷解放戦争」とも呼ばれるアメリカの内戦(1861-1865)で奴隷制度が廃止されて、黒人奴隷が自由な人間として解放されたと思っている人々は、アメリカにも日本にも、沢山いるでしょうが、ブラックモンの本によると,その副題「the re-enslavement of Blacks from the Civil War to World War II」が告げるように、内戦で負けたすぐ後から、南部の奴隷保持者と実業家連中は、州政府や地方自治体それに産業界と一緒になって、実質上、奴隷制度を復活させ、再び、黒人の人間的自由を蹂躙し、奪い取ってしまったのでした。この歴史的事実の主張が、左翼的な黒人の歴史家か評論家によってなされたのでしたら、頭から「レヴィジョニスト」の誇張歪曲として無視する白人が多かったでしょうが、このダグラス・ブラックモンという人の経歴がそれを許しません。この人物はアメリカの保守系新聞の旗頭『ウオール・ストリート・ジャーナル』のアトランタ支局長で、過去に4回もピュリッツアー賞にノミネートされた経歴を持つ優秀なジャーナリストです。また、PBS テレビの番組でブラックモンにインタービューして、この本を話題に取り上げたビル・モイヤーズもジャーナリスト、テレビ・コメンテーターとして高名な人物、さらに、PBS(Public Broadcasting System)は良心的な内容で高く評価されている非営利公共放送システムです。PBSは原則として一般からの寄付金で運営されていて、私も,昔は、身分相応の寄付をしていました。普通の意味でのCMは入りません。こうした条件のもとで紹介された本書は、アメリカ史上はじめての黒人大統領出現の可能性に直面しているアメリカの黒人からは勿論、白人からも、熱い視線を受けることになったのだと思います。間もなく私の手許にも届く予定ですので、改めてその内容を報告したいと思っています。

藤永 茂 (2008年7月16日)