日本が国際援助をするだけで受ける側に回るとは夢にも思いませんでした。今度の震災で今まで世界中から寄せられたお金は70億円に達するということです。ところが今朝のニュースでカタールが一国で80億円の寄付を申し出たということでした。条件は学校や病院建設に使うことだそうです。日本側はカタールの要望にこたえるために両国で委員会を作り使い方を決める予定ということでした。
日本から他国への援助ODAなどの話を聞くと政治的権力のあるほうに多くのお金が流れことが多かったようです。それを防ぐためにも委員会を設けるのは良い方法です。
ですが、日本人である私はなんだか呆けているように感じています。原発問題がなかったらもっと先が見通せたでしょうが、水棺にしても、汚染水からの放射能除去作業にしても成功するように願いながらただただ見守るだけしか方法がないのですから。
小学校のころ、知多半島の先まで農業用水を確保するために、山から水を曳き、巨大なため池を作ったというわけです。ジャイカとか、建設省とかに勤務していた80歳前後の方たちから聞きました。愛知用水を作るときは、世界銀行から資金を借りたものですよ、と。あの頃(昭和30年代)はまだ後進国で、先進国に援助してもらう国だったのです、と。
私は60代になったところ、年配者の話を聞くって、耳新しくて、時にはいいものです。先日、娘夫婦に、電気の節約の話から、石油ショックの話題をしようとして、アラッこの子たち、その頃はまだ生まれていないのだ!と。私が敗戦を知らないのと同じくらい、この子らにとって、それは「昔」なのだと、思い至りました。
だから、東京に住む若いこたちにとって、「不足」を経験することは、良いことだと、そんな思いもあります。
被災地の復興を願う一人ですけれど。
長いコメントでごめんなさい。