(オーデンセ:アンデルセンの肖像はまだ製作中です。足もとの顔は募金箱。お金が集まったら今度靴をはかせるそうです。)
昨夜ドイツの話をブログをを書こうと思いながらテレビを見てしまいました。アンデルセンについての話でした。エスペラント世界大会前の遠足でアンデルセン故郷オーデンセに行きました。途中からでしたが終いまでしまいました。そんなわけでアンデルセンから書くことにしました。
テレビで語られていたアンデルセンの物語は『人魚姫』『赤い靴』『みにくいあひる子』などでっした。子どもの頃読んでもらったこれらお話はなぜか私にはやるせなく戸惑いを感じさせました。小学1年生の時にかなり離れた大きな町で映画『赤い靴』が上映されました。上の姉は18歳ぐらいだったでしょうか8歳の姉と6歳の私を連れて出かけました。私にとってこれはとても怖い映画でした。自分の意思に反しても踊り続けなければならい少女カレン。無人の街を舞い上がる新聞紙ともに踊ってゆく光景は今でも忘れられません。何度も廊下に飛び出し、姉に叱られました。多分最後は廊下で待っていて結末は見なかったように思います。姉は非常に怒り、もう二度と私を映画に連れて行かにと言っていました。
私が読んだ物語の中で1番好きな話は『雪の女王』です。小さな少女ゲルダが大好きなカイを探し、彼を助け出すそんな不屈の女子が好きでした。座談会でアンデルセンの生きた時代について語られました。まさに時代の移行期だったのですね。中世には個とか、自我とかは認めれるず、身分制度が固められていました。しかし、この時代になり身分に対する意識が変わり始め、背の先駆者の一人がアンデルセンだったようです。となると人魚姫も赤い靴のカレンも自我を持ち始め、身分を超えたくても越えられなかった人の苦しみ悲しみと思えば納得がゆきます。物語を夢中で読んでいた小さな私はそのような歴史的事実は分かってもいませんでしたが、そのような悲しみや苦しもを少しは感じ取っていたのかもしれません。ですからまっすぐ突き進むゲルダが好きだったのかもしれません。
エスペラント版アンデルセンの物語は1990年ザメンホフが訳した107羽集めて出版されました。800ページを超えます。買ってすぐ236ページまで読み終えた日ずけが記録されていますが、その後は拾い読みしたのですべて読んだわけではありません。また挑戦しようと思います。
(復元家屋ミュージアム(1500~1850)。アンデルセンが生きていたころの街並みが想像できます。)
私が高校の頃歌ったインドネシアのブンガソロという歌インドネシア人はその川の存在さえ知らなかったとか。日本人は異郷に対するあこがれが強いのかもしれません。
でもね、「フランダースの犬」は、作者の国でより、日本での人気が何倍もなのだと、ものによっては微妙に違うこともあるようです。