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生きること:過去と未来とエスペラントと

タンタンの冒険

2014-06-04 07:43:19 | エスペラント
 Tinĉjo en Tibeto: verkita de HERGÉ を読み終えました。図書館で‘タンタンチベットを行く’を探しました。驚いたことにタンタンの冒険シリーズが沢山並んでいました。

 この本を読むことになったのはまさに偶然なのです。2011年コペンハーゲンで開催されたエスペラント世界大会に参加したのですが出席しようと思っていた講演会が中止されたり私にとっては何ともつまらない大会でした。友人がお姉さんがお茶の道具一式を持っているのでお茶をたてたらどうですかと云うのですが私には立てられないのでお茶好きなマリアを誘い会場の隅でお茶をたてました。そのときさんかしたベルギー人E-istoが翌日本をくれました。彼女は住居はベルギーですがフランスで教師をしておりエスペラントも教えているということでした。
 本の題名は‘LA BILDSTRIOJ kiel LERNOLIBROJ!’(漫画は教科書)という本でした。それはエスペラントに翻訳されたタンタンの冒険シリーズの中の3冊をいかに会話練習に使うかと云う解説書でした。せっかく頂いたのですからたとえ実践として使わなくとも一度は読んでおこうとその中の一冊‘タンタンチベットを行く’のエスペラント版を買ったのですが、ずっと読みもせずにおりました。一念奮起してようやく読みました。アブラカタブラ的意味をなさい言葉が出てくるので日本語ではどう訳されているのか知りたくて本を借りました。見たのは一か所ですが整然と訳されておりチンプンカンプンには訳されていないようです。理由は‘LA BILDSTRIOJ kiel LERNOLIBROJ!’の巻末に書かれています。ほとんどの言語への翻訳は英語訳からなされているそうでフランス語からではありません。

 タンタンの冒険は1929年1月、ブリュッセルでカトリックの雑誌の青少年版として毎週木曜日に2ページの絵付きシリーズとして発行されました。編集長はジョルジュ・レミつまりエルジェでした。絵は白黒で説明は吹き出しで示されていました。かれはサスペンス風に物語を続けました。当初発行部数は15000部でしたが木曜日の発行部数はまたたく間に60000部に達したそうです。そこで単行本として発行されるようになりました。物語の中でエルジェは神のいないソヴィエトとか独裁者には対抗しましたが、社会的弱者に対しては常にやさしかったそうです。また資料もいろいろと集めていました。1934年中国に関する物語を書く時は中国からの留学生を援助していた牧師に中国人の若い芸術家Tchang Tchong-Jenを紹介され、意気投合したそうです。その出会いと彼の持つ弱者への思いやりがこの物語を優しいものにしているのかと感じました。また翻訳本が60言語にもおよぶ理由もそこにあるのでしょう。
 巻末のタンタンの冒険シリーズに関する説明はまだまだ続きますがこの辺でやめにします。興味ある方は‘LA BILDSTRIOJ kiel LERNOLIBROJ!’をお読みください。

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3 コメント

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判読出来ない部分が、、 (verdavojeto)
2014-06-04 20:08:11
「そのときさんかしたベルギー人E-isto翌日本をくれました。」は判読出来ません。

LA BILDSTRIOJ kiel LENOLIBROJ! は Lernolibro のrがぬけてますよ。
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verdavojetoさんへ (glimi)
2014-06-04 20:52:27
ありがとう!
書くのが面倒くさいのでコピーしました。一つ間違うとすべて間違いにあります。(笑)
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が、が抜けていただけだったの (verdavojeto)
2014-06-05 03:19:27
私には「翌、日本」と読めたので日本とどう言う関係があるのかと、、。
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