月曜日はおなじみの Kleriga Lundo です。 Esperanto: cxu Fundamnta, postFundamenta aux preterfundamenta?という講座にでてみました。いわゆるエスペラントの創始者ザメンホフのエスペラントに忠実な使用法をしようとする人、新しい言葉を作りエスペラントを発展させようとする人、新しい言葉を取り入れながらなるべくザメンホフの基本も大切にしようとする人たちの代表者が意見を述べます。ですが、聴衆も自分の意見を述べたがり、手を挙げますが、刺されるのを待って居れず立ち上がり自分の意見を述べるために列を作りました。日本ではあまり見られない光景です。意見そのものは本で読んだ事があるような聞きなれた(?読みなれた)ものが多かったのですが、自己主張をしようとするその姿勢は羨ましいですね。多分その後の自分の意見を言えたことに満足し、個人的確執など生まれないだろうと思いつつ眺めていました。
もう一つ熱心に参加したのは Paroliga Kurso(話させる講座)。日本人は話下手です。しかし人と交流するには話せないと意味がない。初心者は会話をしたがるが教える方だって会話がそんなに得意ではないのです。ですからどんな指導をしているのかのぞいてみました。今回のはかなり面白かったです。その日によって教材は違うのですが基本は必ず二人一組になるようにしていました。いやでもしゃべらないわけにはゆかないわけです。つまり傍観者が出ないようにしていました。最後のは面白かったです。見た事もない道具がずらりと並んでおり二人で想像し、話し合い使い道を探すのです。例えばグニャグニャした筒がニンニクの皮むき器だったり、日本で見つけたという口を大きく広げるものがあったり、よくまあこんなにあまり役立ちそうもない道具を集めたものとあきれ返るほどでした。
ただし道具だけでは指導できないでしょう!指導者の間の繋ぎ方が非常にうまかったです。
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