昨日家事を一応終え一休みとテレビの前に座ると、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたマリアさんと言う方のドキュメントが映し出されました。思わず最後、彼女が亡くなるまでの映像を見てしまいました。
実は夫の母が同じ病気だったのです。発病したのは戦時中なのか戦後かは分かりませんが、戦後間も無く(夫が五年生の時に戦争が終わりました。)足を引きずって歩いていたのに瞬く間に歩けなくなり、中学2年の時に亡くなったのです。最後は50音の票を作り目で人と会話したそうです。満年齢51歳くらいだったと思います。舅は歯医者でしたが戦前の蓄えは妻に栄養をつけるために使い果たしたそうです。寝たきりでも良いから生きていて欲しかったと夫は良く言っていました。
今は人工呼吸器をつけて生命を維持できるそうです。まりあさんはそれを拒否し自然に死ぬ事を選びました。機械を使って生き延びるかは人それぞれの判断と思います。が、私はまりあさんの生き方を選びたいと常々思っています。
多分親兄弟も知らない秘密を私は持っています。高校2年生の時にレントゲン検査で医者に言われた言葉です。心臓に異常があるので決して過激な運動はしないように。それ以来自分らしく死にたいといつも生きる期限を切りながら、後10年生きるとするならば一番したい事は何か。後5年生きるとするならば一番したい事は何か。そうして自分を追い込んだような生活をしているうちに私が、余生と称していた時期に入り、その時期をもう10年以上生きてきました。もう生きる期限を切る必要も無くなりましたが、かえって生きる目標が見えなくなる事があります。マリアさんの映像を見て、いつ終わりが来ても自分の人生は自分らしく最後まで生き切りたいと考えたのでした。
後少し頑張ることにしましょう!
20年位前にスー・ロドリゲスと言う(名前だったと思う)人が医師の補助を得ての自殺を認めて欲しいと最高裁まで行き拒否されたことがありました。
昨夜のニュースでも、同じ病気で同じことを願っている人のことを話していました。「動物の方がより人間的に扱われている」と彼女は言っていましたが、法律が変わる可能性は20年前より高いような話しでしたけど、そう簡単ではないでしょう。
「寝たきりでも生きていて欲しかった」と言う少年の気持ちは理解出来るけど、苦痛を耐えて生きなければならない身は辛いと思います。
腰が痛いの足が痛いの、程度は運が良い方なのだと思いました。
死に方を選べる時は自分の意思で選ぶのが最善なのでしょうね。