木口小平は死んでもラッパを離しませんでした

 「キグチコヘイハ テキノ タマニ アタリマシタガ、シンデモ ラッパヲ クチカラ ハナシマセンデシタ(木口小平は敵の弾に当たりましたが、死んでもラッパを口から離しませんでした)」(尋常小学校修身書より。Wikipediaより転載)。

 戦前までの教育を受けた方なら知らぬ人はいない、「臣民」(今で云う国民)であれば「一度命じられた任務であれば、滅私奉公、お国のためにその命を賭しても任務を果たさなければならない」ことを広く臣民に伝え、国家や天皇に対する忠誠心を醸成するために大きな役割をは果たした逸話である。この逸話は日清戦争(1894-1895)当時にあった事実に基づくものとされている。長くなるが再度Wikipedia掲載の記事をそのまま転載する。

 歩兵第21連隊は宇品港から出発し、1894年(明治27年)6月27日に朝鮮・仁川に上陸する。7月29日午前3時清国軍と成歓で対峙し、午前7時30分までの激戦によって清国軍を壊走させた。この戦いによって木口の属する第12中隊の中隊長松崎直臣大尉は戦死、松崎大尉は日清戦争の戦死者第一号という。この戦闘中に木口は突撃ラッパを吹いている最中に被弾。銃創により出血し倒れ、絶命した後も口にはラッパがあったという。これは本人の精神力というよりも、死後硬直が原因であると指摘されている。

注:ここで云う「ラッパ」とは、軍隊で「進め・止まれ」「撃ち方始め・止め」などの号令を伝えるために使われる信号ラッパの事であり、基本的には音楽を演奏するためのものではない。大きさはトランペットやコルネット程であるがピストンはなく音程は唇とマウスピースだけで制御する。

 郷秋<Gauche>はもちろん戦後生まれであるが、「木口小平は死んでもラッパを離しませんでした」と云う話を父から幾度か聞かされていたので知っていた。子供ながら教訓としては大切なものであると感じたからこそいまだに忘れずにいたのだと思うが、誰に対して忠誠を尽くすのかと云うことについては記憶にない。今にして思えば、それが天皇であるのか、お国であるのかはどうでも良いことであり、「自らに課せられた責務に対して」忠実であること、と云う教訓であると郷秋<Gauche>は思う。

 さて、一世紀以上も前に起こったことに基づいた「教訓」を何故、いま、郷秋<Gauche>が思いだし、書いているのかと云えば、今日の新聞で次のような記事を読んだからである。その小さな記事のタイトルは「騎馬隊員が警護中に落下」(落下ではなく「落馬」だろうと郷秋<Gauche>は思う。まっ、神奈川新聞の記事だからご容赦あれ)。記事内容を要約する次の通り。

 26日、皇居外苑でソレト大使が乗った馬車を警護していた警視庁騎馬隊(郷秋<Gauche>注:皇宮警察じゃないんだ)の巡査部部長が落馬し、首や胸の骨を折る重傷を負ったが、命に別状はないと云う。巡査部長が乗った馬は、砂利道に入った際に突然暴れだした。巡査部長は振り落とされた後も、馬が見物客の方に暴走するのを防ごうと手綱を放さず、そのまま約27m引きずられ、直径約1mの車止めの石に頭を強く打ちつけたという。

 公務員、民間人を問わず、自分の責務に対して余りにも無責任な人が増えた(と思える)今、自分の命を賭しても見物客の安全を守ろうとした巡査部長(氏名不詳、56歳)の行為は、まさに賞賛に値するものであり、小さな新聞記事に止まらず広く知らしめ、人の生き方の範足らしめるのが良いのではないかと郷秋<Gauche>思う。

 ただし、このことを国家や会社その他の組織など、権力を持つ者(組織)に対しての忠誠・責務としてではなく、すべての人に課せられた人間として果たすべき根源的な義務・責務として伝えてもらいたいと、郷秋<Gauche>は思うぞ。義務・責務を果たすべき相手が常に国家であったり会社・組織であったりすると、これまたおかしなことになってしまうからなぁ。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、幾度となくご覧いただいているすみよしの森の「トトロの切り通し」だが、初冬の低く柔らかな陽が小暗い切通しに差し込む様は例えようもないほどに美しい。
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