エロイ絵 2008-01-17 | digital, blog & twitter 笑ってしまった。 上手いといふか、なんといふか。 これもアートの一種だと思ふ。 しかし、ある程度寛容な人でないと受け付けないと思ふので、ご注意。 人気blogランキングへ 自作面白ネタブログランキング
『ウォッチメイカー』ジェフリー・ディーヴァー、翻弄されるということ 2008-01-16 | books ウォッチメイカーと名乗る男と相棒による残忍な連続殺人事件。現場には古い時計が残されていた。21世紀のアームチェア・ディテクティブ、リンカーン・ライムとアメリア・サックス。真相に迫ろうとすると・・・ いやいや。これはすごい。お馴染みのキャラクター、介護士トム、刑事ロン・セリットー、ロナルド・プラスキー、メル・クーパー、フレッド・デルレイが総出演。連続殺人事件とは無関係の事件をサックスが追うが、その先には意外な事実が。どんでん返しの後にどんでん返しがあり、そのまた先にも。いったい何回どんでん返されたのだろうか? ジェットコースターに乗ると、上へ下へと縦横無尽に体が揺れる。しかし、ジェットコースターの場合、先が見えるので、次はどちらに向かうのか予想がつく。しかしこの「ウォッチメイカー」の場合、いや、ジェフリー・ディーヴァーの作品の場合、全く予想のつかない方向へと体が持って行かれる。それが快感なのだ。 実は友人から「面白い」と薦められ、読み始めた。まあ読みかけのフロイトの「自我論集」がどうにも頭に入ってこないので、逃避したとも言える。すると、あまり面白くなかった。最初、容疑者であるウォッチメイカーの相棒の視点から事件が描写され、その後捜査側に視点が移動する。しかし犯行がなんだか稚拙で面白くねえなあと思いつつ読んでいた。さすがにジェフリー・ディーヴァーが只者ではないのは、面白くねえなあなどと思った自分が間違っていたことにすぐに気づいたからだ。 ここまで読者の裏をかくことができる、ジェフリー・ディーヴァー。彼の作品は全て読んでいるが、常に前回の興奮・驚きをさらに上回ったものを与えてくれる。彼にスランプという言葉は無縁なのだろうか・・・・・・容疑者が置いていくのが置時計なんだから「クロックメイカー」なんじゃねえか?と思いつつ読んでいたが、そこに深い意味はないようだ。 ※ 閑話休題 言わば、彼に、あるいは彼の作品に翻弄されまくった。そしてそれが快感につながった。どうして翻弄されることが快感になるのだろうか? 誰かに翻弄されるのは好きでない。特に恋愛においては。相手を翻弄する、振り回すというタイプの女性がいるが、あまり好きではない。そういうタイプであることを事前に察知するレーダーはそこそこの性能があると思うのだが、たまに故障する。恋愛が始まってから後になって「翻弄する」タイプだと気づくことがある。気づいた瞬間から「どうやって別れを切り出そうとするか」を考えるスイッチが入る。つまり翻弄などされたくないのだ。だったら、なぜ小説では?女性と小説はそりゃ違うけど。 人間の本能には、食欲、性欲、睡眠欲など古典的欲求の他に、自己顕示欲や、権力欲、そして「知りたい」という欲求がある。それを検証するのは簡単。小さい子供は始終「どうしてお空は青いの?」「どうして夏は暑いの?」などと大人を質問攻めにする。その子供に後天的に「知りたいという欲求」を植え付けたとは考えられないから、先天的に人間には「知りたい本能」が備わっていると考えて間違いはないだろう。 その子供の「知りたい本能」を大人がちゃんと満たしてあげることが、健全な成長につながると俺は思う。某知り合いの女性は子供がいつも「なんで?」「なんで?」を連発するのに怒って「なんでもかんでもよ!」とキレたそうだ。彼女に罪があると言っているわけではないが、大人がある程度、それに答えてあげることは大切だと思う。その子供が「知りたい」と思っても、大人はそれには答えてくれないと知ると、健全な知識欲が削がれてしまう。まあそれが昨今の子供が自分で考えようとしないということに繋がっているかどうかは知らないが。そして、その事との因果関係を認めるわけにはいかないが、彼女の息子たち二人は現在、家の中の壁などを破壊する典型的家庭内破壊族というカテゴリーにいる。家庭内暴力よりましかと言うと、そうとも言えない。内なる鬱屈が向かう先が人間である方がむしろ「正常」だ。 おっと脱線した。小説を読んでいると、真相を「知りたい」という欲求を満たすため、先を楽しみに読む。しかし真相を知ったときに予想だにしなかった場合、それまで自分が脳内に溜め込んでいたことが音を立てて崩れ落ちる。その崩れ落ちることがどうやら快感に繋がるのではないだろうか。 うまい喩えが浮かばないが、音楽とはこういうものだとクラシックばかり聴いて育った子がマイルス・デイビスを聴いて腰をぬかすとか、歌謡曲ばかり聴いて育った子が、ザ・ローリング・ストーンズを聴いて、脳天がしびれてしまうとか。小説にあてはめると、それまで読んでいて溜め込んだことが、ある瞬間間違っていたことに仰天する。 うーむ。どうして翻弄が快感につながるかじっくり書いてみようと思ったのだが、うまくいかん。 フロイトは人間には破壊本能があり、それが外に向かうとサディズム、内に向かうとマゾヒズムになると言う。エーリッヒ・フロムはサディズムもマゾヒズムも孤独感と無力感から個人を逃れさせようとする行為だと言う。その辺りを踏まえてみると、 人間には守りたいという本能と、同時に破壊したいという矛盾する本能を併せ持っており、翻弄されることが快感につながるというのは、後者の破壊欲求が満たされるからなのかも知れない。 キレが悪くてすまぬ。 ジェフリー・ディーヴァー「クリスマス・プレゼント」のまえがきから自分のブログを考える 「スリーピング・ドール」一気読み 「ソウル・コレクター」に圧倒される
やたらと駐車場が混雑する「道の駅」 2008-01-14 | travel 某Mさんから事前にオススメされていた。 沖縄やや北部にある許田という道の駅 駐車場に入る車が行列してる。 やっとこさ入ってみると、 作りたてのさーたーあんだぎーとか、作りたて風のかまぼこ、1個10円のまんじゅうなど、思わずグルメとは程遠い俺すらよだれを垂らしてしまった。 しかし、そこに大行列が出来ているわけじゃない。 別の箇所に大行列が。 il||li _| ̄|○ il||li 宝くじかよ。 たまたま写真撮ったときはむしろ人が少ない方で、もっと行列してた。 あまり詳しいわけじゃないが、沖縄の平均所得は確か全国では低い方に入ったはず。それがこの「宝くじで一儲けしよーさー」状態を引き起こしているのだろうか? 有楽町の宝くじ売り場も同じように行列してたことを思い出すと、東京も同じなのかも知れない。 宝くじの類は一度も買ったことがないので、残念ながらその動機はよく分からないが。 同じ千円を投資したとすると、期待できるリターンはものすごく少ないはず。税金でごっそり持っていかれる競馬の方がまだ多いのでは?(競馬もやらんのだが)さらに詳しくないパチスロが期待リターンは一番多いのではと想像する(パチスロのやり方すら知らない)あるいは腕に自信があれば違法ではあるが賭け麻雀が一番儲かるんだろう(これは違法と知りつつ、過去にさんざやった) ギャンブルにスリリングな快感や、もちろん期待していまうリターンがあることを何ら否定しない。 そこに「何かが」「たぶん」あるのだろう。 それ以前に、任天堂DSを触ったことがない、PSPもプレステも。ゲームキューブも。最後に触ったのは500円ぐらいで買えるちっこいテトリス。あれすら1日で飽きた。たまごっちすら持ってなかった。やってなかった。 ゲームに惹かれる子供たち、そして大人たち。最近自分には理解できないモノに快感を覚える人たちが急増してる感がある。ツンデレも然り。 基本的には自分の知らないことを知りたい。 知ること = 快感 であると思っていたが、どうやらこれだけは別件のようだ。 ギャンブルやゲームに興味がない。そんな自分がおかしいのだろうか? 今日の教訓 自分が普通じゃないって 思ってるやつは たいてい普通なやつ と
クイーンが長崎へ 2008-01-13 | laugh or let me die うぃーーー! あーーー! ざぁーー! ちゃんぽん! さあみなさんご一緒に。 うぃーー あー ざ ちゃんぽん うぃーー あー ざ ちゃんぽん ほらほらだんだん楽しくなってきたでしょう? では、これで今日の講義はおしまい。でわー 明日の課題は 「もしもレッド・ツェッペリンが山形に行ったら」 で、替え歌をみなさんに作ってもらいます。 え?無理? やって来ない子は この教室から かえれっど・つぇっぺりん! どうしてみんな下向いてるの? 人気blogランキングへ 自作面白ネタブログランキング
映画『ブラッドダイヤモンド』は意外な収穫 2008-01-12 | film, drama and TV 世界で最貧国の一つにあげられる国、シエラレオネ。 大英帝国の餌食となって、植民地となった後、英国連邦のメンバーとして独立した国の中にはまあ、繁栄を果した国とそうでもない国が混在している。南アフリカ、カナダ、オーストラリア、インドなどなど。カリブ海等の島にもまた多い。シエラレオネもまたその一つ。 シエラレオネの内戦については見知ってはいたが、自分で行ってこの目で確かめるまでは、あまりそれについて語るべきではなかろうと思っていた。メディアの報道がいかに歪んだものであるかは、ここで熱く語っても仕方ないが。 さて、映画「ブラッドダイヤモンド」 ダイアモンドなのかダイヤモンドなのかいつも悩むのだが・・・ ダイヤモンド産出国なのにめっきり貧しい国であるシエラレオネの内戦と、ダイヤモンドの密輸を生業とするレオナルド・ディカプリオ。白人のいわゆる「巻き込まれ型」サスペンスとドキュメントがうまくinteractした作品。 シエラレオネの内情について決して詳しいとは言えないので、どこまでが真実に近いのか分からないのがやや(自分にとって)難点ではあった。そしてこの映画のバックグラウンドを知らないので、どこまで内戦・密輸の真相を解き明かしてるのかもまた分からない。しかしそのようなことを全てすっ飛ばしても、 おぞましくも哀しく、 血沸き肉踊り、 多くのことを考えさせられた。 閑話休題: 国連などの団体が善意で食料支援を行ったり、国土を開発したり、内戦の調停に当たったりすることは、俺個人に言わせれば、余計なお世話なのでやめといた方がいい。アメリカが頼まれてもいないのにしゃしゃり出てくるのは言うまでもなく。 難民に食料を与えることが人口の爆発につながるとまでは言わないが、関連性はないとは言えないだろう(マルサスの「人口論」はもしかするとこれから悪夢として我々の目の前に現れるのかも知れない) 使いもしない道路を作ることが意味を失っていることと、それが環境を破壊することにつながっていることも無視できない。 それよりも内戦が続くことで自分を利する国家や企業が存在するということを何とかするべきではなかろうか?それについてはこの「ブラッドダイヤモンド」の中に一つ分かり安い例があげられていた。 レオナルド・ディカプリオはローデシア出身の傭兵でその後、南アフリカに流れて行ったという役柄を演じている。最初いったいこいつは何人の役なんだ?と思うような不可思議な訛りで話していたが、ストーリーが進むとそのような経歴から来ると分かり、そしてそのバックグラウンドにふさわしい話し方だと納得した。語尾に必ず「は~」と付けるのも。ディカプリオが演じるにしてはアクの強い役だなと思っていたが、いやいや。なかなかやってくれた。 ラストーシーンについては賛否両論ではないだろうか?事実を踏まえてあのような形になったのかちょっと判断できなかった。個人的には、ディカプリオの扱いを下衆なレベルにしておいて欲しかった感あり。でもあれはあれで悪くなかった。 ※もしこの作品の持つネガティブな面についてむしろ肯定的な感想を持たれたら、フレデリック・フォーサイスの「戦争の犬たち」が近いテーマを扱った名作であるので薦めておきたい。あくまでも本の方で、映画ではなく。 人気blogランキングへ 自作面白ネタブログランキング
届いた年賀メール 2008-01-10 | days その1: 大晦日24時をしばらく過ぎてから携帯に届いたメール ぁけましちゃったぉめでとぅござぃます 今年もよろしくぉ願ぃしますm(__)mm(__)m 誰だお前は? っつーか、なんでいちいち、「あ」とか「う」がちっちゃいんだよ! お前の顔を想像すると、落差が大きすぎなんだよ! もういい大人だろ? お前が犬を散歩させてる姿は、住宅ローンを抱えて日々悩みが尽きない中間管理職だっつうの! 背中から哀愁が出てるっつうの! その2: PC宛に届いたメール うとでめおてしまけあ il||li _| ̄|○ il||li 誰だお前は? もうかなりいい年ぶっこいてるだろ? 妻も子もいるだろ? などと自分が出した年賀状、年賀メールのことは棚に上げて、 渡る世間はアホばかり。 などと思った新年であった。 今日の教訓 いなにくと 人気blogランキングへ 自作面白ネタブログランキング
今一番欲しいもの 2008-01-09 | sport それは、 ナイス・バディ いやいや。いらない。今でも充分にナイスなバディだった。 じゃあ、 キュートな彼女 いやいや。いらない。今でも充分に・・・(以下省略) さて、本題に戻ると、今、というより近年ずっと欲しかったもの。それは バイク 自転車のことをbikeというので、だったらオートバイ、もしくはモーターサイクル 2輪の免許は中型限定(400ccまで可)だがそれで充分。昔乗っていたカワサキの名前は忘れてしまったショボイ125ccの、ビックリするほどスピードが出ないやつも今となってはいい思い出。何しろ友人からタダでもらったのだから。あるいは今現在はさすがに売っていないと思うが、ホンダのCB250RSZという、4ストローク単気筒。横幅が薄いので車の間をすり抜けるのに実に良かった。 しかしもう何年もオートバイに乗っていない。 なんの理由もしくは原因があったのか知らないが、なぜか突如として猛烈にオートバイに乗りたくなった。車に長年乗り続けていると、あの「風を切って走る」感覚を取り戻したくなったのであろうか。 大排気量のスクーターが道路を我が物顔で走り抜けている。しかしスクーターには興味がない。オートマの車に乗っているからこそ、自分で変速したいのだ。車に乗るようになってから、いかにオートバイが危険な乗り物か分かった。全く前触れなく突然横をオートバイがすり抜けて行くと、ドキっとする。 自分が乗るとすれば、あまり横をすり抜けるようなことはせず、車と同じようなポジションを走りたい。 昔から4ストローク単気筒派。レーサー型には興味がないので、ヤマハのSR250とかSR400あるいはカワサキの昔のを復刻したやつとか。 てなことを周囲に話すと、 1.あぶないのでやめなさい。 2.金がもったいないです。 3.いったいぜんたいいつ乗るのですか? 4.足がつかないでしょ? 5.もう少し暖かくなったら、後ろに乗ってあげないこともないわ。 1は「うるさい、ぼけ」で済むとして、問題は3。そう。おっしゃる通り。いつ乗るのであろう? まあ、いい。その点を深く掘り下げると様々な問題が露呈する。「その服いつ着るの?」「同じようなモノ持ってなかったっけ?」「本買うのもうやめようよ」「その前に片付けしようよ」・・・・・・ 環境に優しく生きるのなら、車よりオートバイの方がいいだろう?燃費がいいし?いやいや、違う。移動とか運搬のためならいいが、単に走りたいだけの理由で走るのはとっても環境には悪い。 てな具合で戯言は止まらず、ああオートバイ欲しいぜという欲求だけが滅却されずに残る冬の夕暮れであった。 今日の教訓 ヘルメットかぶるのが ウザイことを 忘れてた と
外見と中身のギャップ 2008-01-08 | days いかにも30人は殺してそうに見えるのに、実は野の花を愛でる優しい心を持つ男。 いかにも30人は彼女いそうに見えるのに、実はまだ童貞な男。 どっちが得なんだろう? ってことを書こうと思ったんじゃなかったのに、つい筆がすべってしまった。 「ギャップがある人がタイプ」っていうのは、非常によく目に耳にする話。 では、なぜギャップがある人に魅かれるのだろう? ってことを書くつもりも全くなかったのに、平成の弘法こと俺の筆がまたすべった。 先日、見かけた光景が、今回のメインテーマ。 とある大都会の真ん中にあるカフェ。上手いコーヒーを飲ませてくれる。 そこでほげほげとコーヒーを飲みつつ、耳からコーヒーを出していた俺。いや出していない。 隣の席に、いかにもイケテルっぽいサラリーマン風が座った。 いわゆるモード系のスーツ(ブリオーニだと思う)腕にはロレックスのエクスプローラーI、靴は茶で、さすがにブランドは分からなかったが、テストーニかな?顔もなかなかのイケメンで齢30ぐらい。どっから見ても女子がほっとかないってタイプだろう。 アタッシュケースをテーブルの上に乗せた。ゼロのハリバートン。高いが、中に入れた物のダメージが極めて少ない優れもの。どんな貴重なモノが中から出てくるのかなと、見ていたら、 コーヒーが鼻から飛び出した。 中に入っていたのは、少年マガジンと手帳だけ。 少年マガジンについてはツッコマないでおく。 しかし、なぜゼロのハリバートンの中にそんだけしか入っていない? 中がほぼ空洞なのだ。あれでは持ち歩くと、中の物がガラガラと音を立てるであろう。 アタッシュケースの外見と中身のギャップ 彼という人間の外見と中身のギャップ 双方を感じさせてくれた瞬間だった。 全身にまとっている物体の価値は合わせて200万円を越すだろうだろうが、内面に保持している数字に表せないイドやらエスやらエゴやらスーパーエゴやら知識やら経験やらの総体は一体いかほどのものなのであろう。話してないから分からないが。 【閑話休題】おこちゃまにはちとつらいかも知れないが、大人なら大丈夫だろう。 彼はもはや人間ではなく、物体ですらない。ディスクールによって説明可能な現象にすぎない(とミシェル・フーコーは言った。言ってない) 彼という現象を支配するヘゲモニーは空っぽな内面にあるのか?あるいはきらびやかな外面にあるのか?あるいは内面というヘゲモニーが外面を支配しているのか、その逆か? 本人は外的要因がヘゲモニー関係の支配者であると思いこんでいるが、彼という現象をディスクールで表現しようとする他者にとっては、内的要因が彼という現象の複雑なヘゲモニー関係の頂点に立っていると捉えているかも知れない。 すると、彼という現象をディスクールで表現することが可能な自己と他者という主体のどちらが「表現する」ヘゲモニーを所持しているのだろうか? 主体と客体の差異を見出して、その区別をすることすら不毛であるかも知れない。彼を含んだ世界という現象全体の中に含まれる一構成要因にすぎない。 だとすれば彼のヘゲモニーをディスクールで表現すること自体に何の意味もないという結論に達することになる。すると、彼という現象を含んだ世界全体の中の構成要素に過ぎない筆者が何をディスクールできると言うのだろうか。 なぜここでディスクールなる言葉を多用するかと言えば・・・・・・ うーむ。アブナイアブナイ。もうちょっとでフランス現代思想の巨人になってしまうことろだった。廃人は廃人らしくせねばならない。2月7日の拙記事「女性のギャップに生まれて初めてヤラれた日」でも読んで口をゆすいでくれたまへ。 さて、 そう言えば、某知り合いの腐女子のM。某ブランドの高そうな財布を持っている。彼女が財布を出すと 俺「金入ってそうに見えるね~」 M「そうなのよ~ でも中身は領収書とポイントカードばかりなの」 俺「だったらそんな盗まれそうな財布やめればいいのに」 M「違うの。この財布を持っているってことが気持ちいいのよ」 おまえ他に気持ちいいこと知らねえんじゃねえのか?俺が教えてやろうか?とは言わなかったが。 どうやら外と内のギャップとは、あればいいってもんじゃない。ってことが今日の結論のようだ。 今日の教訓 キャップはないと 中身がこぼれる と
習志野ナンバー増殖の疑問 2008-01-04 | travel 先日、長野県は八ヶ岳、黒部ダム、安曇野方面へ行ったときのこと。 地元の松本や長野ナンバーが多いのは分かる。というより当然。 ところが、どこ行っても、どこ走っていても 習志野ナンバー多いよ! 思わず、長野県に習志野なる地名があるのかと調べたがそんなわけない。 れっきとした、運転マナー東日本で最も悪い千葉県の習志野だ。 なぜ習志野ナンバーが信州西南部で増殖してたのだろう? 1.長野では偽習志野ナンバーを付けるのがファッションと化している。 2.習志野軍団のオフ会がちょうどあった。 3.千葉県民は意外と長野がお好き。 うーむ。さっぱりワカラン。 今日の教訓 ならしのは おとこもみんな おんならし~の と