まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

大空山(呉市)の万葉歌碑。

2021-07-03 14:08:19 | 日常

令和3年7月2日
今朝、8時より呉市広町で資材の搬入作業の仕事がありました。
交通渋滞の常連地域でもあり6時前に出かけました.
早朝のため渋滞はなく1時間余りで着きました。
近所の呉高専の生徒たちが大空山の万葉歌碑を清掃したとの新聞記事を思い出し、折あらば行ってみたいと思っていました。
まだ早いので、呉越峠の方から車で山頂まで登りました。

大空山は標高203m、阿賀湾の北方にそびえる山です。
山頂は「軍港呉」を守る強力な高射砲陣地が置かれて有名なところで砲台跡や花崗岩の立派な弾薬庫跡等が今も残されていました。頂上には立派な3階建の展望台も建てられていました。
朝の散歩に来られていた方々に「万葉歌碑」のことを尋ねましたが誰も知らないとおっしゃる。
明治100年の記念碑や個人の句碑はありましたが探す歌碑は見つかりません。
広い公園なので再度調べてくるつもりで先小倉の方に下つてしばらくすると道の右側墓地の傍に「万葉の碑」の看板がありました。
道路から40m余り入った林の中に目指す万葉歌碑の石碑がありました。
何の変哲もない薄暗い林の中、海側には大きな電波塔施設が建てられて全く展望がありません。
なぜこのようなところに建てられたのでしょうか。誰も在る場所を知らない訳です。
かって犬養孝先生は万葉歌碑を建てる意義について「この地が万葉集の舞台となった由緒ある土地であることを認識をし、歌を詠んで万葉人のこころを理解し、景観を守り、万葉集に関心をもってほしい」といわれていました。
このような何も見えない場所にあってはその感慨は浮かんできません。
願わくは当時の情景を感じることができるところで声高らかに鑑賞したいものです。
その景観を守ることも大切です。
かってはこの地から海が見えたのでしょうか。その後に、展望を妨げる電波塔施設がもうけられたのでしょうか。
何故かわかりませんが全く残念なことです。
山頂の展望台も数年したら周囲の樹木が成長し展望が効かなくなりその役目を果たせなくなることでしょう。
景観を維持するためには手入れが必要です。関心を持ってもらうこと。景観を守ることが必要です。
かつて阿賀の町は広湾に黒瀬川が注ぎ、古くから漁業で栄えた街です。
宮島の管弦際で御座船を曳くのは広島の江波とここ阿賀の漁師という名誉ある役目を担っておられましたから力を持ち繁栄していたのでしょう。
今は松山行きのフエリーも廃止され、干拓地が広がっています。
伝統と繁栄をどのように両立してゆくのでしょうか・・・。
(万葉歌碑の場所は先小倉交差点の一つ手前「小倉新開」交差点。「ひらたデンタルクリニック』横を入り、約1200m、住宅地、墓地をぬけると左側の墓地のところに「万葉の碑」看板があります。道は舗装してありますが狭いのでご注意ください。)

       娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に
            朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の
       その潮の いやますますに その波の いやしくしくに
            我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に
       浜菜摘む 海人娘子らが うなげる 領巾も照るがに
            手に巻ける 玉もゆららに 白袴の 袖振る見えつ
       相思ふらしも
                           (巻13-3243)

                反歌
         阿胡の海の 荒磯の上の さざれ波
                  我が恋ふらくは やむ時もなし
                            (巻13-3244)

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