まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

私の豪雨災害体験

2018-07-08 15:26:18 | 日常

平成30年7月7日

今日は七夕というのち広島地方は記録的な豪雨災害に見舞われて死亡、行方不明者が60名あまりと大変な被害となっています。私もその被害に遭遇、体験しました。昨日は午後3時30分より大崎下島の大長で作業の応援依頼がありました。雨天であり警報も出ており早めに現地の行きましたが早く到着したのでお隣の御手洗の古い街並みを見物しました。観光案内所にたちよりますと今日初めての訪問者だといわれました。大雨のなかの合羽を着用しての1時間余りの作業でした。普段はきれいな海も泥水が流れ込み茶色ににごつています。帰路、黒瀬の姉の家が心配で立寄りまいた。黒瀬川が増水したのかいたるところで国道が水没し迂回を強いられました。姉の家は裏側に呉道路がありますが被害はないようです。近所の友人の為に非常食をつくつているとのことでおにぎりを頂いて帰りました。これも虫の知らせでしょうか翌朝の食料となり助かりました。午後7時、いつものように熊野に向かいますがズートと渋滞しています。1時間に1キロ余りしか走れませんがどうしようもありません。この先、人家は少ないのに、対向車も来ますのでどうして渋滞するのか疑問に思いました。暗くなりました。午後10過ぎると民放の特別番組で交通情報、視聴者からの情報を流してくれ各地の混雑、被害情報を知ることが出来き助かりました。救急車や消防車も追い越してゆきました。「この先で道路が陥没し、車両が落ち込んで通行できません。Uタンしてください」 どうするか。郷原から焼山への峠越えの道・呉環状道がありその方に行く。暗く水につかった道を溝にはまらないよう注意しながら行くと峠の手前で消防車が停止している。「この先土砂崩れの為通行出来ません。」また引き返す。狭い山道では通行止めの可能性もあり広い道路は呉市に出るか国道2号線。2号線は多くの個所で通行止めがあるとのことなので、2号線に並行して走る瀬野ー熊野線が走る阿戸に向かう。西条の馬木の交差点で警官が交通規制をしているので八本松まで通行可能か聞いてもいけるかどうか不明とのこと。出来るだけ緩やかな道を選んで吉川工業団地を前を通り、やっとのことで町境の急坂の峠を無事下り安堵すると渋滞中。2号線からこちらに迂回した車も多いのでしょう。自宅まで20キロ余りあるのに遅々として進まない。一体何時に帰れるのか。雨も激しくなる。道路を激流のごとく流れる。途中で停車して寝ている車もあります。コンビニには多くの車両でいっぱいです。対向車線側には道路が陥没しさかさまになった車両もある。雨で先行きが不明突然落ちたらさぞびっくりしたことでしょう。しばらく行くと道路が流水と倒木の為通行できないとのこと。幸い軽トラックなので狭い道を注意して迂回する。道路を流れる水量は激しい、エンジンが停止しなければよいがと心配しながらできるだけ水没ヶ所を避けながら熊野の街を抜けるとまた渋滞中、周辺のコンビニは車で満杯。土砂崩れや水没の危険ない場所を選んで仮眠しました。この近くの住宅団地で家が流され数人の人が行方不明とのことです。渋滞は朝でも解消せず増えるばかりです。あれでもと焼山に下り、絵下山の麓を通り昭和入り口に行ける山道がありそれに行っても流木と泥で通行できません。再び熊野に帰り渋滞の列に並ぶが一向に進まない。車を置いて歩いて帰ろうと思い熊野のお客さんのところに車を置かしていただくよう電話すると快諾していただいた。雨具、飲料水の軽装でトンネルの前に来ると消防団の人が「トンネルは自動車専用であり歩行者は通行できない。旧道も土砂崩れの為通行できない」、それならば山越えでもと思い旧道をゆくと峠を越えたところで電柱が倒れ大型トラックにおいかぶさっている、これが停電の原因らしい。後で聞いた話であるが電気工事の方が来ておられたが人数と機材が集まらないので電柱の復旧にはしばらく時間を要すると言っておられた。その現場の前には土砂や倒木につぶされた3台余りの車両が埋まっている。ここはまだ序の口で先には多くの泥と倒木があり数台の車が埋まっているとのこと。トンネルに引き返すと下山する歩行者が数人おられた。下から登ってきる人も数人あるのに下るのはダメ。登ってきた人はトンネル出口で土砂崩れに遭遇した人らしい。無視して数人が行こうとしたが制止された。この熊野トンネルは天井からの流水と道路の土砂崩れが原因で通行停止されているようですが緊急車両や救急車は走行していますからまもなく通行できるのではと期待する。数人の人と午後になるなら山越えしようと思っていたが午前11時には通行可能にするとのこと。やれやれ長い渋滞の車列が生き生きと動き出した。やっと帰れる。黒瀬から自宅まで30キロ余りですが18時間要しました。下山した矢野や坂町は土砂に襲われ大変な状況でした。バス道路は今でも急流の有様でした。50年ぶりの豪雨、九州から長野まで11県を巻き込んだ幅広い大型の線状降水帯、これ以上に被害をもたらさないよう祈るばかりです。それにしても情報がないので右往左往するばかりでした。情報の入手、食料と燃料の確保等、いい教訓になりました。

(写真は峠の電柱が倒れトラックにのしかかつた所、これらの倒れた電柱が停電の原因です。ほかにもまだ数本あるようです。

コメント (1)
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