まほろば日記

fujioの日常の出来事、記録等を思いつくままに書いた日記です

マメヅタランを見る

2024-05-29 20:04:07 | 日常
(岩に張り付いた苔の様でした。小さなものでイメージが違いました。)
令和6年5月26日
我会の自然観察会の方4人とともに鎌倉寺山にひそかに咲く,マメヅタラン
をさがしに行きました」。この山はクライミングの岩山です。
前回にも書きましたが「二度と登りたくない山」とされる厳しい山です。
今回も山登りが目的ではないのでゆっくり、確実に登ることを心がけました。
(文字通りの馬の背中のようです。ザイルをセットして歩きました。バランスが悪いです。慎重に。)
稜線の「馬の背」、落ちてもいけないのでセルフでザイルを張り。安全を期して歩きました。
今度、痩せ尾根を歩く訓練をしなければならないので良い練習になりました。
ビレーヤーがおりませんので私だけ行きました。先端からは絶景でした。
念願のマメヅタラン、見つけました。
場所は貴重な植物であり詳しい場所は公表できませんのでご照会ください。
写真では目立つ大きさとのイメージでしたが本当はミニ、岩に張り付いた小さな苔のようでした。注意してよく見ると花だとわかる大きさでした。
詳しい人でなければ見逃していたでしょう。
見つけられたのは幸運でした。
山口から来られたグループの方もおられました。ここに咲いているとおしえてあげようかとおもいましたが、言わない方が良いとのことで言いませんでした。今度来るときは山名標識と迂回路の安全ロープを持参し登山者の便宜を図りたいと思います。
〈上りは容易ですが、下りが大変です。慎重に一歩、一歩確認しましょう。)
ロープを使用、無事に下山できましたが下りの岩場通過は懸垂下降が一番安全確実です。環付きカラビナ1枚あれば可能です。
その場で急遽講習してもうまくいかないので登る前に事前講習しておくべきと痛感しました。
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ニノシマホタルを見る

2024-05-29 19:32:22 | 日常

令和6年5月25日
待ちに待ったニノシマホタル、見ました。
真っ暗い闇の中、小さな光がフラッシュの如く光る。
眼前に10匹くらいが秒速で「ピカリ。ピカリ」と光ります。
普通のホタルのように光跡を描くように飛ぶのではありませんでした。
近くを飛ばないので光跡が見えないのかもしれません。
昨夜もユーハイム似島歓迎交流センターに宿泊したアメリカの若者たち40人もこのホタルを見物したとのこと。今日は天気が良いので見れるかどうかわからないといわれていたので一安心です。これからも多くのホタルが見られるように環境整備に努めたいと思います。この時期の施設の集客材料になれば多くの人に知っていただきよいですね。先日中国新聞に私の投稿が掲載されたばかりであり担当者の方もその記事にを配布されタイミングの良さに喜んでおられました。
(ホタル会場を飾るランプを作成中です)
おまけに今回、中国新聞の方が取材に来られるとのことですから記事になり多くの方に報道されたら良いですね。
ホタル観賞の会場作りのランタンや台座の竹筒をつくりました。
講師を招いて海辺の生物観察会もありました。
似島には小中一貫校があります.わざわざ島外からも通学されているようですが何人くらい、どのような教育がなされているのか気になるところです。
(一番の収穫。美味しいお魚を買いました)
翌朝、山に行くので朝一番のフェリーに乗船するため5時30分頃家下港に着きますとリヤカーで地魚の販売をしておられました。
憧れの地魚です。「ギザミ」などは売り切れで「タイ」が多く残っていました。
名前を聞いたことのないような大きな魚もいました。私は「こち」のような赤い子魚「こさご」を4匹、大きな「イカ」を1枚、購入して帰りました。大きすぎて煮たり、刺身にして食しました。2から3日続くようです。朝帰りの釣り人がおられました。夜釣りで「ギザミ」を50匹くらい成果とのこと。大漁ですね。いろいろと楽しみの多いい島です。
島の人口、1965年(昭和40年)2891人、
     1997年(平成9年)1459人、
     2021年(令和3年) 736人
驚くべき数字です。多くの人が来場、人口減少に歯止めがかかり、活気がよみがえればよいですね。


追伸
6月2日 中国新聞朝刊に遅ればせながら当日の取材記事が掲載されました。
私が竹を切る場面が写真として掲載されていました。
何十本も切りまくりましたからよく目立ったのでしょう。
私の投書から始まり、記事の掲載まで結びついて完結。
よかったです。

     
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ニノシマホタルを見る

2024-05-29 19:32:22 | 日常
令和6年5月25日
待ちに待ったニノシマホタル、見ました。
真っ暗い闇の中、小さな光がフラッシュの如く光る。
眼前に10匹くらいが秒速で「ピカリ。ピカリ」と光ります。
普通のホタルのように光跡を描くように飛ぶのではありませんでした。
近くを飛ばないので光跡が見えないのかもしれません。
昨夜もユーハイム歓迎センターに宿泊したアメリカの若者たち40人もこのホタルを見物したとのこと。今日は天気が良いので見れるかどうかわからないといわれていたので一安心です。これからも多くのホタルが見られるように環境整備に努めたいと思います。この時期の集客材料になればよいですね。先日中国新聞に私の投稿が掲載されたばかりであり担当者の方もその記事にを配布されタイミングの良さに喜んでおられました。
おまけに今回、中国新聞の方が取材に来られるとのことですから記事になり多くの方に報道されたら良いですね。
翌朝、山に行くので朝一番のフェリーに乗船するため5時30分頃家下港に着きますとリヤカーで地魚の販売をしておられました。
憧れの地魚です。ギザミなどは売り切れでタイが多くいました。
名前を聞いたことのないような大きな魚もいました。私はこちのような赤い子魚「こさご」を4匹、大きなイカを購入して帰りました。大きすぎて煮たり、刺身にして食しました。朝帰りの釣り人がおられました。ギザミを50匹くらい成果とのこと。いろいろと楽しみの多いい島です。
島の人口、1965年(昭和40年)2891人、
     1997年(平成9年)1459人、
     2021年(令和3年) 736人
驚くべき数字です。多くの人が来場、活気がよみがえればよいですね。
     2021年(令和3年)736人驚くべき数字です。
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中國新聞『ひろば」に掲載される

2024-05-23 23:51:35 | 日常

令和6年5月24日
今日の中国新聞に似島の記事が掲載されました。
一昨日に編集部から電話を頂き近々掲載されることは決まっていました。
娘と山仲間数人に連絡しました。
一番驚いたのは高等学校時代の友人から記事を見たと電話を頂いたことです。今までも取引先の方から電話いただいたことがありました。
その電話は固定電話にありました。
固定電話は営業の勧誘電話が多いので出たことがありません。
私に用事がある時は携帯電話にかかってきていました
固定電話はFAXのために残しているようなものでしたからこのような電話があるとは偶然とはいえ驚きでした。
出なけれがありえなかったのにその不思議さん感嘆するばかりです。
良かったですね。
これも観音様のお陰でしょう。
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ドクダミ 満開となる

2024-05-21 23:33:28 | 日常

令和6年5月21日
我家のドクダミ、満開です。庭中がドクダミの白い花とピンク色のオキザリスに覆われています。今朝ラジオでは茶摘みのことが話題になっていました。我が家ではドクダミの用途は乾燥させてお茶にするしか用途がありません。祖母がいつも自分の仕事としてお茶を作るのに元気をもんでいた姿が目に浮かびます。
そうか茶摘みなら両者に共通の話題です。
ドクダミは白い花が咲いた時が一番薬のつよい時期ですか刈り取って干しましょう。ドクダミは「十薬」とも呼ばれ入て「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「pppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp「ppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppppp「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「知千代gバレじゅうの強い時ですから
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厳しい稜線歩き、鎌倉寺山

2024-05-20 13:23:48 | 日常
(行程の地図・赤い線を歩きました。)
令和6年5月18日
今日、今週末に案内を依頼されている鎌倉寺山の下見に行きました。
この山はシャクナゲで有名ですが、南峯の稜線上の岩場に「マメヅタラン」は生えて居るのを見に行きたいとのこと。
鎌倉寺山はクライミングの歴史は古く私がクライミングを始めたころはよく登ってました。上達してからは向かい側にある牛岩のルート開拓に励んだ思い出がありました。天応、三倉岳に比べ規模が小さくマルチピッチの練習ができないので訪れる人が少ないのでしょう。鎌倉寺山は標高差400m、一周4キロの小さな山塊ですが全山岩場という感じでタフなコースでした。今までアルプスに行くときは天応のアイゼン尾根で訓練していますが長距離緊張感を持って歩く訓練にはこちらのほうが適していると思いました。
(馬の背の先端部分)
今日は無料の駐車場に乗用車15台、マイクロバス1台とにぎやかでした。交通の便が悪いので志和口駅からきて縦走するより関川の南登山口から登り同じところに降りてくるほうが便利なのです。団体で来られた人のブログには「二度と来たくない山」に記録したと記してありましたから苦労されたのでしょう。登山口(標高200m)から急坂が始まり、稜線(標高400m)に出ると馬の背の危険な個所があり、稜線上は岩場が連続して登ったり下りたりの難所が続きます。滑ったりして落ちれば下まで落ちますからただではすみません。私は稜線上を歩きましたが巻き道もあつたのでしょう。緊張を強いられます。私も槍が峰(標高537m)までと思いましたが岩場の道を引き返すより権兵衛山(標高575m)までもう一登りして牛岩登山口に下るほうが時間的にもまた楽のように思い、そのように一周コースを実行しました。
最近では一番厳しいコースでした。
(稜線から足下に町が見える。如何に急かわかりますね)
目標のマメヅタランは皆さん初めてでどこかよくわかりませんが岩場を下るロープのそばに生えているようですから多分見られることでしょう。
(マメツダラン 咲いているとよいのですが。天候不順ですから果たして見れるかな。)
アルプスを目指す人なら岩場の訓練もできますがお花を見るのが趣味の方ですからゆっくりと安全を心がけて登りたいと思います。
どうか良い天気でありますように、マメヅタランに会えますように祈っています。

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来年春『芋峠・吉野山」下見山行。

2024-05-06 21:19:09 | 日常
(花矢倉展望台(上千本)からの絶景です。
普通 ,桜は下から見上げるものですが吉野の桜のすごいところはこのように上からも眺められるところではないでしょうか、
下千本の桜は今年は3月24日開花しました。4月6日には桜満開の景色が見れます。大きな建物が蔵王堂です。
頂上、金峯神社の奥千本は開花したばかりの桜が見れます。)

令和6年5月3日から6日
今年の連休後半は来年春に計画している『芋峠・喜佐谷・吉野山」の下見山行に行ってきました。
この計画は27年前、平成9年4月5日、第3263回例会山行を私がリーダーで実地しています。なんと当時は青春切符で男11名、女性22名が参加しています。
前回の記録があるのでより充実した山行ができます。
何故やるのかと問われれば大伴旅人の心境と同じ「死ぬまでにもう一度、喜佐谷・象の小川を見たいから」
第1日目
今、NHK朝ドラで「虎に翼」が放映されているこちらが元祖。
病床の天智天皇から譲位を要請されたがこれは偽りであり受ければ謀反・野心ありとして殺害されていたところです。天皇の病気平癒を祈るとして、武器を返上、即座に頭を丸め、出家した大海人皇子が吉野に逃れた時の決死の逃避行コースをたどるものです。
人々は「虎に翼つけて放てるなり」と噂した。
強いうえに、妻までつけて放った。通常なら妻子は人質にとり都に残しておくところです。
持統天皇が在位10年の間に31回も吉野を訪れているのもこの時の印象が強烈だからではないでしょうか

午前4時に自宅を出発。渋滞の為飛鳥に到着したのはお昼前でした。
「石舞台古墳」から始まり、「飛鳥川の飛び石」、稲渕集落にかかる男根の勧請綱を確認、次の古い栢森集落では女綱を見て行く。そこから芋峠への古道を探すが予想通りの場所で発見しました。よく覚えていました。
(古道芋峠越えの入り口です)
昔は狭い道でしたが今は歴史ある道として立派に復活されていました。これもひとえに故犬養孝先生の現地で歌う、古道を復活させるとのご尽力の賜物です。さらに小峠を経て芋峠までの古道を実際に歩き状況を確認しました。気持のよい山道でした。

峠の標識に犬養孝先生のお言葉が記してありました。
「万葉の故事を歩きなさい。廃れゆく峠道を歩きなさい。万葉の歌の実相が歩くことによってより正しく還元されることが多い。」といわれました。書籍とかテープでしか先生のことは知りませんが現場に出向き体験して学んでゆきたいと思います。心はつながっています。今日ここで先生の心に出会えて本当によかった。
私は車一台の調査ですからまた出発地点まで帰らなければなりません。
この古道は多くのサイクリストの人気ルートのようです。484mの芋峠を越えて下り、さらに吉野山山頂まで標高差800mをサイクリングで登るそうですから憧れのルートです。
前回は古道芋峠を下るコースが不明で車道を下りました。今回頂上から約200m位下ったところに「古道入口」の標識がありました。
故犬養先生が再発掘されたコースです。
今日はもう遅いので明日調査するつもりで車道を5キロくらい下った「せせらぎ公園」になんと登り口の「古道入口」の標識を発見。これで芋峠越えルートが一挙解決。
明日調査をするため今日はここで車中泊。
第2日目
朝7時30分発。舗装された林道を歩く。沢沿いに峠を目指し中間地点から右側の谷を詰め尾根の斜面を登ると6ピッチ(約1800m )で昨日の下降地点に到着。つながりました。下降時間は約1時間でした。
ここから宿泊予定地の津風呂湖の「一龍」までルートを確認する。距離は約5キロ。宿の状況を確認。料金は1泊2食で6000円からと格安です。学生の合宿向きとのこと。ただ宮滝まで約9キロ、3時間弱要します。
(湖で釣りを楽しんでおられました。)
津風呂湖は国が管理しておりボート等に持ち込みは禁止、竿釣りだけが許されています、貸ボートは可。大勢の方が釣りを楽しんでおられました。

湖畔を約5キロ歩いて次の調査は「矢治峠越え」標識ありました。湖畔側からは約15分で稜線到着、次は下山口の吉野川からの登りルートを確認せねばなりません。
「だろう」では予定外の事態になるとも限らないので確実に確認する必要があります。住人に聞いて初めて登山口がわかりました。
稜線までだから簡単にわかるだろうと身一つで登りました。急登でがけの登りで危険があります。鉄パイプで手摺が付けられています。一般道とは言えない危険さ。このような危険な道を古人は通らない。役所の指定した道だから安全施設が施されているのだろう。
これでは全部確認する必要がありそうです。
上部付近で道がなくなり、直登し、迷ってしまった。
直登したのが間違いで稜線上を右側に進むと登ってきた頂上の標識を発見、下山路につながりました。一人の時には思い込みから道を見失いがちです。これで一件落着。
吉野離宮近くの旅館まつやを調査、確認をする。
料金は1泊2食で約16000円、吉野は観光地ですから高いですね。最大収容人数は20名とのこと。宮滝ですからすぐに出発。時間的にも余裕があります。こぎれいな温泉付きの料理旅館です。
ちかくの中荘温泉に入浴。中華料理店「仁」で中華料理の夕食をとる。美味しくてよかった。
(吉野川の河川敷、川遊びを楽しんでいます。)
吉野川の河川敷はテントを張ったり、川遊びのため数百台と多くの車両が駐車しています。
駐車料金は1500円が普通のようです。今夜はここの駐車場で車中泊。
第3日目
今日は吉野山です。
桜木神社を経て喜佐谷を遡行すると喜佐谷・象の小川入口に到着。無料の広い駐車場があります。1台しか止まっていません。
前回の時は雨でかすんでいました。その中を白い流れが光って幻想的でした。
憧れの小川にきたと感慨深いものがあります。
1300年続く古道です。大伴旅人が憧れた清流です。
    昔見し象の小川を今見れば いよよさやけくなりにけらしも
  その後大宰府にありし時の歌
    わが命も常にあらぬか むかし見し象の小川を行きて見むため
(高滝、10m位の滝です。
稜線まで約1500mくらいの山道が続きます。しっかりと心を込めて歩きました。気が付いたことがあります。常に「サラサラ」という水音が絶えることがありません。見なくても沢音が途絶えることがありません。小川がいつも脳裏にあります。
吉野参拝道の日拝地蔵までコースを確認し下山しました。
登る時には気が付きませんでしたが下りの目線で見ると道端の藪が気になります。避けて歩くのが気になります。私は山に入るときにはいつも手鋸を持参しているので邪魔になる藪を切り取りました。
伐採前

(伐採後、広くて歩き易くなりました)

道も広々と歩き易くなりました。
それならここに来させていただいた御礼にこの際、ご奉仕して山道をきれいにさせていただきましょう。
やるからには今できるすべてのことをしよう。
吉野山のことはそのあとでよい。
藪や樹木は20から30か所ありましたが徹底的に刈りとり、気持ちよく歩けるようになりました。
綺麗にしたからといっても誰もほめてくれませんが観音様と大伴旅人はわかってくれることでしょう。よいことをした。それでよいです。

吉野山の道路は、お花見のこの時期交通規制がされています。
乗用車は下千本の「吉野山観光駐車場」でストップ。観光バスは予約制で迎えの為駐車場に入るだけでも15000円かかります。それだけ人気があるということでしょう。ここは標高250mくらいです。青根ヶ峯が標高857m,金峯神社が756mですから標高差600m余り在ります。おおよそ2時間かかるかな。
中千本までは両側にお土産屋さん、食堂等が立ち並び、人ごみの中を歩きます。立ち寄っていたらきりがありません。一目散に歩くのみ。帰路にゆっくり立ち寄りましょう。金峯神社までコンクリート舗装の道が続きます。
おまけに真夏日のような暑さです。
時間は今既に12時40分。しかし、途中で引き返したのでは来た甲斐がない。正確な所要時間が把握できなけれが予定が立たない。頂上までのぼるべし。
(青根ヶ峰頂上、三角点とベンチがありました)
金峯神社から頂上までは一般の土の道で14分、最後は130段余りの階段。急坂でした。
青根ヶ峰頂上着は15時10分です。樹林帯で展望はありません。下山開始時刻は15時30分、下りの駐車場着は17時30分でした。余分な時間で途中の見物時間を調整しましょう。
当日の帰りのバスの出発時間は15時発の予定です。
青根ヶ峰頂上登山の収穫は日拝地蔵からの頂上への登り所要時間は80分、駐車場までの下り所要時間は120分。
これなら神社見物、買い物時間もとれそうです。
有効な資料で計画に必要な資料はあらかたそろいました。
帰路、桜井市の聖林寺に立ち寄り永代供養塔を見物しました。
充実した3日間でした。有効な下見山行ができました。
おまけに膝関節症のリハビリにもなりました。
本番も楽しい山行となりますように祈っています。
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何と、「似島にホタルがいる。」

2024-04-28 22:57:17 | 日常

令和6年4月27日
瀬戸内海、広島湾の似島にホタルがいる。
ホタルといえばきれいな清流の代名詞ですがなんと川のない似島にもいるのです。
「似島にホタル?]
今年2月、例会山行でこの島を40人で訪れ「安芸の小富士」登山をした時、観光案内のパンフレットに書いてあり,ホタルがいることを知りました。
3月、南区広報誌に「ニノシマホタルを育てる里人の会」で参加者募集の記事があり、すぐに申込ました。
そして今日、初参加・草刈り作業等してきました。
参加者は19名、南区の地域おこし推進課の方、似島の公民館の方など役所の方が9名、一般は私など高齢者が5名、子供さん連れのご家族が5名という内容で若い方はおられませんでした。
今日、似島に渡るフェリーは超満員で座る席がないほどの盛況、若い方や子供さん達でいっぱい。いつもはガラガラなのに初めてのことです。皆さんホタルの作業に参加されるのかと驚きました。同じく似島学園前で下船されましたが新しくリニューアルオープンした「ユーハイム似島歓迎交流センター」利用者の方達でした。


わたしたちは19名のみです。
私達の作業場所はその施設から約500m位先にある竹林のホタル池と称される場所です。
作業はホタルの生育環境を維持するため、草刈りや竹藪の整理等の作業です。

(竹藪の伐採、草取り作業中です。)
私はホタル池といわれる湿地帯、かつては田んぼがあったところで小川から竹筒で綺麗な水がいれられています。そこの草刈りをしました。
長靴を履いていますが底なし沼の様ですっぽりと埋り抜けません。だから埋らないように何枚も足場板を敷いて作業をします。
できるだけ草をひき抜きましたができにくい所は草刈り機で刈り取りました。
ひき抜くのも足元が悪いので力がいります。
かなり腰にきます。
泥だらけになりながら作業をしました。
(作業前のホタル池。草がよく茂っています。周囲の草は抜き取りましたが内側は刈り取りました。)
(作業後の写真。綺麗に刈り取りました。足元が柔らかく埋るので足場板を敷いて作業しています。)

南区の担当課の方々もよく頑張っておられます。
毎年発行されている「似島ホタルの里通信」は今年で18号を数えます。
長年にわたり広報活動も行い、広く周知し多くの市民に参加を求めておられますがなかなか参加者が集まらないようです。
私が知ったのも今年ですから、多くの市民は知らないでしょう。
テレビや新聞で取り上げられれば知名度も上り、参加者も増えるのですがなかなかうまくゆかないようです。
何か良い方法はないものでしょうか。
例によって中國新聞に投稿しましょうか。
広告の重要さ、広告費が高い理由がわかります。

にも
(新品のコテージ、他にも食堂棟、炊飯施設も作られ、日帰りレジャーにも便利になっています。)
しかし、今チャンスが訪れようとしています。
今朝 大勢の訪問者を見たではありませんか
今年4月、「似島臨海少年自然の家」を建て替え、立派な「ユーハイム似島歓迎交流センター」にリニューアルオープンしました。観光客・町内会・子供会や企業研修等で多くの人が訪れています。ホタル観賞もプログラムに取り入れていただければきっと見れば感動していただき保護活動に関心を持ち参加する人もあるのではないでしょうか。
施設側にも「ホタル」という見どころが増え、メリットあるのではないでしょうか。宿泊施設も10棟ものコテージが用意され、次回のホタル鑑賞会は以前の施設しか空いていないといわれました。人気があるようです。
登山、海洋レジャー、自然観察等この施設は新しい似島の起爆剤となりうる。
私は新鮮な地魚料理を食べる為,遠路、岡山の真鍋島まで出かけています。
似島なら宇品港からわずか20分。手近かな距離ですからすぐ来れます。
「やればできる」 これを逃せば似島の繁栄はないでしょう。

ニノシマホタルはヒメホタルの一種で「森のホタル」と呼ばれています。
主に山岳地帯で標高1000mくらいの林間に生育しているようです。
それが似島のような平地に近い場所に生息しているのですから不思議ですね。何か条件にあったところがあったのでしょうか。
これもご縁というものでしょうか。
身近なところにあり、希少なものですからいとおしくなります。
大切に守り育てたいと思います。
5月25日に早速にヒメホタルの鑑賞会があるとのこと楽しみにしています。
また6月23日にはヘイケホタルの鑑賞会も予定されています。
両方見れるとはすごいですね。楽しみです。


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情熱のピアニスト、中村紘子

2024-04-24 22:57:24 | 日常

令和6年4月20日
今日のNHKの「おとなのEテレタイムマシン」という番組で、43年前の1981年、第848回N響定期演奏会の様子を放送していました。曲名はチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」ピアノ奏者は有名な中村紘子さん37歳の時の演奏会でした。
タイムマシンで再放送されるということは人気のある映像ということでしょう。
音だけで聞くよりこの映像で鑑賞すると一味違うものがあるということを感じられたからではないでしょうか。
43年前の先達に叡智に感謝します。

【自由自在に演奏します)
驚きというか、迫力あふれるすごい演奏会に圧倒されました。クラッシック音楽は静かに耳を傾けるものです。演奏会に行っても会場から静かに聞いています。一段低い位置からや離れた位置からの鑑賞ですから手先等の細かい動きはわかりません。今回は映像ですから各方向から演奏者の手の動きが克明に写されています。今回のこの演奏会の場面は「耳で音を聞く」「目で奏者が打ち出す手先が醸し出す音を見る」という立体的な感覚を味わえた演奏会でした。
(これで力を込めて フィニッシュ)
これを見て「もやもや」とした脳内がすっきりと一掃され、実にさわやかな気持ちにしてくれました。クラッシック音楽が認知症治療に効果があるのではと疑わせるような気持にさせてくれた演奏。静かな、かすかに聞こえるような小さな音の時は穏やかにピアノに向かい、激しい場面にはしっかり指を点て鍵盤にたたきつける激げしい動き、その迫力に圧倒されました。40分余りの演奏ですが譜面はありません。全て暗記されていました。
ピアノの演奏場面は初めから終わりまですべてが収録されていました。時間を感じさせない素晴らしい演奏会でした。
(演奏を終えて笑顔がはじける。)
ある人が言っていましたが「ピアニストは体操選手と同じような筋肉量を持っている。」と。太い二の腕、がっちりとした肩、長時間激しい演奏をするにはこの体でなければできないと納得しました。
感激への感謝とお礼を込めてしっかりと拍手を送りました。
「ブラボー、有難う」大きな拍手はいつまでも鳴りやみませんでした。
ありがとう。本当にありがとうございました。
ご苦労様でした。
この演奏会を再び見るため「NHKプラス」に加入しました。
放送から1週間は見れます。
何回も見ることでしょうがしっかりと音と場面を目に焼き付きたいと思います。
良い音楽は心を元気に活力をもたらしてくれることを再認識しました。
中村紘子さんは2016年72歳でお亡くなりになりました。
素晴らしい音楽をありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りします。
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来年の大和路探訪は・・・吉野山に行きます

2024-04-19 22:56:33 | 日常
令和6年4月19日
今年の大和路は又兵衛桜に代表されたように桜、桜のシリーズでした。
次を考えると私の一番行きたいところは吉野の喜佐谷の象の小川である。
  わが命常にあらぬか昔みし象の小川を行きてみむため(3-335)
大伴旅人が大宰府に赴任していた時、もう一度象の小川を見て死にたいと恋焦がれた清流です。
2年後,上京の時鞆の浦でむろの木の歌、3首を残しています。
我妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき(3-449)

私も前回、平成9年4月、いまから27年前に同様の例会山行を行いました。
その時見た象の小川の神秘的な情景を思い出し、また行きたいと思い企画しました。
吉野山は今は桜で有名ですが万葉時代には「水の吉野」が有名でした。
都の飛鳥川は小さな小川のような川でしたが、吉野川は水量も多く岩を砕いでながるる激流は都人にとっては驚きいがい何物でもありません。
持統天皇は在位10年間に31回も訪れておられます。
今回は頂上の青根ヶ峰まで登りいろいろな桜を堪能しましょう。

いまNHKの朝ドラで「虎に翼」を放送していますが元祖はこちら「虎に翼をつけて放てるなり」という言葉があります。
671年天智天皇が病床に就き、弟の大海人皇子に譲位しようとしたが、彼は「ご子息の大友皇子に譲られるのが良い、私は病気平癒のため出家してご祈念する」といって辞退。直ちに剃髪し頭を丸め出家、武器も返納し吉野に旅立った。
この様を見て世間の人はこのように噂したのです。虎は大海人皇子、翼とは妻の鵜野皇女(後の持統天皇)のこと。本来なら家族は人質として都に残し監禁しておくところですが策を誤りました。吉野逃亡行は無防備ですから襲われたらひとたまりもありません。必死な思いで人目につかぬように山越えしたことでしょう。半年後に兵を起こし近江朝廷を倒し天下を取りました。
今回はその吉野への山越えの道を歩き足跡を偲びたいと思います。
いろいろ調査し来年4月に実施したいと思います。
ご期待ください。

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