南北朝が統一された後の、応永18(1411)年、根城南部長経と弟の光経が秋田安東庶季との合戦の折り、
諸国行脚中の一人の僧の助言により勝利することができました。
その僧を招いて造られたのが曹洞宗福聚山大慈寺
寛永4(1627)年、八戸から遠野に移封となった際、八戸根城南部氏とともに移り、
大圓慈光大和尚までで三十世
東日本大震災の2011年4月14日、本堂・庫裏共に全焼し、後日、大和尚様の死亡が確認されました。
その後、お寺の護寺会を中心に焼失建物の建設委員会が組織され工事着手
2016年6月に本堂の上棟
今秋には完成ということで現在屋根工事終盤です。
内部も壁の下地が出来上がってきている状況です。
これは焼失前の本堂(昭和48年再建のもの)
当時の御本尊
遠野南部氏他、そうそうたる名前が寄進者として掲げられていたお寺さんですが、
また、新たな歴史が始まろうとしています。
新しいといえば、午前中用足しついでに、山口の水車小屋へ
この建物も再建されましたが、中で実際に使用しているのを初めて見ることが出来ました。
米粉を作っているとのことでした。
さて、昨日、埼玉からタイフーンおばさんの「H恵さん」が帰省したという情報が入りました。
明日の土曜は、何かがあるとか?ないとか?・・・
それにしても、今日は暑い!日が射す場所は30℃越え
そう、実際に使っていました。
平日だからこそ、モデルさんにも出会えたと思いますが、
やはり地元ならではの優位性です。汗
ちなみに、モデルさんは知っている方でした。笑
明日は出撃予定です!
今回お寺を取り上げるにあたり、過去の記事と写真データを確認しましたが、
やはり、ブログを続けていたからこそですね!笑
28mmのモデルさん、手拭が似合います。