六神石神社ではなく、六角牛神社
前回までは六神石神社で、今回は六角牛神社、どちらも「ろっこうしじんじゃ」です。
ややっこしい話ですね!笑
以前何かの文章で見た時に、六角牛神社の方が先に神社登録したとのことで山の名前そのものの「六角牛」となり、
遅れて登録した中沢の方が「六神石」とした。と記憶していたのですが、どうやら違うようです。
中沢が明治5年で、糠前が明治13年となっており、六神石神社前宮司の文章に当初登録する時に
六角牛山善応寺の「六角牛」の文字はお寺の文字なので神社には相応しくないとして却下され、
「六神石」の文字で登録したとありました。その8年後に、どういう経緯で糠前の方が「六角牛」で登録できたのかは、
定かでありませんが、糠前の六角牛神社は江戸時代に神楽大権現と称されていたことは知られています。
前置きが長くなりましたが、その六角牛神社です。
23日(日)中沢の六神石神社例祭が終わった後、青笹しし踊りさんの門掛けを見た訳ですが、
そこで、この後、糠前の六角牛神社の宵宮へ行くとの情報を得て、こちらへとなりました。
六角牛神社の例祭そのものを見たこともなく、無論、宵宮も始めてです。
社殿では、六角牛神楽さんが打ち鳴らしをし、地元自治会の役員さんと一緒に拝礼をして
神事としていました。
境内では自治会が焼き鳥やフランクフルトを準備し、周辺の子供たちは神楽の衣装を着て遊んでいます。
六角牛神楽
「遠野の郷土芸能」によると、1841年生まれの土淵町飯豊の甚太が婿養子に来て
20代の頃から踊り始めたと云われ、その後、ある時期から八幡神楽も学び取り入れ現在の踊りになった
と、あります。
六角牛神楽のシンガクの奉納です。
例年、遠野まつりに参加しシンガクを披露していますが、今年は関係者に不幸があったということで不参加。
まさか、ここで六角牛神楽が観られるとは思ってもみませんでした。
今まで、この神楽の写真は一度しか収めていなかったので感激!笑
中沢にも神楽があったと聞いていますが、現在は無く、こちらの糠前では神楽大権現と称して
この神社が成立しており、周辺には神楽田の地名もあることから、
古い時代には神楽が行なわれていたのではと云われています。
良いものを観させて頂きました!
そして、
暗闇の中から青笹しし踊りさんの登場です。
社殿で踊ります。
薄明りで見るしし踊りは何ともすばらしく、
中太鼓の彼の踊りもまた、抜群でした!
柱掛かりです。
種ふくべはベテランさん
なんだか皆さん、楽しんでいる雰囲気でした。
先ほどまでの門掛けでは姿が見えなかったK兄の姿も
緑の苔のじゅうたんと木立、そして若干の灯り
何だか病みつきになりそうな境内での踊りでした。
バスで話を聞いていたんですね!
門掛けが終わるあたりで聞いたので、どうしようか迷いましたが、
行った甲斐がありました。
六角牛神社は旧暦で開催しているようなので、今年は、たまたましし踊りも一緒になり、
良い場面に遭遇でき、ラッキーでした。
シャトルバスの中で六角牛神社が宵宮と聞いていましたが、疲れていて行く気力がなかった。
行かなかったのが悔やまれます。