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上郷町の猫川に架かる赤橋から釜石につながる道路が現在工事中であるが、その橋の南側に駒形神社がある。その取付け道路の脇に取り残されたように、だいぶ疲れた様子の茅葺屋根が見える。源義経が兄頼朝から逃れたコースのひとつ(義経北行伝説)に遠野が含まれる。平泉を脱出した義経主従が、ここまで来た時、愛馬「小黒号」が死んだため、ここに祠を建てて祀ったという伝説の神社である。一行はこの後、慶雲寺隣の風呂家に寄って、お風呂に入るのである。
駒形神社そして蒼前神社どちらも馬を祀る神社であるが、市内にあるものは、駒形神社と呼ばれている。附馬牛、松崎、上組町にもあるが、遠野では現在駒形神社と呼んでいるが、松崎・上組町のは、蒼前と呼んでいたようである。(個人的には南部氏縁の神社が蒼前で、それ以前のものが駒形という感覚をもっていたが、そうでもないような)
岩手県民間信仰辞典には次のようにある。蒼前とは葦毛四白の馬の意味で、齢8歳に達すると白馬になるといい、霊異ある馬。かつて猿丸太夫と名のる祈祷師が正月中に家々を回り、厩で蒼前を祀って、勝善経を読んだという。この信仰圏が東日本に限るられていることから、日光二荒山の神人によって伝播されたのではと推定される。
芸能集団、盛岡七軒丁の頭取「御駒太夫」も盛岡青物丁の蒼前神社別当であった。彼らは厩祀りを行なうことも仕事のひとつであり、八戸典屋頭も同様である。両者とも三戸南部の時代には成立していた職能集団であったものと推察されるが、遠野では、どうだったのだろう。「てんや与平次」も同様に厩祀りを行なったのであろうか。この駒形、遠野各村に在ってもおかしくない。先の書によると馬頭観音と駒形との厳密な区別はつかないとのこと。水沢駒形神社の奥宮には馬頭観音があるとのことなので、土淵町の山崎観音も同じグループに入るのか。
この神社も境内を含め、もう少し手入れをしないと、あっという間に朽ちてしまう。管理者は誰なんだろう?
駒形神社そして蒼前神社どちらも馬を祀る神社であるが、市内にあるものは、駒形神社と呼ばれている。附馬牛、松崎、上組町にもあるが、遠野では現在駒形神社と呼んでいるが、松崎・上組町のは、蒼前と呼んでいたようである。(個人的には南部氏縁の神社が蒼前で、それ以前のものが駒形という感覚をもっていたが、そうでもないような)
岩手県民間信仰辞典には次のようにある。蒼前とは葦毛四白の馬の意味で、齢8歳に達すると白馬になるといい、霊異ある馬。かつて猿丸太夫と名のる祈祷師が正月中に家々を回り、厩で蒼前を祀って、勝善経を読んだという。この信仰圏が東日本に限るられていることから、日光二荒山の神人によって伝播されたのではと推定される。
芸能集団、盛岡七軒丁の頭取「御駒太夫」も盛岡青物丁の蒼前神社別当であった。彼らは厩祀りを行なうことも仕事のひとつであり、八戸典屋頭も同様である。両者とも三戸南部の時代には成立していた職能集団であったものと推察されるが、遠野では、どうだったのだろう。「てんや与平次」も同様に厩祀りを行なったのであろうか。この駒形、遠野各村に在ってもおかしくない。先の書によると馬頭観音と駒形との厳密な区別はつかないとのこと。水沢駒形神社の奥宮には馬頭観音があるとのことなので、土淵町の山崎観音も同じグループに入るのか。
この神社も境内を含め、もう少し手入れをしないと、あっという間に朽ちてしまう。管理者は誰なんだろう?
せっかく仕事で駒形神社の宮司さんの近くにいたのに、各々の役割で気ぜわしく、また私が人見知りのせいもあり、伺うことができなかったのが今でも悔やまれます。~残念っ
地元の老人クラブが史跡を調査し記録したものを平成11年3月「小友町探訪」として載せています。義経は死ぬ前に名馬「小黒号」を生まれ故郷に帰したと言います。「小黒号」はこの地で死んだと聞いています。
義経の平泉での死亡した現実と、生き延びた北行伝説。「小黒号」の伝説の地と現実の地。どちらももう一度訪れてみたい所です。遠野の郷今になって興味大。
頭から牛馬が生まれたということから牛や馬の神ともされていることや、東日本に多い駒形神社では、馬の神として保食神が祀られており、さらに「頭から馬」ということで馬頭観音とも同一視されている。
なるほど。一如さんのコメントによって、思いがけず、新しい知識を仕入れることができました。
さて、伊豆権現。小友の。上記資料はあったものの、画像がなかったので行って来ました。雪降りの中を綾織光明寺向かいから峠を越え、鷹鳥屋経由にて。内容については本日アップ致します。それにしても、とうとう、雪となりました。昨日までは雨降りだったのが、気温が下がり、とうとう。遠野郷でも新年を迎える準備ができたという感じです。甲斐の国はいかがですか。