東日本大震災から一年目の3月11日、遠野市役所とぴあ2階庁舎にて
追悼の記帳と献花を行ない、迷いに迷ったあげく、釜石へ
釜石市内は、合同追悼式や法要へと向かう黒い服を着た人たちが多く、
また、この日行われる行事をサポートするボランティアと思われる方々も多数
行き交う他県ナンバーの車も多く、この日のために帰ってきた親族もかなりの数だったようだ
一路、本郷へ
震災から一ヶ月後の本郷
一年後
あの時見た防潮堤に堆積した様々なもの
瓦礫の地域内移動と分別が進んだだけの一年目のこの日
14時46分、本郷を根拠地とする桜舞太鼓のメンバーと
地域の方々と共に黙祷
いまだ、片付けられていない堤防の上での追悼の太鼓
横浜の陸奥心の支援の会から届けられたロウソクが並べられ
メンバーそれぞれが抱える様々なことを背負いながら打つ
地域と共に・・・・
きっと、いつか
見事な桜が咲く頃に
また、ここで会いたいと願う
本郷は明治から被害が大きかったようです。その根拠がシミュレーションより今回明らかになりました。形状により増幅されやすい地形のようです。
さらに悲劇だったのは田老でした。X型配置は益々津波を増幅させることが判明しました。X部分の交差点で波が重なり合い増幅するようです。なぜX型にしたかは分かりません。
盛土といい、危ない感じがします・・・。
画像で見ただけでも結構高い防潮堤ですが、
これを乗り越えたんですからね~
本郷の古い家は無傷、先人の決断は正しいですね~吉浜も同様ですが・・・(^_^;)
田老のX形状・・・誰が設計して許可したのか気になります。(w
政府の方針を固め、前に進んで欲しいですね。
岩手沿岸部の津波シュミレーションの話もX型もTV等に出ており、アンテナの高い人は知っていること。釜石の免許センターのように、なぜそこへ?と素人でも思えるような場所へ、公共機関が建物を建設しないことを願っています。
予定を無事こなして家に帰ったのが夜8時半。忙しい日曜でした。
人が造る防波堤に絶対安全ということはなく、減災効果を期待するにとどめるべきで、先人の云っていたことや行ないを真摯に受け止めることが大事だと思います。
田老は最初からX型ではなく、居住地確保のために、後に増築されたのではなかったでしょうか?
希望の郷に行かれたんでしょうか?
岩手の場合、被災地域が入り江のあちらこちらにあり、それぞれ、狭い場所となっています。
国の予算がいくら投入されようが、現地で作業できる人や重機の数は限られます。まして、作業する人たちが寝泊りする場所もないので、すぐすぐ、復興することはありえません。
これからは、被災された方々の心のケアが、大切なんだろうと感じています。
直接連絡を取りたいと思っているのですが、もし、宜しければ、お手数ですが、下記のメールアドレスまでご連絡頂けないでしょうか?
お忙しいところ、誠に恐縮ですが、ご協力頂けますよう何卒宜しくお願い致します。
tabutabuyo66@yahoo.co.jp
つたない写真ですが、どうぞお使い下さい。