遠野物語拾遺56話に登場する社。小黒沢伊豆権現の帰りに立ち寄る。小友町勝跡志増補版及び遠野のお寺とお社の沿革概要によると、葛西の浪士佐々木一族がこの地に非難し、開拓を行い定住(土室開拓の祖)。杉岡如意の戒論により良民となり、正業に就いた際、武器を埋めた地に社を建立し篠権現とする。時に寛永8年(1631){この年は土淵町光岸寺が沢里主膳の開基、常堅寺四世了室全達により開山されている}9月8日。後、正徳3年(1713)につるのない鉄鍋が奉納され、これを被ると疱瘡が早く治ると評判になり、遠方から多数参拝客が訪れたという。
上記の佐々木一族は当時、山賊化していたもので、杉岡如意の話は寛永4年(1627)5月13日に小友村よりこの年の3月に遠野へ入部した八戸南部氏への訴えによるもの。杉岡氏がこの場面に登場するまでには数々の出来事を経ることになる。が、いずれにしても、彼が佐々木一族を説得したことは間違いない。寛永9年付けの佐々木一族4名連名の文が杉岡家に明治まで残されていたという。その文には、佐々木一族はその後、農業に専念する旨が記されている。
上記は南部氏入部前後の話であるが、当時は既に小友は金山として知られていた地域で、伊達南部の境界争いが続いていた。(寛永19年に境界が定まる)奥州仕置によって遠野へ入ったといわれる人達がかなり居り、佐々木氏も同様なのであろう。そこで、疑問。菊池姓に次ぎ佐々木姓の方も遠野には多数いるわけで、そんなに沢山の人たちが皆移住してきたということなのだろうか?それとも、同姓別一族なのだろうか?小黒沢伊豆権現と来内伊豆権現は古い昔に権力争いをしたことがあるという。両者の間には火石金山があり、後にオソトキや長者伝説が生れる。
小友の佐々木一族と青笹中妻の佐々木一族、小友の及川氏と中妻観音堂の及川氏。小黒沢と来内の伊豆権現。小友と上郷・青笹は、葛西氏を共通事項としてつながっているのではないか。そのつながりは本当に奥州仕置後なのか?頼朝の平泉征伐後からではないのか?遠野は、阿曾沼氏だけが統治していた地域ではなかったと思うのだが?
今年9月からブログを始め、1週間に1回ぐらいのペースで進めるつもりでいましたが、気まま故、ハイペースになりました。12月まで続けてこれたことが自分自身でも驚きです。「遠野」というキーワードで沢山の方々がホームページなりブログで紹介していることもあり、重複した内容もありますが、新年を迎えても、今まで以上のことはできませんが、続けていければと思っています。
良いお年を!
上記の佐々木一族は当時、山賊化していたもので、杉岡如意の話は寛永4年(1627)5月13日に小友村よりこの年の3月に遠野へ入部した八戸南部氏への訴えによるもの。杉岡氏がこの場面に登場するまでには数々の出来事を経ることになる。が、いずれにしても、彼が佐々木一族を説得したことは間違いない。寛永9年付けの佐々木一族4名連名の文が杉岡家に明治まで残されていたという。その文には、佐々木一族はその後、農業に専念する旨が記されている。
上記は南部氏入部前後の話であるが、当時は既に小友は金山として知られていた地域で、伊達南部の境界争いが続いていた。(寛永19年に境界が定まる)奥州仕置によって遠野へ入ったといわれる人達がかなり居り、佐々木氏も同様なのであろう。そこで、疑問。菊池姓に次ぎ佐々木姓の方も遠野には多数いるわけで、そんなに沢山の人たちが皆移住してきたということなのだろうか?それとも、同姓別一族なのだろうか?小黒沢伊豆権現と来内伊豆権現は古い昔に権力争いをしたことがあるという。両者の間には火石金山があり、後にオソトキや長者伝説が生れる。
小友の佐々木一族と青笹中妻の佐々木一族、小友の及川氏と中妻観音堂の及川氏。小黒沢と来内の伊豆権現。小友と上郷・青笹は、葛西氏を共通事項としてつながっているのではないか。そのつながりは本当に奥州仕置後なのか?頼朝の平泉征伐後からではないのか?遠野は、阿曾沼氏だけが統治していた地域ではなかったと思うのだが?
今年9月からブログを始め、1週間に1回ぐらいのペースで進めるつもりでいましたが、気まま故、ハイペースになりました。12月まで続けてこれたことが自分自身でも驚きです。「遠野」というキーワードで沢山の方々がホームページなりブログで紹介していることもあり、重複した内容もありますが、新年を迎えても、今まで以上のことはできませんが、続けていければと思っています。
良いお年を!
悪いことへ導いたつもりはまったくありません(笑)
始めたり、出会ったりの年でしたね。
普通にやって行きましょう。
今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いいたします。
びゅびゅ~ん=3
とらねこさんからお噂はかねがね、でしたので。
ワタクシの知識不足を補うため、コソーっと覗き見させて頂いていました。
また、しゃがんでお話している様を見ることができたらいいですねー(笑)。
ないすな新年をお迎えになりますように!
これが、こちらを拝見したときの偽らざる感想です。
あ、すごい、というのはワタクシの知りたいことがズバっとさりげなく紹介されているということですよ。
内容がヘビー級なので、息切れが心配でしたが続石、笛で鍛えた肺活量ですね。(笑)
ひゃらりひゅうるりらら~とお続けください。おっとたまには息継ぎを忘れずに。
それでは良いお年を。
特にブログの開設、遂にという感じでしたが、その後押しの一端に当方がいたということ、これもまた何かのご縁かと思います。
同級生という立場ながらも、それほど親しいわけでもなかったと記憶しておりますが、郷土史やら民俗分野に造詣が深かったこと、ましてや同級生、同年代に居たとは全く知りませんでした。
ですから、名乗りをいただきたときはたいへんうれしく、心強いと感じたのは本音でもあります。
そしてここまでお詳しいとはほんと恐れ入っております。
来年もどうぞよろしくお願いします。
そして是非に一度くらいは共に史跡めぐりをお付き合いさせてください。
良いお年を・・・・。
遠野新参者の私としては遠野を深く掘り下げて情報を
発信している方々のブログはただただ頭が下がる思いです。これからもコメントの筆が重い私ですがどうか見捨てずに
お付き合いしてくださいませ。
最後に良いお年を来年もよろしくです。
結構 まめなんですね。たまに、お邪魔します。
muikamatのitokoでした。
本年もお邪魔しに来ますのでよろしくお願いいたします。
美しい日本!の元旦の一日でしたぁー。
餅を食べておとそを頂いて、おせちで満腹。
胴回りが復活の正月になりそうです。
貴重な正月休みなようですが、如何お過ごしでしか?
願いを氏神にかけて、総鎮守に参詣にも行って来ました。
正午からは遠野市長をお呼びしての地区の新年会。
自宅に戻ってからはサプライズ!息子19歳から「お年玉」をいただきましたぁー。
涙ものでした、早速神棚に納めました。
かくし芸大会を見ながら姉と姪も混じって、コタツは超満員!
空き缶がゴロゴロ散らばるテーブルに冷や汗。
みんな同じDNAをつないでるんだぁーと、つくづく思った。
5Kのみかんもあっという間に消えて行った元旦。
今日は「箱根駅伝」母校は出場していないので、娘の学校でも応援します。
なんか、いい正月です。