此処の所、七観音をおってきたが、私なりに年表等を見ていて気づいたこと。古くから慈覚大師に関わる伝説が遠野の寺社にもあり、それらが存亡を繰り返しながら細々と生きながらえていた。しかし、寛永4年(1627)八戸直栄が遠野へ入部以後、何らかの要因によって、焼失されることになり、享保年中(1715)以降に、七観音信仰が起こる。(これは八戸から同道した東善寺が関係していると考えられる)その後、延享元年(1744)頃に、寺社奉行によって、由緒の提出を求められ、同じような由緒書を提出。寛政13年(1801)松田理右衛門らによって由緒や御詠歌を記した額が奉納されたことで、一層、信仰が深まったものと推察される。特にも、元禄から享保年中は、小友や上郷で新たな金山が見つかった時期で、寺社が再建されたり、仏像が安置されたり、しし踊りが盛んになったりと隆盛期だったと思われる。以上が七観音時代の経過となる。(画像は山谷観音にあったノボリだ。夢・宝さがしとある。正に、私にとって歴史ロマンは夢・宝さがしだ。)
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0観音制覇のワタクシにとっては訪れる際の貴重な資料になりますです。